→蓬山早紀 - (2009/05/06 (水) 11:47:26) の1つ前との変更点
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*無題
「本当に怖い夢って、どんなのかしら」
薄暗い道の遠く先から、どおんという音が響いた。
濃い藍色の空に、華やかな色々の火花が散って、細かく爆ぜたかと思うとすぐ消えていく。
後にはまた薄闇が戻った。
ちょろちょろと云う水の流れが聞こえる。
小さな川の、ほとりの草道を歩いている。
懐中電灯の拙い光が、道先をぼんやりと照らしていた。
先輩は意識して手元をふらつかせるのか、それがまるで蛍のようにふわふわ宙を舞った。
「夢ですか。
俺なら、そうですね……」
例えば、空から墜ちる夢。
そうしていつまで経っても地面に辿り着かない。
あるいは、死霊の類に追いかけられる夢。
捕まった、と思う途端に醒めてしまう。
けれど、どれだけの夢を語ろうとも、先輩は曖昧な相づちを返すばかりだった。
やがて道の先に、一つの蹲る人影が現れた。
影は中年の女性だった。
道ばたにガラスのコップを置いて、そこへ百合の花を挿している。
薄闇の中に百合が白く、まるで亡霊の装束のようにぼんやりと立った。
先輩は彼女をちらと見もせず、ただ真っ直ぐに道を歩いた。
俺もその後を追った。
「娘はここで死んだのです」
女性がぽつりと呟いた。
俺は振り向きもせず、蹲る影を追い越した。
「思うのだけれど。
私たちは毎晩幾度も夢を見ているはずなのよねえ」
レム睡眠下での話だろう。
確かに俺たちはほとんどの夢を記憶しない。
いくつかの欠片だけが時折記憶の影にかかって、こうした場面でひょいと顔を出す。
「何が違うのかしらね?
覚えている夢と、いない夢」
「……印象的だったかどうか、じゃないんですか」
自分で言っていて、"どうも違うな"と矛盾した思いも抱いている。
何気ない風景をただ切り取っただけの、無味無臭な夢。
それがふいと脳裏へ絡みついて、いつまでも忘れられない、そんな事もある。
どおん。
花火の灯に照らされて、数歩の先を小さな地蔵が立っていた事に、初めて気がついた。
地蔵の前には初老の男性が屈んでいる。
どこか、見覚えがある。
――男はみずきの父親だった。
「印象的。
なら、怖い夢は全て印象的だとも言えるわね。
けれど私たちは」
先輩は彼に目もくれず歩いた。
「やっぱり、そのほとんどを忘れてしまう」
俺も先輩に続いて彼を追い越す。
「みずきはここで殺されたんだ」
父親の悲哀と怨嗟が零された。
俺は先輩の後ろ姿をひたすらに追って歩いた。
「忘れてしまった夢は、もう恐ろしいものではなくなるわよねぇ」
「なるほど」
それでは、本当に怖い夢とは。
道脇のせせらぎの中で、ばしゃばしゃと云う音が立った。
手の平で水をかき乱すような。
道を照らす蛍火の中に、やがて二つの人影が揺らめいた。
影の主は俺の両親だった。
母さんは川の縁に膝をついて、水の流れを幾度も手繰っている。
震えるその肩を父さんが包み込むように支えていた。
「ひめの右手が見つからないの」
母さんの声が震えている。
川の冷たさに濡れきった、底冷えのするような声色だった。
「姉さんはお前のために死んだんだ」
父さんの淡々とした呟きは、母さんと対照的にすっかり乾ききっている。
先輩はただ前を向いて道を進んだ。
俺は後ろ髪を引かれるような思いでその後に続いた。
「稔くんはもう分かってるんでしょう?」
「何をですか、先輩」
先を行く先輩がこちらを振り返った。
電灯の逆光が邪魔をして、表情がはっきりと見られない。
「私がここに居る訳を――、黒川さんは邪魔だったの。
稔くんに惹かれすぎたから。
みずきちゃんは目障りだったの。
稔くんに擦り寄りすぎるから。
ひめっちには悪い事をしたわ。
でも、稔くんに近すぎたから」
手元の電灯をやはり弄ぶようにしながら、先輩が俺へと歩み寄ってくる。
両足が石になったかのように固まり、地面を蹴ってくれない。
「んもう、逃げちゃだめよぉ……逃がさないわよ?
私は稔くんと溶け合うの。
いつでも、貴方の中にいる」
先輩の手が俺の頬を撫でた。
ぞくりとするほどの冷たさ。
悪寒がそのまま喉元へと下りて、俺の呼吸を締め付けてくる。
次第に、意識が遠くなる。
「忘れないで」
そう呟いた先輩の目は、獲物を一呑みする蛇のように、らんらんと輝いていた。
そうして目が覚めた。
ぶはぁっ、と本当に喉を締め付けられていたかのように、無様な呼吸を繰り返した。
息苦しくて二度寝は出来そうにない。
アナログ時計の針だけがチクタク音を刻んでいる。
と、思う内に窓の外が白けてきた。
けれども、間際の夢はいつまで経っても薄れる事なく、この現実を咀嚼し続けていた。
**無題
「本当に怖い夢って、どんなのかしら」
薄暗い道の遠く先から、どおんという音が響いた。
濃い藍色の空に、華やかな色々の火花が散って、細かく爆ぜたかと思うとすぐ消えていく。
後にはまた薄闇が戻った。
ちょろちょろと云う水の流れが聞こえる。
小さな川の、ほとりの草道を歩いている。
懐中電灯の拙い光が、道先をぼんやりと照らしていた。
先輩は意識して手元をふらつかせるのか、それがまるで蛍のようにふわふわ宙を舞った。
「夢ですか。
俺なら、そうですね……」
例えば、空から墜ちる夢。
そうしていつまで経っても地面に辿り着かない。
あるいは、死霊の類に追いかけられる夢。
捕まった、と思う途端に醒めてしまう。
けれど、どれだけの夢を語ろうとも、先輩は曖昧な相づちを返すばかりだった。
やがて道の先に、一つの蹲る人影が現れた。
影は中年の女性だった。
道ばたにガラスのコップを置いて、そこへ百合の花を挿している。
薄闇の中に百合が白く、まるで亡霊の装束のようにぼんやりと立った。
先輩は彼女をちらと見もせず、ただ真っ直ぐに道を歩いた。
俺もその後を追った。
「娘はここで死んだのです」
女性がぽつりと呟いた。
俺は振り向きもせず、蹲る影を追い越した。
「思うのだけれど。
私たちは毎晩幾度も夢を見ているはずなのよねえ」
レム睡眠下での話だろう。
確かに俺たちはほとんどの夢を記憶しない。
いくつかの欠片だけが時折記憶の影にかかって、こうした場面でひょいと顔を出す。
「何が違うのかしらね?
覚えている夢と、いない夢」
「……印象的だったかどうか、じゃないんですか」
自分で言っていて、"どうも違うな"と矛盾した思いも抱いている。
何気ない風景をただ切り取っただけの、無味無臭な夢。
それがふいと脳裏へ絡みついて、いつまでも忘れられない、そんな事もある。
どおん。
花火の灯に照らされて、数歩の先を小さな地蔵が立っていた事に、初めて気がついた。
地蔵の前には初老の男性が屈んでいる。
どこか、見覚えがある。
――男はみずきの父親だった。
「印象的。
なら、怖い夢は全て印象的だとも言えるわね。
けれど私たちは」
先輩は彼に目もくれず歩いた。
「やっぱり、そのほとんどを忘れてしまう」
俺も先輩に続いて彼を追い越す。
「みずきはここで殺されたんだ」
父親の悲哀と怨嗟が零された。
俺は先輩の後ろ姿をひたすらに追って歩いた。
「忘れてしまった夢は、もう恐ろしいものではなくなるわよねぇ」
「なるほど」
それでは、本当に怖い夢とは。
道脇のせせらぎの中で、ばしゃばしゃと云う音が立った。
手の平で水をかき乱すような。
道を照らす蛍火の中に、やがて二つの人影が揺らめいた。
影の主は俺の両親だった。
母さんは川の縁に膝をついて、水の流れを幾度も手繰っている。
震えるその肩を父さんが包み込むように支えていた。
「ひめの右手が見つからないの」
母さんの声が震えている。
川の冷たさに濡れきった、底冷えのするような声色だった。
「姉さんはお前のために死んだんだ」
父さんの淡々とした呟きは、母さんと対照的にすっかり乾ききっている。
先輩はただ前を向いて道を進んだ。
俺は後ろ髪を引かれるような思いでその後に続いた。
「稔くんはもう分かってるんでしょう?」
「何をですか、先輩」
先を行く先輩がこちらを振り返った。
電灯の逆光が邪魔をして、表情がはっきりと見られない。
「私がここに居る訳を――、黒川さんは邪魔だったの。
稔くんに惹かれすぎたから。
みずきちゃんは目障りだったの。
稔くんに擦り寄りすぎるから。
ひめっちには悪い事をしたわ。
でも、稔くんに近すぎたから」
手元の電灯をやはり弄ぶようにしながら、先輩が俺へと歩み寄ってくる。
両足が石になったかのように固まり、地面を蹴ってくれない。
「んもう、逃げちゃだめよぉ……逃がさないわよ?
私は稔くんと溶け合うの。
いつでも、貴方の中にいる」
先輩の手が俺の頬を撫でた。
ぞくりとするほどの冷たさ。
悪寒がそのまま喉元へと下りて、俺の呼吸を締め付けてくる。
次第に、意識が遠くなる。
「忘れないで」
そう呟いた先輩の目は、獲物を一呑みする蛇のように、らんらんと輝いていた。
そうして目が覚めた。
ぶはぁっ、と本当に喉を締め付けられていたかのように、無様な呼吸を繰り返した。
息苦しくて二度寝は出来そうにない。
アナログ時計の針だけがチクタク音を刻んでいる。
と、思う内に窓の外が白けてきた。
けれども、間際の夢はいつまで経っても薄れる事なく、この現実を咀嚼し続けていた。
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