秋色のとばりに
『秋色のとばりに』
憂鬱な気分というものは簡単に晴れるものじゃない。
いくら振り払ってもまとわりつく蜘蛛の糸みたいなものだから。
いくら振り払ってもまとわりつく蜘蛛の糸みたいなものだから。
◇ ◆ ◇
薄暗い部屋の中にいても、かすかに虫たちの合唱が聞こえてくる。
いよいよ秋も本番。でもまだ日が落ちるには間があるはずだけど。
ひょっとしたらこれから雨でも降るのだろうか。
いよいよ秋も本番。でもまだ日が落ちるには間があるはずだけど。
ひょっとしたらこれから雨でも降るのだろうか。
どうやら真っ白に燃え尽きていた私の頭がゆっくりと回り始めたらしい。
ぞくりと寒気を覚える。ぐっしょりと汗をかいたままでしばらく呆けてたから、すっかり身体が冷えてしまったのだろうか。
鉛のように重たい左腕で、そっとタオルケットを首元まで引き上げる。
ぞくりと寒気を覚える。ぐっしょりと汗をかいたままでしばらく呆けてたから、すっかり身体が冷えてしまったのだろうか。
鉛のように重たい左腕で、そっとタオルケットを首元まで引き上げる。
「寒いの?」
傍らで先ほどまでの余韻に浸っていたらしい唯が、その気配に気づいて小声でささやきかけてきた。
耳元に小さな吐息を吹きかけられたみたいで、なんだかこそばゆい。
耳元に小さな吐息を吹きかけられたみたいで、なんだかこそばゆい。
もぞもぞと私たちが動くたびにベッドが小さな悲鳴を上げる。
なにしろ小学生の頃から使い続けている、ごく普通のシングルベッドなのだ。
たとえひとりひとりの体重が平均以下だとしても、ふたり同時となるとさすがに辛いのだろう。
なにしろ小学生の頃から使い続けている、ごく普通のシングルベッドなのだ。
たとえひとりひとりの体重が平均以下だとしても、ふたり同時となるとさすがに辛いのだろう。
「ちょっと、ね」
そう答えたとたん、唯のか細い両腕がするりと私の背中に回され、そのままぎゅうっと抱きしめられた。
何ひとつ隔てるもののない状態だから、嫌でも彼女の体温を感じさせられてしまう。
意外なほどに柔らかい感触や、私のものとは違う汗のにおいとともに。
何ひとつ隔てるもののない状態だから、嫌でも彼女の体温を感じさせられてしまう。
意外なほどに柔らかい感触や、私のものとは違う汗のにおいとともに。
「これでどお。少しは暖かくなった?」
「ん、ありがとう」
「ん、ありがとう」
えへへ、と唯が愛想をくずす。それを見るたびに、私の奥底に鈍い痛みが走るのだ。
これでいいのだろうかと。
こんなことをしていていいのだろうかと。
こんなことをしていていいのだろうかと。
私の方からというわけでもない。
もちろん唯の方からというわけでもない。
どちらが先かなんて、まるで意味のない問いかけだ。
もちろん唯の方からというわけでもない。
どちらが先かなんて、まるで意味のない問いかけだ。
あれは夏フェスの最初の夜のことだった。
私たちは草むらに腰を降ろし、彼方から聞こえてくる今にも消え入りそうな演奏を、ただ無言で聞き入っていた。
そのうち、どちらからともなく手を取り合い、いつしか互いを強く求め合ってしまった。
私たちは草むらに腰を降ろし、彼方から聞こえてくる今にも消え入りそうな演奏を、ただ無言で聞き入っていた。
そのうち、どちらからともなく手を取り合い、いつしか互いを強く求め合ってしまった。
それからというものの、まるで足りない何かを埋め合わせるかのように、こんな泥沼のような間柄に陥ってしまっている。
やがて夏休みが明け二学期が始まっても、こうして機会を見つけては私の家でだらだらと逢瀬を続けているのだった。
やがて夏休みが明け二学期が始まっても、こうして機会を見つけては私の家でだらだらと逢瀬を続けているのだった。
それは不安。むしろ恐怖にも似た怯え。
私が唯に抱いている感情は、正直よくわからない。
ただ愛とか恋とか、そういうモノとはほど遠い、もっと湿っぽく粘ついたものだ。
後ろめたさを感じてしまうのはそのせい。だから……。
ただ愛とか恋とか、そういうモノとはほど遠い、もっと湿っぽく粘ついたものだ。
後ろめたさを感じてしまうのはそのせい。だから……。
「ねえ澪ちゃん、あんな本あったっけ?」
ふと唯が疑問を口にしたのは、私がそんな迷路に陥りかけていた時のことだった。
言われるままに唯の視線の先を追う。
机の上に一冊の真っ白い本が置きっぱなしになっていた。それにしても目ざといな。
言われるままに唯の視線の先を追う。
机の上に一冊の真っ白い本が置きっぱなしになっていた。それにしても目ざといな。
「ああ、あれか。昨日ムギから貰ったんだ」
「どんな本なの」
「そうだなあ……唯は知ってるかな」
「どんな本なの」
「そうだなあ……唯は知ってるかな」
北欧生まれのとある有名なアニメのキャラクターの名を私は挙げた。
「うん、知ってるよ。小さいころ見てたし。好きだったなあ、可愛くて」
「同じ作者の書いた、大人向けの小説なんだよ、あの本は」
「ふぅん、そうなんだー。なんか難しそうだけど……おもしろいの、それ」
「とても興味深かったのは確かだな」
「同じ作者の書いた、大人向けの小説なんだよ、あの本は」
「ふぅん、そうなんだー。なんか難しそうだけど……おもしろいの、それ」
「とても興味深かったのは確かだな」
それは小さな島の小さな小屋で静かに暮らすふたりの女性の物語だった。
互いを尊敬し、ときには喧嘩もし、それでもしっかりと絆は結ばれている。
派手な事件もオチもないのだけれど、とても爽やかな読後感だった。
互いを尊敬し、ときには喧嘩もし、それでもしっかりと絆は結ばれている。
派手な事件もオチもないのだけれど、とても爽やかな読後感だった。
本を読み終えてから改めてネットで調べていくうちに、この作者が同性愛傾向を持つ女性だったらしいという情報に突き当たった。
彼女はパリの芸術学校でひとりの女性と運命的な出会いを経験し、やがてバルト海に面した小さな島で共に後半生を過ごしたのだという。この本の内容そっくりだ。
彼女はパリの芸術学校でひとりの女性と運命的な出会いを経験し、やがてバルト海に面した小さな島で共に後半生を過ごしたのだという。この本の内容そっくりだ。
それまで『女性同士の恋愛なんて』という拘りがどこにもなかったかいうと嘘になる。それは否定しない。
でもだからこそ、私たちがこれから歩むかもしれない道が、決して無人の荒野ではないとわかったのが、ずいぶんと救いになったのだ。
でもだからこそ、私たちがこれから歩むかもしれない道が、決して無人の荒野ではないとわかったのが、ずいぶんと救いになったのだ。
それにしても、どういう意図でムギはこの本を私に押し付けてきたのだろう。
理由を聞いてみたいけど、ちょっと怖い気もする。
ひょっとしたら私たちの事、何か気づいているのかも知れないし。
いやいや、いくらなんでもそれは考えすぎか……なんて考えてると。
理由を聞いてみたいけど、ちょっと怖い気もする。
ひょっとしたら私たちの事、何か気づいているのかも知れないし。
いやいや、いくらなんでもそれは考えすぎか……なんて考えてると。
「行ってみたいね、その島」
思いもかけないことを唯が言い出した。
「バルト海のちっちゃな島でふたり暮らし。なんかいいよねー」
「おいおい、私たちは受験生だぞ」
「じゃあ大学に入ったら」
「受かればな」
「んもー。澪ちゃーん、ひどいよー」
「おいおい、私たちは受験生だぞ」
「じゃあ大学に入ったら」
「受かればな」
「んもー。澪ちゃーん、ひどいよー」
拗ねた声で抗議しつつ、涙を浮かべながら唯が私の胸にぐいぐいと顔を押し付けてくる。
「ごめん、ちょっと意地悪だったか」
まあ、それもいいかもしれない。大学に入ったら改めて考えてみようか。
もっともさすがに旅費も安くないだろうから、バイトでもしてお金を貯めて、それからということになるだろうけれど。
もっともさすがに旅費も安くないだろうから、バイトでもしてお金を貯めて、それからということになるだろうけれど。
それにしても唯の自由な発想には本当に驚かされる。
私が考えついたのはせいぜいネットで情報を検索するくらい。
実際に行ってみようかなんて想像もできなかった。
私が考えついたのはせいぜいネットで情報を検索するくらい。
実際に行ってみようかなんて想像もできなかった。
だからこそ楽しい。
だからこそおもしろい。
だからこそ幸せ、なのだろう。
だからこそおもしろい。
だからこそ幸せ、なのだろう。
そして私は、今こそ勇気を奮わなければと思った。唯のためにも。唯だからこそ。
「私たちって……このままでいいのかな」
「え、何?」
「こんなに唯のことばかり求めちゃって、ほんとにいいのかな、私」
「え、何?」
「こんなに唯のことばかり求めちゃって、ほんとにいいのかな、私」
不安を押し隠しながら、ついに私はその疑問を吐き出した。すると。
「うん、全然おっけーだよ。むしろすっごくうれしいっていうか」
「そ、そうなのか?」
「うん」
「そ、そうなのか?」
「うん」
私の戸惑いをよそに、こくんと小さくうなずいてから唯は再び口を開いた。
「ずっと心配だったんだ。澪ちゃんに甘えてばっかで、自分勝手に想いを押し付けてるんじゃないかって」
そっか。同じ……同じだったんだ、唯も、私も。
「だから澪ちゃんが私を求めてくれるの、とってもうれしい。私の一方的なキモチじゃないんだってわかったから」
眩しい。唯の浮かべる笑顔がまるで真夏の太陽みたいで。
「私、澪ちゃんの長い長い指が大好きなんだよ。私を支えるためにベースを奏でたり、カワイイと撫でてくれる指が」
器用に顔を動かし、私の手の先に軽く頬で触れてくる。
「それに……私じゃとても届かない奥深くまで、ねえ」
その台詞を耳にした瞬間、先ほどまでの唯の甘声が脳内で完璧に再生され始めた。
この時ばかりは自分の音楽的素養が酷く恨めしい。
この時ばかりは自分の音楽的素養が酷く恨めしい。
「ば……っ、何を言い出すんだお前はっ。やめろよ恥ずかしいっ」
「紅くなった澪ちゃんもカワイイなあ」
「紅くなった澪ちゃんもカワイイなあ」
しかし唯は私の抗議を華麗にスルーし、今度はとても艶めかしい笑顔を浮かべながら、かあっと熱くなった頬にそっと肌を重ねていく。
もう普段のどちらかというと頼りない雰囲気はどこにも残っていない。
まったくの別人に変貌してしまったみたいだ。
もう普段のどちらかというと頼りない雰囲気はどこにも残っていない。
まったくの別人に変貌してしまったみたいだ。
……っていうか、このパターンは……いやなんというか、とてもまずい。
このまま放っておくと、おそらくはそこから首筋、あるいは耳元へ。
そうなる前にやめさせないと。
弛み切った全身に渾身の気力をそそぎこんで懸命の抵抗を試みる。
そうなる前にやめさせないと。
弛み切った全身に渾身の気力をそそぎこんで懸命の抵抗を試みる。
だいたい、先ほどまでの余韻もまだ冷め切ってないのに……万一このまま再戦などという事態になったら、正直こちらの方が、持たない。
本当に……その、どうにか、なって……しま……って、ダメダメ、このまま流されちゃダメだっ。
本当に……その、どうにか、なって……しま……って、ダメダメ、このまま流されちゃダメだっ。
「ええっと、あー、そうだ、そろそろシャワーにしようかっ。唯、先に入っていいから」
「えー、いっしょじゃダメなのー?」
「えー、いっしょじゃダメなのー?」
やっとの思いで唯の侵蝕を食い止めたというのに、今度は上目づかいで拗ねたようにおねだりされてしまう。
もちろんそれを断るなんてできるはずもない。
もちろんそれを断るなんてできるはずもない。
雲が切れたのだろうか。いつの間にか窓が暖かな陽の光にさらされ、部屋が明るさを取り戻していた。
カーテンを開けて外の様子を確かめてみたかったが、とてもそんなことが許される格好ではないと思い直す。
カーテンを開けて外の様子を確かめてみたかったが、とてもそんなことが許される格好ではないと思い直す。
ま、いいか。
語るべき言葉を失った私は、その代わりに唯の身体に両腕を巻きつけ、きつく抱きしめる。
同時に、先ほどから私の背中に回されたままだった彼女の腕にも、一段と力がこめられたようだった。
同時に、先ほどから私の背中に回されたままだった彼女の腕にも、一段と力がこめられたようだった。
「ん……っ」
小さな吐息が唯の口から洩れる。
それが幸福の芳香のようにも感じられたのは、果たして私の妄想か、それとも自惚れだろうか。
それが幸福の芳香のようにも感じられたのは、果たして私の妄想か、それとも自惚れだろうか。
ひんやりと心地のいい空気と、ほんの少し茜色が加わった日差しと、かすかに聞こえてくる虫たちの合唱。
それは私たちに静かに季節の移り変わりを告げる、柔らかな秋色のとばり──。
◇ ◆ ◇
ありがとう。
出会ってくれて、ありがとう。
そばにいてくれて、ありがとう。
出会ってくれて、ありがとう。
そばにいてくれて、ありがとう。
こんな私でも。
好きになってもいい?
愛してしまってもいい?
愛してしまってもいい?
ずっと溺れてしまっても、いい?
(おしまい)
初出:3->>153->>158
- 大人な澪唯。海外で2人暮らしとか -- (名無しさん) 2010-11-04 13:35:46
- クオリティ高い! -- (名無しさん) 2010-11-11 01:17:05
- 作者!見てるなら澪○ばかり書いてないで唯澪を書いてくれ!頼む! -- (名無しさん) 2010-11-24 03:23:07
- 良い…綺麗だ… -- (名無しさん) 2011-03-18 23:12:24
- 唯澪の中でも珍しいSSだぁ....!! -- (名無しさん) 2011-08-04 17:08:59
- こういう雰囲気好きだな〜 いいもの見せていただきました -- (名無しさん) 2011-12-12 22:03:22
- 素晴らしいの一言です。 -- (名無しさん) 2011-12-21 01:03:59
- おお、、これは良い! -- (通りすがり) 2013-07-06 23:35:25
- 唯澪のこういう雰囲気ほんと好き -- (名無しさん) 2015-11-21 10:03:54