松元ユウイチ
- 本名「松元雄一」。ブラジル出身の日系二世。
- 高校時代はブラジル代表にも選出され、4番を務めていた。
- 1999年にブラジルからの野球留学生としてヤクルトが受け入れたブラジル人トリオの1人で、唯一の生き残りである。
ちなみに残り2人はツギオ(同期)、リーゴ(2000年に受け入れ)。ツギオは2003年退団・現在はヤマハで社会人野球をしており、リーゴ2002年退団・ミキハウス、ヤマハと渡り歩くも現在は動向不明である。 - 打撃ではミートセンスには定評があり、基本中距離ヒッター。守備は(ry
- 頭角を現したのは2002年。ペタとおっさんの戸田行きのとき外国人枠と外野が同時に空いたため、初の1軍昇格。
- 2004年に日本国籍を取得、外国人枠を外れる。
試合では20試合のみの出場に留まるものの、打率.393・0HR・5打点と高打率を残す。 - 2005年は初の開幕1軍で年間を1軍で過ごす。このシーズンは75試合出場、打率.241・2HR・13打点・盗塁2。
外野のほかにファーストの出場も数試合かあったが、守備でやらかしが露呈され、以後レギュラー奪取の必須条件となる。 - 2006年はシーズン途中に腰痛でリタイア、椎間板ヘルニアの手術を受ける。
ここがスペ体質の発端。 - 2007年は春季キャンプ中に靭帯断裂、5月に左手小指骨折で出遅れたものの復帰後は戸田軍で驚異的な成績を残し、特に長打率.691を買われシーズン中盤に1軍に登録、最終戦には4番を任される。さらにその試合で本塁打を放ち、同年引退のターフル監督の最後の勝利に花を添えた。1軍での成績は33試合出場、打率.340・3HR・16打点・長打率.485。戸田軍では25試合出場、打率.397・5HR・23打点。
- 2008年シーズンも春季キャンプでは戸田軍スタート。開幕前に持病の腰痛を発症し、リハビリに時間を割いたが、4月に戸田軍の試合に復帰、5月に1軍昇格。しかし、ふくちくんの加入でスタメン奪取を完璧に逃し、戸田行きもありつつも左の代打として1軍にかろうじてしがみついていた。
最終的には80試合出場、134打数34安打・打率.254・0HR・15打点・長打率.306と活躍具合はまさにビミョーの一言。戸田軍では24試合出場、86打数24安打・打率.302・0HR・17打点・長打率.488…。 - やくせんではこのビミョーな成績から、でっかい子と同様に「FA行使した選手を獲得した場合、プロテクト28人に漏れるのではないか?」、「トレード要員候補の1人になるのでは?」とまで挙げる住民もいる一方、「まだまだ、2009年こそ覚醒する」という住民もいて、しばしば議論の中心となる。
- 2009.11.25付の複数の新聞から入団10年目を機に、球団に背番号を2008年まで背負っていたおっさんの背番号「31」へ変更を申し入れ、球団もこれを許可。契約更改時に正式発表される見通しであることが明らかになった。
本人は「31番は(ブラジルの)ワシントン・ルイス州立高時代につけていた番号。思い入れのある番号だからやる気になります」とのこと。
- 2009.2.22の春季キャンプ練習試合(日本ハム戦)はCS中継があったが、途中出場した際に実況が(すぐに訂正したが)「ユウイチ」を「ユウスケ」と間違えて紹介。その試合のやくせんでは「ユウイチ」より「ユウスケ」での書き込みが多かった。