中谷仁
- 1979年05月05日生まれ 和歌山県和歌山市出身 右投右打
- 在籍時の背番号は「44」
- 智辯和歌山高時代は甲子園優勝も経験。将来の正捕手を期待され、ドラフト1位で阪神に入団した。
- しかし、とある事故で目を怪我して失明寸前に。
- 回復後もなかなか出場機会に恵まれず、2005年オフ金銭トレードで楽天へやってきた。
- その楽天でも藤井、カツノリに割って入ることができず、更には嶋の入団でますますピンチ。
二軍ではセカンドやらサードを守ったこともあった。
- 首が寒くなってきた2009年、6月21日の交流戦で代打出場し古巣阪神からホームランを放つ。
- プロ12年目、初めてのホームランは甲子園球場のレフトスタンドへ飛び込んでいった。
- 阪神時代の先輩でもある山田コーチはベンチで手を叩いて喜んでいた。
- これで一軍に首の皮一枚でとどまり、以降は嶋の不振や藤井の怪我もあって出場機会が増加。
ついに永井の女房役を勝ち取る。
- シーズン後半はほぼ主戦捕手の座を手にし、2位&CS進出の立役者となった。
- 苦労が実り、大きく飛躍したに見えたが、2010年は幸先悪く春に肉離れで登録抹消。
- またブラウン監督は打撃好調の嶋を起用したため、ほとんど一軍出場できずに終わった。
- 翌年も、藤井のFA、監督交代などで捕手起用はまっさらな状態になったものの、伊志嶺忠が台頭。
永井の完封勝利を演出したり、D荒木の盗塁を阻止したりと目立つ場面もあったが、戦力外通告を受けてしまった。
- 球団に残る道もあったらしいが現役続行をのぞみ、トライアウトにも参加。
余談だが、このとき37人も投手がいたため大忙しだったらしい。
- そして鶴岡がFAした巨人からお声がかかり、背番号「58」を新たに背負うことになった。朝井と一緒にがんばれ!!
- しかし、すぐに背番号44に変更される。理由は不明。
- コーチ陣にはカツノリと橋上秀樹がいるので、獲得にはその縁もあるかもしれない。
- 入団会見でアピールポイントを聞かれ、「顔です。……すいません、すべりました」。
藤井に次ぐ男前キャラを狙っているのだろうか。
- 鶴岡(現DeNA)・星(現西武)の抜けた2番手捕手争いへの起爆剤として期待されている。
- シーズン途中で1軍に昇格。正捕手の阿部がいるため、出場機会は少ないものの、實松とともに控え捕手の地位にいる。
- 朝井同様、ズームインサタデーの出演機会もあり、楽天時代には聞けなかった意外な話を聞けることも。
- 宮本和知氏の心を掴んだのか、1軍登録時には時々出てくる。巨人が嫌いでなければチェックしてみては。
- 2012年に現役を引退。2013年は巨人のブルペン捕手を務めた。13年シーズン終了後退団。
- 第3回WBCではブルペン捕手を務め、TVでもちょくちょく目撃された。ちなみに元同僚、ナベツネも裏方。
- リード面は阪神時代から一定の評価があり、ノムさんに褒められたこともある。
- しかし、反対に打撃はてんでさっぱり。
2009年はバスター打法に変えたことが功を奏したのか、成績も上向きに。
9月26日の3者連続HRは特に思い出深いという人も多かろう。
- しかし翌年からはバスター打法を捨ててしまう。
より向上するためなのだろうが、残念がる住民も多い。
- ニックネームは「ジャガー」。由来はじゃがいも。
- 週刊現代のインタビューで「どんなに叱られても1軍にいられるだけで幸せ。むしろ叱られることが幸せ」と語る。
どうやら嶋に負けず劣らずの説教中毒の気がある模様。
- また「嶋とは2人で1人と思って、嶋が叱られていたら自分も(野村監督に)説教を聞きに行く」と語っている。
- 星野監督時代も、監督から説教を受けている。
- ファンサービスが良い。
- 2009年7月18日(対檻)、試合開始時間後に雨天中止が決定。
オリックス側からはラロッカと山崎浩司がさっそくスライディングを披露し、残っていた観客から拍手を浴びた。
一方、楽天側からは中谷一人が出てきてボール投げを行っていた。
その後応援団からのエールに応えて中谷もスライディング。大きな声援を受けた。
最終更新:2013年11月30日 16:13