今日もいつもと同じ放課後を過ごす。

ムギ先輩の淹れてくれた紅茶を飲み、用意してくれたお菓子を食べ、ふざける律先輩に、ツッコミを入れる澪先輩、それを一通り見て笑う唯先輩。

いつもと同じ放課後。

練習はほんの少しで、おしゃべりばかり。

最初こそは違和感を覚えたが、今ではすっかり日常化している。

金曜日までこんな感じなのか、と思うと心の中で少しだけ苦笑い。

でも、来週の月曜日からは全く違う放課後になってしまう。



突然のことだった。

両親がいつにも増して真剣な顔でしゃべりだした。
趣味を仕事に生かせるって素晴らしいことだと思う。
ようやくめぐり合えた音楽の仕事。
もちろん応援したい。

でもひとつだけ問題があった。


アメリカ。

正式名称、アメリカ合衆国。
首都はワシントンD.C.。
母国語は英語。

それが両親の仕事の中心となる現場。

あまりにも突然すぎて、1週間は考えることすらできなかった。

それが現実だと感じたのは1週間たってから。


パスポート。

国家間で移動する際に必要となるもの。

ようやく思考がしっかりとしてきた。

もちろん頭の中にあるモヤモヤはまったく取れない。

思考がしっかりしても何も考えられない。

これから先のこと。

今までのこと。

高校のこと。

憂や純、友達のこと。

部活のこと。

放課後ティータイム。

唯先輩達のこと。



何もせずとも地球は回る。

一日一日が過ぎ去っていく。

今日もいつもと同じ放課後を過ごす。

ムギ先輩の淹れてくれた紅茶を飲み、用意してくれたお菓子を食べ、ふざける律先輩に、ツッコミを入れる澪先輩、それを一通り見て笑う唯先輩。

いつもと同じ放課後。



唯先輩たちと別れて、いつもと同じ1人で帰る帰り道

この風景をもう見れなくなってしまうのか、と思うと寂しくなる。

そんなことを考えた瞬間、背後から衝撃を受けた。

「あ~ずにゃん!」

「にゃっ!?」

「えへへ~」

「もう、びっくりさせないで下さい」

「ごめん、ごめん」

「わざわざどうしたんですか?」

「えっとね~、ちょっとおしゃべりしよ」

「はぁ、いいですけど…」

「よし、じゃあ…れっつごー!」

そういうと唯先輩は私の手を引いて走りだした。



着いた場所は河川敷。

並んで腰を下ろした。

「なんだか懐かしいですね」

「そうだね~、『ゆいあず』結成したとき以来だからね」

「そうですね」

しばらく二人とも川の流れを眺めていた。

何分、何十分経っただろうか。


「はい」

「何か…あった?」

「え………いや…特には…」

「ううん、何かあったよね?」

「何も………ないですよ…」

「嘘ついてもわかるよ」

「嘘なんて…」

「あずにゃんのことなら、な~んでもお見通しだよ」

「何も…ないですから…」

「う~ん、そうかな…でも…」

「嘘なんてついてません!わかったような言い方しないで下さい!」

私は立ち上がって声を張り上げていた。

その直後に自分のとってしまった行動に後悔した。

唯先輩は立ち上がった私の目をじっと見つめている。



「…失礼…します」


次の日私は学校を休んだ。

理由は単純。

唯先輩と顔を合わせないためだった。

部活に出なければいいとは思うが、唯先輩のことだから2年生のクラスまでわざわざ謝りにくるに違いない。

私のほうに100%非がある。

でも唯先輩は昨日のことについて謝りに来る。

唯先輩はそういう人なのだ。

家には私1人。

両親は引越しの準備があり家を出ている。

一日中ベッドで横になっていた。

寝巻きから着替えもせず、ご飯も食べず、何をすることもなく。



こんなにも音を感じることのない日は初めてかもしれない。

携帯電話はサイレントモード。

携帯電話を確認することはしなかった。

もし、唯先輩からのメールや着信があったとき、頭の中が今以上にぐちゃぐちゃになってしまうから………。



気がついたら夕方になっていた。

窓からは夕日が差し込み部屋を赤く染める。

いつの間にか寝ていたようだ。

何の気なしに携帯電話を開いた。

待ちうけ画面にはメールと着信を知らせる表示があった。

しまった、と思ったが内心どうでもいいやと考えるようになっていた。

メールフォルダには、けいおん部の先輩達全員と純と憂からメールがあった。

着信は唯先輩から2回あった。

心がしめつけられる。

純にメールを打っていた時だった。

携帯電話の画面が切り替わり着信を知らせる画面になった。

ディスプレイには『唯先輩』の表示。

私はどうすることもできず、携帯電話をそのままテーブルの上に置いた。

携帯電話からは音は出ず、画面だけがチカチカと光る。

20秒ほどたつと携帯電話の画面が再び切り替わりメール画面に戻った。

純にメールを打ち終えるとメールが受信された。

唯先輩からだった。

メールの文面を私は直視することができなかった。

『ごめんね、あずにゃん。

わたしのことは嫌いでもいいから

りっちゃんやみおちゃん、むぎちゃんには

元気な笑顔みせてあげてね』

唯先輩のうそつき。

私のことなんでもお見通しだなんて言ったくせに…。

やっぱり、何にもわかってない。

嫌いになってない。

わたしは一度たりとも唯先輩のこと嫌いになったことなんてないのに…。

…なのに。

…どうして。



唯先輩からのメールにはどうやって返したらいいのかわからなかった。

いっそ…いっそ…このままでいいんじゃないかと思った。

唯先輩に嫌われてしまえばこっちに残る理由がなくなる。

そうだ…これでいいんだ…。

安心したら笑顔になれた。



…でも。

涙が流れた。


いつ日本に帰ってこれるかわからない。

もしかしたら、もう二度と日本に帰ってこないかもしれない。



嫌だ…。

二度と会えなくなるのは嫌だ。

でもそれ以上に、唯先輩を傷つけたまま別れるのはもっと嫌。

ちゃんと伝えなきゃ。

分からず屋の唯先輩に。

嘘つきの唯先輩に。



「お待たせ、あずにゃん」

唯先輩が小走りで河川敷に到着。

「いえ、呼び出したのは私のほうなんで、気にしないでください」

「風邪は大丈夫なの?」

「風邪?」

「うん、みおちゃんからあずにゃんは風邪ってメールがあって…」

唯先輩以外には風邪で休んだ、とメールしたことを思い出した。

「もう大丈夫です。すみませんメール返せなくて…」

「気にしなくていいよぉ。でもあずにゃん元気になってよかった」

唯先輩は顔を緩ませて笑う。

でもいつもの笑顔とはどこか違う。

「あの、唯先輩」

「なぁに、あずにゃん?」

「私…私、唯先輩のこと嫌いになってなんかないです」

「ふぇ?」

「この間はすみませんでした」

「あずにゃんは悪くないよ。私が変なこと言ってただけで…」

「アメリカに引っ越すことになったんです」

「………」

唯先輩は無言でこちらを見つめている。

「わ、私も突然のことで驚きました。親の仕事の事情で…。
もちろん応援したいです。好きなことが仕事に生かせるってすごいことだと思います。
…でも頭の中めちゃくちゃで。どうしたらいいかわからなくて。
唯先輩にひどいこと言っちゃって…わたし…さいてーです…」

涙が溢れてまともに喋れなくなる。

「よーしよし…」

唯先輩は私を優しく抱きしめて頭を撫でた。

「そっか…。あずにゃんはえらいね。私だったら頭の中爆発してるよ。
みおちゃんやむぎちゃんでも、どうしたらいいかわからないと思う」

「…律先輩だったら、どうなるんですか?」

「りっちゃんも爆発するかな」

「そうだと思います。ふふふ」

「あ、やっとあずにゃん笑った」

「唯先輩の…おかげです」

「ほんと?照れるなぁ」

「あの、それよりそろそろいいですか?」

「なにが?」

「この状態…恥ずかしいです」

「えーそんなことないよ」

「そんなことあります」

「もう…あずにゃんのいけずぅ」

「なんですか、それ」

いつものやりとりをして安心する。

並んで川の流れを見つめる。



日が傾く中。

川面が赤く染まる。

唯先輩が問いかけた。



「あずにゃんはどうしたいの?」

私は…。

私は…どうしたいの…。

今までの思い出が頭の中をめぐる。

両親が楽しそうに演奏をする姿。

初めてギターにさわったあの日。

両親と共にライブを見に行ったこと。

高校に入学して軽音部のライブを聴いて感動したこと。

先輩達と初めて一緒にライブをしたこと。

軽音部としてすごした放課後。

「私は………私は…」

ここから先の言葉が出てこない。



「ここからは私のひとりごと」

唯先輩が私に笑いかけて話し出した。

「ひとりごとだから誰も聞いちゃだめだよ」

身体全体でリズムをとるようにして話す。

「私はね、けいおんっていう言葉も知らなかったんだよね」

「軽い音楽ってくらいだから簡単なんだろうなぁって思ってたんだけど、そんなことなくってとっても大変だった」

「でも今日までやってこれたのは、軽音部のみんながいてくれたから」

「りっちゃん、みおちゃん、むぎちゃん、あずにゃん、それから…さわちゃんもかな?」

「みんながいてくれたから私は頑張れたんだ」

「私はそんな軽音部が大好き」

「私は大好きな軽音部でもっと音楽したい」

「ふぅ、ひとりごと終わり!」

唯先輩は再びこちらに笑いかけた。

「私も…私も…軽音部が大好きです」

「背中を押してくれる律先輩のドラム」

「しっかりと支えてくれる澪先輩のベース」

「優しく包み込んでくれるむぎ先輩のキーボード」

「私の手をひっぱってくれる唯先輩のギター」

「そんな軽音部で音楽がしたいです」

「もっともっと、軽音部で音楽したいです!」

「でも、どうしたらいいか…」



「あずにゃん」

「…はい」

「私にまかせて」



次の日唯先輩は、私の家で両親と対面していた。

唯先輩の正面に私の父。

父の隣には母が。

私は母と向き合って唯先輩の隣に腰掛けていた。

唯先輩はいつもの唯先輩のようで、いつもの唯先輩ではない。

「梓のことだね」

父が口を開いた。

「はい」

「急なことになってしまって、すまないとは思っている」

「あの、ひとつお願いがあります」

「なにかな?」

「梓ちゃんをうちに住まわせて下さい」

唯先輩は私の父をしっかりと見据えて放った言葉に、私は驚くことしか出来なかった。

「すまないが、それはできない」

「お願いします!」

「大事な娘を日本に残してアメリカへ行くほどだめな親ではないんだ」

「それでも、お願いします!」

「軽音部が4人になっても演奏はできるじゃないか。実質去年は4人で活動していたそうだし」

「ダメなんです。梓ちゃんがいないと…ダメなんです」

「ギターが弾ける子なら他にも…」

「梓ちゃんがいて、5人で軽音部なんです」

唯先輩はそのまま言葉を続ける。
?

「もっと5人で音楽がしたいんです!だから…お願いします!」

「………梓は」

父の視線がこちらへ向く。

「梓は…どうしたいんだ?」

「私は…私は、お父さんとお母さんの仕事を応援したい」

「そうか、じゃあ…」

「でも、それ以上にもっと今の軽音部で音楽がしたい」

伏せていた視線を上げ、父を見据えて言葉を続ける。

「今じゃなきゃダメなの…この先どんなにギターがうまくなっても、どんなに音楽のことがわかるようになっても、その時じゃ遅いの…だから、お願い………」



「簡単には会えないんだぞ」

「えっ…」

「日本とアメリカでは簡単には会えないんだ、と言ったんだ」

「それって…」

「あまり迷惑をかけるんじゃないぞ」

「お父さん…」

「ただし、ひとつだけ条件がある」

「………」

「精一杯、音楽を楽しみなさい」

「…うん!」
?

父は優しい笑顔に私は精一杯の笑顔で答えた。

父の言葉を聞いた唯先輩は、いつもの唯先輩に戻っていた。

「あずにゃん!これからも一緒にけいおんできるね!」

いつもの唯先輩はいつもどおり抱きついてくる。

私もいつもどおりの私で対応する。



「こんなとこでやめてください!」


  • いい話やん -- (名無しさん) 2014-10-08 13:47:47
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最終更新:2010年10月10日 16:31