二人が外に出ると、オートロックのドアが『カチリ』と音を立てて鍵をかけた。
「あ、
あずにゃん。コップあるよ~、お水飲もっか~」
そう言うと、冷蔵庫の上からコップを二つ手にとり、テーブルの上に並べ、ペットボトルの水をコップに注いだ。
「はい、あずにゃんどうぞ」
「ありがとうございます」
……今は『あずにゃん』なんですね……。
「どういたしまして。……ング……ング……プハァ~……ふぅ」
えぇ~!そんな飲み方するんですか?
「唯先輩、その飲み方は女子高生として如何かと思うんですが」
「えぇ~、いいじゃ~ん。あずにゃんも喉渇いているんでしょ?」
「そりゃぁ、あれだけ歩けば喉だって渇きますけど……ング……ング……プハァ」
「ほらぁ~、あずにゃんだって一緒じゃない」
唯先輩に言われて、初めて自分が今どんな飲み方をしたのかに気が付いた。
……はぅ……ちょっと……恥ずかしいかも……。
私が顔を上げると、唯先輩は物珍しそうに室内を見渡していた。それにつられて、私も同様に見渡してみた。
大きなベッド……キングサイズか……。えっ!?お風呂って……ガラス張り!?って事は……外から丸見えで……。
「ねぇねぇ、あずにゃん。お風呂がガラス張りだよ~、凄いねぇ~」
「まぁ……そういった所……ですし……」
私がそう呟くと、唯先輩は待ってましたとばかりに不敵な笑みを浮かべながら、私に聞いてきた。
「『そういった所』って……どんな所の事かなぁ?」
「えっ!……『そういった所』は『そういった所』ですよ」
「えー、それじゃぁわかんなーい」
唯先輩は口を尖らせて不満を口にした。
「あずにゃ~ん、さっきあずにゃんが聞かれたのに答えなかったから、私が代わりに答えたんだよ~。……あれ、結構恥ずかしかったんだからね……」
あ……そういえば……そうだったっけ……。
「だ・か・ら~、ちゃんと答えてよぉ」
じゃぁ、私もちゃんと答えてあげないと……。
「あ、えと……。エ、エッチな事を……するところ……です……」
「うん!大変良く言えました!……りっぱりっぱ」
私が消え入りそうな声で答えると、満足したのか私の頭を撫でながらそう言ってくれた。
「んもぉ、からかわないで下さいよ……」
「えー、良いじゃん。おあいこって事で……」
おあいこって……ふふっ。相変わらずだなぁ~唯先輩って。
「……やっと笑ってくれたね……」
「えっ……?」
その言葉にハッとして思わず唯先輩を見ると、安心したような……でもまだ不安そうな……そんな顔をしていた。
「足を怪我してるからなんだろうけど……あずにゃん、ずっと難しい顔してたから……」
「そう……でしたか?」
でも……それを言うなら唯先輩だって……。
「うん……でもね、部屋に入って落ち着いたら、いつもの顔にちゃんと戻ったよ」
そこにはいつものふんわりとした笑顔があった。
……あぁ……そっか……この顔だ……。
呼び方の一件もあるけど……私は……この笑顔を見せてくれない唯先輩に……不安……だったんだ……。
「あずにゃん?……なんで……泣いてるの?」
「……ふ、不安……だったん……です」
その一言で、私は感情を抑えられなくなってしまった。
「唯先輩……ずっと……怖い顔してるし……私の事も……梓ちゃんって……呼んでいるし……なんで……どうして……」
泣いちゃいけない……そんな事……わかりきってる事……なのに……。
……どうして……こんなにも……悲しいの……。
「……あずにゃん……不安にさせちゃって……ごめんね……」
その声と共に……唯先輩が……私を優しく……抱きしめてくれた。
それは……暖かくて……柔らかくて……。
「落ち着くまで待っててあげるからね……いっぱい泣いて……嫌なことは全部流しちゃうんだよ……私はちゃんと、ここに居るからね……」
「う……うぅっ……えぐっ……うわぁぁぁ……」
★
私が泣き止むまで……泣き止んでもずっと……唯先輩は私を抱きしめ、頭を撫で続けてくれた。
私も……それを止めさせようとは……思わなかった。だって……。
……その温もりも、その柔らかさも、それ以外の全ても、手放したくなかったから。
「あずにゃん……落ち着いた?」
「……少しだけ……ですけど」
本当はとっくに落ち着いていた。でも……唯先輩の腕の中に……もうちょっとだけ……居たいから……。
「じゃぁさ……そのままで良いから、聞いてもらえるかな?……私がなんで『梓ちゃん』って言ってたのか、その理由を……」
「!!」
私が思わず身体を強張らせると、唯先輩は抱きしめる腕に少しだけ力を込めた。
「大丈夫だよ……あずにゃんが嫌がることを言う訳じゃないから。……むしろ変に思うかもしれないけど……」
「……?」
不思議そうな顔をして唯先輩を見ると、微笑みながら話してくれた。
「んーと……私が『お気に入りを手放したくない性格』ってのはわかるかなぁ?」
私は小さく頷いた。
「でね……あずにゃんの事を、他の人が『あずにゃん』って呼ぶと、あずにゃんが離れていっちゃう気がして……それで……」
「……他の人が『あずにゃん』って呼ばないように、『梓ちゃん』で通したと……ふふっ」
「大当りぃ~!……って笑わないでよぉ……結構本気で心配してたんだから……」
「あ……すみません……だって……本当に……変な理由なもんで……」
……なんだ……心配する必要無かったんだ……。
そうだよ、別に呼び方なんて気にする必要は無いんだし、ましてやそれで不安になる必要なんて全く無いんだから……。
「……やっぱ、Sayaさんが言ってた通り……テンパってたからなのかなぁ……」
「ん?あずにゃんがマイナス思考になってたって事?」
「はい……だから、不安に感じたんですね……」
「……私も、あずにゃんにちゃんと伝えておけばよかったね……ごめんね……」
「いえ……私が勝手にそう感じただけですし……」
「ううん……あずにゃんは悪く無いよ、悪いのは私なんだから……そんなに自分を責めちゃ、ダメだよ」
「は……はぁ……」
でも……自分で勝手に不安になってただけだし……。
「ね、悪いのは私。それで良いじゃない」
唯先輩一人の責任じゃないのに……。ん?あれ……?
私は、自分が怪我をしてからの唯先輩の行動を思い返してみた。
電車の中……酔っ払いとの喧嘩……ここに着くまでの道程……。
そして、一つの事に気が付いた。
「唯先輩……もしかしたらなんですけど、テンパった時の唯先輩って……自分を『二の次』にしちゃうんじゃないんですか?」
そういえば、去年の学祭の時もそうだったっけ。ギターを取りに行って戻ってきた時、いくら急いでいたとは言え、髪も服も乱れた状態でステージにやって来たし……。
「えへへ……、わかっちゃった?……前にね、お母さんや隣のお婆ちゃんに言われた事があるんだ……『唯ちゃんは、一所懸命になると自分が見えなくなるんだね』って」
「そうなんですか?」
「うん。ただ、それを言われたのが小学校の二年か三年位だったから、意味がよくわからなかったんだよね~」
「まぁ、その年齢なら仕方ありませんね……」
「でもね、んーと……中学生の時かなぁ……友達が男の子からいじめられてて、それを止めに入って怪我した事があってさ」
「そんな事があったんですか!?」
唯先輩は黙って頷き、話を続けた。
「家に帰ってから、お母さんに『また自分が見えなくなっちゃったの』ねって言われて、そこで初めて気が付いたんだよね……。だから、気をつけていたんだけどね……」
「そうならないように、ですか?」
「そ。……でも、今回はちょっと無理だったみたいだねぇ……えへへ……。中学の時と同じ事しちゃった……」
そう言った唯先輩は、寂しそうな顔を見せた。
……何か、辛い事があったんだろうな……。
「……すみません、嫌なことを思い出させてしまったみたいで……」
「ん?別に気にしなくて良いよ……もう済んだ事だし」
「はぁ……そうですか……」
「ほら~そんな顔しないの。今のあずにゃんには関係の無い事なんだから……ね」
でも……気になりますよ……今までに見たことの無い……唯先輩のそんな顔を……見せられたら……。
「はっ!!そんな事よりも、あずにゃん!時間!!」
「へっ?……にゃっ!もうこんな時間ですかっ!?」
ベッドサイドの時計を見ると、既に十二時半を過ぎていた。
「早くお風呂入って寝ないと……。あずにゃん、急いで入るよ!」
「はい!……じゃぁ、唯先輩、お先にどうぞ」
やっぱり、先輩から先に入ってもらわないとね。後輩なんだし……。
「えっ!?一緒に入ろうよ。あずにゃん怪我してるんだし」
「いえ……何とかなりそうですし……それに……恥ずかしいですよ……」
「えぇ~。合宿の時も一緒に入ってるんだし……それに……お風呂……あれだよ……。一人の方が……恥ずかしいよ……」
唯先輩はお風呂の方を見てそう呟いた。
「あ……そういえば……そうでしたね……」
流石に……入っているところを外から見られるのは……一緒に入るよりも……恥ずかしいかも……。
「ね。だからさ、一緒に入ろう?」
「そうですね……」
でも……やっぱりちょっと……恥ずかしい、かな。
★
「どぉ?お湯に浸かっても痛くない?」
「えっと……大丈夫みたいですね」
「そっか、良かった~」
お互いの頭をシャンプーしあったり、背中の洗いっこをしたりして、二人で湯舟に浸かった。かなり大きいから、二人一緒でも十分余裕があった。
「あずにゃんの背中……白くてスベスベで、気持ち良かったなぁ~」
「は、恥ずかしい事言わないで下さい……。唯先輩だってスベスベでしたし、髪の毛もサラサラでしたよ」
「そぉ?ありがと~」
「……唯先輩は、そう言われて恥ずかしく無いんですか?」
「えっ?うーん、たまに憂と一緒に入ったりして同じ事言われてるからなぁ~」
はぁ、一緒に入ったりしてるんですか……。
「あ、でも~、あずにゃんと『二人きり』だから、それはちょっと恥ずかしいかも」
「……わざわざ『二人きり』を強調しないで下さい」
「えへへ~、ばれた~?」
「バレバレですよ……全くもぉ……」
「まぁまぁ、怒らない怒らない。……さて、そろそろ出ようか?」
「そうですね」
「じゃぁ、先に出てるね」
そう言うと、唯先輩はそそくさと湯舟から上がり、身体を拭いて風呂場の外に出て行った。
……なんでそんなに急ぐんだろ?……あ!そうか!下着!
静かに湯舟から上がり、脱衣所を覗き見ると……。
うわぁ……。あれは、かなり、恥ずかしい、かも……。
唯先輩が手に持ってジーッと見つめているのは、フロントの部分がレースになっているショーツ……。
でも……後ろ側、あれって……『Tバック』ってやつ……だよね……。
すると唯先輩は諦めたようにため息を一つついて、そのショーツを穿いた。
やっぱり落ち着かないのかなぁ、なんだかしきりにお尻の辺りを気にしてるし……。
「あ!」
「えっ?」
しまった!見つかった!
「あずにゃ~ん、覗かないでよぉ……。んもぉ~、あずにゃんのエッチ……」
「エ、エッチって……。わ、私はただ、どんな下着なのかなぁ~って思っただけで」
慌てて言い訳をすると、唯先輩が不敵な笑みを浮かべた。
「そんな事言っちゃって……見たいんだったら何時でも見せてあげるのに……」
「み、見たいだなんて……だ、第一、もう見たからいいです!」
「やっぱり見てたんじゃん……。よし!じゃぁ罰として、あずにゃんの下着もちゃんと見せること!」
「ええっ!なんでそうなるんですか!?嫌ですよ!そんなの!」
「えー、だって……あずにゃんが覗きなんかするから……。さ、そんな所に座ってないで、さっさと出て着替えようね~。ほらほら~」
唯先輩は扉を開け、私の腕を引っ張った。
うぅ……変な好奇心を出すんじゃなかった……。
★
「わぁー、ベッドフカフカ~。気持ち良い~。私のベッドと大違い~」
「本当ですね、私のベッドもこのくらいフカフカだったらなぁ~」
脱衣所での一悶着の後、私達は用意されていたバスローブを身につけ、……私は、唯先輩に湿布を貼ってもらい、サポーターを穿いて……、ベッドに入った。
キングサイズなだけあって、二人で寝転がってもまだまだ余裕がある。
「この大きさなら、多少転がっても安心だね~」
「『転がって』って……どれだけ寝相悪いんですか」
「んー、たまに落っこちかけて目を覚ます位?」
「はぁ、そうですか……。まぁ、今日はそんな事無いと思いますから、安心して眠れますね」
「そだね~。それに……」
「それに?」
……なんだろ?
「そ・れ・に……えへへ……とぉっ!!」
「にゃっ!!」
かけ声と共に、唯先輩が私の方へ転がってきて有無を言わせぬ素早さで真横から抱きしめた。
「こうしてれば、落っこちる心配はないでしょ~」
「そ……そりゃぁそうですけど……」
「ん~?な~に?あずにゃん恥ずかしいのぉ~?」
「恥ずかしいっていうか……何と言うか……」
気恥ずかしいとか照れくさいって、こんな感じなのかな……。
「別にいーじゃん?合宿の時もこんな感じで寝たんだし……ファ~ァ」
「ま、まぁ、それはそうなんですけど……ふぁ……」
「んじゃ、そろそろ寝よっか」
唯先輩が枕元のスイッチを操作すると、部屋の中が薄暗くなった。
「……おやすみ、あずにゃん……」
「……って抱きしめたままですか?……まぁ、良いですけど……特別、ですよ……。おやすみなさい、唯先輩……」
……って、全然眠れそうに無いんだけどね……今日は、『これでもか』って位、色んな事がいっぱいあったからなぁ~。
ライブを見て、ご飯をたべて、事故で電車が止まって、足を怪我して、酔っ払いと喧嘩して……SayaさんとMiyuさんに会って……。
「あふ……」
ちょっと……眠くなって……きたなぁ……。ちゃんと……寝な……い……と……。
§
……唯先輩遅いな……。駅員さんを探してくるって言ってたけど……見つからないのかなぁ~?
「おい!」
「はい!?なんですか?」
って、あぅ……酔っ払いだよ~。
「なんで高校生がこんな所で座ってくつろいでるんだ!!」
「あ、あの、さっき足を怪我してしまったので……」
うぅ……唯先輩、早く戻ってきてくれないかなぁ~。
「ほぅ……怪我してるのか……ひひっ 」
やだ、なんでそんな嫌な笑い方するの!?てゆーか絶対にこの人変だよ!唯先輩!!早く戻ってきて!!!
「そんじゃぁ、俺がその足を使い物にならなくしてやるよ!!」
えっ!この人ワタシの足を蹴ろうとしてるの!?
やだやだやだやだ!!今すぐ逃げなきゃ!!
……なんで!?なんで足が動かないの?
「覚悟しやがれ!!!!」
やめてー!!!唯先輩!!!助けてー!!!!ゆいせんぱーい!!!!!
§
「あずにゃん!あずにゃん!!」
「あ……ゆい……せんぱい?」
目の前には心配そうな唯先輩の顔、その向こうには見慣れない天井。
……あ、そっか。今の……夢だったんだ……。
「びっくりしたよ~。うなされているから何事かと思ったらさ、いきなり暴れだして大声で私の名前を呼ぶから……って、あずにゃん!?」
私は無言で唯先輩に抱き着いた。
そうしないと……不安で……苦しくて……悲しくて……。「どうしたの?怖い夢でも見た?」
私は黙って頷いた。一言でも声を出してしまうと、唯先輩が居なくなってしまう……そんな気がしたから。
「そっか……。大丈夫、私はちゃんとここにいるよ。あずにゃんの傍から離れたりしてないよ……」
「ゆ……
ゆいせんぱい……うぅっ……うぐぅ……」
「よしよし……さっきで足りなかった分も、しっかり泣いて出し切っちゃうんだよ……」
★
「……そんな夢だったんだ……怖かったね……」
「はい……いくら叫んでも……唯先輩……どこにも居なくって……」
「そっか……」
唯先輩は先程と同じように、私を抱きしめ頭を撫で続けてくれた。そのおかげで、さっきまでの不安や悲しみが徐々に遠退いていった。
「そだ!あずにゃん、『指笛』って出来る?」
「へっ?あ、まぁ、そんなに上手じゃありませんけど……一応は」
「じゃぁさ、もしまた怖い夢を見て、その時に私が近くに居なかったら、指笛吹いてもらえればすぐに駆け付けるよ!」
「……それって、何かのゲームでありませんでしたっけ?」
「あ……ばれた?えへへ……」
「全く……。でも、もしまた怖い夢を見たら、ちゃんと吹きますからね。唯先輩もちゃんと来て下さいよ」
「おっけー、任せてよ!」
ふふっ……、夢なんだから、そんな約束したってしょうがないのに……。なんでだろう……唯先輩が言うと、本当に出て来てくれる……そんな気になってくるなぁ……。
「ふぁ……そろそろ落ち着いたかな?」
「はい……ありがとうございます」
「どういたしまして……おや……すみ……」
そう言うとすぐに安らかな寝息が聞こえてきた。
……相変わらず、可愛らしい寝顔ですね……。
唯先輩……軽音部の先輩……私が憧れていた人……。
何時もの唯先輩は……ちょっと頼りなくて……でもやるべき時はしっかりとして……マシュマロみたいにふんわりとしていて……日だまりのように暖かくって……。
……はふぅ……私も眠くなってきたなぁ……。
目を閉じると、唯先輩の鼓動が聞こえてきた。
笑顔が可愛らしくて……落ち込んでいるとすぐに励ましてくれて……寂しい時は何時も傍にいてくれて……私にとって……かけがえのない……存在……。
ん?かけがえのない存在?
夢うつつの中、ふと浮かんだその言葉で、私の意識は一気に覚醒した。
かけがえのない存在……他に代わるものの無い、大切な存在……私にとって、唯先輩が?
……本当にそうなのかなぁ……今まで考えた事無かったけど……。
……確かめてみるか、んーと……そうだ!もし唯先輩が私の前から居なくなったら……。
─ねぇあずにゃん。
なんですか?唯先輩。
─あのね……、私、明日引っ越す事んだ……。
へっ!?引っ越すって……何処に?
─かなり遠くに。
そんな!なんでそんな事今まで黙ってたんですか!?
─本当はもっと早く伝えたかったんだけど、準備とかに手間取っちゃって……。
で、でもまた会えるんですよね。
─ううん……多分無理。だから、あずにゃんとも今日でお別れなの。
そんな……そんな悲しいこと言わないで下さい!
─あずにゃん……泣かないで……。
な、泣いてなんかいません!!……あ、そうだ!今日
これからお別れ会をしましょうよ!軽音部の皆さんと一緒に!
─ごめん、もうそんな時間は無いの。……じゃぁね。梓ちゃん……。
嫌です!行かないで下さい!!ゆいせんぱーい!!
「……うぅっ……やだよぉ……唯先輩……」
「……あずにゃん……大丈夫だよ……」
私が勝手に想像して泣いていると、そんな寝言を言いながら私を優しく抱きしめてくれた。
そっか……やっぱり……わたし……唯先輩の事が……。
#
『ありがとうございました~』
朝になり、私達は制服に着替えて、Sayaさん達と一緒に朝食を食べ、家路につくことにした。
「もう少しゆっくりしていっても構わないのに~」
「いえ……流石に妹も心配しますから……」
「そうだぞ、まゆ。家族に心配をかけさせちゃまずいだろ~」
「あ、そっかぁ~」
なんだかあっという間の出来事で……。
「じゃぁ、気をつけてね。梓ちゃん、痛くなったらすぐ病院に行くのよ」
「はい、わかりました。……でも、ほとんど痛みが無いから大丈夫だと思いますよ」
「『油断大敵』って言葉があるんだ、一応気をつけるんだぞ」
色々と嫌なこともあったけど……。
「はい!……ところで……湿布とサポーター、本当に頂いても良いんですか?」
「あぁ、気にしなくて良いよ。在庫は沢山あるからね」
「沢山……?なんでそんなにあるんですかぁ~?」
「ん?そりゃあ……たまに、腰を痛める人がいるからねぇ」
「……そ、そうですかっ……。あ、でも、サポーターって……」
「えっと~。ピンヒールってのは、履き慣れていないと大変みたいよ~」
「……唯先輩、薮蛇です!」
逆に、嬉しいこともいっぱいあったなぁ……。
「そういや、結局下着は穿いたのかい?」
「あ……はい……でも、なんだか……」
「穿き心地が良くない?サイズの見立て間違えたかしら?」
「いえ、サイズはピッタリなんですけど……その……お尻の辺りに違和感が……タイツも穿いていないから、余計に……」
「……あ、そっか。Tバックだったんだよな、すっかり忘れてたよ。まぁ、慣れるまでは我慢してくれ」
「大丈夫よ、すぐに慣れて落ち着いてくるから」
「はぁ……でも……ちょっと恥ずかしいなぁ……」
「おぉ、そうだ。駅の階段には気をつけるんだぞ……エロさ満開になっちゃうからな」
「はぅ……気をつけます……」
『本当の自分』に気付く事が出来たし……。
「それじゃ、失礼しまーす」
「次のライブも見に行きますからね~、失礼しま~す」
「じゃぁな、気をつけて帰るんだぞ」
「チケット送るからね~、またね~」
結構楽しかった……かな?唯先輩は……どうなんだろ?
「唯先輩……昨日から色々とありましたけど……嫌な事とかなかったですか?」
「んー?別にそういうのはなかったかなぁ~。どっちかって言うと……楽しかった……かな?今までに見たことの無いあずにゃんが見られたし……」
「あぅ……できれば……他の人には……内緒に……」
「んもぉ~、そんな事誰にも言わないよぉ~、当たり前じゃ~ん……ところでさ、あずにゃんはどうだった?」
「え、私ですか?」
そんなの、……決まってるじゃないですか。
だから、私は最高の笑顔でこう答えた。
「嬉しくて、楽しくて、とにかく、最高でしたよっ!!」
#
「うーん……やっぱり緊張するなぁ~」
今日は久しぶりのテレビ出演。
「でもさ、唯。この間のライブツアーよりは緊張しないんじゃない?」
私達『ゆいあずfromHTT』の新曲を、生放送で初披露する予定だ。
「えぇ~、ライブとテレビは別物だよぉ~」
梓はあまり緊張していないみたい……相変わらずすごいなぁ。
「いよぅ、お二人さん!おはよう!」
『ぬぉっ!』
いきなりかけられた声に驚いて振り向くと……。
「あ、Sayaさん、おはようございます。今から挨拶に行こうと思ってたんですよ」
「おはようございまーす。共演するのも久しぶりですね~」
「半年……それ以上か?まぁなんにせよ、元気そうで何よりだな」
「Sayaさんも、お元気そうで何よりです」
「ん?足の具合はどうだ?梓」
「もぉ……何時の話ですか?てか会う度に毎回それを言うの、そろそろ止めて下さい」
「ははっ、相変わらず厳しいなぁ……。唯、家でも最近はこんな感じなの?」
「ん~、でも家ではもうちょっとマイルドな……そうでもないか」
「そんな!酷いよ、唯!」
「えへへ~、冗談だってば~」
Sayaさんとの共演も久しぶりだなぁ……あれ?そういえば……。
「あのー、もしかしたら『ゆいあず』として共演するのって、始めてでしたっけ?」
「ん~?あぁ、そうかもな~」
「私達だけでSayaさんと会うのも、かなり久しぶりだと思いますよぉ~」
「……そっか、初めて会った時以来か。あ、そういや私達が引っ越しするって事、知らせたっけ?」
「え?そうなんですか?」
「あぁ、再開発に引っ掛かっちゃってさ」
「じゃぁ、あのホテルも……」
「えーっと、四ヶ月位前に閉館したよ」
そうなんだ……。ちょっと、寂しいな……。
「じゃぁ、おばさんも落ち込んでたんじゃないんですか?」
「まぁねー、でも一ヶ月位したら次の仕事見つけて働き始めたし」
うぉぅ、なんとまぁ。
「相変わらずパワフルですねぇ」
「まぁな~、生粋の『世話焼き』だから、じっとしてられなかったんじゃないかなぁ。テレビのニュース見た翌日には電話してたから」
『ニュース?』
なんだろ?そんなに気になる話題だったのかなぁ?
「あぁ、『児童施設の人員不足』ってのを知ってね、それで居ても立ってもいられなくなったみたい」
「はぁ……。おばさんらしいですね」
「まぁ、それが母さんの『売り』だから」
「そうですね……」
『児童施設』か……。
「あ、こちらにいらっしゃったんですか!間もなく本番ですので、スタジオに来て下さい!」
ADさんが私達を呼びにきた。
「それじゃ行こうか」
梓が一足先にスタジオへと向かう。
「よっしゃ!久しぶりだなー、生放送」
Sayaさんもそれに続く。
はぁ……いよいよ本番かぁ……。
私も緊張した面持ちで続いた。
「んー?なんだぁ?唯……もしかして緊張してるのか?」
「え?あ、まぁ……はい……難しい曲なんで……」
「大丈夫だよ、唯ならちゃんと出来る!」
「はぁ……ありがとうございます……」
そう言われても……ねぇ……。
「はぁー、全く……。そんなんじゃ母さんからの『依頼』も難しいかなぁ」
へっ!?『依頼』?
「なんですか?その……『依頼』って」
「あぁ、母さんが今働いてる児童施設……『ほおずき園』 って言うんだけどさ……、そこでチャリティーライブをしようかって話になってて……」
「もしかして、『私達』に出てほしいと?」
「まぁ、そーゆーこと。まぁでも、今の唯には難しいだろうな……この程度で緊張するようじゃ……」
むっ……。
「そんなこと」
「そんな事ありません!唯は本番に強いんですから!ねぇ、唯……あれ?」
「あ~あ、今の一言が更にプレッシャーになったみたいだぞ」
うぅ……。
「梓……今の一言は……かなり効いたよ……」
「あ……ごめん……」
「……許さない……」
「そ、そんなぁ~」
「許さない……けど、『私がちゃんと演奏出来たら、アイス二個食べて良い』って条件なら許してあげる」
「結局それ?まぁ良いけど。じゃぁ、出来なかったら『たいやき二個』ね」
「よーっし、望むところだぁ~」
「……相変わらず仲良いなぁ~。……で、どうする?なるべく早く結果を知らせたいから……」
おっと、それをすっかり忘れてたよ~。
「スケジュールに問題が無ければ大丈夫……だよね、梓」
「勿論!」
「そっか、じゃぁ番組終わったら早速伝えておくよ。詳しい日程なんかは後で正式に『依頼』されると思うから」
『はーい』
★
「……それでは最初のゲストはこちら!!Saya!!!」
「じゃ、お先に」
次は私達……。
「何?まだ緊張してるの?ふふっ……たいやきゲット確実かな?」
緊張はしてるけど、梓のおかげでかなり和らいでいた。
「何を言っているのかな?梓君。私がアイスを二個食べる事は、既に確定しているのだよ」
あの日……梓とライブに行かなかったら……今の私達も無かったんだなぁ。
「なんでホームズ口調なの?……って、前にも似たような事を言った気がするなぁ……」
梓は……あの日の事を今でも覚えているのかなぁ。
「あ……、そうか……、初めて唯とライブ見に行った日……」
あ……、覚えてて……くれたんだ……。
「ん?何でにやけてるの?」
だってそれは……。
「ん~?なんでもないよぉ~」
とても、とても、嬉しい事だから……。
「……さて、次のゲストは……なんやぁ?なっがい名前やなぁ~」
「ふふっ……いきなりダメだしされちゃったね」
「そだねぇ~」
「『ゆいあずふろむほうかごてぃーたいむ?』もっと略せばええんちゃうの!?……何?『ファンの間では、ゆいあずと呼ばれています』……ふーん」
そろそろかな……。
「行くよ!梓!!」
「うん!頑張ろうね!唯!!」
「うん!!!」
「ほんじゃぁ……次のゲスト!!ゆいあず!!!」
その掛け声を合図に、観客の歓声が響くステージへと私達は飛び出した。
『ゆいあずでーす!!こんばんわー!!!!』
おしまい!!
- よかった -- (名無しさん) 2013-02-07 04:16:32
最終更新:2010年12月13日 21:32