窓の向こうには、明るい満月がくっきりとその姿を見せている。
無数の星達をお供に空で輝くその姿はまるで宝石のようで……いつも、時折見上げてはその輝きに見とれていた。
「……なんだかさわがしいな。 何かあったのかしら」
シャッとカーテンを引いて窓から目を離すと、廊下……いや、廊下も含めた屋敷中から、何か慌しく騒いでいるような声や足音が聞こえてきた。
普段ならば、この時間はとても静かで、こんなふうに大きく物音が聞こえてくるなんていう事はないというのに……
「お嬢様、失礼いたします」
そうして部屋の外の喧騒に耳を傾けていると、扉の向こうから一人の男性の声。
それは、いつも耳にしている子の家の執事さんの一人のもの。
一声かけて入るように促すと、ガチャリと言う音と共に、考えていたとおりの姿の初老の男性がそこに立っていた。
「何かあったの?」
そう問いかけると、執事さんはいつものようにかしこまった姿勢で口を開いた。
「はい、現在屋敷内を不審者が徘徊している模様です」
「……どろぼうさん?」
「今のところ、物品が荒らされた形跡は在りませんので断定は出来ませんが……警備が総出で警戒にあたっておりますゆえ、お嬢様もご注意下さい」
「……わかりました。 では、もうカギをかけておきますので、下がってください」
「はい。 それでは私は警備に戻りますので、お休みなさいませ」
それだけ言ってもう一度頭を下げると、そのまま扉を閉めて行ってしまう執事さん。
そういえば、あの人は元ブレイブマスターの支援士さんで、現役の時代はそれなりに名を馳せていたというのを聞いた事がある。
……じゃあ、現役で武器を持っている警備の人達の立場は? なんて思うこともあるけれど、このお屋敷も広いから、それなりの人数は必要なのかもしれない。
「……どろぼうさんじゃないのかな?」
家の物に手をつけた様子は無いと言っていたけど、貴族の屋敷に入り込むような理由は他には考えづらい。
……もしかしたら、なんて思い当たるコトはあるけれど、それは物語の中で繰り広げられる空想のようなもので、そんな期待、持っていても仕方ない。
今日はもう、大人しく眠るコトにしよう……そう思って、ベッドに足を進めようとした……
「――お嬢さん、寝る前に少し話せないか?」
……その時、声が聞こえた。
お屋敷の中でも、数少ない外でも耳にした事のない、男の人の声。
きょろきょろと部屋中を見回してみても、その声の主の姿は無い……そう思った時だった。
クローゼットが静かに開いて、中にあった私のドレスをかきわけるようにして現れる、黒い服の男性――
彼は、その脇に少し不気味な黒い羽をした妖精を従えていた。
「……もしかして、あなたがどろぼうさん?」
ふと、以前一度だけ聞いた事のある、フェアリーティアという
ジョブを思い出した。
それは妖精を従えたクレセントかセイクリッドの人がなれるもので……目の前にいるこの人は黒い服をしているし、きっとクレセントの支援士さんだと思う。
「なかなか気丈なお嬢さんだな。 普通は叫ぶなりするだろうに」
ははは、と口に出しそうな笑顔で、男の人はそう付け足していた。
そうか、執事さんが言っていた不審者っていうのがこの人だったら、警備の人達が捜しているのも、この人なんだ。
「叫ばれたら困るのはあたし達でしょーが。 言いたい事は分かるけど」
横に浮いている妖精さんが、呆れたような顔をしてこっちをじっと見ながらそう口にしている。
……そう言われても、なんだかタイミングのようなものをはずしてしまった気がして、今更わざわざ大きな声を上げるような気分にはなれなかった。
なにより、そんなに悪いことしそうな人には見えないし……
「……私とお話したいって……それが、この屋敷に入った理由なんですか?」
それよりもなによりも、なんとなく目の前のこの人に興味が出てきていた。
自分だって、本当なら早く逃げ出さないといけない立場なのに、わざわざお話しようなんて、変わった人だな~、と思ってしまったから。
「ま、そんなとこだな。 別に泥棒しにきたわけじゃないから安心しろ」
「
不法侵入してる時点で軽く犯罪だけどね」
「……そうですか……ですが、私の事で話せるようなものは何もありません。 ずっとお屋敷の中で、ただ過ぎていく時を想い、日々を過ごしているだけなのですから……」
望めるのなら、外の世界へ出てしまいたい。
過ぎ行く日々には不自由こそないけれど、胸を躍らせるような物語もないのだから……
「貴族というのは、なに不自由のない贅沢な暮らしをしているんだろう? そんな話を聞きたいと言うのは、庶民には許されないのか?」
「……それは……そんなことは、ありませんが……」
私のような退屈な日々を送る人の話なんて、聞いても面白い事などないというのに。
支援士の方々の、聞くも勇ましい冒険譚には、どんなに脚色しても敵う筈がないのに……
「……でしたら、あなたのお話も聞かせてください。 私は町の外へ出た事のない身、支援士の方ならば、他の町や色々な場所を見てきているでしょう」
そう考えていると、自然とそんな言葉が口からこもれ出ていた。
「だってさ? そんなに時間とれるわけもないんだけど、どうする気?」
妖精さんが、なんだか面倒そうな表情を見せながら男の人によう呼びかけていた。
確かに、今は警備の人達もこの部屋の近くから離れているけど……いつ戻ってくるともわからないから……
「……いざともなれば、私の客人と説明させていただきます」
「結婚間近の御令嬢が、こんな時間に男呼ぶって思われる方が危ない気がするけどな」
「え? ……あっ、はい……言われてみれば、そうかもしれませんね……」
男性とそういった意味で付き会うことは無かったけれど、男女の仲について、そこまで無知と言うことは無い。
こんな時間に、女性の部屋に押しいる男性が、良い目で見られる事は絶対にありえないだろう。
ましてや、婚約の決まっている女性になど……
「……お待ちください、なぜ私が婚約しているとご存知なのですか?」
疑問は浮かぶ。
この場で、結婚や婚約などと言う話は一度もしていない。
それなのに、この人は結婚”間近”の女、と確かに口にしていた。
「ああ、セレスタイトとレヴァーディアの婚約は結構有名な噂だ。 お嬢さんの17歳の誕生日に、レヴァーディアの一人息子と結婚するって、もう3年くらい前から町で流れてるぜ」
「知らぬは本人ばかりなりってね。 ま、アンタ見るからに箱入りだし、仕方ないわよねー」
少し小馬鹿にするように笑う妖精さん。
……さすがにムッとしてしまうけれど、それは確かに仕方のないことだった。
実際、この屋敷から出た事そのものが、数える程しかないのだから。
「……私だって、外へ出られるものなら出てみたいのに……」
思わず、敬語も忘れて口に出していた。
今まで生きてきた中で、リエステールから出た事なんて一度も無くて、ダンジョンやフィールドどころか、他の町ですらも夢の世界。
……お父様やお母様に言っても『必要ない』『危ない』とだけで、認めてくれはしない。
「ふーん。 ま、そういうことなら話してもいい。 これでも5年は支援士をやってるんでね、お嬢様を楽しませるくらいの武勇伝はあるつもりだ」
「……あーもう、最初の目的はどうなったのよ……」
少し楽しそうに微笑んでくれる男の人と、疲れたような表情でその頭の上にふらふらと落ちる妖精さん。
「ご安心下さい、お約束通りわたしの事もお話しますから」
つまらない話一つで、見る事も叶わない世界の話が聞けるのだから……
そのくらいは、別にいいかもしれない……そう思っていた。