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大塚淳

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大塚淳


  • 2002年にドラフト11順目で指名され入団。高井・館山・吉川と同期。
  • 高校3年のときセンバツ甲子園で21世紀枠で出場候補に挙がってたが、部員の不祥事により部活動休止と不遇に遭う。
  • 全く目立たずやくせんの中でさえあまり話題にならない。
  • しかし誰が立てたかプロ野球板に専スレが立っていた時期があった。(案の定、半年ルールでdat落ち)
  • 主なポジションはセカンドかショートであったが、内外野どこでもいけるユーティリティプレーヤー。
  • 父・徹氏もかつてヤクルトの選手で、同じようにユーティリティプレーヤーでもあった。(晩年は南海へ移籍)

  • 入団当初は主に基礎体力作りで戸田暮らし。2005年頃から打撃成績が向上。
    2005年 36試合出場、打率.271 0HR 2打点
    2006年 51試合出場、打率.273 0HR 6打点
    でもなかなか1軍から声がかからず…。
  • 2007年は8月に北京プレ五輪代表24名に選出される。選出メンバーには村中や、大場・長谷部・加藤のいわゆる当時の"大学BIG3"、野手では坂本・加治前・田中(読売)、大和(阪神)、岡田(オリックス)などがいたが、真面目さと「チームで一番の元気者」という理由で監督から主将を任され、やくせん民を驚かす。大会では全5試合に出場し17打数5安打 打率.294 0HR 3打点と優勝に貢献。スクイズのサインミスまでして勝負強さ(?)を発揮する。
    一方、戸田軍では59試合出場、打率.265 0HR 18打点。この年も1軍登録なし。

  • 2008年は戸田軍が一時捕手不足に陥り、内外野に加え捕手として3試合出場することに。この年の成績は34試合出場、打率.205 0HR 2打点。
  • 2009年も1軍に昇格することなく、戸田軍で46試合出場、打率.275 0HR 8打点。戸田軍の最終戦で試合終了後に本人が涙する姿が現地観戦者から情報があり「もしや!?」と憶測が立ち始めたが、戦力外通告の第1次期間中にはリストに挙がらず杞憂に終わったかに思われていた。
  • しかし第2次期間中の10.27に戦力外通告を受け、現役を引退。
    在籍7年間で1度も1軍登録はなかった。

  • 引退後は戸田軍のサブマネージャー兼用具担当としてその職に就くことが発表された。
  • 現役のときの元気な大声は、まだまだ戸田で聞くことができるようである。

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