『遊びに来ない?』と
あずにゃんを家に誘ったのは昨日のこと。
練習に特化するつもりはなかったけど、あずにゃんは何の疑問も持たずに相棒のムスタングを連れて私の家にやってきた。
となれば私も腕は敵わないけど、あずにゃんと同じギタリスト。
あずにゃんと私、そしてお互いのパートナー、ムスタングとギー太の四人で音楽に花を咲かせる。う~ん、ミュージシャンやってるな、私。
盛り上がってるこの勢いに任せて、私は一つお願いをしてみることにした。
「
ねえ、あずにゃん」
「何ですか?」
「ちょっと歌ってみてくれない?」
「えっ?」
突然の提案にあずにゃんは驚きの声をあげる。
「あの、私、唯先輩や澪先輩みたいに上手じゃありませんし……」
「あずにゃんなら大丈夫!」
戸惑うあずにゃんの背中を押そうと私は親指を突き立てながら大声で何の根拠もない太鼓判を押す。
「何ですかその自信は?」
「あずにゃんなら大丈夫!」
リプレイVTRのように私は同じ方法で再び太鼓判を押す。ついさっき根拠がないと言ったけどあれは間違い。根拠は……、あずにゃんだから、かな。
「フフ、分かりました。でも笑わないでくださいね。では……」
私の強引な押しに少し呆れながらあずにゃんはスッと息を吸う。直後、私の部屋に満たされるあずにゃんの歌声。
私のためだけに、あずにゃんによって生み出される『ふわふわ時間』
それは今まで何度も聞き、歌ってきた『ふわふわ時間』とはまったく違う表情を見せていた。
澪ちゃんのとも、もちろん私のとも違う。どう言えばいいのか、上手く表現する言葉が出てこないけど、とにかくその歌声は『あずにゃん』だった。
「……ふぅ、どうでしたか?」
「……」
あずにゃんが感想を求めてきたことに気づかないほど、私は『あずにゃん』に聞き惚れてしまっていた。
「やっぱり……、おかしかったですよね」
あずにゃんの落ちこんだ一言が私を至福の時間から現実に引き戻す。
「ううんううん、全然おかしくなんかなかったよ。上手で、すごくて、なんていうか……、そう! あずにゃんって感じだったよ」
心からの賛辞の言葉を送りたいのに小学生みたいな感想しか出てこない。改めて自分のボキャブラリーの無さを恨みたくなる。
「ありがとうございます。『あずにゃんって感じ』ですか。私らしさを感じてもらえたのなら、嬉しいです」
こんな拙い褒め言葉でも、あずにゃんは喜んでくれているみたいだった。
「これなら私たちが卒業しても、軽音部のボーカルは問題なさそうだね」
私は何の気なしに桜高軽音部の次期ボーカルの誕生を祝ったつもりだった。
だけど、この一言であずにゃんは表情を曇らせ顔を伏せてしまった。
◆ ◆ ◆
『いやー、やっぱみんなと音を合わせるって楽しいな。もう学校に来るのはこれが目的になっちゃってるもんな』
『何を急に恥ずかしいセリフ言ってんだ?まあ、確かに楽しいけどな。でも普段から勉強もしっかりしろよ。
試験の時に泣きつかれるのはもうこりごりだし、それにもう受験生なんだからな』
『そうだよなあ、受験かあ。やだなあ、やりたくないなあ』
『なら留年するか?』
『なるほど、そうすれば受験なんかしないで……』
『コラコラ』
澪先輩と律先輩の夫婦漫才のような会話に音楽室が笑いで包まれる。それはいつも通りの光景だった。……私の心を除いて。
――ああ、そっか。先輩たち、卒業しちゃうんだよね。
それはよく考えたら、ううん、よく考えなくても分かりきっていたこと。
きっと考えたくないことだったから、無意識に考えないように頭と心が働いていたんだと思う。
そのことに気づいてしまった私に一つの疑問が生まれた。
――先輩たちが卒業したら『放課後ティータイム』はどうなってしまうんだろう。
もちろん先輩たちの卒業イコール解散でないことは分かっている。
だけど、そうはいっても高校生と大学生。『放課後ティータイム』として活動できる頻度はどうしても減ってしまうだろう。
そして、そのまま自然消滅してしまうんじゃないか。
私がこの軽音部に入るきっかけであり、今ではすっかり心の拠り所となっている『放課後ティータイム』が無くなるなんて考えたくない。
そんなことはあるわけないと信じたい自分と、でももしかしたらと考えてしまう自分による勝敗のつかない喧嘩が頭の中で繰り広げられる。
それが嫌で、怖くて、今まで考えることを避けてきたけど……。
「どうしたの、あずにゃん?」
下を向き、黙り込んでいた私を唯先輩が覗き込む。と同時に唯先輩の顔は心配から驚きへと変わってしまった。
「何でもないです……ってのはもう通用しませんね」
私の目が少しだけ、いつもより潤んでいたのを唯先輩は見逃してはくれなかった。
◆ ◆ ◆
あずにゃんが突然見せた表情に私はすっかり困惑してしまった。
あずにゃんの潤んだ瞳も可愛いよ、なんて冗談を言える雰囲気だと良かったんだけど、とてもそんな状況じゃないことは私でも分かった。
私何か地雷踏んだ? 必死に自分の言動を思い返していると、あずにゃんは涙の理由を話してくれた。
ある意味地雷だったみたいだけど傷つけたわけではなかったことにまずは胸をなでおろした。
でも、そのあと私たちを待っていたのは沈黙の時間。
さすがに私も人の悩みを聞いたのにそれを無視してペラペラおしゃべりするほど鈍感じゃない。
でも、その間ただボケーっとしているほどおバカさんでもない。
普段先輩らしい行動なんて何もできていない私なんかにあずにゃんは悩みを打ち明けてくれたんだ。だから、少しでもあずにゃんの力にならなくちゃ。
「ねえあずにゃん、『運命の赤い糸』って知ってる?」
いくらなんでも突拍子のなさすぎる沈黙の破り方だけど、この時の私に上手な話題の切り出し方まで考えるゆとりはなかった。
あずにゃんのために何かしてあげなきゃ、その一心が私の口を動かした。
「え? あ、はい、知ってます。見えない赤い糸で運命の相手と結ばれてる、って話ですよね」
あずにゃんはどうして私が突然『赤い糸』の話をし出したのか、全く理解できないようだった。
まあ確かに何の脈絡もなしに『赤い糸』の話をされたらそうなるよね。あずにゃんの反応は間違ってないよ。
「私はその赤い糸ってホントにあると思うんだ。
自分でいうのもなんだけどさ、高校生になるまで私ってなんとなーく生きてきた。
ホントにこのまま気づいたらオトナになっちゃうのかなって感じでいたんだ。
でも、りっちゃんや澪ちゃん、ムギちゃん、それにあずにゃんとの出会いがそれを変えてくれた。
私に音楽、そしてみんなと音を合わせる楽しみを教えてくれた。何かに打ち込む、これぞ青春街道まっしぐらって感じにしてくれたんだ。
でもよく考えたらこれってすごく不思議だよね。だって私って最初は軽音部に
勘違いで入ったんだよ。
軽い音楽って書くぐらいだからカスタネットでもやるんだろうなー、って。
でもよくよく聞いてみたらみんなが求めてたのはギターを弾く人。私には無理って最初は辞めるつもりだったんだ。
だけど今はあずにゃんも知ってるとおり私はこうやって軽音部を続けてる。ギターの腕はまだまだだけど、とっても楽しいよ。
それに澪ちゃんは最初文芸部志望だったみたいだし、ムギちゃんは合唱部に入るつもりだったんだって。
それなのに何故かそんなみんなが集まって廃部寸前だった軽音部として活動することになったんだよ。
これは私たちが見えない何かで繋がってたとしか思えないんだ。
それを運命の赤い糸って言っていいのかはわからないけど、私はそう思うんだ」
私は私の言葉で一生懸命に思いを伝える。あずにゃんは、ずっと何も言わずに話を聞いてくれていた。
◆ ◆ ◆
「あずにゃんはそんな私たちの演奏を聴いてくれて軽音部に入ることを考えてくれたんだよね」
「はい、そうです」
今まで語りかけるように話していた唯先輩の急な問いかけに少し驚きながら私は首を縦に振る。
「でも、あずにゃんは一時期悩んでたんだよね。このままこの軽音部にいていいのかな、って」
「……はい」
あのときの私はなかなか出ない答えを求め苦しんでいた、まさに今のように。
「でもあずにゃんは私たちのところに戻ってきてくれた。この学校ってさ、音楽系のクラブにもいろんな種類があるんだよね。
あのときあずにゃんがもし私たちの演奏を聴いてくれてなかったら他のクラブに入ってたかもしれない。
音楽ができるのは何も部活だけじゃないから、どこかで違うバンドのメンバーとして活躍することになってたのかもしれない。
それはそれで違う人たちとの出会いがあったんだろうけどさ、いろんな選択肢があった中であずにゃんはこの軽音部を、私たちを選んでくれた。
あずにゃんは悩んで悩んでこの答えを出したんだと思うから、『運命』の一言で済ましちゃうと怒るかもしれない。
だけど私は思うんだ。きっとあずにゃんとも運命の赤い糸で、ううん、糸なんかよりもっと固いもので私たちと結ばれてたんだって。
そうだねぇ、ワイヤーとか? 鎖かもしれないね。とにかくそんな見えない何かで繋がってる私たちだよ、きっと、絶対大丈夫。
確かに卒業しちゃったら今までみたいにってわけにはいかなくなると思うし、大学で別のバンドに入って活動するかもしれない。
だけど私たちはずっとずーっと『放課後ティータイム』だよ」
唯先輩はいつものほわほわした様子からは全く想像できない語り口で、でも唯先輩らしい答えで、私の悩みをいとも簡単に吹き飛ばしてくれた。
そうですよね、私たちなら、私たちだから、大丈夫ですよね。
「ありがとうございます。私の悩みなんかちっぽけで杞憂だったんだって分かって安心しました。
『運命の赤い糸で結ばれてるから大丈夫』ですか。唯先輩って感じの答えですね」
「どういたしまして。『唯先輩って感じ』かあ。私の言葉で気持ちを伝えたかったからね、私らしさを感じてくれたなら、嬉しいよ」
意識的なのか、それとも偶然なのか、唯先輩の返事は数分前に私が唯先輩に返した言葉をなぞった形だった。
「それに来年、私たちがいなくなったこの軽音部にきっと新しい人が入ってくれるはず。あずにゃんはその子たちとも赤い糸で結ばれてるんだよ。
だからあずにゃんも、その繋がりを大事にして、この学校にいる間は桜高軽音部としての活動をしっかりやってほしいな。
消えかけてた軽音部の火をせっかく私たちが復活させたんだからさ。
あずにゃんももちろん『放課後ティータイム』のメンバーだけど、同時に桜高軽音部の部長になるんだから。
来年は一人でのスタートになるからいろいろ大変だと思うけど頑張ってね、次期軽音部部長さん。
もし一人のままだとあずにゃん、さわちゃんの着せ替え人形として高校三年生を送ることになっちゃうよ」
「そ、それは嫌です」
そんな
思い出はできれば作りたくない。あの衣装、着たら着たで結構楽しかったりするけど、それは是非違う人に担当してほしい。
ああいうのはたまに着るからいい……んだと思う。この考え方もこの軽音部、というよりあの先生に慣れてしまったからなのかな。
やっぱり私は身も心も軽音部に、『放課後ティータイム』に染まっちゃってるんだな。こんなことで再認識することになるとは思わなかったけど。
「じゃあ誰か新しい人を用意してさわちゃんを満足させないとね」
「何か人身御供にしてる気がして、いい気はしませんけど……。そうですね、頑張って部員を増やしてみせます」
「その意気だよ。でも、その前にまずは学園祭に向けて頑張ろう!
私たちにとっては最後の学園祭だし、そこでカッコいいとこ見せられたら今からでも誰か入ってくれるかもしれないよ」
「そうですね、頑張りましょう。では早速練習再開しましょうか」
学園祭という目標へ、そして先輩が卒業を迎えるそのときまで、この一瞬一瞬を大事にしよう。
新たな決意を胸に私はパートナーのムスタングを構えた。
◆ ◆ ◆
おまけ!
練習終了後……
「あの~、ところであずにゃん」
「何ですか?」
「『ヒトミゴクウ』って、何? 目が孫悟空みたいってこと? じゃあ、さっきのあずにゃんは『ヒトミチワワ』?」
「意味知らないで話進めてたんですか。確かに話の中でそんなに重要な単語ではなかったですけど。それに何ですか、『ヒトミチワワ』って?」
「さっきのあずにゃんもチワワもどっちも目がウルウルしてるから」
「……なかなかうまいこと言いますね」
おわり!
最終更新:2010年06月09日 20:27