うだるような暑さの中、唯は背中にギターを背負い、肩にかけたカバンがずれ落ちるのを直しつつ、中野家に向かって歩いていた。
唯「……あづい」
まだまだ陽は高く、アスファルトはじりじりと熱を放っている。
夏期講習を終えていったん家に戻り、昼ご飯を食べた後、唯は憂に声をかけて再度出かけた。
梓と今日の訪問の約束はしていない。
憂から、梓は今日は家に居ないといけないらしく、そのため純と三人で出掛けるのが明日になった、と聞いていたので連絡しなくても大丈夫だろうと唯は考えていたからだ。
しかしあの真面目な後輩はきっと「連絡くらいして下さい」とか「何考えてるんですか」とか言うだろう。
それとも呆れた表情を浮かべてため息をつくだろうか。
まったく笑顔の彼女が想像出来ないというのに、唯はなんだかウキウキして、暑さも和らいだような気分で歩いていた。
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一方、そんな来訪者の存在を露も知らない梓はリビングのソファーでだれていた。
親に受け取りを頼まれて待っていた荷物はとっくに届けられていた。
夏休みの間預かっているとんちゃんの世話もすみ、課題は計画通りに進めているのでほぼ終わっている。
先程まで相棒のギターである”むったん”と遊んでいたが、省エネの一環で冷房をきっている居間は暑く、相棒はスタンドで静かに休憩していた。
暑い昼下がりに時間を持て余した梓は先程からため息ばかりついていた。
そんな梓の耳に玄関の呼び鈴が聞こえた。
梓「ん?荷物はもう来たけどな…」
一体何だろうかと梓は玄関に向かい、ドアの覗き穴から外をうかがった。
梓「えっ?」
なんとそこには部活の先輩がドアの前に立っているではないか。
梓は慌ててドアを開けた。
梓「唯先輩っ?!」
梓「な、なんでいるんですか?」
「えへへー。来ちゃった」てへぺろ
梓「笑ってごまかそうとしてもダメです。来るなら電話くらいして下さい!」
唯「ごめんね。くふふ」
梓「…何がおかしいんですか」
唯「あずにゃん、きっとそう言うんじゃないかなって思ってたから。ふふっ」
梓「むぅ。ところでホントにどうしたんですか?」
唯「はい!遊びに来ました!」
梓「いや、あなた受験生でしょう?」
唯「息抜きだよぅ!あずにゃん分も足りなくなってきたし!それに…」
梓「それに?」
梓「あ、あれはあの後電話で謝ってくれたじゃないですか」
唯「直接言いたかったの!」
梓「…そうですか。わざわざどうもです」
ふい、と梓は唯から顔をそらす。そんな梓の耳が少し赤くなっている事に唯は気付いた。
でもそこには触れずにガバッと梓に抱き着いた。
「というわけで、あずにゃん、あの時はごめんね」
梓「いえ、ホントにもういいですよ。って、急に抱き着いてきたら危ないじゃないですか!」
唯「あ、ごめんごめん」
梓「まあ来てしまったものは仕方ないですし、とりあえず中にどうぞ」
「わーい、お邪魔しまーす」
梓は唯をリビングへと案内した。
唯「あ、とんちゃん元気にしてた~?むったんも元気ー?ギー太と仲良くしててねえ」
唯は当たり前のようにスッポンモドキとギターに声をかけると、ギー太を丁寧にむったんの傍に置いた。
梓「ところで、ギー太以外に何を持ってきたんですか?」
唯「ふっふっふ。あずにゃん、よく気がついたね!」
梓「はい?」
唯「これが今日ここに来た最大の目的だよ!!」
梓「?」
唯「じゃじゃじゃじゃーん!!」
自分で効果音を言いながら唯はカバンの中から『ソレ』を取り出した。
梓「それって、ビニールプール、ですか?」
唯「いえす!ざっつらいとっ!」
梓「なんで英語…」
唯「えへへ、予備校の帰りに見かけてね、柄に一目惚れしちゃったんだよ~」
梓「なるほど、それでつい買ってしまったというわけですね」
唯「うん、結構お安かったし」
唯は畳まれている水色のビニールを拡げて梓に見せた。
唯「ほらほら、かわいいでしょ!」
梓「確かにかわいいです」
水色のビニール地にはウクレレを弾く黒い猫と、レイを首にかけてフラダンスしている茶色の犬、他にも椰子の木などのトロピカルなイラストがちりばめられている。
唯「ギター弾いてるネコさんがあずにゃんみたいでしょ?」
梓「…そうですかね」
唯「うん!これはもうあずにゃんに見せないと!って」
梓「ま、それは置いといてですね。たぶんこれギターじゃなくてウクレレです」
唯「えっ」
梓「というか、この犬は唯先輩みたいです」
唯「え。私、こんなイメージ?」
梓「はい。なんかふらふらしてる所が」
唯「あずにゃん何気にしどい…」
梓「ゴホン。で、一応聞きますけどこれをどうするつもりです?」
唯「もちろん膨らませるよ!」
梓「ウチでなくともよかったんじゃないでしょうか」
唯「もう、あずにゃんのいけず!」
梓「えぇ…だいたい、この大きさじゃさすがに泳げませんよ?」
唯「足でぱしゃぱしゃするだけで涼しくなると思います!」
梓「…わかりましたよ。それじゃ、膨らませましょうか」
唯「やったー!」
梓「三段ありますから交換ずつ膨らましましょう」
唯「じゃ、まず私から!」
ふんす!と意気込むと唯はビニールに息を吹込み始めた。
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唯「か、完成したぁ~」
梓「…お疲れ様です」
唯の持ってきたプールは直径130cm・高さ25cmと結構大きく、膨らませるのはなかなか大変だった。
梓も一段は手伝ったが、唯は自分が持ってきたからと頑張って二段膨らませた為、庭に面した縁側でもうぐったりしていた。
梓「唯先輩、麦茶どうぞ」
唯「あ~、あずにゃんありがと~」
麦茶を飲んで一息つく。
唯「あれ、そういえば曇ってきた?」
梓「そうみたいですね。…日焼けしなくて助かりますけど」
いつの間にやら空が雲に覆われていた。
そのお陰で日光はさえぎられているが、湿度は高くなったようで、通り雨でもきそうな雰囲気だ。
唯「日焼けにゃんもかわいいよ?」
梓「…」じとっ
唯「あ、あずにゃん。お水貯めよっか!お水!」
梓「…ちょっと待ってて下さい」
そう言って梓はホースを手に取った。
--ぽつ、ぽつ
梓「あー、雨降ってきちゃいましたね」
やはりというかついにというか、空を覆う薄暗い雲から小さな水滴が落ちてきた。
せっかくビニールプールが完成したのに、と梓は空を見上げた。
梓「唯先輩、どうしましょうか?」
唯「んー」
唯も空を見上げた。
どうせプールで遊べば多少なりとも濡れるだろう。それなら、雨で濡れたって大差ないんじゃないか。
そう考えた唯はおもむろに立ち上がるとプールのそばまで歩き出した。
唯「あずにゃん、雨のシャワーだよっ!」
梓「ちょ、唯先輩?」
唯「ちょうどいい温度で気持ちいいよ~」
唯は空に向かって手を広げている。
いったい目の前の先輩は何をしているのかと梓は呆れた。
しかし雨を受け止めながらくるくると回る唯は本当に楽しそうで、雨粒までキラキラ踊っているように見えた。
まったくこの人はいつもこうだ。
なんでも自分のペースにして周りを巻き込んでしまう。
梓は軽音部に入ったばかりの頃、それが嫌だった。
もっと真面目に練習してくれたらいいのに、と不満に思ってばかりだった。
しかしそのペースに巻き込まれる事がいつしかイヤではなくなっていた。
いつもと違う風景が見える事に気付いたからだ。
きっと一人では見ることが出来なかった、そんな景色。
そんな風に梓がぼんやりしているすきに、近づいてきた唯が梓の手をつかんで引いた。
唯「ほら、あずにゃんも!」
その台詞にあの祭の日がフラッシュバックする。
あの時は、手を出すのを一瞬ためらった。
しかし今はそんな間もなく梓は唯に雨の下へと引っぱり出された。
梓「わわっ」
唯「ほらね。気持ちいーでしょ?」
梓「…そう、ですね」
プールを膨らませてほてっていた身体をうつ雨はなかなか気持ちよかった。
手をつかんだまま、こちらをにっこりと笑顔をむける唯に梓も思わずつられて笑う。
あ、あずにゃん笑った。
さっきから呆れたり注意してばかりいた子がようやく笑った。
唯はそれが嬉しくて仕方なくますます笑っていると、梓に呼びかけられた。
「なあにー? わぷっ?!」
唯は驚いた。
梓がプールに貯まった雨水を手ですくって唯にかけてきたのだ。
まさか梓からこんなイタズラをされるとは思いもよらなかった。
「油断大敵ですよ!」
「やったな~!」
それから水の掛け合いが始まり、二人してきゃいきゃいと水しぶきをあげて遊んだ。
--ぼつぼつぼつっ!
--ざああああああ!!!
先程まで小さな雨だったのに、少し強くなってきたかと思うとあっという間にドシャ降りになった。
唯梓「「わわわ!」」
二人で慌てて軒下に戻る。
唯「ずぶ濡れだねぇ」
梓「雨のせいなのか掛け合いっこのせいかわかんないですけどね」
唯「もー、あずにゃんのせいだよぉ~」
梓「先輩が雨のシャワーとか言い出したのがいけないんですぅー」
唯「ふふっ」
梓「あはは」
二人で顔を見合わせて笑いあった。
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雨と水の掛け合いでずぶ濡れになってしまったのでお風呂に入ろうという事になったのだが、唯も梓もお互いに先に入ろうとしないため、折衷案として結局二人一緒に入ることとなった。
そうして、いざ風呂に入ろうという時に、梓は唯の着替えを忘れていたことに気付いた。
梓「先輩、そういえば着替え…!」
唯「あ、大丈夫だよ。憂がね、念のため着替え持っといたらいいよって言ってくれたから、ちゃんと準備してあるんだ~」
梓「それなら、よかったです」
…さすが憂。本当に気の利く妹だ。
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梓「はい、唯先輩。アイスです」
唯「わーい!スイカバーだ。ありがとー!」
風呂に入ったあと、庭のプールを見ながら二人で並んで座る。
雨はまだ少し落ちていた。
梓「はい、なんでしょう?」
唯「これ、あずにゃんのとこに置いといていいかな?」
梓「ウチにですか?」
唯「うん」
梓「…まあ、いいんじゃないですかね」
唯「えへっ、ありがとう~」
梓「ただしっ!」
唯「はいっ?!」
梓「今度くる時はちゃんと連絡してからにして下さい」
唯「あぅぅ、ごめんよぉ」
梓「…でないと、膨らませたり準備するのに時間がかかるじゃないですか」
唯「あ、あずにゃん!!」
唯はぱあっと満面の笑みを咲かせると、梓に抱き着く。
唯「あ、そうだ。憂達とも使っていいからね!」
梓「いや、それは遠慮しときます」
唯「ええ~」
梓「たぶん純がこれで我慢出来なくて『やっぱ大きいプール行く!』とか言うと思いますので」
唯「あー、純ちゃん言いそうだねぇ」
梓「はい。ですからこれは唯先輩の夕涼み用にしときます」
唯「…あずにゃ!」ぎゅううう
梓「もう、暑いから離れてください」
唯「ああん、あずにゃあぁん」
梓「変な声出すのやめて下さいよ…」
そんなこんなでじゃれあっているうちに、雨はきれいさっぱりやんでいた。
もう夕焼けはほとんど消えて反対側からはうっすらと星が姿をあらわしてきている。
梓「唯先輩、そろそろ帰らないと憂が心配しますよ?」
唯「うん。あずにゃん、今日はありがとね」
梓「え、私は別になにも」
唯「えへへ。楽しかったよ」
梓「…気分転換になったのなら何よりです」
唯「じゃあね。えっと、今度はちゃんと連絡するから」
梓「はい。遅くとも『今から向かう』くらいはお願いします」
唯「手土産はアイスでいーかな?」
梓「それはお任せします。プールの準備はしておきますから」
唯「うふふ。いつ来ようかな~」
梓「先輩は受験生なんですから、あくまで休憩にして下さいよ?」
唯「…はーい」
梓「では」
唯「うん。じゃーね、あずにゃん。ばいばーい!」
梓「さようなら、唯先輩。また今度です」
そうして唯はギー太を背負い帰路につき、梓はプールを片付けに庭へと向かう。
唯は、自身が発するいつもと違う石鹸の匂いから今日の梓宅での出来事を思い出してにこにこしていた。
次はいつ行こう、あまり早くては真面目な後輩に怒られるだろうか。水鉄砲もいいかも。
梓もプールの空気を抜きながら、唯の行動を思い出してやれやれとなりつつもその表情は柔らかだった。
次に先輩が来るまでに、空気入れを買っておこう。そうだ、ギー太も持ってきてもらおう。練習も出来るかもしれないし。
なんて二者二様の考えだったけれど、同じ願いがひとつだけ。
「「この次は晴れますように!」」
おしまい!
- 任せろ!!晴れるぜ!! -- (あずにゃんラブ) 2012-12-29 17:03:01
最終更新:2012年09月11日 05:59