ユウキ
- 本名は田中 祐貴(たなか ゆうき)。
- 高校時代に甲子園出場は無いが1997年のドラフトで近鉄から5位で指名される。
- その時に登録名を「ユウキ」とした。
- そんな彼の野球人生は波乱万丈。
- 若手時代のユウキは本家のwikiを見て貰いたいが、簡単に言っちゃえば2年目でそこそこ活躍→しかし3,4年目は大した活躍することなく終了→その年のオフ、FA宣言した加藤伸一の人的保障でオリックスへ→ここでユウキはかの有名な台詞を言う。
「あんな球団、ボロボロのギッタンギッタンにして見返してやりますよ」
- 翌年ユウキはプロ初完封を含む7勝で活躍。ちなみに加藤は2試合の登板に終わった。
- 2003年、古田の活躍が記憶に新しいプロ野球再編の際分配ドラフトによりオリックス・バファローズに再入団。
- しかしそれ以降大した活躍が出来ず、また2008年には春季キャンプ中に右肩後方関節唇損傷のため離脱して内視鏡手術を受けた。その後、シーズン中の復帰を目標にリハビリに取り組んだが結局4年ぶりに一軍登板無しに終わる。肩の痛みは7年間常にあったらしく我慢し続けていたが、それが爆発した結果となった。
- そして同年のオフの10月28日、戦力外通告。
- いつも通り練習の2時間前に行き、トレーニングをしてる最中の呼び出しだった。
- 本人曰く「3月に手術をしてリハビリ過程で球団とは自分から話をして、『急ぐ必要はない』と言ってもらえていたし、来年はあるものだと思っていました」
- 同日のブログにおいて「このままではトライアウトも受けれません」「落ち着くまでこれから野球をやれる環境があるのか考えたいと思います」と書いており、引退も覚悟した心境がありありと伺える。
- そして翌日、男が下した決断は…。
- ユウキオフィシャルブログより抜粋
まだまだやったるぞって気持ちが復活しました。
- トライアウトを翌日に控えた日のブログは、多くの人々の涙線を破壊した。
- そしてトライアウト。ユウキは4人の打者に対してヒット0、投ゴロ2つに2三振を奪う活躍を見せ、復活をアピールする。
- 12月1日には日本の球団からオファーがあったことを仄めかし、そしてその日の慎也…じゃない深夜にヤクルトに育成契約での入団を発表した。背番号は121。
- ちなみに実際はヤクルト以外からもオファーはあったそうだが、その中でもヤクルトを選んだ理由は「投げれるチャンスが多そうだから」。
- もうちょっとオブラートに包んで言ってくれても…。
- そんなことも知らず、ヤクルトファンでありながら一身上の都合でパ・リーグの試合をよく見ていた俺歓喜。
- この年のトライアウト経由での入団は他に吉本と森岡。
- 2009年はキャンプから順調で、二軍で安定した投球内容が評価されて5月11日に支配下登録選手となった。
- 復帰初となった登板で144キロを計測する。
- ついでにその日、戸田の土手でウ○コを踏んでいる。
- 犬のウ○コは飼い主が責任を持ってしっかり持ち帰りましょう。
- 支配下登録の打診は5月10日にあった模様。
- 移籍組にとっての出世番号である29を球団から貰うあたりに期待の程がうかがえる。
- 初登板は5月16日の阪神戦。奇しくもプロ初勝利の日と重なった。勝ち負けは付かなかったがそこそこのピッチングを見せ復活を印象付けた。
- 復帰初勝利は6月6日の東北楽天ゴールデンイーグルス戦。
- その後も先発ローテーションを支え、規定投球回には満たなかったものの、5勝6敗防御率3.40という成績を残した。
- 怪我をしてからはキレと緩急を重視し、140キロ序盤から中盤のストレートに加えて縦と横のスライダーを軸に、カットボール、フォークを織り交ぜ、さらにスローカーブ、80km/h~90km/hのスローボールで打者のタイミングを外す技巧派となっている。
- スローボール自体はオリックス時代から投げており、松中・小久保といった強打者相手によく投げていたのが印象的であった。
- 打撃は下手である。
- 必ずと言っていいほど、解説者に「ユウキの勇気ある投球」などとネタにされる。
- CSにおいて第3戦の先発が予想されたがインフルエンザにかかり登板出来ず。
- 昨季中盤から先発ローテーションの一角として活躍したが、2010年もその地位が安泰とは言えない。
- 新外国人に加え、増渕・山本・中澤などの若手・新人が先発候補と挙げらる中、どれだけキャンプからアピールできるかに注目である。
- 2010年は2桁勝利を目指して頑張れ!
- と、思ってたらキャンプ中に怪我…
- 復帰が何時ごろになるかは4月1日現在も不明である
- なんとか夏までに間に合えば…
- しかし、野球の神様が彼にもう一度微笑むことは無かった。
- 2010年9月15日、公式HPで現役引退を発表。
- 現役引退を自身のブログで発表。以下ブログより抜粋
- 「引退を決意したのは肩が限界だと感じたからです。でも肩の痛みだけではなく、リハビリに対して全力でいけなくなったと言った方が正しいかもしれません。
今までは気持ちが凹んでも野球に対しては全力でいけてた。
こんな気持ちで来年プロとして野球をするのは野球に対して失礼と思い決断しました。」
こんな気持ちで来年プロとして野球をするのは野球に対して失礼と思い決断しました。」
- 現役最後の登板は、同年10月10日のシーズン最終戦、対広島24回戦(神宮球場)。リリーフで6回表に登板し、先頭打者の石原慶幸から超スローボールも使い3球三振を記録し降板した。
- 「一億円で故障しない肩があったらローンを組んでも絶対に買った。そのお金を返せる自信があった」との試合後のコメントにやくせん民はただただ彼の野球人生の不運を憐れむことしかできなかった。
- 第二の人生でも頑張ってください。そしていつかまた、今度はチームスタッフとしてヤクルトに関わってください。