「苺の旬は、いつだと思う?」
音石明はいきなりそう言った。
現在彼は、冬木ハイアットホテルのスイートルームから何階も下のフロアに位置するレストランにて、朝食最後のデザートであるスイートな苺のタルトに舌鼓を打っていた。
ウルトラ・スーパー・ギタリスト志望である十九歳の青年が、苺のタルトなんぞに舌鼓を打っているのは何だか滑稽な光景だが、事実、バターから苺にまで厳選に厳選を重ねた国産の高級品を材料に使っているそれは、美味極まっているデザートなのだから仕方ない。
音石から台詞を投げ掛けられたのは、雪のように真っ白なテーブルクロスを被った円卓を挟んで彼の真向かいに座り、同じく赤い甘味を口に運んでいる女性である。
彼女は実に奇妙な見た目をしていた。
いや、格好の奇妙さで言えば、ロックンローラーである音石も、左目に走った紋様や独特の髪型を始めとしてかなり奇妙であるが、パッと見でのインパクトは彼女の方が凄まじい。
まず目に付くのは、その髪色。
後ろでポニーテールに纏めている女の髪は、現在彼女が口に運んでいる苺と同じ様に赤々としていた。
あるいは、紅葉のような紅色とでも言おうか。
もしくは、血のような緋色か。
ともかく、彼女の髪色は浮世離れした赤色なのである。
そして、彼女が着ている和服もまた、その髪から色を取り、布地を染め上げたかの様に、見事な茜色だった。
このように、あらゆる部分が赤赤赤と、非常に目立つ、自己主張の激しい外見をしている。
たとえ五百メートル離れた場所から見ても、誰もがその赤色から彼女の存在を視認できるだろう。
また、髪色や服の色と同じくらい――あるいはそれ以上にインパクトを放っているのは、女の乳房である。
実に巨大――著しく豊満。
胸元に二つのボーリング玉を仕舞い込んでいるかの如き大きさを誇る女の胸囲は、驚異的な物であった。
しかも、女は赤い和服でその豊満な胸元覆い隠さず、着崩して見せつけているのだから、寧ろ、彼女の胸元は自己の存在をアピールしていると言えよう。
あとほんの数センチ胸元の和服がズレれば、女のたわわな乳房は容易く外界へと飛び出し、完全に露出する事となるだろう。
しかも、彼女の和服はかなり大胆な改造が施されており、裾の丈は最近のミニスカファッションな女子も裸足で逃げ出すほどに短く、ハリのある太腿は大胆に曝け出され、レストラン内の照明の光を受けて、湖の水面の様に輝いていた。
もしや、赤色と肌色の二色だけで、彼女は構成されているのではあるまいか?
そう思わざるを得ない程に、エロティズムという概念を、暴力的なまでに具現化したかのような姿を、その女はしていた。
頭のてっぺんから足裏まで探しても、貞操観念が欠片も見受けられない。
その上、女は顔のあらゆるパーツに他より劣っている部分が見当たらないほどに、掛け値無しの美人であった。
仮に、神が女から赤色と豊満なバストを奪ったとしても、かんばせに輝く美貌だけで、彼女は自分の姿を万人の心へと永久に刻み残すに違いない。
しかし現在、紅の女――伝説的な鬼女、紅葉は、かの万能者、レオナルド・ダ・ヴィンチの腕を以ってしても絵や彫刻に再現するのは困難極まると思われる程に美しい顔にクエスチョンマークを浮かべており、
「はぁん?」
と、音石からの質問に対し、そのように答えた。
いや、答えになってない。
天女もかくやとあらん美貌から放たれたのは、「何を言っているんだこいつは」「こんなタイミングで食べ物の旬を聞いて何になるんだ」――そして「そんな問題、答えが分かりきっているだろう」という若干呆れの混じった言葉であった。
「そりゃあ、苺の旬はまさに今――冬なんじゃありませんの? 」
紅葉は、皿の上にまだ残っているタルトに乗った苺に視線を落としつつ、そう答えた。
「チッチッチッ。違うんだよなあ、それがよォォ〜〜……」
指先で摘んだフォークを上下にスッスッと振るという、気障ったらしい動きをする音石。
上下に振れているフォークが、自分の皿の上にまだ三分の一ほど残っている苺のタルトを指した瞬間、彼はフォークの動きを止め、台詞を再開した。
「苺の旬は実は『春』なんだぜ」
「はぁん?」
得意満面な笑みを口元に浮かべる音石に対し、紅葉は先程と同じ台詞を返した。
「いやいやいや。それはおかしい話でやがりますわ。旬と言うのは、その食べ物が一番美味な状態で収穫出来る時期でしょう? ならば、私たちがこれ(苺のタルト)を食べている今であり、異国の祝い事の話題に出てくる、苺を乗せたあの丸い甘味がぽこしゃかと売れているらしい時期である冬こそが、苺の旬に決まってやがるじゃありませんの」
それとも、私たちや世間の人共は、旬の苺よりも味のランクが低いそれを、わざわざこの時期に食べているとでも? ――と紅葉は言った。
彼女の言い分はもっともである。
だが音石は依然として、得意満面な面を崩さない。
「いいや、おかしい話じゃあねー。苺の旬は、春だ。間違いなく春だ。そして――」
言って、音石は下に向けたままのフォークで苺のタルトを突き刺し、それを丸ごと自分の口の中に放り込んだ。
咀嚼。咀嚼。嚥下。
口の中にまだ残っていたバターの風味香る生地を流し込む為に、カップに入った紅茶を飲んだ後、音石は言葉を続けた。
「今オレらが食ってる――食った――コレに使われた苺や、世間に出回ってるクリスマスケーキに乗っかってる苺もまた、旬に収穫された物なんだぜ」
元から大きかった瞳を更に見開き、紅葉は驚きの反応を取った。
しかし、暫くすると、瞼を元の位置に下げて、「ああ、なるほど」とでも言うような表情を顔に浮かべた。
「ええと、つまり? 『苺の旬は春だ』という話をひとまず信じるとすると、この苺は今年の春――今から半年以上も前に収穫された物ということでやがりますの? 随分とまあ、痛みやすい果実にしては、長い間保存されているんですわね。現代の食物保存技術の発展具合を踏まえて考えれば、あり得なくはなさそうな話ですが」
「あっ、違ぇ違ぇ。さっきは言い方が悪かったな――正確に言えば、『旬に』じゃあなく、『旬と同じ状況で』収穫されたモンなんだ、コレはよ」
この苺は半年以上も前じゃあなく、長くても一週間くらい前の、最近に収穫された物なんだぜ――と。
音石は自分の発言をそのように訂正した。
「んん? 寧ろ、言い直した事で意味不明になってやがるですわ。収穫したのが長くても一週間くらい前だと言うのに、『旬と同じ状況』って……まさか、苺農家の周りだけが、妖術や奇跡のおかげで春になっているって訳じゃああるまいし」
「いやいや、それで大体は合ってるぜ。オレたちにこんなに美味ぇデリシャスな苺を提供してくれる世間の農家サン達は、わざわざ自分の畑を春――いや、春と同じ環境にしているのさ。流石に妖術や奇跡を使って、ではねーけどよォ〜」
先程は微妙に間違った言い方をしてしまった事を反省しているのか、音石は訂正を挟みつつそう述べた。
春と同じ環境?
「ハウス栽培っつーのか、促成栽培っつーのかぁ? ともかく、暖房なり照明なり使って、暦の上では冬の時期でも、苺の周り『だけ』は春と同じポカポカ陽気にしてるんだ」
「そうする事で、冬でも春同様のクオリティの苺が実り、収穫出来る、と」
「そういうことさ。現代文明の力の賜物って事よ」
今にも何処ぞのカワイイアイドルみたいに『フフーン』と言いそうな表情――所謂ドヤ顔を、音石は顔に浮かべた。
「どうだ、知らなかっただろう? 驚いたか――」
「まっ、全部知ってましたけどね」
「知ってたぁ!?」
けろりと言ってのける紅葉。
音石は、今までおよそ三千字ほど掛けてペラペラと語っていた自分が全くの道化であった事への衝撃に、椅子から転げ落ちそうなくらい大きく驚いた。
「だって私、サーヴァントとして召喚された際に、聖杯からある程度の現代知識を授かっていますもの。太鼓の中身みてーな頭をしている貴方より、那由多倍は世間を知っていますわ」
那由多とは、十の六十乗を意味する言葉である。
「だったら何だ、紅葉――お前は、さっきまで全部知らないフリしてオレのトークを聞いていたって事なのかよ」
「ええ」
「何でそんな……わざわざ驚くリアクションを取ってまで、騙す様な真似を……」
「だってマスター、貴方はてっきり私がその程度の知識すらない古代人か何かだと思っていたのでしょう? そんな風に思われていたのは中々に癪ですが、しかし私は貴方のサーヴァント。ならば、わざと知らないフリをしてでも期待に添ったリアクションを返して、主の顔を立ててさしあげるのも、まあ、偶にはやってあげた方が良いのでしょうよ」
「おぉ……」
紅葉の言葉に、音石は驚嘆した。
(こいつにそんな殊勝な考えがあったのか……)
しかし次の瞬間、何かに気付いた彼は「ん?」と眉をひそめ、
「じゃあ、何で最後の最後で『全部知ってましたけどね』なんてバラしたんだ。そこはバラさずにオレの機嫌を良いままにしとけよ」
「そりゃあ、自分の知識をひけらかして悦に浸り、今にも『ロックな上に知的なオレってサイコーにカッコいい……』と言い出しそうなマスターの、ドブクソゲロい姿が予想以上に気持ち悪すぎて、吐き気を催したからに決まってるじゃあありませんの。けっ、朝からマジにヤな物を見ましたわ……。あまりにイライラしすぎて気が狂い、危うくバーサーカーにクラスチェンジする所でしたわよ」
音石明は絶句した。
そして同時に、目の前に座るこの女がやはり、人を弄び、自分の都合で遊び回す手前勝手な性格の持ち主であった事を再認識する。
いや、考えてみれば当たり前の事なのだ。
何せ、紅葉は歴史上で数多の人々を騙し、欺いてきた存在である『鬼』に属する者なのだから。
先ほど彼女が言っていた殊勝な考えも、どうせその場の『ノリ』でたまたま『そうしてやろう』という気になっただけに相違ない。
この鬼女がノリと勢いで生きている節のある女である事を、音石はこの数日間で思い知らされていた。
随分とまあ、刹那的な生き方である。
紅葉は適当で、気まぐれな奴なのだ。
先ほど、スイートルームでのミーティングで彼女が言っていたように聞こえた『旦那様』とかいう台詞も、どうせその場のノリでポロっと言った物なのだろう。
いや、やはりあの言葉は気のせいや聞き間違いだったか……?
「で」
音石のそんな思考を遮るようにして、唐突に紅葉はニヤニヤとした嫌らしい笑みを浮かべつつ言った。
「そんな雑な雑学を自慢気に話して、マスターは結局、私に何を伝えたかったんですの? まさか雑学語りだけで話は終わりってわけじゃあないんでしょう? 音楽を奏でる者なら、ただ言葉通りの台詞を伝えるんじゃあなく、言葉から派生した別の意味や発生するメッセージを付け加えるのが常識だと聞きましたわ」
そんな常識などない。
流石の聖杯も、そんな知識までは紅葉に与えていまい。
今彼女がやっているのは、ただ、恥をかかせた相手に、更に無茶振りをしているような行為だ。
だがしかし。
この時の音石明の場合は、紅葉の予想で当たっていた。
「ええと、まあ、そうだな……」
恥で朱色に染まった頰が元に戻らぬまま、音石は決まりが悪そうに喋り始めた。
どうやら、彼は紅葉の予想通り、『本来春に実る苺が、人の手が加わることで冬にも収穫出来る』という雑学にもなってない雑学から、更に何かしらの教訓めいて格好付けた台詞を言おうとしていたらしい。
とことん救い難い、気障な野郎である。
「『苺は春に実る』。これはどうしようもない、世界の理(
ルール)だ。だけどよ〜〜……人間はビニールハウスや暖房を使う事でそのルールを弄って、冬でも苺を取れるようにしているんだよ。ここまではさっきも言ったはずだ。っつーか、知ってたはずだ」
語りながら自信を取り戻してきたのか、音石はやや熱のこもったでそう述べた。
彼の台詞はまだ終わらない。
「じゃあ、そもそも、この時期にわざわざ苺を収穫する理由って何だ? 冬に苺を食べないと死ぬのか? 違うだろ? クリスマスケーキの材料だとか何とか言ってっけど、結局は『冬でもンめぇー苺を食べてーから』っつー、エゴな理由じゃねェーか! なっ? つまりよォォ〜〜〜〜!」
ここで音石は一呼吸間を置いて、次のように言った。
「自分の欲望の為だけに、どうしようもなく定まりきった世界の理(ルール)を変えているッ! これって、かーなーりロックンロールな事じゃあねぇーの!? オレらは今、甘く味付けされた赤いロックンロールを食っているようなモンなのさッ!!」
最後の台詞に至っては近くにギターがあれば感情のままに弾き鳴らしていたであろうほどに昂った様子で、音石は自論を熱弁し終えた――さっきまでの屈辱の念に満ちた表情は何処へ消えたのだろう。
けれども、彼が語ったのは『たかだか苺からそんな事を考えるのか……』と思わせられるほどに、何とも馬鹿馬鹿しい、ノリと勢いだけで構成されているような理論である。
だがしかし、同じくノリと勢いだけで構成されている鬼女にはこれがウケたようで、
「ほぅほぅ」
と、彼女は感嘆の息を漏らした。
「少し感心させられましたわ! 特に、『甘く味付けされた赤いロックンロール』って部分には何だかトキメク物を感じましたわね」
「だ、だろ? だろだろぅ!? 新曲の歌詞に入れようかなあ〜〜?」
何とか紅葉から少しは見直してもらえた音石だが、彼はこの程度で『格好が付いた』と満足する男ではない。
彼が本当に格好付けるべきなのは、寧ろこれから――442プロダクションクリスマスライブへの対抗として開催するゲリラライブと、それに向けたセッティングである。
ミュージシャンはトークではなく、ミュージックで格好付けるべきなのだ。
(はんっ! 今このトークでキャスターから舐められてたって良いさ。本命はゲリラライブよ、ゲリラライブ! コレが成功した暁には、さっきのスイートルームでコイツが見せた『カッコいー!』と『素敵ー!』が混ざったあの表情をまた――いやッ!! それ以上のモノを、見せてもらうぜェーーッ!!)
それは、ダイヤモンドのように固い決意であった。
▲▼▲▼▲▼▲
道化師の話をしよう。
道化師達の話をしよう。
彼らは気が狂い、しかしそれでも理性を保っているという矛盾を抱えた道化師であった。
彼らは理性を持ち、しかしそれでも狂気を孕んでいるという矛盾を抱えた道化師であった。
それだけでも恐ろしいというのに、何と狂人二人の片方――バーサーカーこと
フォークロアは、『架空の存在である都市伝説を、現実に顕現させる』という凶悪な能力を持っていた。
彼らはその能力を使い、口裂け女に人面犬、ターボババアに怪人アンサー、果ては冬木市で現在進行形でまことしやかに囁かれている噂さえも、実体化させ、街に混乱と殺戮を齎していた。
そんな彼らが、ある屋敷の噂を耳にしたのはいつ頃だっただろうか。
詳しい日時は分からない。
だが、この話で重要なのは、噂を司るバーサーカーの主従が不気味な屋敷の噂を知った事、それだけであった。
「HAHAHA! オレたちやグール共が騒ぎまくってる間に、いつの間にかこんな噂が広まっていたなんてなァ! まあ、大抵の場合『気がついたら広まっている』のが、噂なんだがよぉ」
瓜二つなピエロの内、どちらか片方が言った。
その台詞に、もう片方のピエロが答える。
「『一度入れば生きて出られない人食い屋敷』……随分と古典的な、よくある話じゃないか」
「古典的なタイプであるってのは、何も悪い事じゃないぜ? それだけ昔から長い間、たくさんの人間を怖がらせてきたって事なんだからな。都市伝説界隈の長年のプロフェッショナルだ。噂を使うオレたちからすれば、頭が上がらねえよ」
「じゃあ、そんな長年勤務の先輩サマに対して、オレたちはどうする? 土産を持って、挨拶でもしに行くか?」
「それも中々魅力的な提案だが、ンッン〜〜……」
思考に耽ること数秒。
「ここは敢えて、先輩サマに挑戦するってのはどうだ」
「挑戦ン?」
「おう! 『先に恐怖の館の噂が流れていた』。だったらそれに対抗して、こっちも恐怖の館を建ててやろうじゃねぇか。よりとびっきり恐ろしいヤツをよ」
「HAHAHAHA! いいないいな! そりゃいいな! クールすぎるアイデアだぜ! そういや、人の住んでない屋敷がこの街にはあった気がするぞ! そこを使おう!」
二人は笑い、興奮した様子で互いの肩や腰を軽く叩き合った。
「オリジナルへのリスペクトに満ちたパロディ作品、恐怖の館第二号!」
「だけど勿論、オリジナルを上回る悪意を忘れずに!」
「館の中に住む者は誰なのか? そもそもそれは人なのか?」
「それは秘密!」
「入ったヤツは死ぬのか? それとも何処かに連れてかれてしまうのか?」
「それも秘密秘密!」
「予想だにしないオドロキをお客サマに御提供!」
「屋敷の形をした、カオスなビックリ箱を!」
「建てよう!」「作ろう!」「あぁ、作ろう!」
「HAHAHA「HA「HAHAH「AHAHAHAHAHA「HAH「A「H「AHAHAHAHA「H「A
HAHAHAHA「HAHAHAHAHAHAHA「HAHAHAHAHA「「HAHAHAHAHA!!!!」
そういう事になった。
彼らがこのような会話の末に冬木市に何らかの災厄をバラまいているのは、何も珍しい事ではない。
嘘か真か――折角買って貰ったクレヨンを使って絵を描きまくる子供の様に、彼らはちょっとした思いつきや好奇心を理由に化物や怪異を生み出し、野に放っているのだ。
この『恐怖の館第二号』計画も、所詮はただの思いつきの一つ――ワンオブゼムに過ぎない。
翌日の朝には、館の事をすっかり忘れていたっておかしくない――作ったまま放ったらかしにしていたっておかしくないのだ。
しかし、『それはあまりに無責任すぎる行為だ』と、彼らを責める事は出来まい。
狂人に責任能力を問う事など、この世の誰にも出来ないのだから。
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ゲリラライブを開催する前に確認すべき事は沢山ある。
場所は何処にするか? セッティングはどうするか? ――そして、どの楽器、どの機材を使うか?
三つ目の確認事項をまず先にすべく、音石と紅葉の二人は、機材や楽器の殆どが置いてある深山町のアパートの自室へと、タクシーに乗って向かっていた。
その途中で、武家屋敷の門の前を通り過ぎようとした時の事だった。
二人が、その館の中に居る何かに気がついたのは。
後に運転手から聞いた話によると、その館は何年も前から住民が居ない空き家らしい。
しかし、確かに彼らは、武家屋敷の中から感じ取ったのだ――人ならざる何者かの気配を。
紅葉の場合、サーヴァントとしての探知能力で、その存在を知った。
音石の場合、スタンド使いとしての常人離れした直感で、その存在を知った。
その瞬間、彼ら二人は殆ど同じタイミングで運転手にタクシーを停めるよう呼び掛けた。
「何かが居るようですわね、マスター」
「あぁ。サーヴァントか?」
「近いですけど、正確には違いますわね。使い魔か何かでしょう」
「んじゃ、今朝お前が言っていた、街に蔓延っているピクシーだかフェアリーと同じヤツか?」
「それも違いますわね。あそこに居る何かからは、異国のモノ特有の雰囲気を感じ取れませんわ」
「じゃあ、何処ぞのキャスターが回収しそこなった『死霊』の残り?」
「それも……うーん、違いますわ」
殆どアイコンタクトのみで行われた議論は五秒と掛からず終わった。
何だかよく分からないが、間違いなく普通じゃあない何かが、屋敷の中に居る。
それが、彼ら二人の現時点での見解であった。
その詳細は分からないものの、中身の気配が外まで漏れている事からも分かる通り、この武家屋敷の結界や陣地としての完成度はかなり低い物であり、作った者の技量はたかが知れている。
少なくとも、現在街中に西洋風の妖精を放っているキャスターや、街中から死霊の魂を収集しているキャスターが、こんな雑な物を作るはずがない。
「この邸宅にあのファッキンキャスター共の息は掛かっていないようですし、一度中身を見てみたいですわね。私の鬼道が使えるヤツが居るかもしれませんし。それに、これをこのまま放って置けば、後に厄介な事になりそうな気がしますわ」
紅葉の提案に、音石は賛成した。
街中を飛び回っている可愛らしい妖精達はともかく、この武家屋敷は分かりやすい不気味さを放っており、これを無視して素通りするというのは、難しい事である。
▲▼▲▼▲▼▲
タクシーから降り、運転手に金を払う。
まだ言われた目的地に着いていないにも関わらず、客が途中で降りる事に運転手は不思議そうな顔をしていたが、音石が「釣りはいらねぇよ」と言いながら財布から取り出した一万円札の枚数を目にすると、実に嬉しそうな顔でそれを受け取り、その場から去っていった。
どんどん小さくなっていくタクシーの後姿を横目に見つつ、音石は門に近づいた。
試しに、門の扉を軽く押してみる。
扉は不思議なくらい簡単に、抵抗なく開かれた。
きっと、幼稚園に入園したばかりの幼児であっても、この扉を押し開けるのは容易いであろう。
まるで、扉自らが意思を持って開き、客人を招いているかのようである。
その事象から、館に対して抱いている不気味なイメージをますます強めるも、音石は敷地内に足を踏み入れた。
その途端、激しい違和感を覚えた。
檻に閉じこめられた囚人が感じるような、閉塞感に似た違和感――。
スタンド使いになり、それなりの修羅場を何度か経験して来た音石でも、更に一歩踏み出すのを躊躇いたくなるほどの圧が、そこにあった。
しかし、それ以上に彼を驚かせたのは、隣に立つ紅葉の横顔であった。
彼女の横顔は、普段通りであり、人を小馬鹿にしているような微笑みを浮かべていた。
こんな状況でもその表情を崩さないとは、天晴、紅葉の胆力よ。
だが、それもそのはず。
生前は数多の怪異と遭遇し、百鬼夜行と共に京都を恐怖に陥れた彼女が、たかだかこの程度の圧力で、顔筋の動き一つ変える方がおかしいのだ。
後ろ手に扉を閉め、そのまま雑草もロクに刈り取られていない敷地内を進んで行く。
扉から屋敷の母屋まで、およそ二メートルほどの距離があった。
その中途で、紅葉が口を開いた。
「中に入った事で、気配をより詳細に探知できる様になりましたわね。母屋の中と外の植え込み、草むらから、合わせて十と幾つかの気配。それと――」
と。
その時、彼女の台詞を遮るかの様に、既に半開きになっていた母屋の玄関から、物音を立てて何かが現れた。
その正体は――人間だった。
いや、それを人間だと断言しても良いのだろうか?
何せそれの頭のサイズは通常のそれの三、四倍はある。
ちょっとしたバランスボールと、どっこいどっこいのサイズだ。
どれだけ頭を鍛えた人間でも、頭部がここまで大きくなることはあるまい。
骨格からして、普通を逸脱している。
しかもそれは、両手をピッタリと足に付けるという奇妙な体勢で動いているのだ。
気の弱い者が見れば、一目で発狂しかねない程に不気味な存在――明らかな異常である。
加えて、近くの植え込みや草むらから、同じく巨頭人間がわらわらと出てきたではないか。
その数、七人。
頭と同じく常人の大きさを遥かに超えた、縁日で見かける水ヨーヨーぐらいのサイズはある瞳で、彼らは音石達を見つめていた。
「歓迎ムードって雰囲気じゃあ、無さそうだなァ〜〜……」
「そうですわね」
片やスタンドという超能力を持つ男。片や伝説にもなった鬼女。
だからこそ、一目見るだけで彼らには分かるのだ。
目の前にいる巨頭人間共が、話の通じる相手ではないという事を。
恐らく、音石達があと一歩でも踏み出せば、彼らは襲い掛かり、害を与えてくるだろう。
ジッ……とハシビロコウのように見つめてくる巨頭人間たち。
彼らを見回し、音石は溜息をついた。
「ったくよォ〜〜、やっと聖杯戦争らしいイベントが起きたと思ったら、こんなキモい奴らに出会っちまうだなんて、ツイてねぇよなァ〜〜〜〜!」
「あらあら。頭のキモさについて、マスターは他人の事をとやかく言える立場でやがりますの?」
「こんな時でもそんな軽口を叩けるお前を、今だけは尊敬するぜキャスター。……で、どうよこいつら。使えそうか?」
この時の『使えそうか?』という質問には、紅葉の鬼道スキルが彼らに使えるのか、という意味がある。
「霊的存在ではあるらしいですけれど、依頼を聞いてくれそうには見えませんわね。両手を足にくっつけているヤツらがどんな依頼を遂行出来るのかって話ですわよ。それに、そもそもこんなクソゲロカスキモな化物には、流石に依頼をしたくないですわ」
「げっ、マジかよ。それじゃあ、ここに来た目的の半分以上は無意味になったようなモンじゃねぇか」
「それじゃあ、今からでも帰るって言うんですの? まあ、それも悪くないかも知れませんわね。見た所、この頭デッカチたちは、私たちがあと一歩でも踏み込んでくれば襲って来そうな雰囲気を出していますし」
「お〜っと。ここまで来て、『何だかヤバそうだからやっぱり帰るわ』とか言ってスタコラサッサと逃げる。それはそれでナイスなアイデアかもしれねェー。クレバーすぎるぜ」
「けどよォォ〜〜〜〜」
「ンな事ぁするのは、ちょいとばかし……」
「「格好良くない」」
「よなァーッ!?」
「ですわよね」
ザッ! と。
示し合わせたかのように同じ台詞を言い放った彼らは、次の瞬間には、示し合わせたかのように同じタイミングで、敷地内へと更に一歩踏み込んでいた。
その瞬間――巨頭人間たちが一斉に音石達へと飛び掛る。
両手を足に密着させているという姿勢であるにも関わらず、それは立ち幅跳びのギネス世界記録を優に超えるであろうほどの勢いを持った跳躍であった。
紅葉は、飛んできたフライ球をキャッチする内野手のような気軽さで、一人の頭部を右手でキャッチ――そう、キャッチした。
紅のサーヴァントの右手の五指は全て、直径一メートル近い大きさの顔面に深々と食い込んでいる。
これには、巨頭人間も文字通り面食らったようであり、踏まれた蛙のような甲高い悲鳴を上げた。
しかし紅葉はそれを意に介さず、頭を掴んだままの拳で、二人目の襲撃者を薙ぎ払った。
二人の頭部が衝突点から粉砕され、ソフトボールくらいはある眼球四つが其々バラバラの方向に向かって飛んで行った。
拳を振り終わったと同時に、紅葉に掴まれていた巨頭人間の亡骸はあらぬ方向へと飛んで行った。
更に同じ方向から三人目が飛んで来た。
一メートル、五十センチメートル、三十センチメートル――両者の頭部間の距離は縮まって行く。
拳を振り終わったばかりの体勢である紅葉は、腕を使ってこれに対処する事が出来ない。
なので、頭突きで迎え撃つ事にした。
当然、ただの頭突きではない。
鬼の並外れた頑丈さを誇る紅葉の頭は、最早石頭どころか金剛石頭とも呼べる物である。
サーヴァントですらない存在がこれに打ち勝てる筈もなく、三人目の巨頭人間の頭部は金槌で殴られた豆腐のように跡形も無く砕け散った。
ドラム缶一つ分はあるのではないかと思われる量の脳漿と血液が周囲に散る。
これらを頭頂からゼロ距離で浴び、真っ赤な髪がますます真っ赤になった紅葉は、濡れた犬がそうするように、頭を左右に振り、飛沫をあたりに撒き散らした。
かつて妖怪や鬼を自らの拳で殴って従わせ、化物の一団を築き上げていた鬼神の如き怪物の姿が、そこにはあった。
一方、音石は、提げているギターをかき鳴らしながら、自身のスタンド『レッド・ホット・チリペッパー』を顕現させていた。
人の形を取った雷は、右腕を振りかぶり、たった一度のパンチで巨頭人間三人の頭部を殴り抜けた。
インパクトを受けた彼らの頭部は、砂糖菓子か何かのように容易く砕け、その内の一人の脳味噌(例に違わず、これも常軌を逸した大きさであった)は母屋の屋根まで飛んで行った。
それに加え、『レッド・ホット・チリペッパー』はパンチの最中に尻尾を使い、別方向から飛んで来たもう一人の頭部を横薙ぎに打った。
音を置き去りにする程のスピードで放たれた攻撃により、巨頭人間の頭部は胴体と別れ、一、二メートル離れた地面に深々とめり込んだ。
巨頭人間達が飛び上がってからこれまでで、三秒も掛からなかった。
もしも一般人がこの光景を見ていても、いったい何が起きたのか分からないであろう。
半開きになったままの母屋の玄関へ、二人は目を向ける。
紅葉の認識通りならば、残りの何かはこの先にいるはずだ。
二人は玄関へと向かって行った。
半開きの扉の先で二人を待っていたのは、ドーベルマンの身体に馬面の男の顔をした化物――所謂、人面犬であった。
侵入者を目にした怪物は、くわっ! と睨みつけ、開いた口から犬歯を覗かせた。
――が、人面犬がそんな威嚇をしている間に、紅葉はそれの鼻先に爪先から蹴りをぶち込んだ。
動物愛護団体が見れば、怒って狂死しかねない光景である――いや、果たして人面犬にも動物愛護の精神は向けられるのか?
顔面を蹴り抜かれた人面犬は、床と四十五度の角度を付けて飛んで行き、天井、床、右壁、天井、左壁……の順で跳ね、最終的には廊下の突き当たりの部屋に突っ込んで行った。
ガラスや陶器の割れる音が派手に鳴り響く。
その音で、侵入者の存在にいよいよ本格的に気付き出したのか、屋敷の各所から発せられていた気配が更に強まった。
「ぽぽぽぽぽぽ!」
そんな奇っ怪な声と共に天井を崩壊させつつ落下して来たのは、身長が二メートルはある巨大な女であった。
しかし、予めそれの気配を探知していた紅葉にとって、それの落下は奇襲でも何でもなかった。
巨体で紅葉達を潰さんと降り落ちてくる巨女に対し、紅葉は自らの手元にギターのような形をした琴をアポートさせた。
「『『鬼々怪々紅葉琴(ファッキン維茂ですわッ!!)』ッ!! 」
宝具発動。
本来ならば、対サーヴァント戦でもない状況ですべき行為ではないはずなのだが、生憎現在の紅葉はある事情により魔力がたっぷりとある状態であり、しない理由は何処にもなかった。
白魚のような指で弾かれた弦は大いに震え、指向性を持った大音響を放った。
音の直撃を受けた巨女は、紅葉たちの頭頂から三十センチの地点で重力を無視した停止――携帯電話のバイブレーションの様にフルフルと震えたかと思うと、次の瞬間には破裂し、身体の内容物を邸宅内にばら撒いていた。
二メートルの巨体の爆発が頭上で起きたにも関わらず、紅葉達は返り血一つ浴びていなかった。
紅葉が、指向性を持った音の攻撃をしたと同時に、自分たちの周囲に音のバリアを張っていたからである。
先ほどの巨頭人間戦での反省を活かした行動と言えよう。
巨女の爆死を受けて驚き、戦意を失ったのか、館内の各所から感じられた気配は音石達から急速に離れていった。
「このまま逃していいのか? オレのスタンドなら、電線を伝って屋敷内の何処にでも一瞬で追いつけるぜ」
自慢気にそう語る主人を呆れたように見つつ、紅葉は
「いえ、その必要はありませんわ」
と言った。
「別にアイツらは私たちから逃げているわけではありませんのよ。ヤツらは助けを求めに行っているんですわ」
「助け……? 誰にだよ?」
「あらそう言えば、その事についてはまだ教えていませんでしたわね。頭デッカチ共の所為で、話は途中で遮られましたもの」
『そうだったそうだった』と、今更思い出したかの様子で語り始めた。
「この屋敷には、母屋の中と外の植え込み、草むらから、合わせて十と幾つかの気配がありましたわ。それと――」
区切れのいい発音で、紅の美女は語る。
彼女は琴の弦のように細く滑らかな指で、廊下の先を指差した。
「私の指差す先に、それ以上の――より巨大でより強大な気配が潜んでいますわ。まさしくサーヴァントに限りなく近い、何かがね」
最終更新:2017年03月26日 14:13