「それじゃあ、またね」
「うん。今日はありがとう」
憂と純に別れを告げて、梓は玄関にカギをかけた。
去年ならみんなで泊まったりするのだろうが、受験生という手前そうもいかない。
2人ともそれを察してか9時には帰宅していったのだった。
「さて……」
人気が無くなって少しさびしくなったリビングを抜けて、梓は本棚から参考書を取り出した。
いくら誕生日だといっても、もう11月である。
受験勉強も佳境を迎えて最後の追い込みに入る時期だ。
憂と純は今日ぐらい勉強は忘れて息抜きをしたほうがいいと言ってくれたものの、やはりこの時期に遊ぶのは焦りが生じてしまう。
梓は仕方なしに机につくと、そっと溜息をついた。
「受験勉強なんて、無くなればいいのに……」
西暦2095年になっても受験生の悩みは変わらないもので、梓もぼんやりと天井を眺めながら呟いていた。
しかし、そんなことは起きたりしない。たくさんの憂鬱な出来事と、それを吹き飛ばすちょっとの幸せを繰り返す日々が続くだけである。
少なくとも、今はそうだった……。
「ん?」
机が少し揺れて、かたかたと音をたてはじめた。
地震かと思い机の下に隠れようとしたその時、引きだしが突然飛び出した。
「うぐっ!」
そのまま引き出しは胸に直撃して、梓は倒れこんでしまった。
「げほっ……! げほっ……! いったぁ……」
したたかに打ちつけた胸をさすりながら机に目をやると、引き出しが開いていた。
まじまじと見つめていると、そこから茶色のものが出てきた。
「だ、大丈夫かなぁ……」
そんな声と共に引きだしから出てきて、それが人の頭だと気づくのにそう時間はかからなかった。
「あっ……! あぁっ……!」
「んっ?」
梓は引き出しから出てきた人物と目が合ってしまった。
髪の毛と同じきれいな茶色で、可愛らしい目だった。
「あっ!
あずにゃんだ!」
引き出しから出てきた人物は梓を見止めると、にこにこと笑って引き出しから這い出てきた。
「あ……! うぁ……!」
「ん? どうしたの?」
不思議そうに首をかしげて、引き出しから出てきた人物が梓に近寄った。
「き……! きゃああぁ……! んぐっ!」
「わあぁ! ちょっと、お願いだから静かにして!」
何とか勇気を振り絞って叫ぼうとしたものの、口をふさがれて梓は得体の知れない恐怖に心が折れてしまった。
「あっ、驚かせてごめんなさい……。そうだよね……、何にも知らないから……」
梓は暴れることもできずに涙目のまま震えて、目の前の女の子を見つめた。
「お願いだから大声を出さないって約束してくれる? 話を聞いてほしいの」
見た感じでは梓と同じくらいの歳だろうか。泥棒にしては引きだしから出てきたり、梓を見てもあまり驚かなかったりとおかしな部分が多い。
梓はとりあえず首を縦に振った。
「ごめんね……、苦しかった?」
「……」
梓はとりあえずいつでも逃げられるようにドアの辺りまで後ずさると、女の子を見つめた。
「私の名前は唯。あずにゃんの未来を変えに来ました!」
「……は?」
「だから、あずにゃんの未来を変えるために来たの!」
女の子───唯は梓の前に正座すると一息ついた。
「でも、何とかあずにゃんの家に出られてよかったよ……」
梓は頭の中で色々な可能性を考えてみて、こんなマンガみたいな展開があるわけがないという結論に達していた。
勉強のし過ぎで頭がおかしくなってしまったのだろうか? いやいや、そんなことはない。
しかし、目の前に女の子が机の引き出しから現れて部屋の中にいる。これは一体どういうことなのだろうか。
「どうしたの?」
「いや、あの、机の中から突然ひょこって頭を出してですね、未来から来たなんて誰が信じるんですか?」
出て行ってと言うべきなのだろうが、梓は混乱してしまって普通に受け答えをしていた。
「だって本当なんだもん」
「ふ、普通未来から来ました、はいそうですかって信じる人なんていませんよ?」
「そうかなぁ?」
「そうです!」
一体これは何の冗談なんだろうと、梓は頭を抱えて大きくため息をついた。
そして、この状況を何となく受け入れ始めている自分に呆れた。
恐怖心より好奇心のほうが勝りはじめた。
「とりあえず、私は60年後の未来から来たの。まだタイムワープ航行が実用化されていないから信じられないと思うけど……」
「普通信じられません」
「タイムマシンもちょっと調子が悪いみたいで、動かないし……」
「タイムマシン?」
「そうだ。これを見たら信じてくれるかも」
唯は梓の手を引いて引き出しの中を覗き込んだ。
「タイムトンネルの出口がたまたまここだったんだよね」
梓が引きだしを覗きこむと、真っ黒な空間の中にぽつんと銀色の機械が浮いていた。
「う、そ……」
「どう? 信じてもらえた?」
「えっと……、ですね……」
西暦2095年になった今でもタイムマシンというのは無い。
そんなSF映画のようなものはせいぜい宇宙ステーションとか、人間に似ているアンドロイドが実用化に向けて運用が始まったぐらいなのだ。
それに、この狭い机の引き出しの中にこんな広大な空間が広がっていること自体がおかしい。
「……いひゃい」
「何でほっぺをつねっているの?」
「何でもないれす……」
とりあえずこれが現実であることはわかった。
状況を整理できるようになって、梓は徐々に落ち着きを取り戻しつつあった。
だが、それはどちらかというと現実についていけなくてあきらめた方に近いのだが……。
「……とりあえず、唯さんの話を聞きます」
「ありがとう~」
心底うれしそうな顔をして、唯は軽く咳払いをして話し始めた。
「さっきも言ったけど、私は60年後の未来からやってきたの」
「はぁ……」
「あずにゃんの未来を変えるために来たんだけど、詳しいことはあんまり話せないんだ」
「何でですか?」
「あんまり過去に干渉すると未来が大きく変わっちゃうかもしれないしね。私が変えたいのはほんのちょっとのことだから」
「……私の未来を変える気なんですか?」
「まぁ……、そのほうがあずにゃんにとっては良い事が起こるはずなんだけど……」
まだ来てもいない未来を変えるというのは、梓にはどうしても実感が湧かなかった。
「そういう話ってフィクションとかでよくあると思うんですけど、未来を変えるってかなり危ないんじゃ……」
「そ、それは……、そうだけど……」
「大丈夫なんですか?」
「あずにゃんは気にしなくても大丈夫だよ。私がうまくやればいいだけだから」
にこにこしながら唯が言ったが、梓はどことなく危険な雰囲気を感じた。
自分の未来に一体何が起こるのだろうか。なぜ、この唯は自分の未来を変えに来たのだろうか……。
(まぁ、聞いたところで教えてくれそうもないけど)
梓はとりあえず話を進めることにした。
「それとあずにゃんって何ですか……?」
「それは私がつけたあだ名なんだけど……、ネコ耳が似合うからつけたの」
「ネコ耳!?」
梓は自分がネコ耳をつけているところを想像して、絶対ありえない光景だと思った。
「わ、私、そんなもの付けたことないですよ!?」
「未来ではつけたことあるんだよ」
「未来の私、一体どんな人物なんだ……」
自分がネコ耳をつけるという未来があるなんて、梓はその人を同一人物と信じたくなかった。
「とりあえず、これで話はおしまい」
「えっ、まだ聞きたいことが山ほどあるんですけど」
「これ以上はちょっと未来に大きな異変を起こしかねないからね。大体のことはわかったでしょ?」
「そうですけど……」
唯が来た目的はわかったが、その結果がどうなるのか全く分からない。
1人で勝手に納得して、とりあえず安堵のため息を漏らす唯にもうどうしていいのかわからなくなってしまった。
「そうだ。ところで今日は何日?」
「えっ? 11月11日ですけど……」
「11月11日!?」
唯はすぐさまカレンダーを確認し、懐中時計のようなものを取り出して青ざめた。
「あぁ……! ちょっと変な音がしていたからおかしいと思っていたけど。あぁ……!」
「ど、どうしたんですか……?」
「……いや! なんでもないです、はい!」
「何でもあるでしょう!?」
唯は懐中時計をしまうと、気持ちを切り替えて気合を入れた。
「ちょっと予定と違ったけど、とりあえずあずにゃんの未来は私が変えてあげるから!」
「だから何で未来を変えるんですか!」
「それは言えません!」
「胸を張って言わないで下さいよ……」
梓は何度目かわからないため息をついて、もう考えるのも億劫になってしまった。
「そう言えば今日はあずにゃんの誕生日だね」
「何で私の誕生日を知っているんですか……」
「私は未来のあずにゃんのこと知っているからね」
「そ、そうだった……」
自分の知らない自分を知られているというのは何とも怖い感じがして、梓は少し身震いがした。
「……Happy BirthDay.あずにゃん」
「……こういう時は、ありがとうって言うべきなんですかね」
「まぁ、まだまだ気持ちに整理がつかないと思うからそう思ってくれるだけで嬉しいよ」
こうして、梓と唯の不思議な生活が始まったのだった。
「う……」
カーテン越しの柔らかな日差しを感じて、梓は目を覚ました。
部屋を見回してみると、いつもの自分の部屋でどこも変化は無かった。
「夢、じゃないよね……」
昨日のことを思い出すたびに夢だと思いたかったが、はっきりと記憶にあるせいかそう思えなかった。
ベッドの下を見てみると、やはり昨日と同じように布団にくるまって眠る唯がいた。
試しに机の引き出しを開けてみると、やはりそこには広大な空間があり遠くの方には銀色のタイムマシンがぽつんと浮いていた。
「う……。あ、あずにゃん。おはよう」
「おはようございます」
顔を洗って、軽い朝食をとって、いつもと変わらない朝だった。
だが、隣には未来から来たという唯がいた。
(さて、
これからどうしようかな……)
土曜日と言うこともあって、梓はこれからのことをゆっくり考えることにした。
「唯さん、これからのことについて話し合いませんか?」
「そうだね。私もこの時間でどうするか整理したいしね」
人並みにはSF映画や小説は読んでいる梓は、そこから得られた知識を掻き集め始めた。
「まず、唯さんはあまり外をうろつかないでくださいね」
「なんで?」
「なんでって……。そのせいで未来に大きな影響を与えたらだめでしょう?」
「そ、そっか」
「もう……。未来からきたくせに、何で私が注意しなくちゃいけないんですか……」
唯は本当に未来から来た人なのだろうか。梓はあまりにも迂闊な行動が多すぎるような気がした。
「ただいまー」
その時、玄関から声がした。
「お、お父さんたちが帰ってきた!」
「えっ? そうなの?」
「と、とりあえず隠れてください!」
「そ、そっか……! でも、隠れるって言ったって……!」
「ほら、机の引き出しにでも……!」
急いで引き出しを開けて唯が足をかけた時、ドアが開いてしまった。
「梓、どうしたの?」
「あっ……! お、お母さん……」
梓は慌てて唯の足を引き出しから出させて、普通に振る舞うが冷や汗が止まらなかった。
「あれ? その子……」
「あー! えーっと……!」
(上手く話を合わせてくださいよ!)
(う、うん……!)
一瞬のアイコンタクトで唯も状況を把握して、梓は口走った。
「そう! 友達! 憂のお姉さんで……!」
「えっ、あ、あの……。ゆ、唯です。お邪魔しています」
心の中で憂に謝りつつ、梓は何とかごまかそうとあれこれ考えては喉が異常に乾いていくのを感じた。
「あれ? 憂ちゃんって一人っ子じゃなかったっけ?」
「あー! あのね……! い、いとこ! いとこなの! ね、唯先輩!」
「は、はい! そうです!」
「大学のことについて話を聞いていたの!」
「そうだったの。ゆっくりしてくださいね」
「は、はい……」
なんとかごまかせそうだ。梓は心の中でほっとした。
「そういえば靴が無かったような……」
「そ、そんなことはないよ! お母さん、見間違えたんじゃないの?」
「そうかしら……」
「そうだって! 勉強するからごめんね!」
「あっ、わ、わかったわ……」
何とか部屋から追い出してドアを閉めると、梓は一気に緊張の糸が切れて床にへたり込んでしまった。
「はああああぁ……! 心臓が止まるかと思ったあああぁ……!」
受験勉強の比ではないくらいの不安を味わうことになろうとは思ってもみなかった。
「それにしても、唯先輩かぁ……。良い響きだよぉ……」
「なにうっとりしているんですか……」
「これから唯先輩って呼んでくれない? 実際、私の方が先輩だし」
「何で私が唯先輩って呼ばなきゃいけないんですかっ」
「だって両親にはそう言っちゃったでしょ? 日常的に言っていれば変にならずに済むし」
「……仕方ないですね」
立て続けに増えた悩み事に梓は頭が痛くなったが、そんなことを言ってもいられない。
「とにかく両親に唯先輩の存在がばれてしまいました……」
「あずにゃんの友達のお姉さんってことになっちゃったけど、大丈夫かなぁ……」
「あぁ、そうだった……」
自分でどんどん話をややこしいほうに持って行ってしまって、梓は項垂れた。
「憂には内緒にしておかなくちゃ……」
唯を部屋に残して、両親の様子を見てみると話があると呼ばれた。
「何?」
「実は帰ってきてそうそう悪いんだが、また出かけるんだ」
「そうなの?」
「あぁ。しかも年末なのに出張つきだ」
ため息混じりに言うのを聞いて、梓は少しほっとした。
(唯さんを家から出すわけにはいかないし、2人とも家にいないのなら……)
「だからしばらく家を空けることになるんだ。すまない」
「う、ううん。大丈夫。仕事だもんね」
「大丈夫ですよ。私もいますし」
「ちょ、ちょっと唯先輩! 何で出てきたんですかっ……!」
部屋にいたはずの唯がひょっこり出てきて、梓はまた冷や汗を流した。
「そうね。唯ちゃんがいてくれるなら安心ね」
「ちょっと、お母さん……」
「勉強の方も、見てやってください」
「お、お父さんまで……」
「わかりました」
「唯先輩! ……もう!」
梓は自分だけこんなに気を揉んでいるのがばからしくなってきたのだった……。
「じゃあ、行ってきます」
「いってらっしゃい」
月曜日の朝。
両親の2人が出ていくと、梓は机の引き出しを開けた。
「もう大丈夫ですよ」
「はぁ……。タイムトンネルの中って息苦しいものだねぇ」
唯は伸びをして解放感に浸った。
「両親が仕事で助かった気はしますけど、何にも解決していませんからね?」
「わかってるって」
「わかってないでしょう……」
「さて、私は私のすることをするだけだ!」
張り切っている唯を見て、梓は一抹の不安を覚えた。
「とりあえず、唯さんは家から出ないで下さいよ」
「うん。わかっているよ」
「本当にわかっているんですかぁ……?」
「大丈夫、大丈夫」
嘘を言うような顔には見えないが、どうにも頼りない感じがした。
「じ、じゃあ、学校に行きますから」
「うん。いってらっしゃーい」
梓は後ろ髪を引かれる思いで学校へ向かった。
「……」
授業中だというのに梓の頭は唯のことでいっぱいだった。
(悪い人じゃなさそうなんだけど……)
さすがに家の中を荒らすようなことはしないと思うが、家から出て行ったりしていないだろうか?
しかし、今は唯を信じるしかなかった。
(そういえば、未来の世界ってどんな感じなんだろう)
会った時に未来のことはあまり話せないと言っていたが、どこまでなら教えてくれるのだろうか。
目的も梓の未来を変えることとしか聞いていない。
(私にとって良いことが起きるって言っていたけど……)
確かそんなマンガがあった気がするが、それは主人公がダメダメ過ぎて未来が酷いことになるからということで来ていた。
自分で言うのも何だが、梓はそこまでダメな人間だと思ったことは無かった。
では、何が未来を変えたのだろうか……。
「梓ちゃん、どうしたの? 浮かない顔して」
「あぁ、純、憂。進路のこと考えてたの」
「うあぁ! そんな話題を出すなぁ~!」
進路という未来の不安をあおられて、純は軽く青ざめた。
「もうすぐそこまで来ているんだから、今更でしょ?」
「でもさぁ……。梓だって受験なんてなければいいって思わない?」
「それは、少しは思うよ。でも、そうそうなくなったりしないよ」
「うあああぁ……! ういいぃ、あずさがいじめるよぉ……!」
「よしよし」
「わ、私がいつ苛めた!?」
憂の胸に顔を埋めて、純がわざとらしくおいおいと泣いた。
「もう、純。部室行くよ」
「おぅ! そうだ! 今日のお菓子は何かなぁ~」
「立ち直り早っ!」
菫が淹れてくれる紅茶とお菓子が待っているとなると、純は俄然元気になって勇ましく部室へ向かった。
「まったく、現金な……」
「純ちゃんらしいよねぇ」
「まぁ……、そうだね」
梓も憂と一緒に純の後を追って部室へ行った。
勉強を終えて帰宅すると、家の電気がついていた。
どうやら唯は家にいるらしい。
「ただいまー」
家の玄関に入った瞬間、梓の鼻をいい匂いがくすぐった。
「あ、おかえりなさーい」
不審に思っていると、エプロンをつけた唯が出迎えてくれた。
「な、何しているんですか……?」
「何って、見てわからない?」
唯がこれ見よがしにエプロンを振って、にこにことアピールをしてきた。
「いや、わかるんですけど、何でそんなことしているんですか……?」
「あずにゃんのお父さんとお母さんにお世話頼を頼まれちゃったからね。それに、しばらく置いてもらうつもりだし」
「し、しばらくいるんですか!?」
「まぁまぁ。お腹すいたでしょ? 晩ご飯つくってあげたから」
「わあぁっ! ちょ、ちょっと……!」
靴を慌てて脱いで、梓は唯に引かれるまま温かい匂いが立ち込めるリビングに通された。
テーブルの上にはハンバーグにサラダに味噌汁と普通の料理が並んでいた。
「さぁさぁ、食べてよ!」
「あぁっ、わ、わかりましたから無理に座らせないで下さい」
食卓に着くと、茶碗にごはんを盛られて渡された。
とりあえず見た目は普通の料理だ。匂いもとてもいい。
「さぁ、どうぞ」
「い、いただきます……」
梓は恐る恐るハンバーグを箸で取って口に運んだ。
「あっ……」
「どう、おいしい?」
「……まぁまぁです」
「そっかぁ……。じゃあ今度はもっとおいしいのつくってあげるね!」
「……期待なんてしませんけど」
「もう、あずにゃんのいけず~」
唯は梓の向かいに座ると、ご飯を食べ始めた。
「いっただきまーす!」
それから後片付けを2人で済ませて、唯は洗濯や風呂の準備を始めた。
「あずにゃんは受験生なんだから、勉強しなくちゃだめでしょ?」
「そうですけど……」
「大丈夫。あとは任せて!」
部屋に追い返されてしまったが、梓は不安になってこっそり物陰から覗いて見た。
「……」
唯の手際は鮮やかで家事に慣れている感じがした。
とりあえず大丈夫そうなので、梓はおとなしく部屋に戻ることにした。
「はぁ……」
机についてノートを広げてみるが、思い浮かぶことは唯のことばかりだった。
「なんで私の好きな味付けを知っているんだろう……」
「それに、家の中のことをある程度知っているみたいだし……。もしかして漁ったのかな?」
「未来の世界で唯先輩と私ってどんな関係なんだろう」
「……」
「……そうだ。勉強しなくちゃ!」
梓も3週間以上唯と暮らしてみると、何となく慣れてしまっていた。
唯の方もすっかり馴染んでいて、いつも通りという感覚が芽生え始めていた。
「遅刻しちゃうよぉ!」
「もう、さっきから起こしていたのに。昨日遅くまで勉強していたでしょ」
「仕方ないでしょ? もうすぐ受験なんですから!」
素早く服装を整えると、梓は玄関に直行した。
「あ、あずにゃん。朝ごはんは?」
「いらない! 遅刻しちゃうぅ!」
そのまま靴を履いてカバンを掴むと慌ただしく出て行った。
「い、行ってらっしゃーい」
梓を見送ってふと食卓の上を見ると、小さな包みが置いてあった。
「……あ」
「さぁ~て、昼休みですよ!」
純が張り切ってコンビニの袋を開けて、パンを広げ始めた。
梓も自分のカバンから弁当箱を出そうとしたが、何故か見当たらない。
「あ、あれ……?」
「どうしたの? 梓ちゃん」
「お弁当、忘れた……」
慌てて出てきたものだからすっかり入れるのを忘れてしまっていたようだ。
「なら、早く購買いかないと無くなっちゃうよ」
「うん。ちょっと買ってくる」
財布を持って教室から出ていこうとした時、後ろから声がした。
「あずにゃーん!」
「あっ!」
自分のことをそう呼ぶ人なんて1人しかいない。
振り向いて見ると、唯がにこにこしながらこっちに向かってきていた。
「やっほー」
「ばっ! な、何しているんですかっ!」
「お弁当忘れたでしょ? 持ってきてあげたんだけど……」
唯の手には梓の弁当が握られていた。
「あんまり出歩いちゃだめって言いましたよね!」
「でも、あずにゃんお腹すいたでしょ?」
「もう! 早く帰ってください!」
「わ、わかったからあんまり押さないで……」
誰かに見られては大変だと、梓は唯を押して帰した。
「ねぇ、さっきの人誰?」
ほっと一息つくと、純が聞いてきた。
「えっ!? えーっとねぇ……。と、隣に住んでいる人なの。ほら、今は両親がいないからお世話になっているの!」
「そっか。いい人そうだね」
「う、うん」
わざわざ自分の為に弁当を持って来てくれたのだ。
(お礼ぐらい、言えば良かったかな)
梓は席に戻って、弁当を食べた。
やはり、その弁当も自分の好きな味付けになっていておいしかった。
「それでは、あんまり羽目を外しすぎない様にして過ごしてください」
終業式を終えて、冬休みについて軽い注意を受けたあとホームルームは終了した。
「あぁ~! 冬休みか~!」
純が長期休みへの解放感から大きく伸びをした。
「冬休みって言っても、受験勉強があるから休む気になれないよね」
憂が少し残念そうに呟いた。
「そうだけど、今はこの解放感を存分に味わいたいのです!」
「純ちゃんらしいね」
憂がにこにこ笑ったが、梓は勉強ともうひとつ気にかけなくてはいけないことがあった。
(唯先輩……)
唯と出会ってすでに1ヶ月以上一緒に暮らしている。未来を変えるという唯の目的は達成されたのだろうか。
「どうしたの、梓。もしかして恋の悩みかなぁ?」
「違うよ」
「ホントに?」
「本当」
そんな浮かれた悩みなんて今は持っている暇は無い。梓は軽くため息をついた。
「ただいまー」
「あ、おかえりなさい」
「……うわぁ! な、なんて格好しているんですか!?」
そこには真っ赤なワンピースを着た唯がにこにこしながら立っていた。
「えへへ~。かわいいでしょ? サンタだよ、サンタ!」
「ちょ! 見えちゃいますって!」
「何が?」
「と、とにかく早く着替えてください!」
「えぇ~? ちぇー……」
唯はいそいそと脱ぎ始めた。
「一体どこからそんな服を……」
「あぁ、私の私物なの」
「へ、へぇ……」
また未来の梓の為に買ったとか言うんだろう。
「……」
この1ヶ月で唯のことについてわかったことと言えば、梓と仲がいいことと実はアンドロイドだったことしかない。
(あの時は本当にびっくりしたな……)
人間と同じような肌の質感に、シャワーを浴びたりしていたから全く気付かなかったのだ。
(本当にマンガみたい……)
「ジングルベール、ジングルベール、鈴がー鳴るー」
その唯は23日だというのにクリスマスの気分に浸っていた。
(本当にアンドロイドか疑いたくなるなぁ)
本当嬉しそうににこにこしていた。
「……」
そんな唯を見つめて、未来の自分が惹かれたのも何となく頷けた。
「あずにゃん、晩ご飯は何がいい?」
「そうですね……。生活費もありますしあんまり豪勢なのはまずいと思うんですけど」
「大丈夫! 未来だともっと物価が高いからその知識を使えば安く作れるから」
胸を張って鼻息を荒くして唯が自慢げに言った。
「うふふ……」
「えへへ……」
そんな日々が、梓は楽しかった。
最終更新:2011年12月03日 22:27