MIT
2006-08-01朝日新聞
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夜回り先生の 子どもたちよ
18歳 少女の死
小6から3年間、自分の力だけで生きてきた
小6から3年間、自分の力だけで生きてきた
一人の少女が死にました。わずか18歳のでの死でした。 私にとって、37人目に亡くした子どもです。
彼女は、12歳から14歳まで、戸籍はあっても住所のない子どもでした。
彼女は、生まれたときからお母さんと2人きり、夜の仕事をする母親のもとで育てられました。
子どものときの楽しい思い出は、お母さんの同僚の女の人がお菓子や果物をくれることだったそうです。
いつもお母さんの働くお店の裏の小部屋で1人遊びをしていたそうです。
彼女は、12歳から14歳まで、戸籍はあっても住所のない子どもでした。
彼女は、生まれたときからお母さんと2人きり、夜の仕事をする母親のもとで育てられました。
子どものときの楽しい思い出は、お母さんの同僚の女の人がお菓子や果物をくれることだったそうです。
いつもお母さんの働くお店の裏の小部屋で1人遊びをしていたそうです。
小学校には、3年生まではなんとか通ったけれども、4年生からはほとんど家で過ごしたそうです。
彼女のお母さんは、彼女が小学校6年生の3月末に家出。
当時月借りのマンションで生活していた彼女は、ここで住む場所を失いました。
当時月借りのマンションで生活していた彼女は、ここで住む場所を失いました。
彼女は、この日からお母さんのしていたことを自分なりにし始め、生活をしました。
売春です。
売春・カツアゲ・覚せい剤・・・・、
ありとあらゆる悪に染まりながら、横浜の夜の町を生き抜きました。
売春です。
売春・カツアゲ・覚せい剤・・・・、
ありとあらゆる悪に染まりながら、横浜の夜の町を生き抜きました。
そして、14歳のときに私と出会いました。
「夜回り」をしていた私に声をかけてきたのです。
「おじさん、遊ばない」と。
「夜回り」をしていた私に声をかけてきたのです。
「おじさん、遊ばない」と。
私は彼女を保護し、話を聞いて絶句しました。
この日本で、3年間も1人の大人からの助けもないままに放置され、
1人生きてきた少女の存在に震えました。
この日本で、3年間も1人の大人からの助けもないままに放置され、
1人生きてきた少女の存在に震えました。
私は、児童相談所と連絡をとり、彼女を保護してもらいました。
でも、彼女の願いで私の家で1ヶ月一緒に暮らしました。
あの、日々輝きを増していった彼女の眼が忘れられません。
でも、彼女の願いで私の家で1ヶ月一緒に暮らしました。
あの、日々輝きを増していった彼女の眼が忘れられません。
彼女は、施設に入りそこから中学に。
そして、卒業と同時にアパートを借り、自立しましたた。
そして、卒業と同時にアパートを借り、自立しましたた。
週に2、3回は私のもとにかかってくる電話、月に一度は会っていました。
しかし、成長期に乱用した覚せい剤の影響で、
この原稿を書いている日の前の晩、心臓が止まりました。
水谷は泣きました。
この原稿を書いている日の前の晩、心臓が止まりました。
水谷は泣きました。
お願いです。 彼女のような子どもがきっと今も夜の町で震えています。
夜の町でうつろにさまよう子どもたちに声をかけてあげてください。
水谷は、今夜も夜の町にでます。
夜の町でうつろにさまよう子どもたちに声をかけてあげてください。
水谷は、今夜も夜の町にでます。
= 水谷修