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チャーチルは第2次大戦に勝つために、米国を対独日戦に引き込んだ

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チャーチルは第2次大戦に勝つために、米国を対独日戦に引き込んだ。


http://archive.mag2.com/0000000699/20071007060000000.html
JapanOntheGlobe(517)国際派日本人養成講座
地球史探訪:
日米戦を仕掛けた英国情報外交
チャーチルは第2次大戦に勝つために、米国を対独日戦に引き込んだ。


1.チャーチルの世界戦略

1940(昭和15)年5月に首相に就任したチャーチルにとって、イギリスの命運は風前の灯火のように思われた。ドイツの電撃戦によって同盟国フランスはすでに屈服し、ロンドンを始めとするイギリスの各都市は連日ドイツ空軍の爆撃に曝されていた。

一方、頼りにしていたアメリカは、大統領選を控えており、3選を狙うルーズベルト大統領は、欧州戦線に巻き込まれることを嫌う世論に迎合して、「あなたがた(米国国民)の子供たちは、海外のいかなる戦争に送り込まれることもない」[a]と公約していた。

もう一つの厄介な問題はイギリスのアジアでの権益をいかに日本から守るか、という事だった。フランスがドイツに占領されて、その植民地・仏印(ベトナム、ラオス、カンボジア)は無防備状態に陥っていた。
「フランスが崩壊した時(1940年6月)に、どうして日本が(東南アジアに)打って出なかったのか、我々は不思議に思った」とチャーチルは述べている。[1,p63]

英領の香港、マレーシア、シンガポールなども、英軍は手薄で、増強する余裕もなかった。日本が進出してきたら、イギリスには単独では打つ手がなかった。この時点で、イギリスには以下の4つのシナリオがあり得た。
(1)アメリカがドイツに宣戦布告し、日本は中立に留まる。(2)英米が協力して、日独と戦う。(3)日米がこのまま欧州戦争を傍観する。(4)アメリカが中立を守ったまま、日英戦争が勃発する。

現状は(3)であった。これが(4)となったら大英帝国は崩壊する。(1)は理想であるが、日本が東南アジアに勢力を伸ばしてくるのは、時間の問題と思われた。したがって次善の(2)にいかに持って行くか、をチャーチルは考えた。すなわちドイツとの戦いに勝ち、日本から英領植民地を守るためには、いかにアメリカを自陣営に引きずり込むかが課題となった。

2.極東問題に冷淡なアメリカ

6月19日、日本から、1)蒋介石支援の停止、2)香港国境の閉鎖、3)上海からの英軍守備隊の撤退、の3つの要求が英国政府につきつけられた。これは中国大陸からイギリス勢力を一掃しようとするものであった。

この報に接して、ロシアン駐米英大使は、アメリカのハル国務長官に窮状を訴えたが、ハルは「私にはどのようなアドバイスもする立場にない」と冷淡にコメントしただけであった。イギリスは単独で、日本の要求に対応するしかなかった。

結局、数ヶ月の時間稼ぎをすることで、ドイツとの空戦、および11月のアメリカ大統領選の帰趨を待つべきということで、蒋介石支援の3ヶ月停止、上海駐留の英軍部隊の撤退を決めた。

イギリスは日本との対決を先延ばししつつ、アメリカが極東問題に介入するよう働きかけなければならない、という困難な状況に置かれていた。

3.2月危機

8月、日本は仏印経由の蒋介石支援ルートを遮断するために、フランスに対して北部仏印への部隊駐留を要求した。現地には日本軍に対抗できるだけの武力がなく、イギリスも手の打ちようがないため、控えめな抗議をしただけだった。

年末に、タイと仏印の間で国境紛争が始まった。タイがフランスの弱体化につけこみ、過去フランスに奪われた領土を奪還しようとしたのである。仏印をめぐって、日タイは急速に接近しつつあった。

翌1941(昭和16)年1月、日本はタイと仏印の間の調停役を申し入れたが、仏印のドクー総督が難色を示したため、南シナ海やベトナムのカムラン湾で日本艦隊に威圧的な行動をとらせた。

英国は、これを本格的な日本軍の南進の兆候と誤解した。2月8日、ハリファックス駐米大使がルーズベルト大統領に会って、この危機的な状況を訴えたが、その回答は「たとえ英蘭領(イギリス・オランダの植民地)が日本によって攻撃されても、米領が直接攻撃を受けない限り日本との戦争は難しい」という冷淡なものだった。アメリカが中立の立場を崩さないまま、日本と戦わなければならない、というチャーチルの描いた最悪のシナリオが実現しそうであった。

4.諜報文室での英米協力

この時期に英国のマスコミは一斉に「太平洋戦争の危機」を煽る記事を載せ始めた。『タイムズ』紙は、英軍のマレー防衛の堅固さと、極東での英米協力が働いていることを示唆した。これらの反日キャンペーンは、英政府がマスコミを操って行ったものと見られている。

結局、この騒動は、重光駐英大使が松岡外相にあてた「我々は英領に対する攻撃の意思のないことを明確に示す必要性がある」との暗号電信が傍受・解読されたことで収まった。英政府の独り相撲であったのだが、結果的に米国の注意を極東問題に惹きつける事になった。

実は、この時期に水面下で米英の諜報分野での協力体制が大きく進んでいた。アメリカは前年9月に日本の外交暗号「紫」の解読に成功し、一方、イギリスはドイツ軍のエニグマ暗号を解読し始めていた。その技術を交換することで、合意が出来た。上述の重光の電信解読は、この成果であった。

互いに極秘事項を共有するということは、お互いを敵とすることをほとんど不可能にしてしまう。これは米英のより高次の戦略的提携の基盤となった。

5.日米交渉の陰で暗躍するイギリス

1941(昭和16)年3月から、ワシントンで日米交渉が始まった。長引く日中戦争を解決し、日米戦争の勃発を回避することが目的であった。本来なら中国に最大の権益を持つイギリスが対応すべき問題であったが、欧州戦線で手一杯であり、またアメリカを極東問題に引きずりこむ契機になるという考えで、イギリスはこの会談を歓迎した。

しかし、英米の思惑にはまだ大きなずれがあった。イギリスとしては「日本の英蘭領への南進を防ぐためにも日中戦争を継続させるべきである」という老獪な戦略を持っていたが、アメリカの方は「中国問題解決のために日本は中国大陸から撤退すべきである」という原則主義的な考えであった。

そこで、イギリスは日米交渉に参加こそしないものの、自国に不利な妥協が成立しないよう、アメリカに対して陰で様々な干渉を行った。

たとえば4月16日に日米間で作成された了解案では、日本軍の中国大陸からの撤兵など、日本側が歩み寄りを見せていたが、松岡外相がこれに怒り、より過激な対抗案をワシントンの野村大使に送信した。これを傍受したイギリスは、アメリカ側に伝え、対日警戒感を煽った。

イギリスとしては、なるべく日米交渉が長引いて時間稼ぎをしてくれれば、それだけ日本が追い詰められ、その間にイギリスの方はアジアでの軍備を増強できる、と考えていた。同時に、その間に米国の極東政策を自国と一致させようとしていたのである。

6.日本南進の情報

6月22日、独ソ戦が勃発。松岡外相としては日独伊にソ連を加えた四国同盟を考えていたのだが、その目論見はご破算となった。日本が北進してソ連と戦うのか、あるいは南進して、石油資源を抱える英蘭のアジア植民地を狙うのか、混沌とした情勢となった。

7月2日、日本政府は御前会議を開き、南進の方針を確認した。南部仏印進出によって、英米を刺激することは予想されたが、本格的な英米戦までは想定していなかった。

この決定を受けて、松岡外相は駐独大使、駐ソ大使にそれぞれ通信を送ったが、それらはイギリス側に筒抜けになっていた。イギリスは、日本の南進決定の情報をアメリカに伝えたが、ルーズベルト大統領は、蒋介石からの「日本が対ソ戦を決定した」との情報を信じて、積極的な対応を取らなかった。

イギリス政府は『デイリー・テレグラフ』紙に日本南進の情報を漏らし、その記事をもとに駐日大使に警告させた。それによって、日本の南進が阻止されればそれで良いし、また、アメリカの注意を引く事を狙っていた。それでも肝心のアメリカは動かなかった。

実は、ソ連からも並行して秘密工作が進んでいた。ルーズベルト政権内でロークリン・カリー大統領補佐官やハリー・デクスター・ホワイト財務次官などが、ソ連の意を受け、様々な工作をしていた。英ソとも、アメリカと日本を戦わせることで、自国を守ろうとしていたのである。[b]

7.対日経済制裁に向けての米政府への働きかけ

イギリスはさらに巧妙な外交戦術をとった。日本へのこれ以上の警告は出さず、実際に日本に行動を起こさせておいてから、アメリカが厳しい対日制裁を行わざるを得ない状況を狙ったのである。そして、事前にその制裁内容を固めるべく米側に働きかけた。

7月9日、ハリファックス駐米大使がウェルズ米国務次官と対日経済制裁について話し合い、それを受けてウェルズはルーズベルト大統領に経済制裁を提案している。

7月13日、イギリスのイーデン外相はハリファックスに対して、こう念を押した。

もし対日経済制裁を行うなら、それは強力な一撃でなければならず、もし実行すれば日本には二つの選択肢しか残されないだろう。それは撤退か戦争かである。果たしてアメリカにそのような覚悟があるのか。

翌14日、ハリファックス駐米大使はウェルズ米国務次官に会い、その「覚悟」を問い質している。

この間もイギリスは日本の外交通信の傍受・解読を続けていた。そこでは東京からバンコクへの通信で、南部仏印への進駐を「共同防衛という名の占領」と表現したり、米英が介入した場合は武力衝突も辞さない姿勢を示していた。こういう情報をイギリス側は逐一アメリカ側に伝え、強硬な対日制裁が必要という雰囲気を醸成していった。

21日、ハリファックスは「恐らく対日制裁は大統領の許可を得られたと考えられる」と送信しており、同日、英戦時内閣において日本が南進した場合の対日経済発動を正式に決定した。そして米政府に「イギリス側がいかに強固な態度に出る用意があるか」を伝えた。こうしてイギリス側は裏から働きかけながら、米政府主導の形で対日経済制裁の合意を形成したのである。

8.日米対立を決定的なものにした対日経済制裁

7月26日、日本政府は仏印共同防衛に関する声明を発表し、南部仏印への進駐計画を明らかにした。南部仏印進駐については『デイリー・テレグラフ』紙の憶測記事が流れていたにも関わらず、アメリカは事前に何らの警告を発していなかったし、イギリスの警告も2月危機の時に比べれば、おざなりなものだった。日本側で、米英がそれほど強硬な手段をとらないだろう、という観測があったのも、もっともな情勢であった。

しかし、米英の反応は、その予想をはるかに超えた厳しいものとなった。同日中にアメリカは対日資産凍結を発令し、翌日、イギリスもこれに従った。日本政府は米英の素早い、かつ徹底的な制裁に、大きな衝撃を受けた。

イギリス政府はマスコミを通じたプロパガンダについても怠りなかった。28日の『タイムズ』紙は、アメリカが宥和策を捨てたとして、「アメリカは必要ならば武力を行使する用意ができている」と日本を牽制した。この経済制裁によって日米の対立は決定的なものとなった。

9.「さて、、、小人たちを追っ払うか」

8月9日、チャーチル首相はルーズベルト大統領との「大西洋会談」を行い、米英の協力体制を世界に誇示した。チャーチルの要請に応えて、ルーズベルトは次のような約束を文書でしている。

南西、北西太平洋におけるこれ以上の日本の進出に対しては、たとえ日米間に戦争が勃発しようとも、合衆国政府は対抗措置をとらざるをえない。

日本の豊田外相が英米との関係改善を望んでいるとの情報が、駐日英大使・クレイギーからもたらされたが、イーデン外相は次のように、英国としての断固たる意思を伝えている。

日本がためらっているのは明らかだ。今や英帝国、ソ連、アメリカ、中国、蘭印はこの不当に高く評価された軍事力との対決を迎えている。・・・もはや我々が日本に対して行うことはなく、力を示す時が来た。数ヶ月以内に我々の艦隊が極東に派遣されれば、日本はその影響力を実感することになるであろう。[1,p208]

この言葉通り、英海軍の誇る2隻の戦艦「プリンス・オブ・ウェールズ」と「レパルス」がシンガポールに派遣された。

アメリカとともに日本と戦う時が来た、という確信を英政府はようやく得たのである。「英米」対「独日」というチャーチルの第2のシナリオのお膳立ては完了した。

12月8日、真珠湾攻撃によって、大東亜戦争が始まった時も、イギリスはその情報を数日前に掴んでいた。日本軍がマレーに上陸したとの報を受けたシンガポールのパーシバル英陸軍中将の第一声は「さて、、、小人たちを追っ払うか」であったという。

イギリスは人種偏見から日本の軍事力を「不当に低く評価」していた。そしてイギリスの誇る不沈艦が簡単に日本の航空攻撃で撃沈されたことは、チャーチルにショックを与えた。[c]

それでもアメリカを矢面に立たせて日本を追い詰め、それによってアメリカを対日、対独戦に引きずりこんだ事は、偉大な戦略的成功であった。チャーチルは勝利を確信していた。(文責:伊勢雅臣)

リンク

a.JOG(096)ルーズベルトの愚行
対独参戦のために、米国を日本との戦争に巻き込んだ。
http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h11_2/jog096.html
b.JOG(116)操られたルーズベルト
ソ連スパイが側近となって、対日戦争をそそのかした
http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h11_2/jog116.html
c.JOG(270)もう一つの開戦~マレー沖海戦での英国艦隊撃滅
大東亜戦争開戦劈頭、英国の不沈艦に日本海軍航空部隊が襲
いかかった。
http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h14/jog270.html

参考

(お勧め度、★★★★:必読~★:専門家向け)
→アドレスをクリックすると、本の紹介画面に飛びます。
1.小谷賢『イギリスの情報外交』★★★、PHP新書、H16
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4569639925/japanontheg01-22%22

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