一部を除いた大陸中に雪が降り積もり、辺り一帯が銀世界になった12月下旬のとある一日。
子供たちに夢を与え、恋人たちは恋を謳歌し、スイーツ・フラワリング主催のケーキコンテストで職人が腕を競い合い、セントラル・クリスマス・ライブ(略してCCL)では会場が熱狂の渦に包まれ、その他にもさまざまなイベントが各地で行われ、とにかくみんなで歌って踊って食べて笑う。それがアルティア聖誕祭―――属にクリスマスと呼ばれる特別な日である。
これはその前日、とある図書館であった小さな出来事。
「あーもー。なんでこんな日に限って仕事が入るんだよー」
その司書はぶちぶち言いながらも、首から下はまるで別の生き物ように手を動かし、違う場所に置かれている本を引き抜いて元の位置に戻したり、本棚の埃をハタキで掃ったり、損傷の激しい本を抜き取ったりといった本棚の整理を物凄い速さでこなしていた。
「いや今日くらいはいいんだけどさ?でもなんでよりによって明日も仕事があるのかなー?」
「・・・カロ、うるさいわよ」
「だってさミロー!クリスマスだよクリスマス!!冬で一番フィーバーするお祭りじゃん!!」
「・・・正確な名称はクリスマスじゃなくて、アルティア聖誕祭」
「トリルー重要なのはそこじゃないよーっ」
違う本棚を整理していたトリルにそうつっこむものの、その声には力がなく、どこかぐったりした様子のまま物凄い速さで仕事をこなすカロ。どうやら本格的に元気がないようだ。
そこでミロはふと、彼女を知っている者ならだれもが思うであろう疑問をぶつけてみた。
「―――っていうか、あんた今日はなんでサボってないの?こういう日こそあんたのサボリ癖が発揮されるんじゃないの?」
「だうー・・・今日は元気がないからサボる気にならないよー」
・・・いや、それ普通逆じゃない?
元気なときよりも体調の悪い時の方が仕事がはかどるとは、どこかズレたというか、色々と間違っている司書であった。
「明日は全員休んでいいですよ」
大方の仕事が終わり、もうまもなく閉館となった時、フィロが司書たち全員を集めてそう言った。
その台詞に驚いたのが、運悪くクリスマスである明日に仕事の入ってしまった司書たちである。
「司書長。それはどういうことですか?」
「明日はクリスマスですし、おそらく図書館の利用客も少ないでしょう。人手は多分いらないので、明日は特別にお休みです」
司書長の心遣いで司書たちの間に安堵と喜びの空気が湧きあがる。その中でも特に喜んでいたのが、先程までぐったりした状態で、しかしちゃっかりと他の司書たちよりも数時間早く仕事を終わらせてしまったカロである。
「ああ休み!よかったーミロたちと色々まわりたかったから仕事が入ってどうしようと思ってたんだけど―――あ、そうだ!」
休みと聞いていままで舞い上がっていたカロが、突然名案とばかりに胸の前で両手を合わせ、フィロに言ってみた。
「そうだ。フィロさんも一緒に行きませんか!?」
「いえ、私は遠慮します。仕事もありますから」
「・・むー」
躊躇なく断られて不満げな表情を浮かべたカロは、何を思ったのか突然にゅっとフィロの背後に回り込み、フィロの腋をくすぐりだした。
「こしょこしょこしょーーーっ!!」
「なっ!?・・・ちょ・・カロ・・!?」
フィロの困惑の声を無視して、カロはくすぐり続行。
「こしょこしょこしょーーーっ!!」
「ちょ・・ま・・だ、ダメ・・・あは、あははは!!」
「こしょこしょこしょーーーっ!!」
「あはは!・・カロっ・・あははは・・・や・やめてくだ、さ・・・!!」
それでもなおくすぐりを続けるカロ。笑い悶えるフィロはついに我慢の限界を超え―――
フィロの肘打ちがカロの鳩尾に炸裂した。
「ぐえぇっ!!??」
まるで潰れたヒキガエルの様な悲鳴を上げて床に倒れ伏すカロ。
笑い疲れてぜーぜーと肩を上下させながらも、フィロは素早く着衣の乱れを直し、ひっくり返っているカロに氷のよーに冷たい視線を送った。
「・・・一体・・なんの真似ですか?場合によっては容赦しませんよ?」
「げふっ・・ま、待ってくださいフィロさんスイマセン!!これには訳があってですね・・・」
「では早く訳を言ってください。私が冷静でいられるうちに」
くすぐられたのが余程腹に据えかねたのか、フィロの無表情の中にある凄味(怒気とか殺気とも言う)がどんどんと増してきている。
ここでぐだぐだと言い訳を考えていたら本当に何をされるか分かったものではない雰囲気だが、そもそも言い訳する必要もなかったので、カロは素直に白状した。
「フィロさんいっつも無表情で、殆ど笑わないじゃないですか」
「・・・それが?」
カロの言葉の真意がわからず、首を僅かに傾げる。
「いやだからですね」
そこまで言うと、カロはにへらと笑ってこう言った。
「フィロさんが楽しそうに笑ってるところが見てみたいなー、と・・・」
「―――は?」
そんな理由でくすぐったのか。という考えも浮かばなかったくらい、フィロは唖然とした。
「・・・笑う、ですか?」
「そうですよーっ!お祭りはみんなで楽しむものなんですからフィロさんもちゃんと楽しまなきゃダメじゃないですか!!」
カロが声を大にして力説すると、そこで口を挟んだのはフィロではなくミロだ。
「・・・カロ、横槍を入れるようで悪いけど、そんなルールないわよ?」
「いまあたしが決めた!!」
「・・ジャイアニズム?」
「もーうるさいなー!ミロはちょっと黙ってて!!」
「はいはい」
「―――と、言う訳でどうですかフィロさん!?」
「いえ、ですから一応、仕事があるので―――」
そこまで言うと、また別の者が声を挟んできた。
「別にいいじゃねぇか司書長」
随分とくだけた物言いをする声の聞こえる方に司書たちが目を向けると、いつの間にそこにいたのか、館長が腕を組んで佇んでいた。
「別に仕事なんていつでもできるんだしよ。いいじゃねぇか一日くらい休んだって」
「いえ、仕事は一日溜まるとそれを取り戻すのが大変ですから。というか館長も仕事してください」
「まぁそう言うなって。・・・そうだな・・・」
ふむ、と考えるような仕草をしてから、館長は屈託のない笑みを浮かべてこう言った。
「お前らがいない間は俺がやってやるから」
その瞬間、その場の空気が凍りつき、思いもよらない一言に半ば呆然としていた司書たちは、やがて我に返って騒然となった。
「館長が働く!?」「サボリ大魔王が動いた!!」「給料泥棒が動いた!?」「明日はなんだ!?槍でも降ってくるのか!?」といった各種のざわめきが周囲を取り囲む。それはフィロも同じだったようで、騒ぎこそしなかったがいつもの淡々とした表情から一変し、驚いたように目を瞠っていた。
「・・・一体どういう風の吹きまわしですか?」
「どうもこうもなくただの気まぐれだが。偶にはお前も羽を伸ばしたらどうだ?」
「いえ、ですが―――」
「フィロ」
有無を言わせない口調で名前を呼ばれ、フィロは思わず口を閉じた。そんなフィロを見ながら、館長はいたずらを思いついた子供のようににやりと笑う。
「―――いまはもう“人間”なんだろ?」
「―――!」
「偶には部下たちに付き合ってやるのも上司の務めだと思うがな?」
そう言ってウインクをする館長に、フィロの表情が困惑したような、または呆れたような、なんとも表現しがたいものに変わった。
「・・・あなたには言われたくありません。ですが、・・・そうですね」
少しの間目を閉じて黙考し、考えがまとまると、フィロの口元が僅かに綻んだ。
「せっかく館長が仕事をしてくれるというのでしたら、お言葉に甘えさせて頂きます」
そう言って少し視線をずらしてみると、カロが「よっしゃー!!」と大きくガッツポーズを取っているのが見えた。
どうやら、今年の聖誕祭は少し騒がしくなりそうだ。
―――で、次の日。
「あー、やっぱりめんどくせぇなー・・・。俺もクリスマス楽しみたいし。・・よし、今日は休館にするか」
そんなこんなでリエステール中央図書館は急遽休館。そこから飛び出してクリスマスのお祭り騒ぎに突入していった女性の姿があったとかなかったとか。