2◆◆



 キリトにフォルテのことを任せてから、黒雪姫に先導してもらう形で俺達は撤退している。
 黒雪姫はバイクに乗って走り、俺……ジローは緑衣のアーチャーと共にアイアンの背中に腰かけている。俺の肩に乗っているユイちゃんは、キリトのことが心配なのか不安な表情を浮かべていた。
 ユイちゃんに向けて、励ましの言葉を考えたけれど……

「お前は……オーヴァン!?」

 黒雪姫の叫びによって、俺はそっちに意識が向いた。
 アイアンが足を止めた途端、その姿が目に飛び込んでくる。左肩より禍々しい漆黒の爪を生やしながら、色眼鏡の下から俺達を見つめてくる長身の男……オーヴァンが俺達の前に現れた。

「やあ、また会ったね。君は確か、ブラック・ロータス……だったかな? シルバー・クロウやスカーレット・レインの良き友人と聞いたよ」

 まるで、軽い挨拶をするようにその名前を呼ばれた途端、俺の中で怒りが湧き上がってくる。
 オーヴァンはシルバー・クロウやニコの仇だ。それなのに、二人の名前を軽々しく口にされることが我慢できない。DG-0を実体化させて、握り締めようとしたが……

「黙れ」

 そんな俺の感情が生温く思えるほどに、冷たい声色が聞こえてきた。

「私はずっと待っていた……お前を見つけ、そしてこの手で葬る時をッ!」

 声の主である黒雪姫は、激情の叫びと共にオーヴァンを目掛けて飛びかかる。
 黒雪姫はその二刀流を振るうが、オーヴァンの爪によって容易く受け止められてしまった。オーヴァンは右手に構える銃剣を振るうが、黒雪姫は素早く後退することで回避する。
 そして、勢いを利用して再度突貫を仕掛けるが、今度はオーヴァンが簡単に回避した。

「悪いが、今の俺は君に用がない。ここは、大人しく引いてくれないだろうか?」
「私がお前の言葉など聞くと思ったか!? ハルユキ君の命を奪い、ニコやシノンなど……多くのプレイヤーの仇である、お前の言葉など!」

 黒雪姫……いや、ブラック・ロータスは韋駄天の如く勢いで刃を振るい続けるが、オーヴァンはその全てを安々と避けていた。
 黒雪姫が遅いのではなく、オーヴァンがあまりにも早すぎるのだ。黒雪姫の速度が風とするなら、オーヴァンはまるで瞬間移動を使っているかのように。
 やがて、オーヴァンは黒雪姫の背後に回り込むが、黒雪姫は瞬時に振り向きながら一閃した。彼女の速度は常人を遥かに超えるはずなのに、オーヴァンにはまたしても届かない。

「ハルユキ君……それはもしかして、シルバー・クロウのことかな?」

 そんな中、回避をしたオーヴァンは何食わぬ顔で問いかけてくる。

「そうだ! お前がその手にかけたことを、忘れたとは言わせない! 私が最も信頼し、そして誰よりも強くて熱い心を持つバーストリンカーだ!」
「なるほどね。しかし、それならどうして俺の手にかかってPKされたのだろうね?
 君が言う強さとやらを持っていたのなら……呆気なく負けることはありえなかったはずだが? 強くて熱い心を持っているハルユキ君は」
「黙れ! お前が、その名前を口にするなっ!」

 黒雪姫の怒りを焚き付けるように、オーヴァンは嘲笑していた。
 彼女の気持ちはわかるけど、このままではまずい。オーヴァンに挑発されて、何をするかわからなかった。
 だから、俺は黒雪姫の元に向かおうとしたけど。

「ちょい待ち! 姫様、落ち着けよっ!」

 いつの間にか、緑衣のアーチャーは黒雪姫の隣に立っていた。彼は黒雪姫を制止するように右腕を伸ばしている。

「そこをどくんだアーチャー! 私は、あの男を絶対に屠らなければいけないんだ!」
「気持ちはわかるけどよ、どう考えても無理だ! 前にも4人がかりで戦ってもあの野郎に歯が立たなかったことを忘れたのか!?」
「だからどうした!? アーチャーこそ、あの男の手にかかってPKされた者たちの無念を知っているはずだ!」

 今までの信頼関係が嘘のように、二人は言い争いをしていた。
 本当はこんなことを口にしたくないのはわかっている。だけど、オーヴァンという仇を前にして冷静さを失い、心が乱れていたのが痛いほどに伝わった。

「おやおや、仲間割れか。まぁ、俺にはどうでもいい話だし、好きに続けてくれ。用があるのは彼女……ユイだからね」

 そしてオーヴァンは、俺の肩に乗っているユイちゃんに視線を向けてくる。
 反射的にユイちゃんを庇うように俺は一歩前を進んだ。

「ユイさえ渡してくれれば、他のプレイヤー達には危害を加えない。フォルテはどう思うかは知らないが、少なくとも俺は約束しよう」
「ふざけるな! ユイちゃんをお前なんかに渡すわけがないだろ!?」
「そうです! 私も、ママを奪ったあなたの元には行きません!」

 オーヴァンの言葉は到底受け入られる訳がない。ユイちゃんだって断固として拒否した。
 どうして大切な仲間であるユイちゃんをオーヴァンに引き渡さなければいけないのか。仮に渡したとしても、ユイちゃんがPKされてしまうのは目に見えている。

「オーヴァン……みんなの命を奪っておきながら、挙句の果てにユイを渡せだと!? 絶対に、私の手でたたっ斬ってやる!」
「お、おい! 姫様!」

 オーヴァンの一方的な言葉に感情が爆発したのか、黒雪姫はアーチャーの頭上を飛び越えて、落下の勢いを利用して双剣を振るった。まさにギロチンの如く勢いだが、オーヴァンは漆黒の爪で軽々と受け止める。
 アーチャーの呼びかけも無視して、今も余裕綽々なオーヴァンの命を奪わんとしていた。

「悪い、ジロー! ユイのことを頼めるか!? 今の姫様はどう見たってやばい……あのままにしたら、間違いなくやられちまう!
 すぐに姫様を連れてくるから、先にみんなの所に戻っていろ! じゃあな!」

 そしてアーチャーは黒雪姫を助けるため、戦場を走った。
 アーチャーはああ言ってくれたけど、俺だって黒雪姫やキリトのことが心配だ。けれど、何の力も持たない俺が突っ走ったって、PKされるだけ。

(おい『オレ』! 何をぼさっとしてるんだよ!? ここはあいつらに任せて、とっとと逃げるぞ!)

 そんな俺の疑問と悩みを察しているかのように『オレ』が叫ぶ。
 いつものように俺を小馬鹿にした様子ではなく、明らかに狼狽した様子だ。フォルテやオーヴァンという強敵が立て続けに現れたのだから、いくら『オレ』でも焦っているのだろう。

(……何を言ってるんだよ。俺だけが逃げるなんて……)
(バカか!? 『オレ』達だけで何ができるんだよ! あいつらはみんな『オレ』達を逃がしたんだぞ!? だったら、それに甘えりゃいいじゃねえか!)
(そうかもしれない……確かに、俺達だけじゃ何もできないかもな)
(わかっているなら、さっさと……)
(そうやって、逃げたからニコだって殺されたんだろ!?)

 『オレ』の甘言を振り払うように、俺は心の中で大きく叫んだ。

(あのスミスから逃げなければ、ニコが死ぬことはなかったんだ! 俺は確かに弱いさ……けど、弱いからって逃げていい理由にはならないだろ!?)
(本気で言っているのか!? ここで逃げなきゃ、ユイがオーヴァンの野郎に奪われるかもしれねえし、何よりも『オレ』達だって殺されるんだぞ!?)
(逃げたって、あいつらが俺達を追いかける可能性は充分にあるだろ! それに、ここで黒雪姫達みんなを見捨てて、二人だけでレオ達の所に戻ったって、それからどうするつもりだ!?)

 学園での戦いで、俺はニコを連れて逃げたことを忘れない。
 あそこで逃げたせいでスミスだけでなくオーヴァンとも戦う羽目になってしまい、ニコは死んだ。だから、今度は黒雪姫達の為にも絶対に逃げたくなかった。
 何よりも、みんなを見捨てて月海原学園に戻っても、俺自身が後ろめたさに苦しむだけ。それにGMの打倒には黒雪姫達の力が必要だから、絶対に見殺しにする訳にはいかなかった。

(『オレ』……こんな時に甘いことを言うなよ! って、おい!? 無視するなよ!)

 だから今は『オレ』の言葉を無視して、ユイちゃんに目を向ける。

「ユイちゃん。君はどうしたい? 君が逃げたいなら、俺は君を連れてみんなの所に戻るけど……」
「いいえ、私は逃げません! パパだって戦っていますから、私も……何かできることを考えます!」
「……そっか! なら、俺はそれまでユイちゃんのことを守るよ!」

 ユイちゃんの力強い決意に、俺も応えたい。
 そんな俺の意志に寄り添ってくれたのか、アイアンも隣で威風堂々と佇んでいる。まさに高潔な騎士の風格を纏っていた。

「我が主がそれを望むのであれば、私も共にいるでガキーン! 何があろうとも、みんなを守るでガキーン!」
「アイアン……ありがとう!」

 だから、俺は忠臣のアイアンにもお礼を言った。
 今はみんなの無事を願いながらユイちゃんを守る。その決意を固めようとした瞬間……世界が大きく変わっていく音を聞いてしまった。



 やる気が 6上がった
 体力が 5下がった
 こころが 4上がった
 信用度が 3上がった



     3◆◆◆



「ーー《奪命撃(ヴォーパル・ストライク)》ッ!」

 黒雪姫/ブラック・ロータスは右腕に灼熱を纏わせながら繰り出した突きは、オーヴァンのかぎ爪によって弾かれてしまう。
 まさに命を奪う一撃で、並のバーストリンカーなら大ダメージを避けられない技のはずだ。しかしオーヴァンはまともな反応せず、まるでそよ風でも浴びているかのように悠々と立っている。
 だけどロータスには関係ない。オーヴァンが強敵であることはとっくに把握しているのだから、一撃が届くまで何度も食らい付くつもりだ。

「おお、怖い怖い。そういえば、スカーレット・レインも今の君みたいに怒りを見せてくれたね。シルバー・クロウ……いや、ハルユキ君を殺したのは、俺だと口にしたら」
「何だと!?」
「彼女も君も、ハルユキ君のことをさぞかし大切に思っていたみたいだね。だけど、君達の思い出が積み重なることは永遠にない。
 俺が、二人を殺したのだから」
「……オーヴァアアアアアアアアァァァァァァァァァンッ!!!!」

 オーヴァンの言動が腹立たしく、フラストレーションを込めた叫びと共に刃を振るう。
 しかし怒りに任せたロータスの一閃など、オーヴァンに届くわけがない。その速度と反射神経からすれば、回避も容易だった。


「ハルユキ君」の名前を強調し、それでいて彼らとの思い出を愚弄するオーヴァンを許せなかった。
 ただ、オーヴァンに対する殺意と憎悪だけがロータスを満たしている。ハルユキ君を奪い、そして今もなお彼の死を嗤い続けるオーヴァンはこの手で叩き潰さなければ気が済まなかった。
 ハセヲにとっても因縁深い相手だが、ここで必ず仕留める。例え刺し違えようとも、ハルユキ君達の仇を取るまでは何度でもオーヴァンに挑むつもりだ。

「どうした、ハルユキ君の仇を取るんじゃないのか? ハルユキ君のように無様に殺されたいのかな?」
「黙れえええええええぇぇぇぇぇぇっ!」

 オーヴァンの不快な言葉を遮る叫びを乗せながら振り降ろされる二つの刃は、銃剣によって受け止められてしまう。確実に命中したものの、オーヴァンは嗤っていた。

「そういえば、君も真実を求めていたそうじゃないか」

 そんな意味深な言葉と共に、オーヴァンの左肩に宿る漆黒の爪……三爪痕は周囲に無数の黒泡を吹き出しながらしなり、ロータスの右足に絡みつく。
 そのまま放り投げられ、ロータスは地面に激突した。凄まじい衝撃を感じるも、胸に宿る激情は痛み程度で萎えることはない。
 ただ、未だにあざ笑い続けるオーヴァンを睨んでいた。

「一つ教えてあげよう。今、君に迫ったのは危険な友人……ハルユキ君を生贄にするくらい、凶暴な奴だ」
「……ならば、その爪でハルユキ君を……!」
「その通り。俺とこいつが、ハルユキ君を殺したのさ」

 オーヴァンが言葉を紡ぐ度に湧き上がる三爪痕の黒泡が、ハルユキを嘲笑うかのように見える。
 AIDA。ハセヲ曰く己の意志を持って『The World』にて事件を起こした電脳生命体で、碑文使いでなければ対抗することはできない。心意システムならばAIDA撃破の可能性はあるが、あの三爪痕は蒼炎のカイトを瞬時に屠るほどの突然変異体だ。

(……いや、関係ない。どんな相手だろうと、ハルユキ君の無念を晴らすと決めたのだから!)

 自らの中で芽生えつつある弱音を抑え込み、ハルユキ君達との絆を糧に立ち上がる。
 そして刃はよりどす黒くなっていく。オーヴァンと三爪痕に対する憎悪から負の心意が生まれ、AIDAに迫る程の漆黒で染まっていた。

「さあ、おいで。君がハルユキ君の仇を取ってくれるんじゃないのかな?」
「……望むところだ!」

 仇敵に飛びつくため、ロータスは構えを取る。
 憎しみと共に飛ぼうとした直後、小さな爆音と共に視界が大量の煙で遮られた。唐突な出来事に驚愕する暇もなく、腕が軽く引っ張られるのを感じる。
 振り向くと、煙幕の中でアーチャーは明らかな怒りの表情を浮かべていた。

「アーチャー!? どういうつもりだ!」
「いい加減にしろよ姫様! 一体、何を考えてやがる!」
「それはこっちの台詞だ! どうして私の邪魔をするんだ!? 私は……私はハルユキ君の仇を取りたいだけなんだ!」
「そんなの俺が知らないとでも思ったか!? あんたの気持ちはわかるけどよ、無謀に決まってるだろ!? 今はユイやジローを連れて、さっさと……」
「ふざけるな! ここでオーヴァンを殺さなければ、また誰かがPKされる!」

 頼りになる仲間であるはずのアーチャー……英霊ロビンフッドが疎ましく見えてしまう。
 何故、ハルユキ君の敵討ちを邪魔するのか?
 何故、この怒りと憎しみを理解してくれないか?
 何故、オーヴァンとの戦いに協力してくれないのか?
 いくつもの疑問が湧き上がり、その度に苛立ちが強まった。まるで全てのものから拒まれているという疑心すら、ロータスの中で生まれてしまう。

「私のサーヴァントならば、私の邪魔をするな! 私は、オーヴァンをここで殺してみせる!」
「姫様……頼むから俺の話を聞いてくれ! 今の姫様はな――」
『――――――――――ッ!』

 その直後、ロビンフッドの言葉と共に煙幕を吹き飛ばす程の叫びが、周囲を震撼させた。
 視界が元に戻った瞬間、いつの間にか闇に染まった世界の中で巨大な怪物が顕在している。獅子の如く獰猛な叫びが、肌にピリピリと突き刺さった。

「まさか、フォルテがゴスペルを呼び出すとは……これで俺達は閉じ込められてしまったな」

 一方で、オーヴァンはゴスペルと呼ばれた怪物を見上げながら、涼しい表情で口を動かしている。

「どうやら、フォルテは君達を逃がすつもりはないらしい。しかし、俺ならばトライエッジの力でこの空間から脱出することができる……ユイを引き渡してくれれば、君達四人だけでも逃がしてあげよう」
「ふざけるなっ!」

 オーヴァンの甘言が迫るが、ロータスは憤怒を込めて真っ向から否定した。

「お前の要求など私が飲むと思ったか!? オーヴァンの次に、フォルテ達をこの手で屠ればいいだけの話だっ!」

 アーチャーの煙幕がゴスペルの叫びで晴れて、これで心置きなくオーヴァンとの戦いに集中できる。
 後ろからアーチャーとゴスペルの声が聞こえてくるが、振り向かない。この空間を生み出したのがフォルテとゴスペルなら、オーヴァンの後に始末すればいいだけの話。
 それにオーヴァンがこの空間を自由に出入りできるなら、いつでも逃げ出せるはず。

「私は絶対にお前を許さないし、ここから逃がすつもりもない! 覚悟しろ、オーヴァンッ!」
「フッ……その意気だ。せっかくだから、君の”力”をもっと俺に見せてくれ」


     4◆◆◆◆


「待てよ、姫様! 姫様!」

 緑衣のアーチャー/ロビンフッドは必死にブラック・ロータスを呼びかけるが、当の本人は微塵も耳を貸さずに突貫した。
 そんな彼女を尻目に、あのゴスペルと呼ばれた巨大なAIDAがロビンフッドを喰らおうと襲いかかる。

『――――――――ッ!』
「うおっ! 狙いは俺かよ!?」

 ゴスペルは突貫してくるが、ロビンフッドは跳躍することで軽々と避けた。
 生前よりロビンフッドは森林を何度も駆け抜けて、過酷な環境を逃走経路に利用したことが何度もある。例えゴスペルから標的にされても、わざわざ受ける訳がない。
 反撃で弓矢を射るが、ゴスペルの硬質感が溢れる体躯によって弾かれてしまった。

「チッ……どうやら、一筋縄ではいかなそうだな」

 現れたゴスペルは並のエネミーと圧倒的に格が違う。
 その巨体から放たれる威圧感や殺意はもちろんのこと、俊敏さも桁外れだ。ロビンフッドとて高い俊敏性を誇るが、恐らくはゴスペルも互角。サイズが圧倒的に勝っている分、激突の衝撃も凄まじいだろう。
 しかも、ゴスペルの周囲には奇妙な黒泡が多数浮かび上がっていた。黒泡を見て、ゴスペルはAIDAという化け物であるとロビンフッドは推測する。

「確か、AIDAは碑文使いじゃければまともに戦うことができない連中だよな?
 カイトが持ってるデータドレインも弱点みてーだけどよ……なんてこった! 俺じゃどうすることもできねえぞ!?」

 ゴスペルが振るう爪を軽々と回避するも、ロビンフッドの表情は焦燥で染まっている。
 AIDAはシステムから外れた生命体であるため、対抗するにはシステムを超越する力が必要だ。もちろん、このデスゲームならば何らかの制限がかかり、AIDAの脅威も抑えられているかもしれないが、それでもロビンフッドに対抗策はない。
 赤いドレスを纏ったセイバー・ネロやガウェインのように単体で圧倒的な火力を持っているならともかく、ロビンフッド自身の耐久や筋力はそこまで優れていなかった。故に、一度でもゴスペルの攻撃を受けたら致命傷になりかねないし、またロビンフッドの攻撃もダメージを期待できない。
 頼みのハセヲやカイトはここにいないし、AIDAについて詳しいであろうオーヴァンがゴスペルを倒したりしないだろう。仮に力を貸したとしても、その後にユイを奪われるだけ。
 一応、アーチャーとして破壊工作のスキルを持っているが、それがゴスペルに通用するとは思えない。以前、ネットスラムを蹂躙したスケィスも足止めできなかったのだから。

『ギシャアアアアアアァァァァァァァッ!』
「うげっ! こんな時にエネミーかよ!? 頼むから空気読んでくれよ……!」 

 そんなロビンフッドの不幸を嗤うように、どこからともなくエネミーの集団が現れる。
 エネミー軍団のイベントはまだ続いているため、GMからの刺客として送り込まれたのだろう。ロビンフッドにとっては最悪のタイミングだった。

『――――――――ッ!』

 そしてゴスペルも咆哮した。
 振り向くと、その獰猛な瞳はより赤い輝きを増していくのを見て、ロビンフッドの背筋に悪寒が走る。野生動物が獲物を見つけた時の輝きとよく似ているからだ。

「おいおい……悪いが、俺は喰っても美味くねえからなッ!」

 そんな捨て台詞と共に、アーチャーは煙幕を再び発生させる。
 矢継ぎ早で宝具【顔のない王】を展開させて、この姿を隠しながら走った。逃走ではなく、ゴスペルにダメージを与える方法を一つでも多く見つけるため。
 そして数10メートルほど走った後、一撃を放つために準備する。魔力が消耗していくのを感じるが、出し惜しみなどできない。

(ゴスペルって言ったか? そんなに腹ペコなら、たんまり食わせてやるよ! 餌は自分からやってきたからな!)

 煙幕の中にて、ゴスペルの叫び声とエネミーの悲鳴を耳にしながらロビンフッドは構えた。
 助けが期待できないなら、敵を利用すればいい。自分からのこのこと現れたエネミー達をゴスペルの囮にして、その隙にロビンフッドは宝具を展開させる。成功の可能性は限りなく低く、またゴスペルが真っ先にロビンフッドの元に向かったら破綻する作戦だ。
 しかし、無謀を選ばなければいけない状況まで追い込まれている。

(姫様はオーヴァンの野郎にご執心で、キリトはあの死神に狙われてる。ユイとジローはどうなっているかわからねえ以上、魔力なんざいくらでも使ってやるさ。)
 このままじゃ、姫様達を助けるどころか全員お陀仏だ……それだけは勘弁したいぜ!)

 オーヴァンとフォルテという現存プレイヤーの中で残された危険人物が同時に現れて、戦力が分断された。そして己のマスターとなったロータスはシルバー・クロウの敵討ちに妄執し、オーヴァンを相手に無謀な戦いを選んでいる。
 今の彼女には何を言っても聞いたりせず、ただオーヴァンに対する憎悪を燃やしていた。大切な人の仇がいたら心を乱されるのは充分理解しているし、ロビンフッドもダン・ブラックモアを奪ったあの死神……フォルテを許すことはできない。
 しかし、今は復讐の時ではなかった。

「我が墓地はこの矢の先に……! 森の恵みよ、圧政者への毒となれ!」

 静かに、それでいて強い闘志を込めた呟きは周囲の喧騒に飲み込まれた。
 ゴスペルはエネミー達を相手にした”食事”の最中だから、イチイの木を仕込むことができる。真正面ではなく、影に隠れたことでロビンフッドの十八番となるトラップを用意できた。

「毒血……深緑より沸き出ずるッ! 隠(なばり)の賢人、ドルイドの秘蹟を知れ――!
 いっちょいきますか! 【祈りの弓/イー・バウ】ッ!」

 そしてロビンフッドは宝具【祈りの弓】を展開させた瞬間、煙幕を飲み込むようにイチイの樹が現れる。冥界に通じる伝説が残された樹を目がけて猛毒の弓を放ち、爆発を起こした。
 AIDAはあのスケィスと同様に、データドレインを使わなければ倒すことはできない。故に少しでもダメージを与えられるよう、宝具を使わなければいけなかった。そうすれば、レオやカイト達の有利に繋がる。

「……チッ、やっぱりそう上手くはいかねえか」

 しかし、ロビンフッドの僅かな希望はすぐに裏切られた。
 爆発の炎からあのゴスペルが何事もなかったかのように現れたからだ。しかも、口に銜えたエネミーの片腕を飲み込みながら。

(……なんだ? 煙幕を出す前よりデカくなってる気がするが……まさか、エネミー達を食って成長しやがってるのか!?)

 ロビンフッドの宝具を受けてダメージを受けているどころか、ゴスペルの体躯は更に巨大化していた。


 フォルテによって分離させられてから、ゴスペルはネットスラムに現れたエネミーを無差別に喰らい続けて、その度にデータを獲得している。フォルテがゲットアビリティプログラムで無数のデータを奪い続けたように。
 また、ロビンフッド達は気付いていないが、破壊されたネットスラムのデータもエネミーごと捕食しており、その分だけゴスペルもまた成長している。結果、【祈りの弓/イー・バウ】のダメージも減少していた。
 そしてゴスペルとは、碑文や救世主の力による加護を受けたことで、<Tri-Edge>や<Glunwald>のように突然変異体となったAIDAだ。通常のAIDAを圧倒的に上回る情報濃度だけでなく、碑文使い特有のプロテクトを誇る。故に、ゴスペルのプロテクトにダメージを与えられても、致命傷には至らなかった。


『――――――――ッ!』

 巨大化したゴスペルの瞳が、ギラリと、輝くのを見てロビンフッドは戦慄する。【顔のない王】で姿を隠している自分ごと、周囲を吹き飛ばそうとしているように。

(おいおい、待てよ……んなのアリか!?)

 案の定、ゴスペルは口を大きく開きながら、衝撃波……ダイナウェーブをロビンフッドに吐き出した。超音速の振動はネットスラムを容赦なく抉りながら、ロビンフッドを吹き飛ばしていく。

「ぐあああああぁぁぁぁぁぁぁっ!?」

 全身が粉々に砕かれてしまいそうな衝撃により、ロビンフッドの【顔のない王】もまた剥がされてしまう。
 前に戦ったフォルテの攻撃も凄まじかったが、ゴスペルは遥かに上をいく。そんなゴスペルを従えている今のフォルテは規格外とも呼べるし、ここにいる全員が束になっても勝てる訳がない。
 それこそ、オーヴァンの要求を飲めば助かる可能性はあるかもしれないが、真っ平御免だった。オーヴァンが裏切る可能性の方が圧倒的に高いし、何よりも黒雪姫達を裏切りたくない。

「参ったぜ……こりゃ、潮時って奴か。向こうで、ダンナにどやされる……かもな」

 激痛を堪えながらもロビンフッドは立ち上がるが、その一方で死を覚悟していた。
 腹を括るのはこれで二度目になるが、今度は本当に助からない。複数のトラップや宝具を展開してもゴスペルには届かず、こちらの魔力はもう残り僅か。ゴスペルは小細工が通じる相手ではないし、口で惑わすどころかそもそも会話すらできない。
 しかも、この異空間を生み出したであろうフォルテとゴスペルは未だに健在で、ユイを除く全員を皆殺しにするつもりだ。時間稼ぎで逃がすこともできず、また助けも期待できない。
 残された結果は、全滅の二文字だろう。あの岸波白野達なら逆転の秘策を思いつくだろうが、ロビンフッドに奇跡を起こす程の力や勇気はなかった。

(あーあ……まさか、こんな結果に終わるなんてな。まぁ、俺は元々つまんねえ生き方しかできなかったし、姫様やダンナが憧れるような正統な道を歩けなかったけどな……
 けどよぉ、やっぱり夢ってのはどうしても持っちまうんだよな。大切な人を守れるようになったり、誇りの持てる生き方ってのに挑戦して、悪くねえと思ったんだ。
 ダン・ブラックモアの遺志を継いだ姫様……黒雪姫達を守れることに、誇りを感じていたのさ)

 ゴスペルがじりじりと迫る中、ロビンフッドは溜息を吐く。
 ゴスペルはロビンフッドの罠を警戒しているのか、すぐには突撃してこない。獣のくせに妙な知恵だけは持っているようだが、逆に有り難かった。
 どの道、最後の一撃は届かないだろうから、せめて思い出に浸る時間だけでも欲しかったからちょうどいい。動けなくはないが、ゴスペルを相手に悪あがきをしても無意味だろう。

(……悪いな、ダンナ。俺は最後までろくでなしのサーヴァントだったさ。ダンナの願いも叶えられねえし、俺自身が胸を張った生き方もできなければ、姫様達だって守れない。
 アンタの所に逝ったら、いくらでも――――)
「――――ぐあっ!」

 諦観の境地に至り、最期の時が訪れるのを待ったロビンフッドの耳に悲鳴が響く。
 突然の声に意識が覚醒し、振り向いたロビンフッドは見てしまった。己が忠誠を誓ったマスターである黒雪姫/ブラックロータスが、オーヴァンに追い詰められている姿を。

「…………姫様ッ!?」

 体の激痛や心を縛った諦めを無視して、ロビンフッドは走る。
 途中、エネミーの群れが現れるが、自らの身体能力を活かして合間を縫うように駆け抜ける。過ぎ去ったエネミー達はゴスペルの餌になることを祈りながら、走り続けた。
 こんな自分を信じてくれた大切な人を守るために。



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最終更新:2020年06月14日 17:05