ペットボトルの水を二つのコップに注ぎ、一つをあずにゃんに渡した。
「ありがとうございます」
「どういたしまして。……ング……ング……プハァ~……ふぅ」
「唯先輩、その飲み方は女子高生として如何かと思うんですが」
「えぇ~、いいじゃ~ん。あずにゃんも喉渇いているんでしょ?」
「そりゃぁ、あれだけ歩けば喉だって渇きますけど……ング……ング……プハァ」
「ほらぁ~、あずにゃんだって一緒じゃない」
私がそう言うと、あずにゃんは恥ずかしそうに顔を赤らめて下を向いてしまった。
そんなあずにゃんの仕種に愛おしさを感じつつ、私は室内を見渡した。
大きなベッド……キングサイズって言うのかな?それとガラス張りのお風呂……ここから丸見えだよね……。
はぁ~、初めて見るけど、やっぱり……ラブホテルって……エッチな感じだなぁ~。

 ♪本当の自分♪ Part.A

「唯先輩!来週の金曜日にライブ見に行きませんか?」
いつものお茶の時間、いきなりあずにゃんがそんな事を聞いてきた。
「ほえ?ライブ?」
「はい!……って唯先輩、ほっぺにクリーム付いてますよ」
「えっ本当?……あずにゃ~ん、取って~」
「……自分でやって下さい。はい、鏡です」
ちぇー、取ってもらいたかったのになぁ~。
「んー、ここか」
指先でクリームを掬い、舐めとって、改めてあずにゃんに聞いた。
「んで、なんでライブ見に行くの?」
「父が知り合いからペアチケットをもらったんですが、その日は都合が悪いらしくって」
「それで梓がチケットを貰ったと。……でもさぁ、なんで唯なの?私……はまぁ置いといて、別に澪でも良いんじゃない?」
「置いとくなよ、軽音部部長」
「あっ!そうだっけ!?テヘッ!!」
「テヘッじゃないだろ!」
「あぃたぁっ!!」
……相変わらず仲良しさんだねぇ~。まぁ、あの二人はほって置いて……と。
「ねぇ、りっちゃんの台詞じゃないけどさぁ、なんで澪ちゃんとかじゃなくて『私』なの?」
……私なんかと行くよりも、他の人と行った方が楽しいんじゃないかなぁ~。
「いえ、このライブは『唯先輩』と一緒じゃないと意味が無いんです。……皆さんは『claydoll』って言うインディーズバンドをご存知ですか?」
その声を聞いて、じゃれ合ってた澪ちゃんとりっちゃん、それにムギちゃんまでも身を乗り出してきた。
みんな……しってる……の……?

「あぁ、知ってるぞ。雑誌にも何度か載っているしな」
「私も知ってるよん。確かツインギターのガールズバンドだよね」
「演奏が物凄く上手なのよね~。あ、だから梓ちゃん……」
「そうです、ムギ先輩。だから一緒に見に行くのが『唯先輩』じゃないと、意味が無いんです」
はぁ……そんな感じのバンドなんだ……。ん?ツインギターのガールズバンド!?
「それってさぁ、もしかして……私達と『一緒』って事?」
「唯ちゃん……もしかしなくても、そうだと思うんだけど……」
あぅ……ムギちゃんに突っ込まれたよ……。
「はっ!失礼致しました!ムギちゃん隊長!」
「唯隊員!以後気をつけるように!」
「はい!了解しました!」
私が敬礼をすると、みんなが笑ってくれた。
えへへ……楽しいなぁ~。
「ふふっ……全く、二人で何をやっているんですか?」
「えへへ、ごめんごめん……。んで、来週の金曜日だっけ?」
「はい、金曜日の七時です……ちょっと遠いんで、部活が終わったらその足で行く事になるんですけど……」
「わかった……、ちょっと待っててね、予定確認するから。何かあったかなぁ~」
鞄の中からスケジュール帳を取り出してっと、……あ……。
「どったの?唯」
「都合悪いのか?」
「うん……、その日はお父さんとお母さんが出掛けちゃって、憂と二人きりなんだよ……」
「そうなんですか……残念です……」
あぅ~、折角あずにゃんが誘ってくれてるのに……タイミング悪いなぁ~。……あ、そうだ!
「あずにゃん、明日まで待ってもらえる?ちょっと憂と相談してみるから」
「そんな……憂にも悪いですよ」
「いいっていいって~、そんなに気にしないでも~」
「そうですか?……わかりました、じゃぁ、明日まで待ちますね」
「ありがとね~」
それでは、帰ったら憂に相談してみますか!


「……という訳なんだけどね……、憂はどうする?」
晩御飯を食べ終わり、お風呂から上がったところで憂にライブの事を相談した。
「うーん……。ねぇ、お姉ちゃんはどうしたいの?」
「……私は……出来ることなら、行きたいなぁって思ってるんだけど……」
「そうなの?わかった、ちょっと待っててね」
そう言うと、憂は携帯をいじりはじめた。……メールでもしてるのかな?
「誰かにメールしてるの?」
「……うん……『構わないかな』っと……。純ちゃんにちょっと聞いてみようかなぁって」
「純ちゃんに?一体何を?」
そんな、憂だけでも申し訳ないのに、純ちゃんまで巻き込んじゃ……。
「えっとね、丁度その日はお父さんもお母さんも居ないでしょ……あ、返事だ」
メールを読んだ憂は、少し何か考えて、返事を打ちはじめた。
「居ないから、どうしたの?」
私はその続きが聞きたくて、思わず憂に聞いた。
「……あのね……『ハヤシライスで良い?』……よし、送信っと……今日、純ちゃんと話してたら、その日は向こうの両親も居ないんだって」
「へぇ~。珍しいねぇ、どっちも親が居ないなんて」
「うん。だからね、どっちかの家に泊まらないかって話してたの」
そこまで話した所で、メールの返信が来たみたい。憂が笑顔で画面を見せてくれた。
「『ハヤシライス!オッケーだよ!!楽しみに待ってるからね~!!』……という事は、憂が純ちゃんの家に泊まるって事?」
「うん。さっきの話しだとライブハウス遠いみたいだから、お姉ちゃんと梓ちゃんは外で食べて帰るでしょ。なら、丁度良いかなって思って」
「あ~、そうだね~」
「晩御飯を一緒に作る事になってたから、今ついでにメニューも決めちゃった」
「成る程……。んじゃ、私はあずにゃんとお泊りしようかなぁ~」
「良いんじゃない?なんならウチに泊まってもらえれば、梓ちゃんも安心出来るんじゃないかなぁ~」
「……?どうして?」
なんで安心出来るんだろ?
「んーと……、お姉ちゃん、梓ちゃんの家でくつろぐのと、自宅でくつろぐのと、どっちが良い?」
「そりゃぁ、自宅に決まってるじゃん」
「じゃぁ、梓ちゃんは、お姉ちゃんが緊張してる姿を見るのと、リラックスしてる姿を見るの、どっちが好きだと思う?」
えぇ~?どっちかなぁ~?
「……そんなの、わかんないよ……」
「あのね、お姉ちゃん。梓ちゃんは、リラックスしてるお姉ちゃんを見ている方が好きだと思うよ。だから……ね」
「はぁ……」
……憂が言うんだから、間違いは無いと思うんだけど……実際そうなのかなぁ?
まぁいいや。取り敢えず、あずにゃんとライブに行くことは出来るみたいだし。明日、朝一番に教えてあげよーっと。


ふわぁ~……。
「かっこよかったねぇ~」
「そうですね!私も雑誌の記事でしか知らなかったので、あんなにも凄いバンドだとは思いませんでした!」
あずにゃん……嬉しそうだなぁ~。
「あずにゃん……ライブの間、ギターの人の事ずっと見てたでしょ」
「そ、それは……。唯先輩だって、そうでしたよ」
「えへへ、ばれたか」
実際、みんなから聞いていた以上に物凄い迫力で、気が付いたらライブが終了していたって感じだった。

「……ところでさぁ、晩御飯、どこで食べよっか?」
「えっと、私は特にこだわりませんけど……」
うーん……、ハンバーガーじゃぁつまらないし……だからといって、ギターを背負ったままラーメンってのも……ねぇ。
私がウダウダと考えていると、あずにゃんが一軒のファミレスを見つけた。
「あ、唯先輩、あそこなんてどうですか?」
ファミレスかぁ……ん?おぉ!そうか!!
「あずにゃん……でかした!」
「へっ!?私、何かしましたか?」
あずにゃんはキョトンとした顔をしてる……当たり前か、いきなり「でかした」なんて言われて喜ぶ人なんて、あんまりいないよねぇ~。
「うん!!あずにゃんがファミレスを見つけてくれたので、晩御飯のメニューを思い出したんだよ!」
「……晩御飯の、メニュー、ですか?」
「うん!今日、憂と純ちゃんお泊りしてるでしょ?」
「ええ、そう言ってましたね」
「それでね、今日は二人でハヤシライス作るって言ってたんだ~。だ・か・ら」
「晩御飯はファミレスでハヤシライスを食べる……と」
「いえーす!!」
さっすがあずにゃん、相変わらず鋭いねぇ~。
「で、どうかな?」
「ハヤシライスですか?良いですよ。てゆーか、お腹ペコペコです……」
「そだね……私もだよ……」
はぁ……さっさとファミレス入るとしますかぁ~。


「こちらの席へどうぞ~」
……うぅぅ……お腹空いた……。
「唯先輩……なんでこんなにも混んでるんですかね……」
お店に入ると、物凄い人が空席き待ちをしていた。
予約表に名前を書いて、メニューの確認なんかをして待ってたんだけど……。
「まさか、30分も待たされるとは思わなかったね……」
お腹と背中がくっつくのって、こんな感じなのかなぁ~。
「取り敢えず、さっさと注文しちゃいましょう」
「……そだね~。ハヤシライスのサラダ・ドリンクセット……で良い?」
「はい、それで構いません」
「……じゃぁ後はデザートだね~。な・に・が・あ・る・か・な~。あ、あずにゃんも選んでいいよぉ~」
「……いえ、私は、無しで……」
「遠慮なんかしなくていいよぉ~。なんなら、デザート位おごってあげるよ!」
「えっ!ホントですか!?……あ、でも、悪いですよ……」
「心配ご無用!お母さんが『晩御飯代』って言ってお金渡してくれたから」
「そうなんですか?」
「うん!だ・か・ら~、好きなの選んで良いよっ!」
「あ、ありがとうございます……えっと……じゃぁ……」
メニューとにらめっこしてるあずにゃんもかわいいなぁ~……ん?
よく見ると、あずにゃんの視線は一つの商品に向けられていた。……ふむ。
「あずにゃん、決まった?」
「あ、は、はい。えっと、バ……じゃなくて、このチョコケーキにします」
「じゃぁ私はイチゴショートにしよ~っと。じゃぁ呼ぶよぉ~」

「お待たせ致しました。ご注文はお決まりですか?」
「えーっと、ハヤシライスのサラダセットを二つ、それと~、イチゴショートとバナナパフェを一つづつでお願いしま~す」
「えっ!?」
ふふっ、あずにゃんが驚いた顔してるけど、取り敢えず置いといてっと。
「ご注文を繰り返します。ハヤシライス……サラダのセットがお二つ、イチゴショートとバナナパフェがお一つづつ……以上でよろしいですか?」
「は~い、よろしいで~す」
「では、失礼致します」
一礼して厨房の方へ向かうウェイターさんを何気なく見送っていたら、あずにゃんが小声で話してきた。
「唯先輩……私、チョコケーキって言いましたよね?」
「そう言ったねぇ~」
「じゃぁ、なんでバナナパフェを注文したんですか!?」
えー、だって、ねぇ……。
「あずにゃん……、デザートを値段で選んじゃダメだよ」
……はぁっ!?な、なんの事ですかぁっ?」
「ふっふ~ん。私を見くびっては困りますなぁ~あずにゃん君」
「なんですか、その『あずにゃん君』って。随分と語呂が悪いですけど……もしかしてホームズの真似ですか?」
「ぴんぽ~ん……って、語呂が悪いなんて……酷いよ、あずにゃん……」
「事実じゃないですか。で、見くびっているって、なんの事ですか?」
「あずにゃん君……さっき君はデザートメニューを見ていたよね」
「……それで通すんですか……」
「あぅ……ダメ……?」
「ダメじゃ無いんですけど……なんか似合ってませんよ……」
そうかなぁ~。……んじゃ、普通に話すとしますか。
「あずにゃん、さっきメニュー見てた時にバナナパフェをずっと見てたでしょ?」
「えっ?あ、まぁ、そうですけど……」
「だからそれを食べたいのかな~って思ったんだよね……違うかな?」
「……いえ……違いません……」
「それと、値段も気にしたでしょ。パフェの方が百円位高いからって」
「にゃっ!……ゆ、唯先輩……なんで今日はそんなに鋭いんですかっ!?」
「ふっ……あずにゃんの事なら全てお見通しだよっ!……というのは冗談で~、あずにゃん、いっつも私達に遠慮してるでしょ」
私がそう言うと、「なんでわかるの」とでも言いたそうな顔で私を見つめた。
「そんな、遠慮なんかしなくて良いんだよ~。だって、あずにゃんは後輩で、私は先輩なんだから」
「で、ですけど……」
「いーの、それで。……それとも、私ってそんなにも信用出来ない?」
拗ねた振りをして上目遣いにあずにゃんを見ると、慌てて両手を振った。
「そ、そんなことありません!ただ、余り迷惑をかける訳にはいかないかな~って思って……」
「だから、迷惑なんかじゃ無いって~。私だけじゃないよ、みんなもそう思ってるよ」
「そう……なんですか?」
「そうだよ……。だから、あずにゃんはもっと甘えたりしても良いんだよ~」
「……でも、いきなりそんな事を言われても……」
流石にいきなり『甘えても良い』は言い過ぎたかな?うーんと……、そうだ!
「じゃぁさ、取り敢えず『私』には遠慮しないって所から始めてみない?」
「はぇっ!?い、今なんと!?」
「だから~、『私』には遠慮しないでって言ったの~。例えば……『今日は自分の好きなデザートをおごってもらうんだ!』って感じに……これなら、なんとか出来そうでしょ?」
「は、はぁ……。ま、まぁ、そうですね……。じゃ、じゃぁ……お願いします……」
「違うよぉ、そこは『ゴチになります!』って言わないと~」
「……それ言ったら、ここの会計全部唯先輩持ちになりますけど……良いんですか?」
「はっ!あぅ……、『デザートだけ、ゴチになります』でお願いします……」
「ふふっ……じゃぁ、唯先輩『デザートをゴチになります!』」
「うむっ!任せたまえっ!」


「はぁ~、美味しかったねぇ~」
「そうですねぇ~」
「デザートも、美味しかったねぇ~」
「はい~、ありがとうございますぅ~」
「どういたしましてぇ~」
うーん……多分二人とも顔がとろけてるんだろうなぁ~。でも、仕方ないよね~、それだけ美味しかったし……。
「ご飯も美味しかったし、あずにゃんとライブにも行けたし、今日はとても良い一日だったなぁ~」
「ホントですねぇ~」
「オマケに今日はあずにゃんが泊まってくれるしぃ~」
「はい~、ギターの練習が楽しみですぅ~」
「あずにゃ~ん、今日は寝かさないよぉ~」
「どんとこいです~。……って、その台詞は周りに誤解を与えますよぉ……」
私の言葉を聞いたあずにゃんは、顔を真っ赤にして俯いてしまった。
「冗談だよぉ~。んもぉ~かわいいなぁ~」
「もぉ……先行きますよっ!!」
そう言い残して、あずにゃんはスタスタと歩き始めた。
「あぁん、待ってよぉ~!!」
私も慌てて追いかける。……ちょっと悪ふざけが過ぎたかなぁ~


『……行き、ドアが閉まります。駆け込み乗車は危ないのでお止め下さい』
扉が音を立てて閉まり、電車がゆっくりと動き出した。
「さて……と、何個目で乗り換えだっけ?」
「えっと……七個目ですね。そこから乗り換えて大体三十分です」
「大体一時間かぁ~。今が九時半だから……」
「唯先輩の家に着くのは十一時前ですね……。すみません……こんなにも遅くなってしまって」
「気にしないから、大丈夫だよ~。それに今日は誰も居ないからねぇ」
「ですけど……」
「ほらほら、遠慮は要らないって言ったでしょ~。それに、別にあずにゃんのせいで晩御飯が遅くなった訳じゃないんだし」
「はぁ……まぁ、そうですけど……」
「だから、気にしないの。ねっ」
「はい……わかりました……」
あずにゃんはまだ何か言いたそうだけど、取り敢えずそのままにしておこうかな。
……下手に何か言ったらまた『遠慮』しちゃうしね……。


「それで憂がさぁ~……」
「え~、そうなんですか?」
他愛もないお喋りをしていると、乗り換え駅まで後四駅程となっていた。
「んーと、次の駅着いたら、あと三つだよね」
「んー、そうですね~」
「二人で話してるとあっという間だね~」
「ホントですね~……キャァッ!!」
『緊急停止します。お近くの吊り革等にお掴まり下さい』「あずにゃん危ない!!」
アナウンスが車内に響いて、急ブレーキがかけられた。
私は慌てて、バランスを崩して倒れそうになったあずにゃんを、間一髪の所で抱きしめらた。
「危なかったね~。……大丈夫?」
「はい……大丈夫……っ!!」
「どうしたの?何処か痛いの?」
「左足をちょっと……捻ったみたいです……」
「取り敢えず、私に掴まって。あんまり左足に体重かけちゃダメだよ」
「はい……ありがとうございます」
流石にこれは素直に応じてくれた。もう少し空いていれば捻った具合を確認出来るんだけどなぁ~。
むぅ……あんまり酷くなければ良いけど……。

『お客様にお知らせ致します。先程、この先の駅で人身事故が発生致しました。そのため、この電車は暫く停車致します。お客様には……』

車掌のアナウンスが流れると、あちこちでざわめく声が聞こえた。慌てて携帯電話を取り出し、何処かにかけている 人もいる。
「人身事故かぁ……すぐに動くと良いね……」
「そうですね……っ!」
「ほらほら、もっと私の方に体重かけないと」
そう言って、私はあずにゃんの右肩に手をかけ軽く抱き寄せた。
「は……はい……。あの……唯先輩……その……」
あずにゃんは顔を赤く染めて小声で続けた。
「……ちょっと……恥ずかしい……です……」
まぁ、気持ちはわかるけどさぁ……私だって少し恥ずかしいし……でもね。
「恥ずかしくっても我慢してよ……。あずにゃんの左足のためなんだから……ね」
「……わかりました……」
なんだから不満げだけど、取り敢えずこの状態を解こうとしてないから、まぁ良しとしておきますか~。

『お客様にお知らせ致します。先程発生した人身事故について、復旧までかなりの時間を要する見込みだそうです。お客様にはご迷惑おかけ致しますが、今暫くお待ち下さい』

かなりの時間か……。
「あずにゃん、大丈夫?痛みが酷くなったりしてない?」
「それほどは……」
「そう……なら良いんだけど」
腫れたりしていないか、後でちゃんと確認しないとね……。
……早く動かないかなぁ……。


『……次の駅まで運行致します。発車致しますのでお近くの吊り革等にお掴まり下さい』

電車が止まってから約二十分。アナウンスと共に再びゆっくりと動き出した。
「あずにゃん……取り敢えず、次の駅で降りて足の具合見るよ」
「いえ……大丈夫」
「じゃないよ。さっきからずっと辛そうな顔をしてるじゃん。全く……私の目はごまかせないよっ!」

流石にこの一言は効いたのか、あずにゃんは急に素直になって答えた。
「すみません……本当は余り良くありません。……さっきからなんだか熱を持っている感じなんです」
「やっぱり……」
さっきから時折痛みに耐えるような表情を見せていたから、もしやとは思っていたんだけど……。

程なくして電車は駅に到着した。幸いな事に私達が立っている方とは逆の扉が開いた。
『お客様にお知らせいたします。後続列車が駅間に停車中ですので、そちらのお客様を降車させる為に、この列車は当駅で回送となります。繰り返しお客様に……』
「だってさ。みんなが降りてからゆっくりと降りようか?」
「そう……ですね」
ホームは人で溢れてるし、急いで降りたらあずにゃんの足に負担がかかっちゃうもんね……。

暫く待っていたら、ホームの人も少なくなってきた。……それでもラッシュの時位居るけど……。
「そろそろいこっか?ギター貸して、持ってあげるから」
「ありがとうございます。……っ」
「ほらほら、気をつけなきゃダメだよ」
ギターを渡すときに、少しバランスを崩して左足に体重をかけちゃったみたいで、あずにゃんは少し顔をしかめた。
……取り敢えずベンチに座らせないとね。

「あずにゃん、ほら、そこ空いてるよ」
上手い具合に一つだけベンチが空いていたので、そこに座らせて足を診てみた。
「靴と靴下脱いで……うわ、腫れてきてるね……。ちょっと診てみるよ、痛かったら言ってね」
足を持ち、足首を少し捻ってみる。
「いたっ!」
「痛かった?ごめんね。……熱も持ってきてるね……。ちょっと待ってて、駅員さん呼んで来るから」
私はそう言い残して駅員さんを呼びに行った。医務室で湿布か何か貰えればいいなぁ~。

「すみませーん」
人の流れが途切れてきたので、手の空いている駅員さんがすぐに見つかった。
「はい。何でしょう?」
「あの……さっきの急ブレーキで友達が足を痛めちゃって……湿布か何か頂けますか?」
「足を痛めたのですか?そのお友達はどちらに?」
「あ、あそこのベンチに座ってます」
「わかりました。救急箱を持ってきますので、少々お待ち下さい」
「あ、じゃぁ私、友達の所で待ってますね」
「かしこまりました」
そう言うと、駅員さんは乗務員室に向かって行った。
……取り敢えず、一安心、かな?


「……これでどうかな?ちょっと足を動かしてみて」
「ん……まだちょっと痛いけど……大丈夫みたいです」
「そう?でも無茶はしないでね。うーん……残り二枚か……。あ、えーっと、ゆいちゃん……だっけ?」
「あ、はい。何ですか」
「この袋の中に後二枚だけ湿布が入っているから、もし、えーっと」
「梓ちゃんですか?」
「そう、あずさちゃんの足が痛むようなら、さっき僕がやったように貼ってもらえれば良いからね。一応四時間しか効果がないから」
「はい、わかりました」
「あとは……。あずさちゃん、もし明日の朝になっても強い痛みが残っているようなら、すぐに診察を受けてね」
「あ、はい」
ふぅ……湿布を貼って包帯で固定したから、暫くは大丈夫かな?でも、あんまりノンビリも出来ないよね
「あの……後どのくらいで電車動きますか?」
「そうだなぁ……ちょっと待ってて、救急箱置いてくるついでに状況確認してみるよ」
「あ、ありがとうございます」
私がお礼を言うと、駅員さんは軽く会釈をして走って行った。
「唯先輩、ありがとうございます」
「ん?お礼を言うのは私じゃなくて駅員さんでしょ?」
「まぁ、そうなんですけど……でも、呼んできてくれたのは唯先輩だし……」
「……そか。んじゃぁ、どういたしまして~。……で、実際の所、痛みはどうなの?嘘ついちゃダメだよ」
「あぁ、本当に少し痛いだけで、問題無いですよ。……立って体重をかけてないから、普通に歩けるかはわかりませんけど……」
「座って足浮かせてるしね~。まぁでも暫くは動きそうにないから、なるべく足を休ませておくんだよ」
「はーい」
体重をかけていないとは言え、確かにさっきよりは痛みが軽そうだな~。この感じなら、さっきみたいにしっかりと支えなくても大丈夫かな?

「お二人さん、お待たせ」
突然声をかけられてそちらを向くと、さっきの駅員さんが片手にマイクを持ってやって来た。
「えっとね、電車なんだけど、まだ当分動きそうに無い感じだね~」
「そうですか……」
「うん、事故は二つ先の駅で起こってるんだけど、どうも当人が車輌の下にいるらしくてね……『救助』に手間取っているみたいなんだ」
「じゃぁ、まだまだ……」
「かかりそうだね。……降りる駅はまだ先なのかな?」
「はい……三つ先の駅で乗り換えて、そこから……えっと……梓ちゃん、三十分位だっけ?」
「え?あぁ、はい。そうですよ」
「そうか……じゃぁ、もうすぐ後続列車が入って来るから、その中で待ってるのが良いかもね。さっき見たけどタクシーも待ってる人でごった返してたし」
「せんせー、タクシー代がありませーん」
私がおどけた口調で言うと、駅員さんもあずにゃんも笑ってくれた。
「はははっ、それもそうだよな。高校生の所持金じゃ家までは辛いよなぁ」
「えきいんさーん。なんとかなりませんかー?」
「なりません。あまり大人をからかわないよーに」
「はーい」
「お、丁度入線してきたぞ」
すると駅員さんはマイクを口元に持って行き、さっきまでと全然違う口調で話しはじめた。

『お客様にお知らせ致します。この列車、二駅先で発生した人身事故の救助活動が続いているため、当駅で停車致します。尚、復旧の目処はまだ立っておりません。繰り返し……』

電車のドアが開いて、中から人が溢れ出てきた。
あっという間にホームは人の海になった。
「おい!押すなよ!!」
「ちょっと!危ないでしょ!!」
あちこちからそんな怒声が聞こえてくる。
『ホーム上、大変混雑しております!。階段等なるべく譲り合っての利用をお願い致します!』
「駅員さんも大変だねぇ~」
「そうですね~」
そんな事を話していると、私達の方まで人の波が押し寄せてきた。
「ギター脇に避けとかないと危ないね」
私が二人のギターを邪魔にならない所に置いたその瞬間。
「高校生がこんな所に座ってんじゃねぇよ!!」
「きゃっ!!」
「あずにゃん危ない!!」
酔っ払いのキックがあずにゃんの怪我をした足にぶつかる寸前、私が何とか間に入った。
「いったーい!!!」
……うぅ……流石は『弁慶の泣き所』って言うだけあって、涙出る位痛いよぉ……。でも、泣いてる場合じゃ無いよね!
「ちょっと!!この子足を怪我してるんですよっ!!何で蹴るんですかっ!?」
「え……あ……いや……怪我してるなんて、わからなかったから……」
「わからなかったら蹴っても良いんですかっ!?怪我していない私ですらこんなに痛いのに、怪我してる所に当たったらどうなるかわからないんですかっ!?」
「う……あぁ……悪かった」
「『悪かった』で済む問題なんですか!?事故で電車が止まってイライラしているのはあなただけじゃないんですよっ!!」
私と酔っ払いが言い争うのを見て、周りから「どうしたの?」「なんだ?喧嘩か?」「まーた酔っ払いかよ」といった声が聞こえてきた。
「だから悪かったって……」
「だったらちゃんと謝って下さい!!少なくとも私はあなたに蹴られたんですよ!!」
むー!なんでごめんなさいの一言も言えないのかなぁっ!!
「どうしました?」
私達の声が聞こえたのか、乗客の誰かが教えたのかわからないけれど、さっきの駅員さんが来てくれた。
「あ、いや、なんでもないですよ。お嬢ちゃん、ごめんな」
「何でもなくないでしょう!!じゃぁさっき私を蹴ったのは何なんですか!?」
「そうなんですか?」
私の一言で、酔っ払いはいきなり怒りだした。
「あぁ?おぉそうだとも、俺はお前を蹴ったさ!だから何だってんだ!?勝手に間に入ってきただけだろうが!」
むっかぁー!!もーあったまきたよー!!!
「勝手に入ったって!!そうしないとこの子の怪我がもっと酷くなるでしょう!?間に入るのは当たり前じゃないですか!!」
「怪我だぁー?けっ!本当に怪我しているかどうか怪しいもんだ!怪我してるふりなんて誰でも出来るからな!!」
「いえ、怪我をされているのは本当ですよ。先程私が応急処置をしましたから」
「え、あ、そうなんですか?」
駅員さんの言葉で酔っ払いは急に態度を変えて大人しくなった。
「はい。車内で足を捻ったようなので、湿布を貼って包帯を巻きました」
「そうか、本当だったんだ。……済まない、いきなり蹴ったりして」
……何なの!?この急な態度の変わり様は。駅員さんだと信用出来て、私だと信用出来ないって事!?
「すみませんが、謝るだけでは足りません。……先程こちらのお客様が『私を蹴った』と言われましたが、本当なんですか?」
「ま、まぁ、蹴ったと言われれば……蹴ったのかな?」
「『蹴ったのかな』じゃなくて、思い切り『蹴った』んだと思うんですけど!」
「やかましい!だからお前が間に入らなきゃ」
「この子の怪我が酷くなってたって言ってるでしょ!」
「まぁまぁ、二人とも落ち着いて下さい。取り敢えず、事務所まで来ていただけますか」
「わかりました」
「はぁ!?なんでそんな所に行かなきゃならないんだよ!」
「先程も申し上げたように、こちらのお客様を蹴った事実がありますので、もう少し詳しく」
「そんなの話す必要はねぇだろ!!さっきこっちは謝ったんだ!それじゃ足りないのか!?」
「はい。まだ和解されていないので……」
「和解だぁ!?そんなのこっちが謝った時点で成立してるだろぅが!!」
「確かに、お客様は謝られましたが、こちらのお客様がそれを受け入れておりませんので」
「あぁ?んじゃ何か?俺がここで土下座でもすればいいってのか!?」
「いえ、そういう訳では……」
「おい!小娘!ちゃんと謝ればいいんだな!!」
……はぁ……もぉいいや……なんでこんな酔っ払い相手に喧嘩なんかしちゃったんだろ……。
「……別に良いよ、謝んなくても。もぅどうでもいいよ……」
すると酔っ払いは無言で私達に近寄ってきた。……なんか、物凄く怒った顔をしてるんですけど……。
「『別に良いよ』だと……!?だったらこんな手間とらせるんじゃねぇーよ!!!」
「きゃぁっっっ!!!」
「唯先輩!!!」
その怒声と共に、酔っ払いが私を殴ろうと拳を振り上げ、私目掛けて渾身の力で振り下ろされ……。

タグ:

+ タグ編集
  • タグ:
最終更新:2010年08月18日 00:09