♪本当の自分♪ Part.B

……あれ?痛くない。
恐怖で思わず閉じた瞼をゆっくり開くと……。
「なんだよ!離せよ!!」
警察っぽい制服を着た男の人が、酔っ払いの手を掴んでいた。
「鉄道警察隊です」
「あぁ!?警察が一体何のようだ!」
「先程から一部始終を見ていました。なので、傷害未遂の現行犯で逮捕します」
「な、なんだってー!!」
私達の目の前で、酔っ払いに手錠がかけられた。
あちこちから「あーあ、これだから酔っ払いは……」「怖いわねー」といった声が聞こえる。
……私達にあんな事をしたんだから、当然の報いってやつだよね!
すると、警察官さんは私達にも声をかけてきた。
「すみませんが、お二人も一緒に来ていただけますか?……詳しい事情を聞きたいので」
「え?あ、はい。……梓ちゃん、行けそう?」
「何とか。ゆっくりとなら……」
「あ、無理に急がなくても良いですよ。では、すみませんがお二人を詰め所まで案内していただけますか?」
「あ、はい。わかりました」
警察官さんは駅員さんにそう言うと、酔っ払いを連れて一足先に詰め所に向かっていった。
「大丈夫かい?ゆっくりで良いから僕達も行こうか」
「はい。……梓ちゃん、ちゃんと私に掴まってるんだよ」
「あ……はい、唯先輩」
あずにゃんが私の手に掴まり、ゆっくりと立ち上がって歩きだした。
「どぉ?痛くない?」
「あ、はい。さっきと比べるとほとんど痛みは有りませんね」
そっか~、良かった~。
「でも、無理は禁物だからね。ゆっくりで大丈夫だから、痛くなったらちゃんと私に言うんだよ」
「はい……」
そして、私はあずにゃんをしっかりと支えながら、駅員さんと一緒に詰め所に向かった。


「ご協力、ありがとうございました。……本当に送っていかなくても大丈夫かい?」
「あ、はい。ご近所さんに驚かれても困るので……」
「そう?じゃぁ、気をつけてね」
「はーい。……じゃぁ梓ちゃん、行こうか」
……まただ。
「あ、はい」
「どうだい?一人で歩けそうかな?」
「んー、……何とか……大丈夫な感じですね~。ゆっくりとなら、ですけど」
「まぁ、まだ動きそうにないからね。急ぐ必要もないし」
「まだ動かないんですかぁ?」
唯先輩がため息混じりに時計を見た。

現在時刻は午後十時五十分。
そして乗り換える路線の最終電車は午後十一時二十分発。
それ以降は全て四つ手前の駅止まりになってしまう。
乗り換え駅までは約七分。
階段を二階層分登るのに普通ならば約三分。
つまり……あと少なくとも二十分以内に動かないと間に合わなくなってしまう計算だ。

「終電に、間に合いますかね……」
「まぁ、それは『神のみぞ知る』ってやつだからね。僕達でも予想は全く出来ないし」
「そうですか……」
「早く動いてほしいよねぇ~」
「あ、でも今動き始めたら、君達はラッシュ以上の混み具合の中、『立ったまま』電車に乗車するって事になるけど……」
「あぅ……それだけはご勘弁を……。せめて、梓ちゃんだけでも座らせてあげてつかぁさい……」
……なんで……。
「でもまぁ、まだ大丈夫だと思うよ。とは言え今までの経験からすると……多分後五分ちょいで運転再開かな?」
「そんなのわかるんですか!?」
「まぁ、確実じゃ無いけどね。的中率は七割ってとこかな?」
「はぁー。駅員さんって、そんな特技を身につけてるんですね」
「特技って……まぁ、そう言われればそうかな?」
そんな事を話している間に、ホームに着いていた。
「お、あそこら辺が空いてそうだよ。……では、本日はご協力ありがとうございました。お気をつけてご帰宅下さい」
それまでのおどけた口調を一変させて、仕事口調で私達にお礼を言った。
「あ、いえ、私達も色々とご迷惑をおかけして申し訳ありませんでした。お陰で梓ちゃんの怪我を酷くせずにすみました。ありがとうございました」
「あ、ありがとうございました」
私も慌ててお礼を言った。
……唯先輩……どうして……。

車内に入ると、既に殆どの座席が埋まっていた。
……まぁ、明らかに一人で三人分のスペースを占領している酔っ払いもいるけど……、相手するのも面倒だし……。
「あ、あそこ空いてるよ」
唯先輩が指差す先には詰めて貰えれば座れそうなスペースがあった。
「良かったねぇ~、あずにゃ」
「ちょっと!そこのお二人さん!」
唯先輩が私に微笑みながら話しかけたその時、不意に車輌の少し離れた所から声が聞こえた。
『はいっ!?』
私達は思わず同時に声を上げた。声の先を見ると、ギターを抱えて座っている二人の女性が手招きをしている。
「あれ?あの二人って……」
「唯先輩、お知り合いですか?」
「知り合いって言うか……」
「ほらほら、そんな所に突っ立ってないでこっちに来なよ!」
私達が話していると、痺れを切らしたのか片方の女性がこちらに向かって歩きながらそんな事を言った。
意外に背が高いんだなぁ~。……ん?あれっ!?
「やっぱり……。『claydoll』のSayaさんですよね?」
唯先輩が言う通り、メイクをしていないから多少イメージが違うけれど、Sayaさんだった。
「あ、わかっちゃった?まぁ、とにかくこっち来て座んなよ。話しはそれからって事で」
Sayaさんはそう言って席の方へ歩き始めた。
「……唯先輩、行きましょうか?」
「……うん、そうしよっか……」
唯先輩に掴まりながら、Sayaさん達が座る席の方へと向かった。
……なんでここにいるんだろう……?

「ほら、ここなら私達が詰めれば二人座れるでしょ」
「はい、ありがとうございます」
「おっと、そっちのお下げの子は間に座んなよ。足を怪我してるんだろ?」
「あ、はい……」
私の右に唯先輩、左にSayaさん、その隣にはMiyuさんが座ってる。
うぅ……なんか、緊張しちゃうなぁ……。
「えっと……、すみません、少し質問しても構いませんか?」
「あぁ、良いよ。んーと、多分最初の質問は『なんでここに居るか』って事かな?」
「あ、それも有るんですけど……、何で私達に声をかけたんですか?」
「Saya、残念だったね~」
「別に良いじゃん。それも有るって言ってんだし。んで……あ、何で声をかけたかって事ね」
私と唯先輩は無言で頷いた。
「さっき二人共私達のライブ見てたでしょ?だからだよ」
「でも、他にも沢山のお客さんが居たのに、何でわかったんですか?」
唯先輩の言う通りだ。今日のライブは超満員と言ってもおかしくないくらいに人が多かったのに。
「最前列で、ギターを背負って、しかも高校の制服着てたら誰だって覚えるよ。実際、さっきの打ち上げでもあんた達の話題で盛り上がってたし」
「はぁ、そうだったんですか」
「女の子二人で、しかもギターを背負ってだから、私達と同じなのかなぁ~って、ずっとSayaと話してたんだよね~」
……意外に見られてるんだ……気付かなかったなぁ。
「で、次の質問はさっき私が言った事かな?」
「あ、はい」
「あんた達と同じだよ。帰る途中に事故に巻き込まれたってだけ。ついでにもひとつ。何で声をかけたかって言うと、キミ……えっと……」
「あ、中野梓です」
「梓ちゃんか。それと……」
「私は、平沢唯です。桜が丘高校三年です。あ、梓ちゃんは二年生です」
……。
「そっか。えぇっと……そうそう。唯ちゃんと酔っ払いが喧嘩してたでしょ。その時に色々と聞こえたからね、梓ちゃんが怪我してる事とか」
「はぁ……それで、私が怪我をしているのなら……」
「多分これから沢山の人が乗ってくるだろうから、間に合いそうなら私達で座席を確保しておこうかって、Sayaと話していたのよ」
「そーゆーこと。OK?」
「そうだったんですか……。すみません、梓ちゃんだけでなく私の席も確保して頂けたなんて……、ありがとうございます」
……なんで……私の事を……。
「そんな、かしこまらなくたって良いって。で?二人はバンドやってんの?」
「あ、はい。軽音部で活動してます。私がリズムギターで、唯先輩がリードギターです」
「あら、私達と同じなのね」
「はい。だから一度見に来たかったんです。今日は最前列で見られてとても幸せでした」
「そっか~。それは、私達にとっても光栄だな~。な、Miyu」
「そうね~。ガールズバンドでツインギターって、メジャーでもインディーズでも珍しい方だものね~」
「んで、実際見てどこら辺が気になった?」
「えっとですね……」

私達が話しに花を咲かせていると、アナウンスが流れてきた。
『お客様にお知らせ致します、先程お客様の救助活動が終了したとの連絡が入りました。間もなく運転再開致しますので、ご乗車になってお待ち下さい。くりかえし、……』
運転再開か……今、何時だろ……。
「十一時二分か……。あんた達、終電大丈夫なの?」
「一応は。……順調に駅まで進めばですけど……」
はぁ……間に合うかなぁ……。


十一時十四分か……、あと六分……。

運転再開した電車は、多少遅れながらも駅間に停車することなく進み、間もなく乗換駅に到着する。
「さてと……そろそろ降りる準備をしないといけないわね……。じゃぁ、私が荷物を持ってあげるわね」
「んじゃ、私はギターかな?ほら、貸しなよ。持ってあげるから」
「へ?あ、大丈夫ですよ、さっきもちゃんと二人分持って移動していましたから」
「さっきとは違うわよ~。人も多いし、多分ホームも凄い人だからね」
「梓ちゃんが怪我してるんだから、唯ちゃんはきちんと梓ちゃんを支える事!OK?」
「……そうですね、わかりました!」
「じゃぁ、行くわよ~。ちゃんと私の後ろをついて来てね~」
「Miyu……程々に、な」
程々……?何の事だろう?
Sayaさんに、その意味を聞こうとしたその時、電車がホームに到着した。
「はーい!降りる人はさっさと降りてねー!降りない人は邪魔にならないように上手く脇に寄ってねー!!」
……なっ!?
私は思わず唯先輩の顔を見た。予想通り目が点になっている。
「そんなこと言われなくたってそうするよ!当たり前だろ!!」
「はいはい!口を動かす前に足を動かす!!ほらそこ!割り込もうとしない!ちゃんと並んで降りなさい!!」
もし、これが私や唯先輩やSayaさんが言ったのなら、先程みたいに口論になっていたんだと思うんだけど……。
「ほら、怪我してる女の子が通るよ!ちゃんと道を空けなさい!!」
Miyuさんは一見すると『清楚なお嬢様』って感じの格好をしているからなのか、口答えする人も殆どなく、皆言われるままに動いている。
「Sayaさん……Miyuさんって……凄いんですね……」
思わず小声でSayaさんに話しかけた。
「あぁ……テンパってるとな……あんな感じになるんだよ……。全く、程々にって言ったのに……」
「はぁ……、テンパってるんですか……」
ホント……人って見かけによらないんだなぁ……。


「後二分!!」
Miyuさんの声に、痛む足をかばいつつ早足でホームへと向かう。
あの後、Miyuさんの先導で無事ホームに出る事は出来たけれど、ホーム上も人で溢れかえっていて、流石のMiyuさんでも人の波をコントロールする事は出来なかった。
「全く!!何でみんな自分の事しか考えないんだろうね!!ちゃんと順序よく動けば、もう少し位は混雑しないだろうに!!」
「Miyu……わかったから……取り敢えず落ち着こう。な」
そう言うSayaさんも、私達の荷物を抱えながら早足でMiyuさんを追っている。
「ほら!後は階段上がるだけだよ!!」
Miyuさんは既にホームに続く階段の下に到着していた。
「あずにゃん、もうちょっとだよ」
不意に唯先輩が小声で声をかけてきた。
……あれ?『梓ちゃん』じゃ……ない?
「ほら!頑張れ!!」
一瞬呆気に取られた私は、Sayaさんの一言で我に返った。
「はい!!」
もうひと踏ん張り、頑張らないと!

「後一分!!大丈夫!間に合うよ!!」
Miyuさんが階段の上で叫んだ。
良かった……何とかなった……。
私が気を抜いたその瞬間だった。
「どけっ!!」
「きゃぁっ!!」
後ろから猛スピードで駆け上がるサラリーマンが、私を突き飛ばした。
瞬間的な衝撃でバランスを崩し、唯先輩を掴んでいた手が緩んだ。
「危ない!」と思った瞬間、私は階段から落ちないように足を思い切り踏ん張った。
たった今持ち上げた左足を、階段に押し付ける形で。
「!!!!!」
声にならない悲鳴を上げて、思わず階段にしゃがみ込んだ。
……湿布と包帯でカバーしていたとは言え……これは……物凄く……痛いよぉ……。
「おい!こら!!お前ちょっと待てよ!!!」
「ちょっと!!女の子を突き飛ばして知らんぷりするつもりなの!!」
SayaさんとMiyuさんが私を突き飛ばしたサラリーマンを老いかけて捕まえようとしたけれど、その手をサッとかわしてホームへと消えて行った。
「あずにゃん……同じ所?」
唯先輩の問い掛けに、私は無言で頷いた。
少しでも動かそうものなら、頭のてっぺんまで痛みが走る位に酷い状態だ。
「大丈夫か?」
声の方を見上げると、心配そうな顔をしたSayaさんとMiyuさんが居た。
発車のベルが鳴り響いた。
「……間に合いませんでしたね……すみません……私のせいで……」
「……取り敢えず、ホームに上がるぞ。ベンチで怪我の具合を見ないと……」
私の言葉に少し顔をしかめたSayaさんは、そう言って私の体を起こし、ホームへと向かった。
「梓ちゃん、ちゃんと私に掴まっててね~。唯ちゃん、そっち側ちゃんと支えてね」
私は、Miyuさんと唯先輩に挟まれ、左足を下につかないようにして階段を上がった。

「さてと……、ちょっと足を見せてみな」
「はい……ぃっ!」
「自分で靴を脱ぐのも辛いのか……、ちょっと待ってな、今脱がすから……。うわ……こりゃ酷いな……」
靴を脱ぐのが辛いのも当然だ。私の足首はさっきよりも酷く腫れ上がっている。
「えっと……湿布が残ってるんだっけ?」
「あ、はい……これです」
唯先輩が取り出した湿布を受け取ると、Sayaさんは手慣れた手つきで湿布を貼り、包帯を巻き直した。
「……これで大丈夫……だと思う。さっきの包帯がもっとしっかり巻いてあれば、ここまで酷くはならなかったんだけどな」
「あ、それ……さっきの駅で、駅員さんが巻いたんですけど……」
「そうなの?まぁ、慣れてない素人じゃ仕方が無いかな~」
「『慣れてない』って……Sayaさんは慣れてるんですかぁ?」
「唯ちゃん……さっきのステージ見てて思わなかったか?Miyuの動き……」
「……あぁ、なるほど……」
「何でその一言で納得するのよぉ~」
「だって……なぁ」
「うん……」
「そうですよね……」
さっきのライブ……Miyuさん跳ねまくってたし……そりゃあ慣れるのも当然だよね。

「んもぉ……。所で、あなた達はこれからどうするの?」
Miyuさんの一言で、私達は今現在の状況を思い出した。
……そうだ……終電……終わっちゃったんだ……。
「あ、そっか……。終電行っちゃったんだよね……」
「そうでしたね……。唯先輩、……すみませんでした」
「そんな、謝る必要なんか無いって~」
「でも、私が怪我をしなければ普通に電車に乗れたんですし……」
「こら!梓!」
「はえっ!?」
えっと……今のはSayaさんですか?てか何で呼び捨て?それに何で怒った顔をしてるんですか!?
「唯が『謝らなくていい』っていってんだから、それで良いんだよ」
「え?あ、だけど……」
「あのなぁ……。いいか?梓は何で怪我をしたんだ?事故でバランスを崩したんだろ?じゃぁこれは急停車した電車の責任だよな」
「えと、まぁ、そうですね」
「んで、さっきの電車に乗れなかったのは、アホサラリーマンが梓を突き飛ばしたからだよな。ってことは、これはサラリーマンの責任だよな」
「それで間違いは無いです」
「だったらさ、……怪我の責任は梓に無いんじゃないのか?」
その言葉にハッとなった。
そうか……勝手に自分でそう思ってただけなんだ……。
「そう……でしたね……すみません……変な事を言ってしまって……」
「別に謝らなくても良いって……。もしかして梓ってさ、すぐに自分の責任にしちゃうタイプか?」
「いえ……そんな事は無い……はず……ですけど……。唯先輩はどう思いますか?」
「えっ?んーと……いつもはそんな事無いかなぁ~。今日はたまたまだと思うんですけど……」
「そっか。……もしかしてさ、梓ってMiyuみたいにテンパると性格変わっちゃうとか?唯、いつも見ててそんな感じはない?」
「えっと……あ!それあるかも知れませんね!前にも一度ありました!」
「えっ!ありましたっけ!?」
「ほら、今年の冬にあったじゃん。猫預かった時に」
……あ、そうか。そういえば……。
「毛玉を吐いた時に電話したことありましたね……。そっか……」
私って、テンパると駄目なんだ……。気をつけないといけないなぁ……。
「そう言ってるSayaだって、思いっ切りテンパっているんじゃない?」
「なっ!そんな事あるわけないだろ。……そんな感じしないよな、唯」
「ほら、呼び捨て」
あぁ、やっぱりそれってテンパってる証拠だったんだ。
「ぐっ……。ま、まぁ、確かにちょっとはテンパってるかなっ。そんな事よりも……あぁっと……そうだ!思い出したぞ!えっと……二人はこれからどうするんだ?」
そんな重要な事を忘れてたんですか……。まぁ、良いんですけど。
「あ、その事なら心配しないで。もう連絡してあるから」
『連絡?』
思わず三人の声がハモった。
「そ。私達の家……というか敷地内の建物なんだけど……そこに泊まってもらうわ」
「Miyu……お前の方がかなりテンパってると思うんだがな……。それもいつも以上に……」
「えぇ~、そうかなぁ~?」
「そうだよ……いつもだったら勝手に泊まる場所決めないだろ」
「あ、そっか~」

「……テンパったMiyuさんは、思った以上に『仕切り屋』なんですね……」
「……言わないで……恥ずかしいから……」
私の言った言葉に、Miyuさんは体をくねらせながら恥ずかしがった。
「Sayaさんは……名前を呼び捨てで言うようになる……」
「それだけじゃなくて、物凄く『お節介さん』になるのよ。ねっ」
MiyuさんがSayaさんにそう言うと、Sayaさんは恥ずかしそうにソッポを向いてしまった。
「私は……マイナス思考になるんですね……初めて知りました。……えっと……唯先輩は……?」
「私?ん~とぉ……なんだろね~」
「唯先輩は……わかりませんね。学祭の時もテンパってたはずなのに、いつもと大して変わりませんでしたし」
……もしかしたら、表裏があまり無いのかな?
「まぁ、こんな所で話し込むのも何だから、移動しましょう。梓ちゃん、大丈夫そう?」
Miyuさんに聞かれて気が付いた。
「あ、痛く……ない!」
「そりゃそうさ、私がちゃんと巻いたからね。……まぁ、体重をかければまだまだ痛いとは思うけど」
「唯先輩、すみませんけど……」
「うん、支えるよ」
唯先輩に支えられながら、恐る恐る立ち上がり、足の具合を確かめる。
「……確かに……突き飛ばされる前から比べると……やっぱりちょっと痛いですね……。でも、歩くことは出来そうです」
「そっか……、まぁ、仕方が無いかな。その程度の痛みで済んでるって事で勘弁してくれ。じゃぁ、行こうか」
「二駅だけど、混んでると思うから……梓ちゃんを真ん中にして、みんなでガードしながら乗りましょう」
その提案に、Sayaさんと唯先輩が頷き、電車待ちの列に並んだ。
……二駅か……何とかなるかな?


「ここからちょっと歩くけど……大丈夫かしら?」
「はい、多分大丈夫です」
電車の中はやっぱり混んでいたけれど、三人がガードしてくれたおかげで足を痛める事無く過ごせた。
「歩くって……どのくらいなんですか?」
「普通に歩くと十分位かなぁ……。唯ちゃん、支えるのに疲れたんだったら私が代わるよ」
「あ、大丈夫ですよ~」
唯先輩はそう言っているけど……ちょっと無理してる感じかな……。 私を支えて、歩幅も私に合わせて歩いているんだから、無理も無いよね……。
本当なら、ちょっと休憩したほうが良いんだけど……。あ、そうだ!
「唯先輩、憂に電話ってしました?」
「えっ?あっ!そうだよ!電話しないと……。Sayaさん、Miyuさん、すみません、妹に電話をするのでちょっと待っていただけますか?」
「あぁ、いいよ」
その返事を聞き、唯先輩は鞄から携帯電話を取り出して憂に電話をかけた。
「……あ、憂?あのね……うん、そう……はぁ~そうなんだ~。……うん、でね……そう、終電無くなっちゃってさ……ん?……それなんだけどね……うん、大丈夫だよ」
唯先輩が憂と電話をしている間、私は街路灯に寄り掛かっていた。
「うん……あずにゃんも一緒だよ……うん、うん……」
あずにゃん……梓ちゃん……。
なんで、唯先輩はいきなり『梓ちゃん』なんて言い出したんだろ……。
「うん……じゃぁ、明日の朝に……うん、おやすみ~」
なんで……こんなに……寂しいんだろ……。

「お待たせしました~」
「妹さん、何て言ってた?」
「テレビで中継してたらしくって、ずっと心配してたみたいなんですけど、泊めてもらえる事を伝えたら安心してました」
「そっか」
「あと……梓ちゃんも一緒だよっていったら、じゃぁ心配しないで大丈夫だね……とも……」
「おいおい……しっかりしろよ、『唯先輩』」
「えへへ……はーい。じゃぁ、梓ちゃん、行こう……か?……どしたの?足痛くなってきた?」
「いえ……大丈夫です……」
「そう?なら良いけど……じゃぁ、行こうか」
「はい……」
唯先輩……とても……寂しいです……。


「さ、着いたぞ」
足をかばいつつ歩くこと約二十分。
目の前には大きなホテルが建っている。
「えと……ここ……ですか?」
ピンク色の外壁、カーテンがかけられた駐車場の入口。
「ふふっ。初めて来る人はみんな驚くのよね~」
建物の入口も、外からは決して見えないようになっている。
「ゆ、唯……先輩……」
隣を見ると、唯先輩は私と同様に目を点にして立ち尽くしていた。
「ね、ねぇ……ここって……やっぱり……」
建物には、青紫色のネオンサインで彩られた看板がかかっている。
「ラブホテル……ですよね……」
そこには『Hotel Love&Peace』の文字が妖しく光っていた……。

「あぁ、親が経営してるんだよ。ちなみに自宅はこっちだから。ついて来て」
SayaさんとMiyuさんがホテルの裏手へと歩きだした。私達も慌ててそれに続く。
……えっと……もしかして……泊まるのって、ここですか!?


『ただいま~』
ホテルの裏手にある玄関を開けて、二人が自宅へと入って行った。
『お邪魔しまーす』
私達も少し遅れて中に入った。
「お帰り~。あら、この子達が電話で言ってた子?部屋なら空いてるわよ」
「そう、ありがと。あ、でもその前にちょっと居間使っても良い?足の具合が気になるからさ」
「構わないわよ。さ、えっと……」
「あ、桜が丘高校二年の中野梓です」
「同じく三年の平沢唯です」
「唯ちゃんに梓ちゃんね。いらっしゃい、大変だったでしょ。さ、上がって」
「失礼します……あ、今脱がしてあげるよ」
「あ、すみません……」
湿布と包帯をしているとはいえ、流石に駅からここまでの時間は長かったみたいで、私の足首はかなり腫れてきていた。
「あらあら、ちょっと痛そうね。清香、すぐに両方の湿布持ってきて!麻由美は先に部屋に行って、お風呂にお湯……ぬるま湯を張っといて!」
『はい!』
「さ、二人はこっちの居間で待っててね」
そう言うと、お母さんもどこかへと消えていった。
「なんか……パワフルですね……」
「そだね……んじゃ、居間で待ってようか……」
「そうですね……」


「これは、お風呂上がりに張ってね。そのあとにこのサポーターをしておけば問題無いからね。あ、でも締めすぎちゃ駄目よ、血行悪くしちゃうからね」
「ありがとうございます」
お母さんの持って来た氷嚢で足首を冷やし、そのあとに塗るタイプの湿布を塗ってもらったから、足の痛みがかなり良くなってきた。
「それにしても大変だったわねぇ~。そうだ、親御さんには連絡してあるの?」
「あ、私も梓ちゃんも今日は両親が出掛けているので……」
「あら、そうなの?」
「そうなのって……お母さん……さっきの電話で……私……言ったでしょ?」
「あら、麻由美、早かったじゃないの」
「早かったじゃないって……お母さんが……急がせたんでしょ……」
そう言うMiyuさんは息を切らせた上に髪の毛も乱れていて、体全体で『急いだ!』という雰囲気を醸し出していた。
「だって……急いだ方が良いと思ったし……」
「そりゃまぁ……そうなんだけど……さ……」
「じゃぁ良いじゃない。……えーと、そうそう。親御さんへの連絡はしなくてもいいから……じゃぁ、もう夜も遅いから部屋に行って休んだ方が良いわね」
時計を見ると、既に針は日付をまたいでいた。
「麻由美、清香、二人を部屋に案内してあげて」
『はーい』
「あ、これも持って行きなさい」
手渡されたのは、ミネラルウォーターの入ったペットボトルだった。
「これはなんですか?」
「見ての通り、ミネラルウォーターのペットボトルよ。……『休憩』のお客には渡さないんだけど、『宿泊』のお客には必ず渡すようにしてるからね……ふふっ」
「そ、そうですか……じゃぁ、頂きます……」
「もぉ、母さんってば……」
「良いじゃないの、このくらい。さ、早く案内しなさい」
「じゃぁついて来て……っと、そうだ。靴も持ってきて……って支えたまんまじゃ無理か。まゆ~、靴持ってきて~」
「『まゆ』?」
私が小声で呟いた。
「オッケ~、さーやの靴は~?」
「『さーや』?」
唯先輩も同様に呟く。
「あ、私のも頼んだ~。……ん?二人ともどうした?変な顔して……」
「あ……いえ……その……」
「もしかして、今の『まゆ』と『さーや』が不思議だったのかしら?」
背後でいきなり声がしたので、驚いて振り向くと、いつの間にか来ていたMiyuさんがニヤニヤしながら立っていた。
「えと、そうなんですけど……」
「そんなに呼び方が気になるのか?」
私と唯先輩は無言で何度も頷いた。
「そんなに全力で肯定しなくても……まぁいいか。呼び方が違うのは、今居る場所が『自宅』だからだよ」
「『使い分け』ってやつですか」
「そこまで大層な意味は無いけどねー。強いて言ったら『ON・OFF』って感じかな?」
「『ON・OFF』ですか?」
「そ。家に帰っても『claydoll』の『Saya』と『Miyu』じゃ疲れちゃうでしょ。……それ以前に自宅で家族と居るのにそっちで呼び合うのも変だしね」
「それも……そうですね」
『ON・OFF』か……。でも、唯先輩が『梓ちゃん』って言っているのは、それとはちょっと違う気がするなぁ……。
「ほらほら、そんな所で喋って無いで、さっさと部屋に行きなさい」
「はーい。じゃぁ、こっちだよ」

Sayaさんの案内で住居部分を抜け、靴を履き、ホテル部分へと出た。
「……意外に薄暗いんだ……」
唯先輩が思わず小声で呟いた。
確かに、廊下の明かりは必要最低限に抑えられている感じで、所々に見える非常口案内の緑色がやけに目立っていた。
「まぁね~、あまり人に見られたく無い人もいるから。……ほら、こっち来て。エレベーターで上に行くから」
……そっか……そういった所なんだよね……ここって。
「従業員専用だから少し狭いけど、何とか乗れるから」
「はい……。あの、変な質問なんですけど、なんで……その……ホテルを経営してるんですか?」
すると二人は微笑みながら答えてくれた。
「ふふっ……初めて来た人はみんな聞くのよね、それ」
「あ、すみません……」
「気にしなくていいよ。誰だって不思議に思うんだから」
「……ここはね……『避難所』なの」
……『避難所』?えっと……。
「まゆ、それだけじゃわからないだろ~。……っと続きは乗ってからにしようか」

エレベーターのドアが静かに開く。
廊下とは違い、目も眩む程の明るさだ。
実際には、廊下の薄暗さに目が慣れていただけなんだろうけど……。
『非現実』の中の『現実』という感じで、今ここに居るのが『現実』なんだと、改めて気付かされた。

「よし、何とか乗れたな」
扉が静かに閉じ、最上階へ向けて動き出した。
「……で、何なんですか?『避難所』って」
「その前に一つ質問があるんだけど……ずばり『ラブホテル』ってどんな場所?」
へっ!?そ……それは……。
「こ、恋人同士が……エ、エッチをする……場所?」
口ごもる私の代わりに唯先輩が答えてくれた。
「まぁ、普通はそうよね~。……でもね、ここはそれだけの場所じゃないの」
それだけの場所じゃ……ない?
「ここはね……所謂『駆け込み寺』の役目も果たしているの。……今は違うけど、以前はここから少し入ったところに地主の家が何軒か建っていたの」
「はぁ」
「それでね、そこに嫁いできた人達が義理の親から虐待……とまでは言わないけれど、陰湿ないじめを受けていたらしいのよ」
「で、それを聞いた母さんの親……つまり私達の婆ちゃんが、このホテルの前身の宿屋を建てたってわけ」
「宿屋……ですか」
「そ。見た目は『連れ込み宿』なんだけどね。実際、そういった事で利用する人も多かったみたいだし」
「だけど、裏に……つまり自宅にやってきた人達には『駆け込み寺』としてやっていたの。……あ、着いたわね」
エレベーターの扉がゆっくりと開いた。
目の前には、薄暗く、静寂に包まれた廊下が奥へと続いている。

「あの一番奥の部屋がそうよ。……ちなみに、さっき言った『駆け込み寺』って、こことこの下のフロアの事なの」
「えっ!?じ、じゃぁ今も?」
「さぁ……どうかしらね。基本的に避難してきた『お客』の事は、聞かない、教えない、だからね。でも最近は少なくなってきたみたいだけどね」
「ホテルに建て直す前は凄かったらしいぞ~。いびられて親子で逃げ込んで来たり、『親が認めてくれないから』って理由で、認めてくれるまで住んでた人も居たみたいだし」
「そうなんですか……」
「ホテルになってからも、最初の頃は凄かったみたいだけどね~。さ、着いたわよ。ちょっと待っててね……。さーや~、鍵開けて~、荷物先に入れちゃうから~」
「はいよ~」
Sayaさんが鍵を開け、Miyuさんが荷物を置きに一足先に入って行った。
……中って、どうなってるんだろう……。
「んじゃ、私達も入ろっか」
Sayaさんに促され、私達も中へと入った。

『うわぁ……』
短い廊下の先には大きな部屋が一つ。大きなベッドと立派なソファー、そして小さなテーブルが置いてある。
「荷物はここに置いておくからね~」
Miyuさんがソファーの脇に私達の荷物を置いてくれた。
「あ、ありがとうございます」
「それと~、はい。唯ちゃんにプレゼント
「私にですか?」
「『お泊りセット』よ。さっきの話からすると、梓ちゃんは着替えを持ってるけど、唯ちゃんは持ってないでしょ?まさか、明日も同じ下着を着るつもり?」
「いえ、まぁ、仕方が無いかな~とは思っていたんですけど……」
「駄目よ~そんなんじゃ……。女の子なんだから……」
「はぁ……。そうですか……」
「そうだぞ、身嗜みは下着から始まってるんだからな」
「そうなんですか!?」
「そうよ~。だから、はい、これ」
「あ、ありがとう……ございます……」
『お泊りセット』を受け取った唯先輩は早速中を覗いて……。あれ?なんでそんなに顔を赤らめるんですか!?
「あの……これって……」
「んー、まぁ、ここって一応そういった所だから……。まぁそのくらいのを一つぐらい持ってても良いんじゃない?」
「はぁ……そうですか……」
「嫌だったら着なければ良いし、その時は出るときに返してもらえれば良いから」
「……わかりました……」
唯先輩がそんなにも恥ずかしがる下着って……、一体どんだけのモノなんですか!?

「それじゃ、そろそろ私達は自宅に戻るとするかな。えーっと、荷物は置いたし、鍵は……はいこれ」
「はい、ありがとうございます」
「あとは……。朝食はどうする?時間を決めてもらえれば部屋に運ぶよ。何なら私達と一緒に食べるかい?時間は八時頃になるけど」
「ん~と……。どうしよっか?」
「私はお二人と一緒で構いませんよ」
「そ?じゃぁ、一緒の朝ごはんでお願いしまーす」
「はーい。お母さんにちゃんと伝えておくわね。……あ、そうだ。一応お風呂にぬるま湯を張ってあるけど、入って足が痛くなるようなら直ぐに冷やしてね」
「わかりました」
「それじゃ、お二人さん。また明日……じゃないや、また朝に。おやすみ~」
「おやすみなさい、朝までしっかりと身体を休めてね」
『おやすみなさーい』

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最終更新:2010年08月18日 00:13