暗い部屋に響きわたる喘ぎ声。
「ハァ、ハァ……唯先輩…」
私は今日も自室で、叶わぬ想いに身を焦がす。
あなたのことが好き。
どうしようもないくらいに好き。
誰よりもあなたのことを愛してる。
それなのにどうして…どうしてこの想いは許されないの。
どうして同じ好きなのに誰も認めてはくれないの…
女が女を好きになるなんておかしい。異常で気持ち悪い。そんなことは分かっている。
以前の私なら「常識じゃん」の一言で片付いてしまうような、些細な問題のはずだった。
でも、あなたの包み込むような優しさや温かさを感じているうちに、私の中であなたの存在はどんどん大きくなって…
気付けばあなたを好きになっていた。
友達や先輩としての好きではなく、一人の女性としての好き。
最初は戸惑った。
おかしいと思っていた感情を自分自身が抱いていることに、これ以上ないくらいの嫌悪感を感じた。
でも、一度気持ちを自覚してしまったが最後、その想いは加速度的に膨れ上がっていくばかりで…
最近ではこのように衣と枕を濡らす夜が続いている。
「んあっ……唯先輩ッ…!」
絶頂への階段を上りきると、私はそのままベッドに崩れ落ちた。
そしていつものように、行き所のない虚無感と背徳感に襲われる。
何度自分を慰めても満たされない想い。
どれだけあなたのことを想っても、あなたは決してこの気持ちに気付いてはくれない。
あなたはすぐに私に抱きつく。
それはあなたからすれば、後輩に対するただのスキンシップ。
「私のことが好きなんですか」と聞けば、あなたは「好きだよ」と答えるだろう。
でも、その好きは私の好きとは違う。あくまでそれは、初めてできた大切な後輩としての好き。
そこに愛と呼べるものは介在しない。決して、私があなたの特別というわけではない。
「当たり前だよね…」
おかしいのは私の方だもの。
常識から逸脱してしまった私がいけないんだ。
もし…
この想いをあなたに伝えてしまえば…
そう考えたこともある。
一人で悩んで苦しむくらいなら、いっそ想いをぶちまけてしまえばいい。
もしかして、あの優しい唯先輩なら私を受け入れてくれるんじゃないか…なんて。
でも、いつもスキンシップをしている相手が、自分をそんな目で見ていたと分かったら…
あなたは私を気持ち悪がるだろう。
あなたが私に抱きつくことはなくなり、次第に私の奇異な眼差しを恐れて避けるようになる。
軽音部の先輩たちは唯先輩の様子がおかしいことに気付き、私の想いはバレてしまって…
純粋で周りから愛される唯先輩だから、皆こぞって彼女を私から守ろうとするだろう。
私は軽音部を辞めざるを得なくなる。
挙句の果てには学校中にその噂が広まって、いずれ転校まで余議なくされて…
そんなことには絶対したくない。
何より、今の平穏な日常が私は好きだから。
ティータイムばかりで練習もろくにしない部活だけど、いざライブとなればその一体感はプロにも負けないくらいで。
生徒想いの先生がいて、憂や純といったかけがえのない友達にも恵まれていて。
その日常を壊してまで、こんな想いをさらけ出す必要はない。
そんなことで、両親や周りの人たちを悲しませたくはない。
だから私は、何度も忘れようとした。
この気持ち悪い感情を、何度も何度も捨て去ろうとした。
唯先輩を傷つけてしまう前に。私がこれ以上傷つかないように。
でも…
無理だった。
それどころか忘れようとしたその想いは、私の中で強くなるばかりだった。
だって、あなたは私の日常を大きく占める存在だから。
私の守ろうとしている日常には、いつも笑顔のあなたがいるのだ。
そんな状況でこの想いを忘れ去ることなどできようか。いやできるわけがない。
これは明らかな矛盾だ。守るべき日常が、私を堕落へと誘う足枷となってしまっている。
今の日常を守ろうとすればするほど、その努力は負担となって私により重くのしかかってくるのだ。
もう限界だった。
どうしたらいいのか分からない。
あの優しい笑顔を、ふんわりとした温もりを…忘れることなんて絶対にできない。
自分を慰めるのにも疲れた。これ以上は身も心も傷つくだけ。
唯先輩、私どうしたらいいですか。
このままあなたを傷つけてしまう前に、あなたの元からいなくなった方がいいのでしょうか。
もう寂しい思いばかりするのイヤなんですよ…唯先輩───
窓から見える空が明るい。
小鳥のさえずりも聞こえてくる。
「また泣きながら寝ちゃった…」
枕元の時計を見ると時刻は六時を示していた。
最近はこのような朝を迎えることがしょっちゅうだ。情けないな。
シャワーを浴びて身支度を整えると、私はいつも通り学校へ向かった。
季節は初夏。
期末試験も終わり、
これから始まる長期休暇に学生が胸躍らせる時期だ。
だがクラスメイトが楽しそうに会話する一方で、私だけは机に突っ伏していた。
「あ~ずさっ、どうしたの?」
ポンと私の肩を叩く手。見上げると、そこには親友の純と憂がいた。
「もうすぐ夏休みだってのに元気ないじゃん」
「もしかして梓ちゃん、夏バテ?」
「夏休み前から夏バテなわけないでしょ、憂…」
「でも梓、ここんとこ浮かない顔してるよ?」
「そんなことないよ。ちょっと考え事してただけ…」
私が浮かない顔をしていたのは多分嘘じゃない。
唯先輩のこともそうだけど…今はそれだけじゃない。
私は夏休みがきてほしくなかった。
軽音部の先輩たちに、そして唯先輩に会えなくなってしまうから。
唯先輩たちは今年からもう受験生。夏期講習や模試で忙しくなる毎日だ。
だから去年と違って軽音部の活動は必然的に少なくなる。HTTとして過ごせる時間も減ってしまう。
私は不安になっていた。
一時的とはいえ唯先輩がいなくなった日常で、私は正気を保っていられるのかどうか。
会えない日々が続いて、次第に唯先輩は私のことなど忘れてしまうのではないか…
そう考えるだけで、胸が張り裂けそうな思いに駆られる。
「もしかして悩み事とか?」
「いやだから、そんなんじゃないって…」
「悩み事ならいつでも相談してね、梓ちゃん?」
「そうだよ梓!私たちに遠慮なんて要らないんだからさ」
「純…憂…ありがとう。でも本当に何でもないから、大丈夫だよ」
二人には分かっているんだろうな…私が悩んでいること。
純も憂も、私のことをいつも気にかけてくれる。
今までに何度助けられただろう…純の明るさに。憂の優しさに。
私は幸せ者だ。
こんなにも友達想いな友人が傍にいてくれるのだから。
そして愚か者だ。
その心遣いに甘えて正直に悩みをぶつけることさえできないのだから。
いや…
言えるわけないよこんな悩み。
ましてや、憂は唯先輩の妹だよ…?
ごめんね…憂、純。
多分この悩みは、一生をかけても話してあげられないと思う。
これは、決して口にしてはならない禁断の想いだから…
私はいつものように、一番乗りで部室に到着していた。
トンちゃんにエサをあげた後、ギターケースからむったんを取り出し一人練習を始める。
それにしても暑い…半袖のYシャツ一枚にもかかわらず汗が滲む。
ガチャッ。
部室のドアが開く。
「うぅ~暑いよぉ…」
「おいおい、こっちまで暑くなるだろ唯ー」
「でも、本当に今日は暑いな」
「梓ちゃん、こんにちは~」
「こんにちは、皆さん」
先輩たちが揃って到着した。
みんな暑そうにしているけど、唯先輩だけは特に暑がっている。
もともと唯先輩は、急な温度変化で体調を崩しやすい人なのだ。
「あ~づ~い~」
私はそんな唯先輩を気遣って、ここに来る前に買った500mlのペットボトルを手渡した。
「先輩、お水ですよ」
「んー…?おおっ!ありがと
あずにゃん~!」
「にゃっ!?」
不意に唯先輩が抱きついてきた。
こんな暑さにもかかわらず頬ずりまでしてくる。
「あ~ずにゃ~ん…」
汗ばんだ頬と頬がねっとりと密着する。
Yシャツ一枚を隔てた先に唯先輩の体温を感じる。
暑さで若干麻痺していた私の思考は、もはや唯先輩を制止することさえ忘れていた。
思わず唯先輩の背中に手を回してしまう。
「暑い…」
「じゃあ止めろよ…」
私たちの様子を見ていた澪先輩が呆れたようにそう言った。
直後、唯先輩はパッと私を放してしまう。
「おお、そうだった。あずにゃんお水貰うね」
「あ、はい…どうぞ」
…焦った。
一瞬だったけど、理性が飛んでいた自分に私は焦った。
自分から唯先輩の背中に手を回すなんてどうかしている…
バレたらどうするんだ。暑さのせいとはいえ、今のは完全に失態だった。
しっかりしなくちゃ。
暑さを振り切るように、私は首をぶんぶんと左右に振った。
「ぷはぁ~。ありがとね、あずにゃんっ」
「いえいえ」
水分補給を終えた唯先輩は、いつもの笑顔でペットボトルをはいと私に渡す。
渡されたそれを、私はできるだけ無心で飲んだ。
澪先輩、律先輩、ムギ先輩と別れた私と唯先輩は、いつものように二人並んで歩く。
「…それでね、TVのまねして特製アイスを作ってみたの。そしたらね!…」
「…へえ~、さすがは憂ですね…」
他愛もない会話が続く。まあ、ほとんど唯先輩の話を私が聞いてるだけなんだけど。
会話をしながら、私は夏休みのことを考えていた。
…いっそのこと、逆転の発想をしてみたらどうだろうか。
唯先輩と会えなくて寂しいと思うよりも、あえてこの過ちを清算するチャンスだと考えるんだ。
今までは常にこの人が隣にいたから、想いをちゃんと消し去ることができなかった。
そりゃあ、好きな人の顔を毎日のように見ていたら忘れられるわけないよね。
でも、長い間顔を合わせずに過ごしていればどうだろう…?
もちろん最初のうちは、寂しいと思うかもしれない。
だけど、さらに時間が経てばどうだろう…
二ヶ月もあれば、忘れられるんじゃないかな?
そうだ。
いつまでも悩んでいたって仕方ない。
この際、夏休みに対する不安をチャンスに変えてやればいいんだ。
私が再び「常識」を取り戻すためのチャンスに…
「ねえねえ、あずにゃん」
「はっ、はい!?」
急に話しかけられて声が裏返ってしまった…何だろう。
「今度の日曜、私と遊ばない?」
「…へ?」
「今年の夏休みは、あんまり一緒に遊べないでしょ。私たち夏期講習とかあるし」
「確かにそうですけど…それならなおさら、勉強した方がいいんじゃないんですか」
「ええ~。試験終わったばっかりなんだし、夏休み前に一回くらい遊ぼうよ~」
「わあっ!」
唯先輩は私に抱きついてくる。
「…もう、急に抱きつかないで下さい!」
「お願いだよぉ、あずにゃん」
ああもう…。
そんなにうるうるした瞳で懇願されたら…断れないじゃないですか。
「べ、別に一回くらいなら構わないですけど…」
「ほんとにっ!? ありがとあずにゃん~!」
「うぅ…」
唯先輩は横から私をさらに強く抱きしめてくる。
ほんと、私の気なんか知らないで簡単に抱きつくんだから。
「だいたい何して遊ぶんですか?」
「えっ?う~んそうだね…」
「考えてなかったんですか…」
相変わらず無計画な先輩に呆れてしまったが…まあ、それはおいといて。
二人きりで遊ぶということ。
それは今の私にとって、葛藤以外の何物でもない。
せっかくあなたのことを忘れようと思ったのに…どうしてこのタイミングなんですか。
さっきまでの私の決意をどうしてくれるんですか。OKしちゃった私も私だけど。
「んまぁ、とりあえずうちに来なよ~。夏場は外暑いしさぁ」
「どうせ、ゲームとかマンガしかすることないんでしょ」
「ぶー、そんなことないもん。…あっ、ギターを一緒に弾くなんてどうかな?」
「ギターですか?」
これまた意表をついた提案だ。
ゲームやマンガに比べたら、よっぽどマシな提案だろうけど。
「まあ、練習するっていうなら付き合いますけど」
「決まりだね!じゃあ、日曜日の十時にうち集合で!」
「決めるの早っ!」
…まあ、一回くらいならいっか。
どうせ夏休みに入るまでは、学校で顔合わせることになるんだし。
ただ、二人きりで遊ぶなんて機会はもう無いのかもしれない。
夏休みが終わって二学期が始まる頃には、三年生はいよいよ本格的な受験モードに突入する。
そうなるとプライベートでも勉強するのが当たり前だ。
文化祭ライブが終わるまでは、今みたいに帰り道で二人きりの時間はあるだろう。
でも、休日に二人だけで遊ぶことは恐らくもう無い。
否、あってはならないんだ。間違った感情を、もう捨て去ると決めたんだから。
だから、けじめをつけよう。
唯先輩への気持ちは、今度の日曜日を最後に踏ん切りをつける。
そして、夏休みの間に完全に忘れよう。徐々にでいいから。
今年の夏はうんと予定を入れてやる。お祭りでもプールでも映画でも、何でもいい。
他のことが何も考えられないくらいに、スケジュールを真っ黒に塗り潰すんだ。
その中で楽しく過ごせたら尚良いと思うし、自然とほとぼりも冷めていくだろう。
その代わり…日曜日は二人きりの時間をできるだけ楽しもう。
好きな人として過ごす最後の一日くらい、良いよね。
顔をずっと眺めているくらいなら、バチは当たらないよね。
日曜日を最後に、私はこの醜い欲情と決別する。変わるんだ。
「楽しみだなぁ~」
へらっと笑顔を浮かべる唯先輩の傍らで、私はふんすと小さく意志を固めた。
日曜日。
時刻は十時ちょうど。私は平沢家の前に立っていた。
七月中旬とは思えないほどの熱気が、アスファルトの地面からむんむんと伝わってくる。
天気予報で「最高気温が三十度を超える真夏日になるでしょう」と言っていたのは本当らしい。
私はそれを見越していたので、青いボーダーのノースリーブにショートパンツという涼しい格好だ。
背中には愛用のギター、むったん。しかしこれだけ暑いと、むったんを持ち運ぶだけでも重労働となる。
私は「平沢」と書かれた表札の横にあるインターホンを押した。
数秒と経たないうちに玄関のドアが開く。
「やっほ~あずにゃん」
「おはようございます、唯先輩」
唯先輩も私と同じく、白地のノースリーブとショートパンツの組み合わせだ。
「今日は暑いねぇ…さっ、入って入って」
「おじゃまします」
靴を脱いで家に上がると、私は二階のリビングに案内された。
やっとの思いで運んだギターケースを壁に立てかけていると、私のよく知る人物が現れる。
「梓ちゃん、いらっしゃ~い」
「おはよう、憂」
エプロン姿の憂が、麦茶入りのグラスを二つ持ってきてくれた。
「ありがとう」
「どういたしまして♪」
今日は唯先輩と二人きり…
なんて思っていたから少し残念な気もしたけど、決して顔には出さない。
「えへへ、それじゃあさっそく…」
「練習ですか!?」
「ゲームしよう!」
「…」
全くこの人は…
まあ多少練習に期待していたとはいえ、大方私の予想通りの展開だったので今さらって感じだ。
あまりに唯先輩が目を輝かせながら言うので、仕方なく私はゲームを一緒にすることとなった。
「わぁ、あずにゃんうまいね!天才っ!」
「そんなことないですよ…」
しばらくゲームに熱中した後、目が疲れてきたので休憩タイムとなった。
時計の短針は十二を過ぎたところだ。
「お昼ごはんどうぞ、梓ちゃん」
丁度そこへ、憂がおにぎりとデザートのゼリーを持ってきてくれた。
「お昼まで…なんかゴメン」
「気にしないで。時間がなくてちゃんとしたもの作れなかったし」
「うい~、どっか出かけるの?」
「うん。ちょっと
お買い物行ってくるね、お姉ちゃん」
「ほいほ~い」
「夕飯の時間までには帰ってくるから、梓ちゃんとお留守番よろしくね」
「わかったよぉ」
ほわっとした笑顔で返事をする唯先輩。
えっ…
ていうか、もしかして…
この後、唯先輩と二人きり…!?
階下でドアが閉まる音、続いてガチャリという施錠音が聞こえた。
今。
この広い空間には私と唯先輩、二人だけ。
どうしよう、さっきまでは何とも思ってなかったのに…
いざこのような状況に立たされると、急に唯先輩のことを意識してしまう。
「どしたのあずにゃん、早くお昼ごはん食べよ?」
そんな私のことなど露知らず、唯先輩はごはんを前に幸せそうな顔を私に向けてくる。
と…とにかく、今はご飯を食べることに集中しよう。
三度の飯が何よりも好きな唯先輩との食事を、私の変な気によって台無しにするわけにもいかない。
「…ふぅ、ごちそうさま~。ゼリーおいしかったぁ」
「ごちそうさまでした」
デザートのみかんゼリーまで平らげた後、唯先輩はそのまま床に寝転がってしまう。
「ほげぇ、幸せ~…」
「ちょっと唯先輩、お行儀悪いですよ」
「あずにゃんもやってみんさい♪ 気持ち良いよ~」
そう言いながら、唯先輩は私に向かって両腕を広げてみせる。
一瞬、変な思考が頭をよぎったけど無視する。
「もう…それより、ギターの練習するんじゃなかったんですか」
「…あっ、そうだった!」
「やっぱり忘れてたんですね…」
「ゴメンナサイ…今から一生懸命やるから許してぇ」
「たぶん、ギー太もお部屋で泣いてますよ」
「そ、そんなぁ~」
ふふっ、涙目な唯先輩も可愛い…
って何を考えているんだ私は。
「冗談ですよ」
「…いや、なんかそんな気がしてきた!」
「へ?」
「ギー太~!今行くから待っててね~~!」
「ちょっ、唯先輩!?」
はぁ…さっきまでのゴロゴロ精神はどこへやら。
とりあえず、むったん持って唯先輩の部屋に行かないと…
私はギターケースを担ぐと、遠ざかる唯先輩の足音を追いかけた。
唯先輩の部屋。
部屋にお邪魔してベッドの上を見ると、唯先輩はむちゅちゅ~とギー太に抱きついていた。
はたから見たら、間違いなくただの変人である。
私はそれをどう思うでもなく、淡々とギターケースからむったんを取り出して口をすっぱくする。
「唯先輩、練習やりますよ!」
「あっ、待ってよあずにゃん~」
慌てて身を起こしストラップを肩にかけたかと思うと、すぐに唯先輩は私の隣にやってきた。
その動きの早さに内心驚きつつ、私も腰を下ろして正座崩しの体勢になる。
「えへへ、この前ゆいあずで演奏したとき以来だね」
「そうですね…」
ゆいあず。
それは私たちのユニット名だ。
つい先日、市内の演芸大会にギターの弾き語りで唯先輩と出場したときのユニット名。
言うまでもなく、ネーミングの由来は私と唯先輩の名前からだ。命名したのは私。
自分で名付けておいてなんだけど、私はこのユニット名を聞くと恥ずかしくてならない。
…まるで、唯先輩と私が一つになっているみたいで。
穿った見解なのは分かる。
そもそも私自身、このユニット名にやましい意味を込めたわけではないし。
でも、後になってその語感やイントネーションを咀嚼してみたら何だか…
…ダメダメダメ。
こんなんじゃ、夏休みになっても何も変わりやしない。
決心したんだから。余計な考えは排除しなきゃ。
「あずにゃん、どうかした?」
「な、何でもないです…それよりも、早く練習しましょう!」
私の様子に小首を傾げながらも、唯先輩はうんと頷いてからピックを手にとった。
それから私たちは約二時間、ぶっ通しでギターを弾き続けた。
「ふぅ~。ちょっと休憩しよっか、あずにゃん」
「そうですね」
唯先輩はギー太を肩から外してスタンドに置くと、とうっと背後のベッドに飛び込んだ。
「いや~、たまにはこうやってギターを弾くのもいいもんだねぇ」
たまには…か。
そういえば、唯先輩の家で一緒にギターを弾いたのって初めてかもしれない。
いつもインドアの遊びといえば、ゲームしたり、マンガ読んだり、テレビ見たりって感じだったし。
だから何となく、こうして部屋でセッションするのは私にとっても新鮮だった。
…いや、別に新鮮なんかじゃないから。
ギターなんて、普段から一緒に弾いてるじゃない。
同じギタリストとして一年以上やってるのに、何を今さら。
もうプライベートで一緒に演奏することなんてないんだから。
ていうかそもそも、二人だけで遊ぶこと自体…
「…にゃん。あずにゃん」
「…はっ、はい」
「なんだか今日のあずにゃん、ボーっとしてるよ?」
「そ、そんなことないですよ…」
ごまかそうとするが、無垢な瞳はじっとこちらを見つめて離さない。
その視線に耐えかねて、私は慌てて話題を変えようとする。
「そ、それにしても今日暑いですね」
「唯先輩ったらクーラー苦手だから、部屋にいても全然涼しくないですし」
「あはは、これじゃ外にいた方がマシなくらい…」
「嘘だよ」
「…え?」
何の脈絡もない発言に、思わず言葉を詰まらせてしまう。
「嘘だよあずにゃん。私知ってるよ?最近、あずにゃんが元気ないこと」
「…」
どうして…
なんで分かったの。
あなたの前では、極力いつもの自分を保っていたつもりなのに…
あなただけにはバレてほしくなかったのに…
「あずにゃん、悩み事があるなら私に言っていいんだよ?」
そんなの…言えるわけがないでしょう。
私は、他でもないあなたのことで悩んでるんですよ?
それさえ分からないあなたが、私の葛藤を解決できるとでも?
冗談じゃない。それができたらとっくにこの想いを伝えて…
「ほら、私一応あずにゃんの先輩なんだし」
ドクン。
心臓が跳ね上がる。
先輩風吹かせた顔で、たしかに唯先輩はそう言った。
「一応あずにゃんの先輩」
…はあ。
そういうことですか。
結局あなたにとって、私はその程度の存在だったんですね。
私を後輩としか見ていないどころか、その存在意義は「一応」で形容できてしまう代物らしい。
ははっ…
なんかもう、馬鹿みたい。
私一人で舞い上がったりしちゃって。
この人は元から、私のことなんてどうでも良かったんだ。
そのくせ悩み事だけは律儀にも聞いてあげようだなんて。図々しいにもほどがある。
悲しみや落胆が、沸々とした感情へと変わっていくのが分かった。
激情は私の中で渦巻き、やがて一度は葬り去られたはずの欲望へと変貌を遂げた。
目の前には、すまし顔で私の返答を待つ一人の女性。
いいですよ…
教えてあげますよ。
私の悩み。私の葛藤。
分かってもらえないのなら、分からせてやりますよ。
「きゃっ!?」
私は唯先輩をベッドに組み伏せた。
仰向けの状態で両腕を掴まれているにもかかわらず、唯先輩はまだ状況が呑み込めていないようだ。
「あず…にゃん?」
疑問を呈する唯先輩を一瞥し、私は強引にその唇を奪う。
「んむっ!?」
唯先輩の目が見開かれる。ようやく私が何をしようとしているのか気付いたのだろう。
それにしても…柔らかい。それに温かい。
キスってこんなにも気持ち良いものなんだ。
一人で自分を慰めることはできても、キスは相手がいないと成立しない行為。
初めての感触に、私はこれ以上ない興奮を覚えた。
「んっ……くふぅ…」
抵抗しようとする唯先輩を全身で押さえつけながら、舌で無理やりその唇を押し開く。
そのまま舌先で唯先輩の舌に触れると、とてつもない快感が私の体を貫いた。
「んあっ……あず、にゃ……」
私の名前を呼ぼうとするも、口を塞がれた状態ではそれもままならない。
その様子に全能感を得た私は、ついに白いノースリーブの下から手を滑らせた。
次の瞬間、唯先輩はピタリと抵抗するのを止めてしまった。
(え…?)
唯先輩の全身から力が抜けていくのが分かる。
もう逃げ出せないと悟って、大人しく観念したのだろうか。
不思議に思った私は、押しつけていた唇を少しだけ離した。
…笑っていた。
こんな状況にもかかわらず、唯先輩は笑っていた。
微笑を浮かべていた、と言った方が正しいのかもしれない。
なんで?
なんで笑っていられるの?
これから私に何をされるか分かっているの?
見透かした様なその眼差しに苛立ちを覚えて、私は再び唇を押しつけた。
舌を侵入させる。それでもやはり、唯先輩からの抵抗はない。
分からなくなった私は、唇を離して畳みかけるように言った。
「どうして笑っているんですか…」
「どうして抵抗しないんですか…」
「こんなことされて、気持ち悪いとは思わないんですか!?」
「…ねえ、答えてよ……私のこと、どう思ってるの…?」
…私は泣いていた。
さっきまでの興奮は一気に冷めてしまい、これ以上はどうすることもできそうになかった。
悔しかった。
何をしても唯先輩が私より優位に立っているのが、悔しくてならなかった。
いつも私を振り回してばかりで。
近くにいたと思ったら、遠くで愛想を振りまいていて。
忘れようと思っても、忘れさせてはくれなくて。
強引にその体を求めても、まるで受け入れるかのように笑ってくれて。
結局、何をしても唯先輩に私の存在を刻みつけることはできなかったんだ。
私はただの後輩。
あずにゃんて呼ばれて、抱きつかれて、私はそれに少し怒ったような態度を見せて。
それで良かったんだ。唯先輩にとって私は、それ以上でもそれ以下でもないんだから。
でも、時すでに遅し。私は人生の末路を辿ることになる。
唯先輩に嫌われ、軽音部から追放され、転校を余議なくされ…
これが道を踏み外した者の行く末だ。
同性愛なんてのは、認められたものではないのだ。
一度でもその気持ちを抱いてしまえば、運の尽き。
自分を慰め続けるか、想いを爆発させるか、どちらかを選ぶしかない。
そしてそのどちらを選んでたとしても、決して幸せになることはない。
終わりだ。
この場から身を引こう。
分かってはいたけど、これが現実なんだ。
溢れる涙を片手でぬぐいながら、私は唯先輩の上から体を起こした。
(続く)
- 続きが気になる…! -- (名無しさん) 2010-12-11 22:24:37
- つづきは!? -- (名無しさん) 2012-10-20 19:28:14
- 続けよ! あとやっぱ、百合は葛藤あってこそだと思う -- (名無しさん) 2014-01-27 20:20:09
最終更新:2010年09月16日 13:11