渡邉恒樹
- 1978年5月17日生まれ 埼玉県所沢市出身 左投左打
- 楽天在籍時の背番号は「18」(まさおが来るまで)、「34」(まさおが来た後)
- 2004年球団創設時のドラフト2巡目指名で入団。
- ご存知「ナベツネ」である。
もちろん由来は球界のドンこと渡邉恒雄氏で、入団時には登録名を「ナベツネ」とする案もあったという。
ただし、名前の読みは「つねき」ではなく「こうき」なので注意。
- まさおが入団するまで背番号18を背負っていた男。
- 18番を譲渡する際、一部スポーツ紙で譲渡に激怒したと報道された。
- しかし、自分はそんなこと言ってないとブログでコメントし、戸惑っていた。
- 仙台の街頭インタビューで野球選手と気づいてもらえず一般人扱いされた経験がある。
- また2ちゃんねるを見ていると自ら発言するなど、ネタ分にも事欠かない。
- ルーキーイヤー、及び二年目は一軍登板こそ少なかったが安定した投球を見せ、防御率も非常によかった。
- そして3年目の2007年、一気にブレイク。
有銘ともに左のセットアッパーとして起用され、パ・リーグ最多の65試合に登板、防御率も3.40と安定していた。
- しかし2008年、腰のヘルニア爆弾が炸裂。登録と抹消とを繰り返し、思うような成績を残せなかった。
翌2009年もヘルニアに悩まされ、一軍での当番はわずか4試合に留まる。
- なんだかんだで実力はあるので、早期の復活が待たれる。
- 2010年6月に鎌田祐哉とのトレードでヤクルトへの移籍が決定。
それに合わせ登録名を「渡辺恒樹」に変更した。
- 神宮(戸田)では一場と仲良くな!
- 左の中継ぎが手薄なチーム事情から、かなり重宝されている模様。
8月10日に久しぶりの勝ち星をゲット。おめでとう。
ちなみに移籍初白星は1球勝利だった。プロ初勝利の権利も牽制死と盗塁死で得たもの。
省エネ勝利に縁があるのかもしれない。
- BIGさんと一場のトレードでは、わしせん民がやくせん民に恐縮していたが、今回のトレードでは逆の立場となった。
- ヤクルトに移籍し、挨拶回りしている間にも「ずっと前からいるみたいだ」などと声をかけてもらうなどと、
アットホームなスワローズにもすぐに馴染めたらしい。
- 2011年春キャンプでは「ローテの谷間の谷間の谷間を狙っているから。第8の先発を目指します。」などと語る。
- ルーキー左腕・久古に競り負けたりもしていたが、楽天では叶わなかったCSでの登板機会を得ていた。
ちなみに投球内容は(ry
- けが人が相次ぐ中でも一軍に上げられず、2012年オフ戦力外となった。
今後はヤクルトで打撃投手になるそうだ。
- 中谷と共にWBCの裏方(打撃投手)を務めた。バレンティンと試合前にじゃれていたシーンは一部で有名。
最終更新:2013年03月22日 23:09