5・362-364

私にとって最優先なのは友奈ちゃんと一緒に過ごす時間。
だから友奈ちゃんを待たせたりしてその時間が減るのは耐えがたいことだ。
けれど、今回だけはそんな自分の思考に少しばかり後悔を覚えていた。
車椅子のネジが少し緩んでいる気がしたけれど、友奈ちゃんが迎えに来ていたのでそのまま登校した。
その結果がこれ、右輪が外れた上にシャフトが少し歪んでしまっている。

「う~ん、駄目だー。流石に直せないや」

友奈ちゃんが悪戦苦闘してくれていたけれど、結局無理なものは無理で。
近くの民家に一時的に預かってもらって、サービスの人に取りに来てもらうことになった。
戻れば一応予備の車椅子はあるけれど、確実に遅刻してしまうだろう。
サービスの人を待っていても結果は同じ。私は自業自得だけど友奈ちゃんに申し訳ない。
けれど私1人では一歩も動けない…友奈ちゃんに頼りっぱなしだと何だか泣きたくなる。

「友奈ちゃん、先に行ってくれていいわ。私はサービスの人に頼んで一旦家に戻るから…」
「…………」
「友奈ちゃん?」
「今から戻ったら遅刻しちゃうよね、私に任せて!」

そう言うと友奈ちゃんは「ちょっとごめんね」と断って。
私の体を軽々と持ち上げてみせた。

「!?///」

いわゆるお姫様だっこ。実はされるの自体は初めてという訳じゃない。
今までも買い物に出かけた時や車椅子では移動しにくい場所などで助けてもらったことはあった。
けど、今このタイミングで抱きあげられるとは完全に予想外だった。
朝にシャワーを浴びてくれば良かった…と錯乱した思考が頭を過ぎる。

「ゆ、友奈ちゃん!?何、急にどうして!?」
「今日は私が、一日東郷さんの車椅子代わりだよ!さ、学校に行こう!」

周りの人からの好奇の視線が集中する。中には同級生の視線も混じっている。
あまりの恥ずかしさに私は友奈ちゃんの首筋に顔を埋めて震えるばかり。
それがもっと恥ずかしい姿勢であることに気付いたのは学校に付いてからのことで。
私はただただ羞恥心と友奈ちゃんから仄かに漂う甘い匂いと戦っていた。

―――学校に着くや私を抱きかかえたまま職員室に突撃した友奈ちゃんは、今日一日私を支えることを承諾させてしまった。
学校にも一応車椅子はあるのだけれど、勝手も違うし高さなどの問題もある。
だからと言って、友奈ちゃんが一日抱きかかえているなんていうのは前代未聞のはずなのだけれど。
こういう時の友奈ちゃんは誰にも負けない。すごく話を進めるのが上手なのだ。

「とうちゃーく!今日は私の席で授業を受けようねー。東郷さん頭いいから大助かりだ!」

教室に着いてこの甘い煉獄から解放されるかと思いきや、私は友奈ちゃんの膝の上に座らされていた。
普通の椅子では座りにくかろうという友奈ちゃんの気遣いなのだが…もう、最高級に恥ずかしい。
クラスメイトたちがひそひそとこちらを見ながら話をしているのが解る。
中にはわざわざ近寄って来て「応援してる!」と言って来る娘たちもいた。何をだろう。
授業が始まればきっと少しはマシになる。
ともすれば友奈ちゃんの太ももの柔らかさに心奪われそうになりながら心の中で繰り返す…。

当然、その予想は甘かった。

「東郷さん、あそこの綴りだけどね…」

真面目な友奈ちゃんは私語をすることはない。けれど質問なんかはよくする方だ。
授業中に元気よく挙手したり、終わってから私に聞いてきたり。今日は終わるまで待つ必要が無い。
耳元に熱い吐息がかかる。その度に変な声が出そうになるのを我慢しつつ、必死に応える。
先生も少しやりにくそうにしているし、クラスメイトのみんなも何だかもじもじしている。
もちろん私も心穏やかでいられない中で友奈ちゃんだけがいつも通りだ。
とりあえず、問題の答のついでに1つ解ったことがある―――私は耳が弱いみたい。

そんなこんなで、6時間目が終わって。途中から私も何かが吹っ切れて。
勇者部の部室に着いてから、風先輩に言われて私は漸く正気に戻った。

「いや、東郷…それはちょっと熱烈過ぎじゃない?」
「え?あ!」
「あー、駄目ですよ風先輩!せっかく可愛かったのに!」

私は慌てて友奈ちゃんの首に回していた手を離す。
バランスを崩しかけたけど、素早く友奈ちゃんが私の頭を支えてくれた。
そうだ、途中からもう恥ずかしがってばかり居るのが馬鹿馬鹿しくなってきて。
せっかく友奈ちゃんとこんなに近くで過ごせるチャンスだと、首に手を回してみたり、こっちも耳元に話しかけたり。
欲望のままに振る舞ってしまった…秘蔵の短刀がこの場に在ったら割腹未遂していたかも知れない。

「えっと、その…」
「どうしたの、樹ちゃん」
「あ、いえ…その体勢、キスしそうだなあって思って」

まさかの伏兵からの一撃に、今日一日馴れて来ていたはずの私の顔は再び真っ赤に染まった。

「しちゃう?」

友奈ちゃん、今その冗談は心臓に悪いからやめて、本当に…。

帰りはサービスの人の車なので、特別な時間も放課後には終わる。
勇者部では学園祭で劇をすることが決まっている。打ち合わせの間、私は友奈ちゃんに抱かれて話を聞く。
友奈ちゃんは、1日私を抱えていたんだから疲れているに決まっている、足も痺れてるだろう。
なのに、その顔はずっと笑顔のままで。私に気を使わせない様にしてくれている。

特別な1日を過ごして、私の中には2つの相反する気持ちがあることに気付いた。
友奈ちゃんにずっと甘え続けたい、彼女の胸の中で溶けてしまいたいという気持ち。
友奈ちゃんに迷惑をかけたくない、対等に助けあって歩んで行きたいという気持ち。
後者はこの足が動くようにでもならない限りはきっと無理だろう。
けれど前者は…やっぱり、そんなに容易くないような気がする。

ずっと友奈ちゃんを見詰めて生きていきたいという部分で気持ちは共通している。
けれど今の私はこうやって甘えることしかできなくて。それが嬉しいけれど辛くて。

「…今日の東郷さんは甘えん坊だね」

思わず友奈ちゃんの首筋に顔を埋めてしまった私に、そっと囁きかけられる。
今日は存分に甘えておこう。明日からまた彼女に助けてもらう日々が始まる。
けれど、決して甘え過ぎない様に。彼女を求め過ぎてしまわないように。
そう決意すると何だか泣きそうになったけど、友奈ちゃんの温もりに気持ちは溶けていった。


おまけ(黒注意!)

―――ぶはあああっ!と一気に息を吐き出す。今日1日分溜めこんでいた本音の吐息だ。

「東郷さん、可愛すぎるよー!」

叫んでそのままベッドに倒れ込む。いっそ東郷さんの部屋まで届いてしまえとさえ思う。
今日1日は本当に夢のような時間で、もう顔がニヤけそうになるのを我慢するのが大変だった。
腕も痛い、足も痺れてる、腰も辛い。けれど心は満足し切っていた。

私に甘えちゃう東郷さん。甘え過ぎちゃいけないと我慢してしまう東郷さん。どっちも素敵だ。

「でも、もうちょっと普段から甘えてくれてもいいんだよ」

明日からちょっと大変かも知れない。つい自重せず周り見せつけるようにしてしまったから。
一緒に頑張ろうね東郷さんと心の中で呟いて、私は小さなネジを見詰めて笑った。
最終更新:2015年02月09日 14:34