#32 枡田慎太郎
- 1987年7月8日生 京都府京都市伏見区出身 右投左打
- 2005年オフの高卒ドラフトで4巡目指名を受け入団。入団時は外野手登録だった。
- 帝王の系譜を継ぐもの。
- ルーキーイヤーから頭角を現し、ファームで32試合出場して打率.324を記録。
- 2007年も好調で、10月に一軍昇格を果たすと、さっそくその翌日にお立ち台に上がる活躍を見せた。
しかし、ここからが……。
- 2008年は開幕一軍だったが、二軍落ち。
しばらくして再び一軍に戻ってくるも、スタメン入りした試合でバントミスをやらかすなどし二軍へ。
その二軍では打率.252ながら、チームトップの9本塁打を放った。
- 2009年もチームトップの本塁打(11本)を稼ぐが、打率は.225と低迷、一軍出場もなし。
- 最下位確定し、育成モードに入った2010年終盤、2年ぶりに一軍登録され自己最多の17試合に出場。
- 当初こそロマンを感じさせる活躍もあったものの、次第に三振マシーンと化していってしまった。
おお、もう……。
- 元ヘッドコーチの橋上秀樹が評していわく、
「バッティングに関しては非常にセンスがあり、使い続ければ必ずモノになる」
「守備については『ここに置いておけば安心』という場所はない」
とのこと。
- 首脳陣から期待をかけられているようだ。2012年から背番号が68→32となったのはその表れか。
- そして迎えた2012年はカズオの怪我で出場機会を得る。
- …が、5月20日の釜田プロ初先発の試合の守備で盛大にやらかす。
しかし、この試合から打撃が覚醒する。5月23日には初HRも放つ。
- 当初は遊撃手で出場していたが凄まじい守備を露呈。守備率よりOPSの方が上回ることも。
- その後一塁・左翼・指名打者でも出場している。定位置は掴めるのか。
- 7月10日には10回裏2死、引き分け目前で自身初のサヨナラ本塁打を放つ。
ワシ「涙がでるよ。(使い続けた)俺がヒーローじゃないか」
枡田はワシが育てた。
- しかし9月5日の公戦での走塁の際に左膝を怪我してしまい、復帰絶望となってしまった。
- 最後の最後はこの怪我で抹消されたもののシーズン成績は2割9分5厘で5本塁打と自己最高の結果を残した。
- 2013年は開幕スタメンに名を連ねるも極度の不振ですぐに二軍落ち、
更に二軍戦で右手の甲を骨折したことで復帰が7月まで遅れた。
- 復帰後は打撃好調で一時は打率3割を大きく超える数字を残し打点も7,8月だけで40打点も稼ぐも9月に再び不振に陥り最終的に打率2割台でシーズンを終える。
この不振が尾を引き日本シリーズでも3試合でスタメン出場するも僅か1安打に終わった。
- どうでもいい話だが、応援の掛け声は「ますだ」ではなく「しんたろう」である。
これは入団時に同じ苗字の益田大介が在籍していた名残り。
最終更新:2013年11月06日 23:11