楽しい日々はいつか終わりが来る。
ついに軽音部の先輩たちがこの学校から旅立つ日がやってきた。

先輩たちが桜高軽音部として迎えたいつもより長めの最後のティータイムを終え、私たちは家路についた。
いくら特別な日とはいえ帰る家は変わるわけがなく、最後にはいつもどおり、唯先輩と二人で帰り道を歩く形になった。

あずにゃん、少し話、いいかな?」
「いいですよ」
「それじゃ、あの河川敷行こっか」

唯先輩の誘いに乗り、私たちはあの、演芸大会の練習をした河川敷へと向かった。
あのときと同じように河原に向かって腰を下ろす。
春が近付いているとはいえ水辺ということもあってか少し肌寒かった。
会話の口火を切ったのは唯先輩だった。

「懐かしいね、演芸大会。あのときはあずにゃんが協力してくれるって言ってくれて、嬉しかったな」
「そんな、私はほとんど何もしてないですよ」
「ううん、あずにゃんが一緒にやってくれたから私も頑張れたんだ。あずにゃんは私の心の支えだよ」

すると唯先輩は不意に顔を伏せ、何か思いつめたような表情を見せた。

ねえ、あずにゃん。聞いてほしいことがあるんだ」
「何ですか?」
「驚かないで聞いてね」

そう言って顔を上げたかと思うと唯先輩は立ち上がり私と対峙した。

「言わないでおこうとも考えたんだけど、やっぱり言うことにしたんだ。私自身にウソはつきたくなかったから」

唯先輩が少し震えている。
その原因が寒さだけじゃないことは唯先輩から漂う雰囲気から明白だった。
そんないつもとは違う唯先輩が吐露したのは私への偽らざる胸のうちだった。

「私、あずにゃんのことが好き。友達としてでも、後輩としてでもなく、一人の女の子として。私の、恋人に、なってください」

突然の唯先輩の告白。
困惑しながらも、打ち明けられた想いへの正直な気持ちを伝えようと私は口を開いた。

「えと、私も唯先輩のことは大好きです。……ただ、唯先輩のことをそんなふうに考えたことがなくて……、あの……」
「……そっか」

とても短い、あきらめにも似た唯先輩のつぶやきが私の歯切れの悪い回答を遮った。

「私は、この気持ちを伝えられればよかったから。……ふう、スッキリした。ありがと、あずにゃん」

私はこのときの唯先輩の表情を一生忘れない。
今にももろく崩れてしまいそうな、とても悲しい笑顔を。
その痛ましさに耐えきれず、私はつい視線を逸らしてしまった。

「あずにゃん、これは夢、夢だったんだよ。何もなかった。だから、明日からはまた今までどおりの私たちに戻ろ?」
「……わかりました」
「よし、それじゃあ帰ろう。……さすがに今日は一人で帰ろっかな。じゃあね、あずにゃん」

唯先輩の別れの挨拶にも私は黙ったまま、遠ざかっていく唯先輩の足音が聞こえなくなるのをただただ待つことしかできなかった。

あのあと私はどうやって家に帰ったのか、はっきり覚えていない。
気づいたら私は制服を着替えることなく自室のベッドに横たわっていた。

その体勢のまま天井を眺めながら私は自分に言い聞かせた。
これでよかったんだ。
唯先輩は卒業という高揚感に浮かされてしまっていたんだ。
きっと明日になれば私たちはこれまでどおりに戻れるはず。
だらしなくて、でもふとした瞬間カッコよくて、かと思ったらあどけない笑顔を見せてくれて。
唯先輩とはそんな関係で、十分なんだ。
でも、それなら、どうして……

どうして涙が止まらないんだろう?

ゆいせんぱい……」

今日の自分を肯定しようとすればするほど、涙があふれてくる。
私は馬鹿だ、臆病だ。
唯先輩の覚悟を卒業の高揚感ということにして逃げただけじゃないか。

両目の涙を拭い、携帯電話を手に取る。
電話帳を開いて数回ボタンを押すと画面に表示される『唯センパイ』の文字。
覚悟を決めたはずなのに、たった5文字の言葉が私の指を止める。

ここで止まってちゃダメなんだ!

大きく深呼吸、腹をくくって通話ボタンを押す。
耳元のスピーカーから聞こえてくる接続中をしらせる電子音。
ワンコール、ツーコール……。

お願いです、出てください唯先輩。

『……あずにゃん?』

七回目のコールののち、聞こえてきた唯先輩の声は心なしか震えていたような気がした。

「すみません、今日のことがありながら電話してしまって」
『ううん、いいよ。だって何か用があったから電話してきたんだよね』

そうだ、伝えたいことが、伝えなきゃいけないことがあったから電話したんだ。

「はい、今日のことで伝えたいことがあります」

電話の向こうの唯先輩は何も言わない。
この沈黙を了としたと受け取った私は電話するに至るまでの経緯を話し始めた。

「あのとき私、『唯先輩のことをそんなふうに考えたことなかった』って言いましたよね。あれは本当でした。
 こんなこと言うのは失礼かもしれませんけど、唯先輩は私の近くにいるのが当たり前になってたっていうんでしょうか。
 気づけばいつもすぐそばにいてくれて、手を伸ばせば届くところにいてくれて。
 言葉は悪いですけどそれが私にとって『普通』になってたんです。
 『普通』だったから、そんなふうに考えたことがなかったんです。
 だけど、今日のことがあって、一人になって、改めて私のなかで唯先輩がどんなに大きな存在だったか気づいたんです。
 どんなに大切な存在だったか気づいたんです。
 あんなふうに言っといて、自分勝手だと思います。けなされても文句は言えません。だけど言わせてください。私……」

『待ってあずにゃん!』

それまで黙り込んでいた唯先輩の突然の叫び。
私はその気迫に押され口をつぐんでしまった。
私の沈黙を確認して、唯先輩は言葉を続けた。
それは一転、とても穏やかな口調だった。

『あずにゃんが何を言ってくれようとしてるかは私でもわかるよ。でもあずにゃん、一度冷静になって。きっとあずにゃんは私に対する申し訳なさから……』
「そんなんじゃないです!」

きっと今までで一番声を荒らげたのはこのときだろう。
それぐらい悔しかった、悲しかった
唯先輩にそう言われたことに、唯先輩をそう言わせるような状況にしてしまった自分に。

『……それじゃあ私、またあの場所で待ってるから。もう一度考えて、あずにゃんのその気持ちが本当だったら、来て』
「わかりました」

唯先輩が電話を切るなり、制服のまま部屋を飛び出した。
考えなおす必要なんかなかった。
この気持ちは絶対、間違ってなんかいないから。

月明かりと街灯が照らす道をひたすら走る。
制服は乱れ、息は荒くなり、汗は目に入る。
でもそんなのどうだっていい。
唯先輩への想い、それだけが私の足を動かしていた。

約束の場所に近付くとギターの音色が私の耳をくすぐった。
それは今まで幾度となく耳にしてきた、唯先輩の奏でる音だった。

「あ、あずにゃん」

気配を感じたのか、私から声をかける前に唯先輩は私のほうを振りかえった。
ただ、唯先輩に答えようにも私は呼吸が乱れて声にならなかった。

「走ってきたんだね、息上がっちゃってるよ。おいで、隣座りなよ」

肩で息をする私に唯先輩は優しい声をかけてくれた。
促されるまま私は唯先輩の横に腰を下ろす。
夜の風は夕方よりさらに冷たく、おかげで汗もすぐにひき、息も早々に整った。
落ち着きを取り戻したところで、私から話を始めた。

「唯先輩、今日はすみませんでした。あんな思いさせてしまって」
「ううん、仕方ないよ。私は覚悟を決める時間があったけど、あずにゃんにとってはいきなりのことだったんだもんね」

お互い会話するも見つめる先は月の光がきらめく川の水面。
私は唯先輩と視線を合わせる勇気をまだ振り絞れてはいなかった。

「正直、驚きました。だけど、今日のことがあったから、私自身の気持ちに気づいたんです」

私は隣に座る唯先輩の手を握った。
唯先輩は一瞬戸惑っていたけど、すぐに強く握り返してくれた。
意を決して私は唯先輩へと視線を移動させた。
唯先輩もこちらに振り向き目をそらすことなく私を真正面から受け止めてくれた。
月明かりのおかげでしっかり見てとれたその優しく微笑む表情は、まるで私を勇気づけてくれているようだった。
そんな唯先輩に応えるように私は言葉を続けた。

「ずっと前から好きだったことに気づかせてくれてありがとうございます」

心情を口にすればするほどほど気持ちが高ぶり、そのせいかだんだん視界が潤んできた。

ダメだ、まだ泣いちゃいけない。

涙がこぼれる前に私は唯先輩にありったけの想いをぶつけた。

これからもずっと私のそばにいてください。私にとって特別な存在でいてください。私を好きで、いてください」

全てをさらけ出すと同時に私の頬を涙が伝う。
唯先輩はその雫を人差し指で拭ってくれた。
自分自身が泣いてるにも関わらず。

「うん。ずっとずっと、好きでいるよ」

数時間前とは全く違う、涙まじりの、でもとても喜びに満ちた笑顔で唯先輩は私の告白を受け入れてくれた。

「やっぱり唯先輩には周りまで明るくするような、そんな笑顔が一番似合います」
「そうだね」

そんな短いやりとりのあと、自然と私たちは唇を重ねた。
初めてのキスの味はレモンの味がするというけど、私のファーストキスはほんの少し、涙の味がした。

「えへへ、これが私のファーストキスだよ」
「私もですよ」

一度、手の届かないところにいきかけた唯先輩と、鼻がくっつきそうな距離で笑いあえている。
そんな近い距離で幸せを分かち合っている私たちの間で、祝福せんと二人を見続けている唯先輩愛用のギー太。
そういえば何で唯先輩はギー太を持ってきてたんだろう?

「ところで、どうしてギー太を持ってきたんですか?」
「あのとき、私がギー太を弾いてるところにあずにゃんが来てくれたよね。こうすればまたここに、あずにゃんが戻って来てくれると思って」
「……戻って来ましたよ、唯先輩」
「おかえり、あずにゃん」

月明かりの下、私たちは二度目の口づけを交わした。


おわり!


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最終更新:2010年07月13日 22:53