「……あずにゃ~ん!」
夏休みのある日。散歩に出て、
公園の木蔭のベンチでうとうとしていた私は、
聞こえてきた唯先輩の声ではっと目を開けた。
「ゆ、唯先輩っ?」
何度か瞳を瞬いて、首を左右に動かす。
だけど、公園の中に唯先輩の姿は見えなかった。
寝惚けてしまったのだろうか……そう思った矢先、
「……あずにゃ~ん!」
また名前を呼ばれた。
でも、視界に唯先輩の姿はないままで、
ベンチから腰を浮かして後ろを見ても、
そこにも人影を見つけることはできなかった。
「……あずにゃんってばぁ!」
だのに、私の名前を呼ぶ唯先輩の声だけは聞こえてくる。
姿はどこにも見えないのに、声だけは聞こえてきていて……
これは、ひょっとして幻聴なのだろうか?
夏休みに入って、受験勉強で忙しい先輩たちとはほとんど会えなくて……
その寂しさが、幻聴を生んでしまったのだろうか……?
「ゆ、唯先輩!? どこですか! どこにいるんですか!?」
自分の考えに怖くなってしまった私は、思わずそう叫んでしまっていた。
もし隠れているのなら、早く出てきて欲しい……
お願いだから姿を見せて欲しい……
そう思って、私は半ば涙ぐみながら声を上げていた。
その声に応えてくれるかのように、
「あずにゃ~ん! ここだよぉ!」
唯先輩の声がすぐ側で聞こえた。
その声に導かれるように視線を落とすと……
私のすぐ横、ベンチの上に立つ唯先輩の姿が見えた。
ようやく見つけることのできた唯先輩の姿に……
でも私は、また叫んでしまっていた。
私の目の前の唯先輩は……ぬいぐるみ程度の大きさしかなかった。
「エヘヘ……びっくりした、あずにゃん?」
「び、びっくりしますよ……当たり前じゃないですか……」
ベンチの上に立つ唯先輩の前にしゃがみこんで、
目線の高さをあわせながら、私は嘆息した。
唯先輩の今の大きさは、
子供がよく持っているぬいぐるみ程度の大きさしかない。
最初、唯先輩の姿を見つけられなかったのも当たり前だった。
ぬいぐるみサイズの唯先輩がすぐ隣にいるなんて思いもせず、
遠くばかりを見ていたのだから。
「それにしても……どうしてそんな姿に?」
「ん~……私もよくわからないんだぁ」
「わ、わからないって……自分のことじゃないですか!」
「そ、そう言われても……なんか気づいたらこんな姿になってて、
それであずにゃんの隣にいてね……」
「その姿になる直前のこと、覚えてないんですか?」
私の質問に、唯先輩は笑いながら「うん」と頷いた。
驚く私とは対照的に、唯先輩はのんきな感じで、
自分の姿に不安を覚える様子もない。
「まったく唯先輩は」と私はため息をつき、
どうしてこうなったのだろうと考えて……
「……あ、夢だ」
すぐに結論を導き出した。
唯先輩がぬいぐるみサイズになってしまうなんて、
そんなマンガみたいなことが現実に起きるはずがない。
だからこれはきっと、私が見ている夢に違いなかった。
「唯先輩!」
「えっ、なぁに、あずにゃん?」
「私の頬をつねって下さい!」
言って、私は頬を唯先輩の方に向けた。
この前の福引の夢と同じように、
唯先輩に頬をつねられても痛みは感じないはずだった。
そうすればはっきりする。これが夢なのだと。
「えっ……つ、つねるの?」
「はい、お願いします」
私が言うと、唯先輩が躊躇いがちに手を伸ばしてくるのが気配でわかった。
小さな唯先輩の手が頬に触れ、その指先が上下に動かされ、
「わぁ、あずにゃんのほっぺ、すべすべだねぇ」
「……な、撫でてないで、早くつねって下さい!」
「え~……でもつねったら痛いよ?」
「大丈夫です、これは夢なんですから」
私がそう言っても、
唯先輩は「う~ん……」と困ったような声を上げるばかりで……
そして、手が離れたかと思ったら、
「ちゅっ」
「にゃっ!」
突然柔らかいものが頬に押し付けられて、私は悲鳴を上げていた。
「な、なにするんですか、唯先輩!?」
「エヘヘ……ちゅーしちゃった!」
「な、なんでちゅーするんですか!
私はつねって下さいって言ったのに!」
「だってぇ、あずにゃんの頬をつねったりしたらかわいそうだもん!」
「わ、私が頼んでるんです!」
「む~……でもやっぱりダメ! 頬はちゅーするためのものなのです!」
「なに言ってるんですか!」
唯先輩の言葉に真っ赤になって、私は叫んでいた。
頬をつねってもらえればこれが夢だとわかって、安心できるのに……
でも唯先輩は、私の頬をつねってはくれなかった。
もう一回お願いしても同じだろう。
頬を突き出しても、またちゅーされてしまうだけだと思った。
「……もういいです」
唯先輩がつねってくれないのなら、自分でつねればいいだけだ。
自分で頬をつねって、これが夢だということをはっきりさせればいい。
そう思い、自分の手を上げたところで、
「あずにゃん!」
唯先輩が私に向かってジャンプしてきた。
突然のことに避ける余裕はなかった。
上げた手は自分の頬には触れず、唯先輩の体を受け止めていた。
「ゆ、唯先輩! 危ないじゃないですか!」
「エヘヘ、ごめんね、つい……」
「ついじゃないです!」
私の文句に謝りながらも、
唯先輩は変わらずほにゃっとした笑顔を浮かべていた。
私の両手に抱えられた唯先輩は、
ふざけるように両足をパタパタと動かしていて……
その様子に、私もつい笑ってしまっていた。
「……もうっ、ほんとに唯先輩はしょうがないんですから」
「エッヘヘ……ねっ、せっかくだから遊ぼうよ!」
「遊ぶって……その姿のままで、ですか?」
「うん!」
私の言葉に、唯先輩が笑顔で頷いた。
ぬいぐるみサイズの姿の唯先輩。
ほんとだったら放ってはおけない異常事態のはずで……
でもこれはきっと夢だ。
現実にこんなことが起きるわけがなくて、
頬をつねって確かめなくったってそれはわかることで……
そう、これは夢、なんだから……
「……そうですね。遊びましょっか、唯先輩」
私はそう言っていた。
どうせ夢なんだから、唯先輩の姿に騒ぐ必要も、
慌てて起きようとする必要もないだろう。
自然と目を覚ますまで、遊んだって構わないはずだ。
「久しぶりに、一緒に遊びましょう、唯先輩」
私がそう言うと、唯先輩は満面の笑みを浮かべて、歓声を上げていた。
夏の一日は長いけれど、それでもずっと太陽が空にあるわけじゃない。
ゆっくりとだけど太陽は西に落ちていき、空は少しずつ暗くなっていく……
その様子を、私と唯先輩は一緒に見つめていた。
私はベンチに座り、唯先輩は私の膝の上で。
「……楽しかったねぇ、あずにゃん」
「……そうですね、唯先輩」
明るい声で言う唯先輩に、今日一日のことを思い返しながら私は頷いた。
ぬいぐるみサイズの唯先輩と、私たち以外誰もいない公園で遊んだ一日。
ブランコや滑り台、シーソーやジャングルジム。
砂場で山を作ったり、花壇の花を見つめたり……
まるで幼い子供の頃に戻ったかのように、私たちは公園で遊んだ。
いつもの私なら、恥ずかしがって遊具でなんて遊べなかっただろう。
でもここは夢の中で、一緒にいるのはぬいぐるみサイズの唯先輩だけで……
そんな状況だから、私も子供に戻って遊ぶことができたのだ。
「こんな風に遊んだの、なんか本当に久しぶりな気がします……」
「そうだねぇ……公園で遊ぶことなんて、もうあまりないしねぇ……」
「唯先輩たちは受験勉強もありますしね……」
「うっ……思い出させないでよぉ、あずにゃん……」
「フフ……勉強、忘れたりしちゃダメですよ、唯先輩っ」
「ブー……あずにゃんのいじわるっ」
私たちが話している間も、太陽はゆっくりと動いて、
周りも少しずつ暗くなっていく。
夢の中でも時間は流れていて……
この夢の中が夜になったとき、
きっと私の目は覚めるのだろうと、なぜだかわかった。
起きたらそこは昼間と同じ公園で、
私はベンチの上に一人で座っていて……
もちろんそこに、唯先輩はいなくて……
「……あずにゃん?」
寂しさに捕らわれて、私は唯先輩の体に回した手に力を込めていた。
ぎゅっと抱きしめると、唯先輩は不思議そうな声を上げた。
「あずにゃん、どうしたの?」
「……いえ……なんでもないです……」
唯先輩に聞かれても、私は素直に答えることができなくて……
そう言うしかなかった。
本当の気持ちを言えるわけがなかった。
一人になるのが寂しいなんて、
唯先輩ともっと一緒に遊びたいなんて……
言えるわけがなかった。
「……あずにゃん」
唯先輩の声と同時に、私の体に心地よい重みがかかった。
私の胸の中の唯先輩が、
その背中を私に預けたのだ。
「エヘヘ……あずにゃん、今日はほんとに楽しかったね!」
顔を上に向けて、私を笑顔で見つめながら唯先輩が言った。
そして、私がなにを言うよりも早く、
「また今度、一緒に遊ぼうね!」
当たり前のように、「今度」という単語を口にしていた。
笑顔のまま、「また今度」と言う唯先輩……
その明るい声に、私の中の寂しさがすうっと消えていった。
ああそうだと、思った。もうすぐこの夢は覚めてしまうけれど……
でも唯先輩と遊ぶのは、今日で終わりなわけじゃない。
現実の世界でも、会おうと思えば会えるし、
遊ぶ時間だって作ろうと思えば作ることができる。
唯先輩は受験勉強で忙しくて、
二年生の私とは予定がなかなかあわないけれど……
それでも、私と唯先輩が一緒にいられるのは、
この夢の中だけじゃないのだ。
それになによりも、
「まだもうちょっと夏休みもあるし、
今度はどっか遠くに行くのもいいね!」
唯先輩自身、そう思ってくれているのだから。
だから、きっと現実の世界でだって、
私たちは一緒に遊ぶことができるはずだった。
「そうですね……唯先輩の夏期講習が終わったら、どっか行きましょうか」
「うっ……またお勉強のお話……」
「あ、宿題もちゃんとやらなきゃダメですよ、唯先輩!」
「ああんっ、今は忘れさせてよぉ、あずにゃぁぁん!」
唯先輩の悲鳴にも似た声に、私は笑って……
そして、太陽が西の彼方に落ちて……
「おはよっ、あずにゃん!」
目を開けると、唯先輩の笑顔が目の前にあった。
「えっ……ゆ、唯先輩?」
なんで唯先輩がいるのだろう……
疑問に思いながら顔を動かすと、
私はベンチの上に横になっていて、
唯先輩に膝枕されているのがわかった。
夢の中と同じ場所で、でも役目は逆転してしまっている。
夢の中ではぬいぐるみサイズの唯先輩を私が膝の上に乗せていたけれど……
現実では、私が唯先輩に膝枕をされてしまっていた。
「あの……唯先輩……いつから……?」
「ん~……お昼をちょっと過ぎた頃から!
公園の近くを通ったら、あずにゃんがベンチで
お昼寝してるのが見えてね!
それで!」
「な、なんで起こしてくれなかったんですか!」
思わず起き上がり、私はそう叫んでしまっていた。
現実の公園で、ずっと膝枕をされていた私。
夢の中とは違い、私たち二人きりなんてことはないはずだ。
お昼から夜まで、いったいどれだけの人に、
私たちの姿を見られてしまっているのだろう……
そのことを考えると、顔から火がでそうだった。
「で、でも、あずにゃんすっごく気持ちよさそうに眠ってたし……
それに白状しますと、今まで私も一緒に寝ちゃってたので……」
誤魔化すように「エヘヘ」と笑う唯先輩に、
私は「もうっ」と唇を尖らすことしかできなかった。
今更文句を言っても、もうどうにかできることでもない。
せめて知り合いには見られていないことを願うことしかできなかった。
「ほんとにもうっ……唯先輩はしょうがないんですから……」
「エヘヘ、ごめんね、あずにゃん……
でも、あずにゃんと一緒にお昼寝できて、私は嬉しかったよ?」
そう言って笑う唯先輩を見ると、
私ももう、文句を言うことはできなかった。
心の片隅で、私もちょっと喜んでしまっていたから……。
「もうっ……ほんとに……」
「エヘヘ……」
「……足、痺れてませんか?」
「うん、大丈夫だよ、あずにゃん」
言って、ベンチから立つ唯先輩。
夢の中で
ずっと一緒で、そして現実でも、こうして私の隣にいてくれる……
うん、唯先輩と一緒にいられるのは、
やっぱり夢の中だけじゃないんだと、私は思っていた。
「……それじゃ、一緒に帰りましょうか、唯先輩?」
「うん、そだね。もうすっかり暗くなっちゃったし……」
「……お昼寝にしては、ちょっと長すぎですね……」
「エヘヘ……そうだねっ」
笑って言いながら、唯先輩がちょっとだけ私の先を歩く……
と、突然その足を止めて、
「あ、そだ! あずにゃん、私ね、すっごく楽しい夢見てたんだよ!」
満面の笑顔で、そう言った。
唯先輩の言葉に、自分が見ていた夢が心中に甦った。
ぬいぐるみサイズの唯先輩と、この公園で一緒に遊んだ夢……
まさかと思いながら、
「あの……どんな夢だったんですか……?」
私がそう尋ねると、
「エヘヘ……あのね……」
伸びてきた唯先輩の手が私の頬を優しく撫でて……
そしてその笑顔が私に近づいてくる。
次いで頬にくるはずの柔らかい感触を迎えるように、
私はそっと目を閉じた……。
END
- アンソロに唯が小さくなる話あったよね -- (名無しさん) 2013-07-31 00:55:31
最終更新:2010年12月10日 20:09