合唱とはいえ、衣装をつけて出演しました。他に
規矩子迪夫迪夫◆◇◆エピソード投稿1990年代◆◇◆
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よろしくお願いします。
〈投稿記入例〉
19XX年卒、Sop.△山◇子
私が在団していた当時、あんなことやこんなことがありました。楽しい思い出です。
1994年卒団 平山太郎
50周年用の原稿を書いていて、思いついたけど書ききれなかったことをこちらに記しておきます。楽しい思い出?です。
(1)混声というよりは世相ですが、私の入学した年の入学式は、当時の学長が左翼発言をしたとかで、機動隊が正門をガッチリガードしている中、門をくぐりました。その入学式の最後に学生課の先生が、昨年2人も自殺者が出たとかで、やたらと一言相談してくれと連呼していて、入学早々なんだかなーという気分になったのを覚えています。
(2)おそらく都立大学が都立大学駅にあった最後の世代だったと思います(今は都立大学ですらありませんが)。関連の練習で一度だけ都立大学駅で降りて、タモリの家がすぐ近くにあるとかエリカの先輩に教えてもらいました。
1998年卒団 小畑智裕
自分が現役の頃は、新しい取り組みにチャレンジする、というよりも、これまでの先輩方の取り組みを発展させながら継承していく!といった状況だったかと思います。今の現役の子たちが、完全に合唱に軸足をのせながら次々と新しいことにチャレンジしている様子をお訊きすると、正直汗顔の至りです。
さて、自分の同窓を見渡してみると、この記載のあとに続いてくれそうな人達が数多控えておりますので、安心して先陣を。
正直、肝心の合唱以上に合宿やコンパ、他校交流に尽力していた不良部長だったため、思い出もそちらの系統が多いかと。
中でも、新歓・夏・春の合宿には思い出が多く、『一番最初の新歓合宿で学年劇をした際に、ゆっきー・恵ちゃんに主導権を握られ、女装させられた挙げ句、以降四年間の力関係が決まったこと』『自分の目の前でテレビでみるようなお笑いコントを展開しつつ、飲み会で軽妙なトークを繰り広げる辺くんの存在に畏怖?をおぼえたこと』『皆の目を盗み、合宿飲み会の途中にさおりちゃんと抜け出し夜の海辺や湖の畔で懸命に口説いたこと』等、思い出はつきません。
その他、クリスマスや卒業・新歓のコンパ、秋のブドウ狩り、関連との関わり、横国との交流、学園祭、団内で流行ったホモ関係??等、題材にも事欠かない位、楽しいことが一杯ありました。
今後、コメントの集まり具合に応じて思い出の引き出しを開いてみたいと思います。
1990年卒団 岩崎美紀子
(卒年からすると本当はコチラに書くべきだったのですね)
オペラ出演の思い出。
1988年3月(?)、神奈川県民ホール大ホールで「サムソンとデリラ」に合唱で出演しましたね。
指揮:大野 和士、演出:佐藤 信、衣装:緒方 規矩子、
サムソン:大野 徹也、デリラ:伊原 直子、大神官:多田羅 迪夫
ダンサーにバレエ団のお姉さんやJACのお兄さん達も出ていて、今思えば超豪華キャスト?
日本語上演で、合唱団用の楽譜がフランスの大野さんから送られてきていたらしい。
衣装をつけて舞台のひな壇の上で歌いました。市大のほかに上大岡混声、国大グリーが
参加していたような。どんな経緯で出演することになったのか覚えてませんが、いい思い出です。
1996年卒 Sop 川村(石塚)ミチ子
4年間で印象の強い思い出を書かせていただきます。
合唱曲でインパクトが強いのは、星まあ先輩が指揮された「5つのピエタ」、関連の合同曲の「東洋民謡集」などです。「5つのピエタ」は、どの曲もインパクトがありますが、その中の「血の花」という曲の歌詞、血がついてら、血がついてら・・という歌詞がなんだが頭に残っています。「東洋民謡集」は、クック諸島のナントカいう部族の戦いの歌(ほとんどメロディーがあるとは思えない曲)、えいちゃんが掛け声を担当した「豊年祭」など、練習は大変でしたが、風変わりで面白い曲でした。