「あーずにゃん!」
それはいつもと同じような日
私が
あずにゃんを廊下で見かけて抱きついて、
あずにゃんは抵抗しつつも無理に離れることもなくて、
そんな日常の一コマになるはずだったのに。
「唯先輩、離れてください」
「へ?」
「とりあえず抱きつくのをやめて下さい」
「は、はい」
あずにゃんの反応はいつもと違った。
どうしたんだろう、様子がおかしい。
そんな風には見えなかったけど、もしかして機嫌が悪かったかな。
「この前から言おうと思っていたんですが」
「うん」
「抱きつくのをやめてもらえませんか」
「え」
「あ、唯先輩の事が嫌いとかそう言う事ではありません」
「ん?」
「ただ抱きつくのをやめて欲しいだけです」
「はい?」
「あと、できればあだ名で呼ぶのもやめて欲しいです」
「えーと、あずにゃんって呼んじゃダメって事?」
「そうですね。他の先輩方と同じように呼んで頂きたいです」
「ど、どうしてか理由を聞いても良い?」
「特に理由はありません。前から思っていたので」
「そ、そうなんだ。今までイヤだったのかな。ごめんね」
「いえ、イヤだった訳ではないです、けどとにかくお願いします」
「はあ」
何だかよくわからないけど、抱きつきとあだ名禁止令が出た。
理由は特にないって言ってたけど突然どうしたんだろう。
イヤな訳じゃないって言うのもよくわからない。
頭にはてなマークがたくさん浮かんだけれど、
そんな私に構わずあずにゃん、もとい梓ちゃんは廊下を去っていった。
そのまま
放課後を迎えて部室へ。
メンバーが全員揃った後も、あずにゃんは普段どおりだった。
特に機嫌が悪い訳でもなく、私に冷たい訳でもない。
私が叱られるのはいつもの事だけど、本当に変わった様子がない。
どちらかと言うと周りのみんなが驚いていた。
そりゃそうだ。突然私が、梓ちゃんと呼び始めて抱きつきもしないんだから。
喧嘩でもしたのかとこっそり聞きにきたけれどそんな事はないよと答えた。
だって私にも理由はわからないからそれ以外答えようがない。
ただ、あずにゃんに何か理由があるといけないので、何となくと言っておいた。
みんなあんまり納得してなかったけど、一番訳がわからないのは私なんだよ。
部活が終わって2人で帰る道のりも普段どおり。
いつものように会話して笑ってただ違うのは呼び方だけ。
何度かあずにゃんと言いそうになって梓ちゃんと言いなおす。
そんな私をあずにゃんはちょっと複雑そうな顔で見ていた。
言い出したのは自分なのに、うーん、よくわからない。
家に帰って憂に聞いてみたけど特に変わった事はないみたいだった。
そうだろうな。部活でもあんなに普通だったんだから、
一体何が原因なんだろうな、全然わからない。
それでも部屋でゴロゴロ転がりながら思い当たることはないか考えてみる。
原因がわかったからってどうにもならないけど何だかすっきりしない。
それに何より寂しい。
あずにゃんって呼べなくなるのも、
抱きつくことができなくなるのも、
私は寂しい。
本人に直接聞いてみたい、いやせめて声だけでも聞きたい、
そう思って携帯を見たけどもうメールとか電話もしない方が良いんだよね。
今までは何の気なしにしてたけどそういう事もやっぱりダメなんだろうな。
イヤじゃないって言ってたけど本当はずっと迷惑で、
私が先輩だから断れなくて無理につきあってくれてたのかもしれない。
何だかどんどん不安になってくる。
でもどうしてこの時期に突然そんな事を言い出したんだろう。
私達はもうすぐ卒業だから少し我慢すれば波風なんて立てなくて済んだのに、
何となくあずにゃん…じゃない、梓ちゃんらしくない。
何だかんだ言ってきちんと周りの空気を読む子だ。
こんな事を突然言ったらどうなるかなんてわかってるはずなのに、
周りのみんなだって、私だって不思議に思う。
それでもあえて言ってきたって事はよっぽどイヤだったのかな。
でも、そこまでイヤならイヤって言いそうだけど、それは言わないんだよね。
本当に全くわからない。
考えすぎて頭から煙が出そうになったので寝ることにする。
そう思ってベッドに入ったけれどやっぱりなかなか寝付けない。
もうすぐ卒業なのにものすごく悲しくなってくる。
卒業した後だって私達は一緒にバンド活動をするのにこんな事で大丈夫かな。
あ、もしかしてその時のために禁止令を出したのかも。
部長なのにあずにゃんと呼ばれたり抱きつかれたりすると示しがつかない。
とかそんな理由だったりして、でもそれならその時に言えば良いよね。
何も今言わなくたっていいのに。
ん、あれ、卒業?
卒業した後も私は今と同じようにバンド活動をするものだと思ってたけど、
よく考えたらそれを誰かに確認した事がない。
と言うか当たり前だと思い過ぎていて口に出した事すらない。
もしかして…と思った所までは覚えているけれど私はそのまま眠ってしまった。
翌朝目が覚めて昨夜何かとても大事な事を思いついたような気がしたけど、
何だか良く思い出せなかった。あれ、なんだっけ。うーん。
何はともあれ学校に向かい、授業を受ける。
みんなは昨日の事でまだ心配そうな顔をしている。
うーん。でも、もう少しで解決しそうなんだよ。
ダメだ思い出せない。何だっけ、ここまで出てるのに。
深刻そうな私の顔を見てますますみんなは顔を曇らせる。
そして私に気を使って今日部活に遅れていくからと言ってくれた。
いや違う、違うんだよ。別にその事自体に悩んでる訳じゃないんだよ。
でもあずにゃんと2人きりか。
2人きりになったら思い出すかな。
一縷の望みを託し部室に入ると、あずにゃんは先に来ていた。
「こんにちは、唯先輩」
「あず……梓ちゃん、こんにちは」
相変わらず普段どおりだ。
むしろ私がぎこちない、けど間違えずに言えたよ、頑張った私。
しかし残念な事に顔を見ても昨夜の事を思い出せずちょっとがっかりする。
うーん。そう上手くはいかないか。
「どうしたんですか。残念そうな顔して」
「ははは、いや何でもないよー」
「はあ」
良くわからないと言った顔をした後、トンちゃんに餌をあげ始めた。
あずにゃんの背中をじっと見てもそこに答えは書いてない。
それより背中を見てると抱きつきたくなる。
あずにゃんは抱きつくのにちょうど良いサイズなんだよね。
最初はそう思ってたっけ。
最初は?じゃあ今は?
あずにゃんの背が伸びたら私は抱きつかないかな。
いやそんな事ない、絶対抱きつく。
何でだろう、そんな事は決まってる、わかってる。
これはたぶん答えその2だ。
昨日の答えと合わせればこの問題は解決する気がする。
あと一歩、頑張れ私。
「せ、背中に視線を感じるのは気のせいでしょうか」
「いや、気のせいじゃないよ!」
「そんなに元気良く答えないでください。何か用ですか」
「うん。用がある。すごく大事なことだと思う」
「何ですか」
「思い出せない!」
「はぁ…、じゃあ頑張って思い出してください」
「うーん。思い出すのを手伝って欲しい」
「手伝う?まあ、私にできることでしたら」
じゃあ、と言う事で私はあずにゃんに抱きついた。
「ちょ、ちょっと抱きつかないで下さいって言いましたよね!」
「言われた」
「じゃあ抱きつかないで下さい!」
「うーん」
抵抗するあずにゃんに抱きつきながら思い出す。
昨日の夜考えたあずにゃんの気持ち。
さっき浮かんだ自分の気持ち。
うん。大丈夫。ちゃんと思い出せた。
あずにゃんパワー恐るべし。
「ねぇ、あずにゃん」
「あ、あだ名で呼ぶのもやめて下さいとお願いしましたけど」
「私はもうすぐ卒業するよね」
「……そうですね」
「私はずっと当たり前に思ってきて口に出さなかった事があるんだ」
「何ですか」
「卒業してもずっとこのバンドは続けるよ。もちろんあずにゃんも一緒に」
「……そうですか」
反応が薄いけど、でもこれは私の答えが間違ってる訳じゃない。
あずにゃんはたぶん、
「信じられない?」
「今聞けばみんなそう言ってくれると思います。でも」
「でも?」
「卒業したら私の事なんて忘れてしまいます。」
「そんな事ないよ。みんな、あずにゃんの事を忘れないよ」
「先の事はわかりません。だから今そう言われても信用できません」
私の言葉を信じたい、けど信じられない
希望と不安がごちゃまぜになった顔をしてる。
ずっと一人で悩んでたんだね。
気づいてあげられなくて本当にごめん。
でも私もみんなもあずにゃんとバンドを続ける。絶対にそれは間違いない。
けれどそれだけじゃダメなんだ。
バンドの継続とは関係なく私にはもう一つ解決しなきゃいけない事がある。
あずにゃんは意識してるかどうかわからないけど少なくとも私は自覚した。
あずにゃんだって同じ気持ちのはず…だと思う。たぶん。
そうじゃなきゃあんな禁止令なんて出さないはずだ。
「それともう一つ」
「何ですか」
「私とあずにゃんの事」
「……」
「私が卒業したらあずにゃんは私がいない毎日を送る」
「…」
「それを寂しいと思ってくれてあんな事言ったんだよね?」
「だって、唯先輩が卒業したら、
もう誰も私の事をあだ名で呼ばないし誰も抱きついたりしないです」
「あずにゃん」
「唯先輩のせいでそれが普通になっちゃったのに、どうすれば良いんですか!」
「私は卒業してもあずにゃんと一緒にいたいよ」
「でも、それだって!」
「卒業する先輩が後に残る後輩に
ずっと一緒って言っても説得力がないね」
「……」
「じゃあ今、その関係を変えたら少しは信じられるかな」
不審そうな顔をしてるあずにゃんに自分の顔を近づけた。
目を閉じてるからわからないけど驚いた顔をしてるんだろうな。
でも唇が触れても突き飛ばされたりはしなかった。
大丈夫、あずにゃん、ずっと一緒にいようね。
私はあずにゃんを抱きしめる手に力を込めた。
「これで安心した?」
「…少し」
「少し!?」
「唯先輩はちょっといい加減な所があるので」
「わ、私はどこまで信用がないの…」
「日ごろの行いのせいです」
そう言いながらあずにゃんには笑顔が戻っていた。
大丈夫だよあずにゃん。
私達は
これからずっと一緒にバンドをやっていくんだよ。
そして私はずっとずっとあずにゃんの隣にいるからね。
先輩としてじゃなく恋人として。
これからもよろしくね。あずにゃん。
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最終更新:2011年01月07日 20:01