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〈投稿記入例〉
19XX年卒、Sop.△山◇子
私が在団していた当時、あんなことやこんなことがありました。楽しい思い出です。
64年卒 初代指揮者 大和田康清
市大混声にまつわる思い出(1)新生・混声の最初の練習日
外は薄曇りの蒸し暑い日だった。その場所は、Ⅱ講裏の小部屋。長く掃除をしていないと思われる埃っぽい部屋に椅子は無く、十数名の部員(当時は団員とは言わない)が殺風景な中に立っていた。
メンネルの先輩から、突然お前に混声を任せる云々の話があり、訳もよく解らず、譜面台の前に立って、“さて何をしようか”と内心でそう呟いたのではなかろうか。事情の詳細は後日先輩から聞かされて納得したが随分と乱暴な話である。当然の事ながら、混声の将来へのビジョンや、具体的な目標・計画等皆無であったが、そこは若気の至りであったろう。取り敢えず手元にあったビゼーの「村の風車」を皆で歌った記憶がある。
それにしても何とも無様な初日だった。
(2)Ⅱ講のピアノ
その昔、市大にⅡ講なる講堂兼階段教室の建物がありました。その又昔、ここに日の丸を掲げて旧日本軍が式典等に使っていたことでしょう。そのⅡ講の舞台(演壇)の片隅に、一台の古びたアップライト・ピアノがひっそりと置かれていました。
大学に入学するなり、まずやったことはピアノ探しです。高校の三年までの長い間ピアノを弾き続けて私にとって、大学にピアノがあるか、弾かせてもらえるかは最大の関心事でした。音大を受験する訳でもないのに、高三になっても学校のピアノに没頭し、ベートゥベンのソナタやショパンの小品をがむしゃらに弾いて来た私には、大学に入ってピアノを絶たれることになれば、重大事だったからです。
ピアノがあったことにまずは安心し、近々試しに弾いてみようと決心しました。放課後誰も居ないことを確かめて、ベートゥベンをそっと弾き始めました。見かけの古さと共に音の方もかなり古くさく、響きのない、タッチの軽とは逆に重たい感触が指先に伝わりました。長い間調律をした様子はなく、全体の音が低目に鳴り、気分がそがれるのを感じました。音が音楽に乗ってくれないのです。それでも、ピアノが弾けなかった間に溜まった欲求不満を吹き払うが如く、がむしゃらに弾いていました。気がつくとⅡ講の上段の方に2~3人の男子学生がいて、彼等が拍手をしてくれました。
それ以来、ピアノはメンネルや混声の練習の音取り用として使われ、誰でも気楽に弾くことが許されているピアノと知りました。
ある日曜日のこと、人の疎らな大学食堂を出て少し歩いた時、どこからかかすかにピアノの音が聞こえてきました。静かな昼下りのもの憂い雰囲気に抗うが如く、一筋の気品が漂っていました。Ⅱ講のピアノしかない。私はⅡ講の後の階段からそっと中に入りました。舞台のピアノの前には、私よりは2~3年先輩らしい女性が、しっとりと静かにピアノに向かっていました。ショパンの嬰ハ短調の夜想曲です。
不思議なことに、ピアノが今までの古ぼけたピアノではないのです。古いピアノに変わりはないけれど、古ぼけた音が出ていないのです。ピアノを弾く女性は決して力まない。自分のペースを崩さないで、f
はちゃんとf
を出しているし、ペダルを踏んでいるかは解らないけれど、非常になめらかでしっとりとした音を出しています。このピアノにこんなやさしくふくよかな音が出るのかと驚きでした。ショパン2曲とシューベルトを1曲弾いて彼女は静かに立ち上がりました。
私は、ただじっと彼女の後姿を見送りました。あのピアノがこんな豊かな感動と余韻を残してくれるとは……。彼女は最後迄、私の存在に気付かなかったようでした。
Ⅱ講のピアノには、この後も随分お世話になりました。