田尾安志
- 1954年1月8日生まれ 大阪府大阪市西区出身 左投左打
- イーグルス在籍時の背番号は「88」。
- 東北楽天ゴールデンイーグルス初代監督。
- 現役時代は安打製造機と称され、あのイチローも憧れた俊足巧打の外野手だった。
- 球団にも監督にもはっきり物を言うタイプで、それが原因でか中日、西武、阪神の3球団を渡り歩いている。
- 解説者を経て2004年オフ、新球団の監督に就任。
- 新規球団とはいえ、選手は分配ドラフトで割り振られた一軍半と、もといたチームで居場所を失い、
無償トレードやトライアウトで入団した選手ばかり。
- 岩隈、礒部ら一部を除いて、まさに寄せ集め集団の名に相応しい状態だったのである。
- 田尾自身もコーチ経験はなく、監督としての手腕は未知数という状況だった。
(2001年アジア大会の代表コーチに就いたことはある)
- そして始まる一年目。
- 開幕戦は岩隈の好投で勝利するも、その後は連敗を重ねていく。
- シーズン100敗も囁かれる中、結局38勝97敗1分という記録的な成績で初年度を終えた。
- 「盗塁とエンドランのサインを出さないと死んじゃう病」にかかっていたらしい。
あのジャーマンにさえ盗塁のサインを出したという……。
- フロントからは指揮官失格の烙印を押され、3年契約の途中ながら解任されることに。
宮城では解任反対の署名運動も起ったが、実ることはなかった。
- 開幕前からチーム編成についてずっとフロントとやりあっていたらしく、途中解任の理由は采配よりも
そっちの方が大きかったのかもしれない。
- 実際、当時の球団社長・島田亨も、田尾がフロントとのやり取りの際に再三に渡り選手層の薄さへの不満を口にしていたことを認めている。
島田によると、田尾が選手陣のミスプレーを論うばかりで試合の反省点を生かし今後のチーム作りに活かそうとする姿勢に欠いていたことや、フロント幹部や選手陣を信用せず自分の主義主張を押し通そうとする態度が解任の一因であったという。
- 現在は解説者に復帰。たまに講演やインタビューなどで歯に衣着せぬ球団批判を見ることができる。
- 2012年5月27日の対燕戦での解説で聖澤以外の選手をボロクソに批判。住民も少しは同情するが、
あまりにも批判が多すぎて、住民もあきれた。
- 退団時、功労金と引き換えに球団批判をしない旨の覚え書きを出されたので突っぱねたそうだ。
- ちなみに解説では出塁すると「ここはエンドランをしかけるべき」と言ってたりする。
自重しろ。
- 最近では2年連続でシーズン開始前のパの順位予想が実際の順位とほぼ真逆になるというミラクルを見せる。
ある意味で存在感を発揮している。- そんな2011年
1位 楽天
2位 西武
3位 SB
4位 日ハム
5位 ロッテ
6位 檻
――と予想。わしせん民を恐怖に陥れる。
最終更新:2020年09月28日 01:53