「ここは……」
その場に足を踏み入れた時、モーフィアスは思わずそんな声を漏らした。
その言葉に含まれた感情は、驚きか、当惑か、混迷か、どう呼ぶにせよ訳の分からぬものに相対したときに立ち現れる目眩のような感覚だった。
ウラインターネットの闇の中で、不意に見えた光。それを追っていく内に、彼はその場へ辿り着いた。
先ず、空が在った。
頭上には今の今まで存在していなかった空が据えられており、千切れ雲が黄昏の光を受け鈍く輝いている。
その下をひゅうひゅうと風が吹き、雑然とそびえ立つビルとビルの合間を振りぬける。転がる塵クズが奇妙に明滅している。
足を付ける大地は土でできている。ように見えるがそれにしたは感触が妙だ。ハリボテの大地、とでもいうべきか。
突如出現した空間に、呆気に取られていたモーフィアスだが、近くに動く何かがあるのを見つけた。
何かは人に似た形をしていた。が、人ではなかった。頭部に当たる部分がひどくひらぺったく、首から上だけがまるで紙で出来ているようだった。
ビルの下で体育座りしているそれは、最初は人形かと思ったが、違う。モーフィアスの出現に反応して、薄っぺらい顔をこちらに向けている。
ふむ、とモーフィアスは顎を撫でた。
この状況。これは何を意味している。そう思考を巡らせると、答えは存外すぐに出た。
マップ上にあった見慣れぬ名前。距離的には近かった筈だ。
「ここはネットスラムなのか?」
モーフィアスは薄っぺらい何かに声を掛けた。
返事がないことを覚悟していたが、しかしそれは反応してくれた。
「そう……呼ぶ人も居るわね。
でも、わたしたちは楽園と呼んでいるわ」
か細い、女性のような声でそれは言った。言った後、モーフィアスから視線を逸らし、また別の方向を見た。
これ以上の会話をする気はないようだ。しかし意志疎通が曲がりなりにも可能なことが分かっただけでも収穫だろう。
モーフィアスはそう考え、それから視線を外した。
それが自分やツインズと同じくバトルロワイアルの参加者である可能性もあったが、それにしてはひどく存在感が薄く、この会場の付属品のような印象を受ける。
何にせよ現時点では特に害はないようだ。とりあえずこの「ネットスラム」とやらの調査に乗り出すとしよう。
(それにしても、楽園、か)
今しがた告げられた言葉を思い浮かべながら、モーフィアスは街を見た。
楽園。ある者にとってはマトリックスの中こそが楽園だった。何も見ず、何も聞かず、何も知らないまま、幸せな夢だけを見せられる世界。
客観的には機械に搾取され続けるだけの存在であっても、それを認識できなければそんなものはないのと同じだ。
そう考える人間が居るのも事実だ。
真実を告げられて尚、全てを忘れることを選びマトリックスに残る者たちが居た。
どうしようもない現実に耐えきれず、再びマトリックスに繋がれることを望む者たちが居た。
ある者にとっては地獄に見える場所でも、また別のある者にとっては楽園となることもある。
ネットスラム。このどこか退廃的な臭いのする空間は、果たしてどのような楽園、あるいは地獄なのだろうか。
「…………」
モーフィアスは無言で街の奥へと入っていった。
足を踏み入れた途端に広がる乱雑な街の様相は、スラムの名の通り貧民街を思わせる。
地面に転がる柱。崩れるビルディング。チカチカと光るネオン。
彼は試しに塵の一つを拾ってみた。石ころのようなそれは物質としての原型を失い、幾つもの数字データを漏れ出している。
(崩壊したデータ、か)
モーフィアスはこの空間と、先ほど自分が立てた仮説を照らし合わせて考えた。
ここが機械側も把握していないようなマトリックスの裏側、ブラックボックスであるという考え。
それが正しいとするならばこの場は一体何なのか。
(マトリックスに沈殿したジャンクデータが集まった場所、それがこのネットスラムなのか?)
表側で不必要とされたプログラムは時節エグザイルとなって自律行動する。
それはプログラムにも強い自己保存欲求と意志が発生する為だ。
だが、それを得ることもなく、ただ破損したデータはどうだろうか。
何らかの折に破損し、機械からも見捨てられたデータは、誰にも顧みられず忘れられていくだろう。
しかしそれは消えた訳ではないのだ。マトリックスのどこか片隅で引っかかるように存在している。
それが「ここ」なのだろうか。ジャンクデータの漂流先。それがネットスラム。
それならばこの無秩序にも説明が付く。
精巧な現実の写し絵であるマトリックスに比べ、世界をツギハギしたかのようなこの街は、出来の悪いジオラマのようだ。
機械がこのような場所をわざわざ拵えるとも思えない。人間たちに見せる夢はもっと無味乾燥とした世界でなければならないのだ。
こんな、ともすれば死後の世界と思われそうな場所は在ってはならない。
「ん?」
そこに、少女がいた。
赤いローブを身に纏い、銀に淡く光る髪を揺らす少女。
少女は瓦礫の上に立ち、焦点の合わない目で虚空を眺めている。
「アナタはオワリを探すヒト?」
不意に少女が口を開いた。
それはモーフィアスに向けた訳ではないだろう。きっと誰に向けてでもなく、ただ零れ落ちた言葉だった。
「オワリは、アナタのノゾむカタチではないのかもしれない」
「…………」
「ソレデモ、アナタは『オワリ』を探す?」
少女は虚空に向かって問いかけていた。
壊れたスピーカーのように声を流す彼女の姿は、ところどころノイズが走り、ひどく不安定だ。
しばらく見ていると、少女の姿が薄らぎ、ふっと消えていった。
その姿はまるで幽霊――ゴーストのようだった。
(死後の世界、か)
先ほど自分が抱いた印象を思い出し、モーフィアスは思った。
言い得て妙だ、と。
ここがもし本当に破損したデータの集まる場所であるのなら、ある意味でここは死後の場所だ。
先の少女がどのようなプログラムであったかは知らないが、既にそこに生の臭いはなかった。
プログラムに「死」という言葉が適切であるかは分からないが、終着点の向こう側であるのは間違いない。
もしかしたらマトリックスで死んだ人間の意識データの残滓もあるかもしれない。
そんなオカルトめいた可能性も、モーフィアスは思い浮かべた。
そのまましばらく街を練り歩く。
もう少し調査が必要だろう。この場が何なのかは分からないが、無視できるような場ではなさそうだ。
【B-10/ネットスラム/1日目・黎明】
※ネットスラムの外観はR:1仕様に近いですが、まだ全貌は分かりません。
【モーフィアス@マトリックスシリーズ】
[ステータス]:健康
[装備]:最後の裏切り@.hack//
[アイテム]:不明支給品0~2、基本支給品一式
[思考]
基本:この空間が何であるかを突き止める
1:(いるならば)ネオを探す
2:トリニティ、セラフを探す
3:ネオがいるのなら絶対に脱出させる
4:とりあえずネットスラムを探索する
[備考]
※参戦時期はレヴォリューションズ、メロビンジアンのアジトに殴り込みを掛けた直後
最終更新:2013年06月05日 01:28