ここでは政治ニュースを取り上げていきます。一部歴史に関わるものも取り上げます。
干支(えと)で「辛亥(しんがい)」の年にあたる1911年10月10日、中国専制王朝の清で、武昌蜂起があった。
これが発端となって翌年1月、中華民国が誕生し、最後の王朝が滅びる。
近代中国の幕開けとなった「辛亥革命」である。
それから100周年を記念して昨年公開された映画が「1911」だ。革命を主導した孫文(そんぶん)を終生支えた黄興(こうこう)の役を、
チェンは歴史的事実を踏まえて忠実に演じた。
チェンは言う。「孫文らは、日本の協力を得て、歴史を変えた」
1866年に広東省で生まれた孫文は、通算で9年近く日本に滞在した。革命家として清から「お尋ね者」扱いされていた孫文。
チェンが指摘するように、この間、多くの日本人が革命に人生を捧げた中国人を助けていた。
神戸市にある孫文記念館の館長は、神戸大名誉教授の安井三吉(やすい・さんきち)(71)。
神戸大学に就職したのをきっかけに、孫文研究にかかわるようになった。
孫文は華僑が多く住んでいた神戸をたびたび訪れた。このため神戸には孫文を研究する華僑や研究者がいて、安井は影響を受けた。
「当時の日本と中国は、同じ環境にありました。英仏などの西洋列強に圧迫され、関税や裁判をめぐって不平等条約を結ばされた。
だからこそ、『中国を変えよう』とした孫文らに共鳴した日本人が多かったのです」
孫らとつながりがあった日本人を探し出して名簿を作ろう――。孫文記念館は、既刊の人名録などを参考にしながら作業を始めた。
主な狙いは、無名の人たちを発掘すること。各地から寄せられた情報を確認する作業は膨大で、調べてもきりがなく、確認作業は3年がかりになった。
種田山頭火(たねださんとうか)の句として知られる「分け入つても分け入つても青い山」の気分だったと安井は話す。
孫文らを支えた日本人の中には、孫が終生慕った犬養毅(いぬかい・つよし)などの有名な人物がいたほか、病気の孫文を診察した医師もいた。
孫文の洋服を仕立てた人や、孫文の講演会に参加した人、切符の世話をした人もいた。
有名無名の日本人が中国人と熱くつきあっていた事実に、安井は感銘を受けた。
完成した「孫文・日本関係人名録」に収録された日本人は1236人に上った。
「この記録は、今の日中関係を考える上でも貴重なものになると確信しています」
(中略)
首相だった小泉純一郎(こいずみ・じゅんいちろう)(70)の度重なる靖国参拝は、日中関係を冷え込ませた。
事態を打開しようと、両国政府は2006年、歴史の共同研究チームを作った。中国側の座長を任されたのが歩だった。
抗日戦争などの研究をしている専門家。当時の日本の行動は厳しく批判するが、日本人とのふだんのつき合いでは温和なことで知られる。
歩はこう指摘する。
「100年前の日本はアジアで最も進んでいたのに、人々は中国などに対して平等主義でつきあった。その精神は今の我々にも必要なものだ」
日本と中国は今年の秋、国交正常化40周年を迎える。
「不惑」を迎えるにしては、両国の関係は成熟しているとは言い難い。
そんな現状を思えば、辛亥革命前後の日中の絆は太かった。当時の人々の熱い交わりを振り返りつつ、その精神を今と未来に生かす道を探ってみたい。
以上。転載になってしまうので、一部を除去。
この記事に驚いた。朝日新聞復活!かと思いました^^。最近見ない論調の記事だと感じます。
小泉氏の靖国参拝は間違いであるとの意見は右〇関係者からもあるという話で、なかなかむずかしい問題ですね。
それに今や右〇団体すら、ネットに在日韓国人認定されるような、都合の悪いものは全部
少数派に押し付けるほど、
日本人は右傾化した国民になりました。まぁ、右傾化したのは一部の人だけですけど・・・。
あとは、中国・韓国などを見下したいだけのようにも思いますが、米国にはなにも言えない。
マスコミは中国・韓国をバカにするのに米国には擁護しかできない状態です。
もし批判するなら、問題だらけの米国も批判してほしいなと自分なんかは思うのですけど。
まぁ、強く恐い米国を批判するのは無理ですかね・・・。まあ、擁護の理由はそれ以外にもあるようですけどね。
最終更新:2012年03月03日 09:23