5・138-140

バンっ! という硬質の音とともに、壁に追い込まれた三好夏凜の顔のすぐ横に、手の平が叩きつけられる。

 「――っ!」

 驚きに目を見開く彼女のすぐ目の前には、誰もいない勇者部部室を背にして、犬吠崎風が立ちふさがっていた。
 「………」
 鋭い目つきでまばたきもせず、少し高い視線でまっすぐに夏凜を見下ろす風。その唇は、真一文字に結ばれており、
ただの一言も発さない。
 「ふ、風……」
 うろたえた夏凜が名前を呼んでも、風の様子に変化は見られなかった。相変わらず、真剣な表情で夏凜の顔をじっと
見つめ返してくるだけだ。
 (風ったら……普段あんなにおちゃらけてるくせに、こんな顔もできるんだ……)
 そんな友人の意外な一面に、知らず魅せられてしまっている自分にハッと気づき、夏凜がぶんぶんと首を振る。
 (いやいや、落ち着くのよ私! 知ってるじゃない、コイツは、ふざけてばっかりで大飯食らいの、どーしよーもない
  シスコンで……でも……)
 頭の中で、その気持ちを否定するための理由を必死で並べ立てていく夏凜。だが。
 (……責任感があって、本当は、誰よりもみんなの事を考えてるくせに、それを表に出さないようにしてる意地っ張りで……)
 それがいつしか、風を受け入れる理由にすり替わっている事にも気づかずにいた。
 その時。

 「……ねえ、夏凜」

 低く、抑えた声音で風がささやきながら、ぐっと顔を夏凜に近づけてきた。
 「なっ、何っ……!?」
 びくっ、とその声に反応してしまった夏凜は、耳元でどくん、どくんとうるさく響く鼓動を感じながら、風の次の言葉を
待った。
 「………」
 ややためらいがちな逡巡ののち、たっぷりと間を取って、風が言った。


 「――壁ドンって、この後何すればいいんだっけ?」

「……はぁあ!?」

 表情だけは真剣なまま、風が発したあんまりといえばあんまりなセリフに、夏凜ががく、とずっこける。
 「……いや、こないだ読んだ雑誌に『いま、女子力高い系ギャルの間で【壁ドン】がアツい!』とか書いてあったもん
  だからさ。とりあえずやってみよっかなーと思ったんだけど」
 「……ああ、そう……」
 悪びれもせずにしれっと答える風に、夏凜がぽかん、と口を空けたまま呆れる。
 「でも考えてみたら、こんなんただデカい音立てて、脅かしてるだけよねえ? 何がそんなにいいのかしら」
 「さーねぇ、荒っぽいオトコが好きな女もいるってコトでしょ。……それより、さっさと手、どけなさいよ」
 自分の行為に疑問を浮かべている風に、夏凜はなげやりに答える。
 (――まったく、これじゃ一人でドキドキしてた私がバカみたいじゃない)
 胸のうちで、そんな風につぶやきながら。
 「いや、せっかくここまでやったんだし、後学のためにも答えを見つけなくちゃ」
 「何よ答えって」
 風は大真面目に首を振り、依然、壁際に追い詰めた夏凜を逃がそうとしない。
 「だからさ、この状態に持っていった後、イケメンは何かイイ事言うわけでしょ? で、それに対して女子力満点ガールは
  キュンと来る、と。ここまでがワンセットなのよ。……たぶん」
 「そんなんどーせ、似たり寄ったりのありふれた言葉に決まってるわよ。……例えば」
 はあ、とため息をついた夏凜は、何気なく、自然な気持ちですい、と視線を上げる。
 その一瞬、ばちり、とふたりの視線が結ばれた。

 「……一生、側にいなさいよね。あんたはあたしのモノなんだから」

「……………」
 「…みた……い……な……」
 本当に、何気なく口をついてふいに出てきた、それこそありふれた台詞であった。
 が。

 「……ちょっ……ごめっ……」

 その台詞は、ふいとそむけた風の横顔をぽおっ、と真っ赤に染め上げ。

 「……………………っっ………!」

 夏凜がぶるぶると震えながら両手で顔を覆い隠すのに、十分な破壊力を備えていたのである。
 しばらくの間、部室の中を静かな、しかしむっとするような熱のこもった空気が支配していた。
 ――やがて。

 「……ぅは~~~~~~っ! 恥-ずかし~~~~っ!」
 ぶっはー、と大きく息を吐きながら風が叫び、それから何がおかしいのか、ゲラゲラと笑い出した。
 「なっ、なななっ、何笑ってんのよっ! このバカ! バカ! バカ風!」
 それをきっかけに夏凜もばっと顔を上げ、わけもわからぬままぎゃーぎゃーとわめき散らした。
 「あっははははは! いやー、やるじゃない夏凜! アンタ、あたしなんかよりよっぽど女子力みなぎってるわよ!」
 「うう、うっさい! 黙れバカ!」
 「『……一生、側にいなさいよね。あんたは、あたしのモノなんだから……(キリッ』 ……ぷっ、あはっ、あはははは! 
  ひー、お腹痛い~~!」
 「ぎゃーっ! 繰り返すなーっ!」
 「うんうん、アンタはいいお嫁さんになるわよ。一生側にいてくれる男、いくらでも見つかるって!」
 「その口閉じろ―っ!」
 がーっ、と風につかみかかっていきながらも、その一瞬。
 夏凜の脳裏にふっと舞い込む、春風のような気持ちは。

 (……そこは『あたしが一生いてあげるわよ』でしょ、バカ)

 「……ん、今なんか言った? 夏凜」
 「!! なっ、ななっ、なんにも言ってないわよ!」
 「えー!? なになに、今度はどんなイケメンセリフ思いついちゃったワケー!? ねー夏凜ー、風ちゃんもーっと
  夏凜のカッコいいトコ、見てみたいなー?」
 「んがああああっ!!」
 ウザったさ全開で甘え声を出す風の頭を、夏凜が思いっきりスパーン! とどつく音が、高らかに響き渡った。


 素直になれない、女の子のおはなし。
最終更新:2015年02月08日 23:38