5・29

―――殺せる
そんなことは何の自慢にもならない
当たり前だ、この国は理由の如何に関係なく殺人を禁じている
私だって人を殺すことはいけないと思うし、倫理的にも生理的にも嫌悪感がある
けれど私はあの日、人を殺すことをごく当たり前に受け入れていた

樹の声は戻らない、私の目が治らないことよりもずっとずっと心を抉ったその事実
その直後にかかってきたオーディション通過の電話と、樹の精一杯の歌声
よく私は「自分の中の獣が!」と中二病ごっこをしてきたが、あの時は本当に自分の中に獣が居ると知った
そいつは激情に任せている様に見えて、立ちはだかった夏凛を叩きのめして何処かに寝かせておこうと冷静に考えていた
夏凛は、大事な仲間は殺せない…逆に言えば、大赦の人間は確実に、できるだけ大量に殺すと決めていた
実際は例のノギソノコちゃんが待ち構えていたらしいので、私は夏凛を突破しても無様に転がされて終わっただろう
けれどあの時、樹を理由にしてなら幾らでも殺して壊してやると思った、その事実は消えない

「芸能界について色々調べてたらさ…いや、精々が自称事情通の語ってる個人サイトくらいのもんだけどね
 万が一、樹に何かあったら私は―――今度こそ止まれないかも知れないって、恐くなった」
私の述懐に、東郷は黙って耳を傾けてくれている。勇者部五カ条、一つ.悩んだら相談
「もう勇者の力もない。大赦も、もうサポートとか援助とかは積極的にはしてくれないだろうね
 私は普通の、ちょっと女子力高めな女子中学生だ…けど、胸の中には“アイツ”が、今もいる」

アイツなんて言い方は卑怯だと自分でも思う、それは間違いなく私自身だ
ちょっとシスコン気味なだけだと言い訳して、姉ならば誰だってこれくらいと目を反らして
直視して来なかった樹への強烈な執着と依存心、他人を蹂躙するのも厭わない所有欲めいた愛情
―――その人の為なら他者を殺せるという、凶悪で強靭な、忌むべき覚悟

「私も」
東郷がポツリと呟く
「私も、勇者部のみんなは無理だと思います。でも、他の人なら…殺せます
 あの時、みんなも殺そうとしていた私が言っても説得力ないかもですが」
淡々とした、単に事実だけを告げる口調。私よりも少しだけ先に進んだ狂気
「でも、友奈ちゃんは多分どんな目にあってもそれは望まないだろうな、というのも解ってます」
樹は、樹もそうだろう。夏凛と戦って、友奈に仲裁されて、最後に私を止めたのは樹だった
樹の為に人を殺す。そんなのは樹は望まない。樹より自分の怒りを優先しているだけだ

「今は、そんな馬鹿なことって笑って否定できる。けど、恐いよ、東郷
 いつか“樹の声が戻らなければ良かった”って口にする日が来るんじゃないかって」
あくまで例えで口に出しただけなのに、嘔吐にも似た悪寒が臓腑をわしづかみにする
「大丈夫ですよ、その時は私が聞きますから」
東郷が薄暗い笑みを浮かべて言った
「私は、今の時点でも時々思うんですよ?
 “ずっと友奈ちゃんが歩けなければ良かったのに”って」
私たちは、暗い部室の中で笑いあう。笑っているのか泣いているのか、正直暗くてよく解らなかった

家に戻ると、待ちくたびれたのか樹がテーブルに突っ伏して寝ていた
これからアイドルになるというのに、顔に変な後でも付いたらことだ
起こす前に、ふと思い立って頬にキスしてみる
柔らかい、あったかい、とてもいい匂いがする―――この温もりの為なら、私は殺せる
何の自慢にもならないことを再確認して、私は樹の肩を揺すった
最終更新:2015年02月08日 23:22