夜も更け、家々の明かりが、ひとつ、またひとつと消えていく。

明日の準備をあらかた終えた梓もまた、就寝の為、消灯と施錠の確認をしながら寝室へと向かっていた。
洗い物は終わったし、炊飯器もセットした。朝ご飯の下ごしらえもOK。洗濯機は明日の朝回して・・・。
一通り頭を巡らせ、最後に廊下の照明を落とすと、梓は最終目的地である寝室のドアを開ける。
中は薄暗く、ベッド脇のスタンドライトが点いているだけだった。
その明かりを頼りにベッドへと近づき、布団を捲ると、梓は中に滑り込む。
布団の中は温かかった。
何故って。
「・・・唯先輩?もう寝ちゃいましたか?」
先にベッドに入っていた恋人がいたから。
「・・・唯先輩?」
その背中にもう一度呼び掛ける。
けれど唯からの返答はなく、すーすーと寝息が聞こえてくるだけだった。
もう寝てしまったのだと諦め、梓は体勢を整えると布団を口元まで引っ張り上げた。
天井をしばらくぼうっと眺めてから、隣りの背中へちらりと視線を向ける。

唯と梓が恋人同士になってから、そこそこの時が流れていた。
梓は、かつて桜ケ丘高校軽音楽部の先輩であった唯らと同じN女子大へと進学し、今では一人暮らしをしている。
しかし一人暮らしとは名ばかりで、互いのマンションを頻繁に行き来する半同棲状態。
今日は梓のマンションであるが、普段は誘われるまま、唯のマンションに入り浸っている梓である。
それなりに理由があって一人暮らしを決断した訳だが、こんなことならはじめから唯の言
う通り一緒に暮らせば良かったと、最近では後悔をしている梓であった。

それにしても・・・
と、梓は隣りで眠る恋人に、幾分か憎らしさの込もった視線を送る。
明日はバイトも大学も休みだというのに、さっさと寝てしまうなんて、と。
少しくらい待っててくれてもいいのに・・・。
こちらに背を向けて眠る寂しさもあって、梓は口元をへの字に曲げた。
もう寝てしまおう。
梓がスタンドライトを消そうと身を起こしたその時。
「んぅ~、あーずにゃ~ん♪」
ふにゃふにゃとした声と共に、唯が梓を背中から抱きしめた。
「え!?わわっ!」
そのまま2人してベッドに倒れ込む。
「唯先輩!?お、起きてたんですか?」
「ん~、いまぁ。待ってようと思ってたんだけどちょっと寝ちゃってたよぉ」
「何ですかそれ・・・」
まだ寝ぼけた様子の唯の声に、梓は呆れたような声を出した。
少しの嬉しさを素直に表現する事が出来ず、唇を尖らせる。
「んー、あずにゃん身体ちょっと冷えてるねぇ」
「・・・唯先輩はあったかいですね」
「うん!だから大丈夫!私があっためてあげるからね!」
一人ベッドでぬくぬくとしていたことに対する嫌味を梓は口にしたつもりだったのだが、唯には伝わらない。
「はーい、お布団ちゃんと掛けようね~。ぬくぬくだよ~あったかあったかだよ~」
少し乱れた布団を鼻先まで持ってくると、唯は梓を抱き寄せた。
冬も間近に迫ったこの季節にこの誘惑は何とも抗い難く、先程までの固くなりかけていた
心は何処へやら、梓も唯と向かい合う様に、もぞもぞと体勢を整える。

「・・・寝ちゃってても良かったんですよ?」
それでも、少しの意地が邪魔をして、梓は拗ねたような声を出した。
「あずにゃんのいじわる~。お休みのちゅーもまだなのに眠れないよぉ」
「いや、寝てたじゃないですか・・・。それに、キスなら今日はもう散々したでしょう?」
「足りません!」
ぐりぐりと、唯が梓の額に額を寄せる。
「・・・それとも・・・あすにゃんは私とキス、したくない?」
唯からすれば梓との口付けは何度しても足りないくらいなのだが、ふと、梓はそうではな
いのだろうかと胸に不安が過ぎり、それを口にした。
「うっ・・・」
その問いは卑怯だと、梓は口籠り奥歯を噛む。
「・・・あずにゃん?」
やはり嫌なのだろうかと、唯が不安に瞳を揺らす。
そんな瞳で見つめられる梓は、堪ったものではない。
「ううっ・・・。・・・じゃ・・・いです・・・」
「へ?」
「・・・だから、ヤじゃないです!当たり前の事言わせないで下さい!」
言って顔を真っ赤にする梓に。
それが、梓にとって今の問いへの精一杯の否定の意なのだと感じ取った唯は、嬉しさから
その小さな身体をより一層強く抱きしめた。
「あずにゃん!」
「って、ふわっ・・・!ちょっ、く、苦しっ・・・」
梓にしてみれば、先程までキスしまくっていた相手に何故そんな不安を持つのか不思議で仕方ないところである。
なんて羞恥プレイだ。
けれど、唯の表情から意地の悪い事を言った応酬とも思えず、梓はただ顔を赤くするより他ない。
付き合ってもう二年以上経つというのに、相も変わらずこの人に振り回されてしまう自分は
、まったく成長していないのではないのかと一抹の不安を覚えながらも、結局梓は控えめに抱き返すのだった。
まぁそれも悪くないのかもしれない。惚れた弱みというやつだ。と、そんな風に思えるよ
うになった事が、長年唯と過ごしてきた梓の、ある種の成長と言えなくもなかった。

「・・・あずにゃん・・・」
髪を撫で、頬をすり寄せ、頭に、額に、愛おしさから唯は何度も口付けを落とす。
「んー可愛いよあずにゃん・・・。髪もさらさら」
「ちょっ、唯先輩・・・」
くすぐったさに、梓が身を捩る。
「んん・・・」
今度は上を向かせ、頬や瞼、また額へと唯は繰り返し口付けた。
梓の冷えた心身が、唯の熱で少しずつ温められていく。
何度も何度も口付けてから唯は少し身体を離すと、額と鼻先を、梓のそれにすり寄せた。
綺麗な瞳が、互いのすぐ目の前にある。
「キスしてい?」
言いながら唯は梓の鼻先にキスをして、またすぐ額に額を当てた。
否応なしに口付けられると思っていた梓が小さく息を飲む。
どこになんて、訊かずとも分かった。
普段許可など取ったりしない唯のその言葉にか、唯の表情にか、梓の心音が大きく鳴る。
「・・・はい・・・」
拒めるわけがない。その必要もない。
梓が小さく答えると、唯はそっと唇に唇を寄せた。
ふにっと柔らかな唇同士が触れ合い、それだけで2人の心が満たされていく。
しばらくして唯が静かに唇を離し目を開くと、物足りなそうな梓の顔が映った。
きっと自分もこんな顔をしているのだろうと、唯は梓の頬を撫でながら、小さく笑む。
自分だけが求めるのではなく、求め合える事が嬉しい。
「今度はあずにゃんからして?」
「うっ・・・。は、はい・・・」
唯が目を閉じて待つと、また柔らかい感触が唇に触れた。
何度しても足りない。何度しても飽きたりしない。
恋人になってもう二年以上が経ち、キスだって、身体を重ねることだって何度もしてきた
というのに、胸の高鳴りも口付けた時の幸福感も、薄らぐことはなかった。
寒さも、今は気にならない。

二人は名残惜しげにゆっくりと唇を離すと、また見つめ合う。
「ねね、あずにゃん。どれだけキスしてられるかやってみない?先に離れた方が負け」
「えっ?な、何ですかそれ」
突然そんな事を言い出した唯に、梓は小さく目を剥いた。
「まぁいーじゃんいーじゃん、やってみようよ。じゃあはじめ!」
「ちょっ待っ・・・!むぐっ!」
考える暇さえ与えてもらえず、梓は強引に唇を奪われる。
突然の事にはじめは戸惑う梓だったが、落ち着いてみると、この提案で別段自分に不利益
が生じるわけでもない事に気が付いた。むしろ有益だ。
ただ気になるには、“先に離れた方が負け”という唯の言葉。
「んん、・・・んむ・・・」
角度を変え、強く押し当てたり、離れるか離れないかの位置でくすぐったり、時には唇で唇を食んで、吸って。
けれど、決して唯の唇が離れる事はない。
梓も唯の背に手を回し、それに応えた。
じりじり、じりじりと、身体の熱が上昇をはじめる。
「ん、んん・・・」
「ん、ふあ・・・」
どちらともつかないくぐもった声と衣擦れの音だけが、静まり返った部屋に音を成す。
そんな中。
「ね、あずにゃん。今日・・・いい、かな?」
不意に、口付けたままで、唯が梓に問い掛けた。
「ん、ふぇ・・・?」
唯の声に、梓は薄く目を開く。
「・・・えっちしたい。お互いあの日だったし、ご無沙汰だったでしょ?我慢できない」
口の中で話す唯の静かな声に、梓はぞくりと背を震わせた。
“あの日”とは、勿論、一カ月の周期でやってくる女性の宿命である。
「んん・・・ご、ご無沙汰って、たかだか一週間くらいじゃないでふか・・・んっ」
「一週間じゃないもん。タイミングも悪かったし、もう10日くらいしてないよ?」
言いながら、唯は梓の髪を優しく撫で、頬を手の甲でなぞった。
「ふあっ・・・キスしながら、しゃべらないでぇっ・・・」
唯の熱くて甘い息が口内に入り込み、梓の理性をゆっくりと溶かしていく。
一瞬唇が離れそうになるも、梓はそれをなんとか堪えた。
口の中で囁く唯はなんとも扇情的で堪らない。
「ん、んあ・・・」
「私が勝ったら、今日は朝まで付き合ってもらうよ・・・」
本当は、ここへ来る前から今日はそのつもりであった唯が、梓の抗議になど耳を貸さず言葉を続ける。
「えっでも、明日はデート、んぅっ・・・しようって・・・」
梓としても、こういう展開を期待していなかったわけではないが、朝までとなると話は別で、少しの狼狽を見せた。
先程から唯の瞳にある欲望に梓は気付いていたのだが、こういった場合にこんな事を言い
出す唯は本当に容赦がなく、翌日は大抵ベッドから起き上がれなくなってしまうのだ。
「んむ・・・お昼頃起きれば、大丈夫だよ・・・」
全く大丈夫ではないのだが、こうなってしまっては止まらない事も、長年の付き合いで梓
は知っていて。おそらくは、何を言っても無駄だろう。
普段は優しい唯が時たま見せるそんな表情に、梓は未だ為す術を持てないでいた。
ただ今回に限っては、このゲームに勝ちさえすれば回避できるかもしれないけれど、それ
すらもきっと当てにはならない。
「・・・だったら」
「んう?」
「私が、ん・・・勝ったら、これから一週間・・・いえ、二週間、唯先輩に朝ご飯作ってもらいますからね」
「ほえ?」
梓の提案に、唯が間の抜けた声を漏らした。
今夜は諦めるとしても、このままでは納得のいかない梓である。
「んむ・・・二週間、朝の準備とかして下さい。私の事もちゃんと起こすんですよ?」
家事全般はそれなりにこなせるようになったものの、やはり朝は苦手な唯にとって、これ
は辛いペナルティーと言えよう。
モーニングコールなど毎朝の事で、それ自体は一向に構わないのだが、唯の為にはならな
いと梓は常々思っていた。
これは唯を想ってのペナルティーでもある。
だのに・・・

「んちゅ・・・ど、どうしよう、あずにゃん・・・」
「ふえ?」
「勝っても負けても、あむ・・・私、幸せだよ・・・」
「んん・・・へ?」
「あずにゃんと、んむ・・・2週間、ずっと一緒に居れるってことでしょ?
 あずにゃんの家が、ふぅ・・・いいかな?それともやっぱり私んち?んへへ」
「・・・・・・」
唯にとっては全くペナルティーになっていないようで、梓は呆れて閉口した。
負ける気満々ではないか。
しかしこのままではいけないと、梓は唇を離さないように気を付けながら、唯を小さく睨む。
「・・・本当に起きれるんですか?」
「ふえ?」
「私は起こしませんし、二人揃って遅刻なんて嫌ですよ?」
「ん、まーかせて。あずにゃんの為なら」
「朝ご飯の準備もするんですよ?」
「大丈夫だって。私も一人暮らし結構長いんだよ?」
「私が高3の時、ふむっ・・・ほぼ毎日唯先輩にモーニングコールしてましたけどね」
「うっ・・・」
「私より1時間早く起きて朝の準備をするなんて、本当にできますか?」
「ううっ・・・」
「あと、その間えっちは禁止にします」
「ええっなんで!?らぶらぶ新婚生活は!?」
「・・・一体どうやったらそんな解釈に辿りつくのか分かりませんけど、夜更かしなんか
したら、ん・・・唯先輩余計朝起きれなくなっちゃうでしょう?」
それに、もし毎日付き合わされでもしたらこちらの身が持たないと、梓は心の中で独りごちた。
無くはない話だと、今の唯の言葉からも察する事が出来る。
唯と触れ合う事は決して嫌ではなく、むしろ嬉しい事なのだが、少しは控えて欲しいと思
わなくもなかった。
こういった事にはもっと淡泊だと思っていたのに、全く以って予想外である。
体力がないくせに、あの元気は一体どこからくるのか。
性欲なんてあるのか謎だと、そう思っていた頃の自分が懐かしい。
10日間も無かったなんて、本当に稀だ。
梓の身体を考えて控えていると唯は以前言っていたが、梓にはとてもそうは思えなかった。
なら、唯が本気を出したら自分はどうなってしまうのかと、梓は小さく身震いする。
いつも流されてしまう自分も自分だけれど、少しは我慢を覚えるべきだ。
「ううっそれは、負けられないかも・・・」
そう言うと、唯は梓の頬を両手で包み込んだ。
「んむ!ふぅっ・・・」
「はむ・・・ん、気持ちーよ・・・あずにゃん・・・」
口付けが激しくなり、梓は一瞬息が詰まる。
まずい。と、心の隅で考えた。
意識と気持ちが、流される感覚。
唯はその隙を逃さず、今度はゆっくりと梓の下唇を舌でなぞり。
「んあっ」
声とともに空気を求めて開いたその口に舌を侵入させた。


カーテンの隙間から洩れる月明かりが、淡く二人を照らす。
そこから覗く月がとても綺麗で。

「ゆっ・・・い・・・」
「あずにゃん・・・」

梓はとうとう思考を手放すと、唯の背を抱きしめた。


お わ る


  • い、いちゃいちゃし過ぎだー!(ハナチッ -- (鯖猫) 2012-08-16 00:05:53
  • ヤバイ これぞ唯梓だ -- (名無しさん) 2012-11-17 10:20:38
  • 唯がんばれー!
梓もがんばれー! -- (あずにゃんラブ) 2013-01-07 03:11:12
  • やりすぎだろ…… -- (名無しさん) 2014-04-25 22:03:25
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最終更新:2012年08月15日 16:55