5・544-547

「えー、それでは次期勇者部部長は東郷にお任せします。
 みんなで力を合わせてこれからも世の為人の為に尽力して下さい。
 特に樹のことはみんなで…しっかり…世話を…わああああん!いつきぃ…!」

 泣き崩れた所を狙って、夏凛ちゃんが風先輩の手からフォークを取りあげる。
 これで自決を試みた回数は今日だけで3回目…プラスチックのフォークで死ぬのは難しいと思うけれど。
 友奈ちゃんが必死に慰めているけれど、彼女を以てしても今の風先輩を落ちつかせるのは至難の業だ。
 この場に居ない当事者の1人、樹ちゃんの座っている椅子を見詰める。
 どうしてこんなことになったのか―――その原因について再確認する為に。


「―――私は、お姉ちゃんのこと嫌い」

 いつもの勇者部、いつもの活動風景、そこに突如爆弾が投下された。
 さっきまで『あたしの自慢の妹だからね!』と胸を張っていた風先輩が、完全に凍結していた。
 姉妹のじゃれ合いを呆れたように見詰めていた夏凛ちゃんの表情が、ひくひくとひきつっている
 私も樹ちゃんの口からそんな言葉が出て来るなんて予想もしていなかったので、頭が付いていかない。

「樹ちゃん、それって?」

 最初に正気に戻った友奈ちゃんが、樹ちゃんに向かって落ちついた声で語りかける。
 樹ちゃんはその問い掛けを無視して、ペコッと頭を下げるとそのまま部室を出て行ってしまった。

「風先輩!…私、追いかけます!」

 本当は風先輩に『追いかけて』と言いたかったのだろうけど、ズルズルと床に崩れ落ちた姿を見て、友奈ちゃんが部室を駆け出す。
 続いて正気付いた夏凛ちゃんが風先輩に慌てて駆け寄り、その体を椅子に引き上げる。
 私はまだ正気に戻ることができず、扉から樹ちゃんと友奈ちゃんが『ウソでしたー!』と登場するのを期待していた。
 2人とも絶対そんな性質の悪いイタズラはしないと、解ってはいたのだけど。

「ちょっ、風!食べ過ぎ!一気に詰め込み過ぎ!あんた死ぬわよ!」
「あふぁしはむへしめ…あたしなんて死ねばいいんだー!樹に嫌われたー!」

 私は風先輩が大赦に殴りこもうとした時その場にいなかったが、今解った。
 多分その時の風先輩はこんな顔をしていたのだろう、半泣きになりながらぼた餅を次々口に放り込む。
 それで自決されるのは色んな意味でまずいので、私も慌てて静止するのに加わった…。

 ―――結局、友奈ちゃんも樹ちゃんを見つけられず、友達の所に泊めてもらうとアプリに連絡が来ただけで家に戻らなかった。


「うぅ、樹ぃ…樹に嫌われたら生きてけない…」
「あんたねえ、自分が原因で死んだら樹メチャクチャ落ち込むわよ?嫌いなんて嘘に決まってるんだし」
「やっぱり夏凛もそう思う!?嘘だよね!絶対嘘だよね!?何かの間違いよね!」

 前半部分を完全にスルーして夏凛ちゃんに詰め寄る風先輩。
 まだ2日目にしてこの様子では、今夜も樹ちゃんが帰らなければ本格的に危ない。
 部長の委任書類とかも揃え始めているしドンドン現実的になって来ている。

「風先輩、落ちついて下さい。樹ちゃんが本当に風先輩を嫌うことなんて私も無いと思います」
「だよね!?東郷もそう言ってくれるなら、ちょっと安心だわ…」
「あたしじゃ安心できないっての?失礼ね」

 そう言いつつも、少しだけ風先輩の軽口が戻って来て夏凛ちゃんも安堵しているようだ。
 友奈ちゃんがせっせと尖ったものや割れそうなものを風先輩から遠ざける。

「こういう時は冷静に考えを巡らせてみるのが大切です。樹ちゃんはどうしてあんなことを言ったのか」
「それは…や、やっぱりあたし嫌われて…いつきぃ…」
「それは無いですってば!嫌いじゃないのに嫌いって言っちゃうこととかありますよ」
「…じゃあ、東郷は友奈に嫌いって言ったりする?」
「いえ、絶対にあり得ません」
「やっぱりだぁぁぁぁ!樹ぃぃぃ…!」

 友奈ちゃんに『東郷さん、めっ!』ってされてしまった、海より深く反省する。
 と、夏凛ちゃんがそのやり取りで何かに気付いたような顔になった。

「そう言えばあの時、前後の話題って覚えてる?」
「覚えてるよ!私と東郷さんの話だったよね―――」


「それにしてもあんたら、付き合い始めたのにあんまり変わんないわね」
「え?そうかな?」
「そうよ。前に東郷が読んでた漫画だと、こういう時は人前で他人をイラつかせるくらいイチャついてたわ」

 それはそのっちから借りた漫画なので、少々特殊な例な気がしないでも無い。
 確かに私と友奈ちゃんは恋人同士になった。告白は友奈ちゃんから、私は涙を流して受け入れた。
 けれど、互いに一緒に居るだけで幸せを感じるのも、この勇者部の空気が心地よいのも変わらない。
 そりゃあ、友奈ちゃんの部屋に行った時は色々とそのっちから詳細なレポートを求められるようなやり取りもしているけれど。
 敢えてこの場でみんなに見せつけるようなことをする気にも、特にならなかった。

「ふふふ、さては流石の結城婦妻も私たち犬吠埼シスターズのラブラブオーラに圧されておるな?」
「お、お姉ちゃん…///」

風先輩がふざけたように樹ちゃんを抱きしめる。確かにあの親密さは見習いたいと思うこともある。
夏凛ちゃんが真っ赤になって縮こまる樹ちゃんを見て、ため息を吐きながら言った。

「何と言うか、あんたらも東郷たちと別の意味で変わらないわねえ」
「姉妹の関係がそうそう変わるワケないでしょ?」

 フッと、樹ちゃんの表情に陰がかかったような気がした。
 今の言葉に何かおかしな所があっただろうか、ごく普通のやり取りだと思うのだけれど。

「風先輩は本当に樹ちゃん一筋ですね!」
「ま、一筋っていうのはちょっと違うかな。好きにも色々あるのだよ、友奈君?
樹は、あたしの自慢の妹だからね!」

 風先輩がエヘン、と胸を張って言う。
 樹ちゃんが…何故か顔を少し下げて、目元が伺えない表情で言った。

「―――私は、お姉ちゃんのこと嫌い」


「―――みたいなやり取りだったよね?」
「友奈、あんた全部覚えてるの?」
「東郷さん絡みのことだと、私の脳細胞は活性化するんだよ!」

 嬉しい台詞だが今は風先輩を刺激してしまいそうなので反応は耳を赤らめるだけにしておく。
 少なくとも樹ちゃんは最初は風先輩に抱きしめられて喜んでいたと思う。
 それが機嫌を悪くしたのは―――いや、そうじゃない。
 私が、それを気付かない訳がないのだ、こんな回りくどい思考をわざわざする必要などない。
 どうしてあの時、私は最後までショックから回復出来なかったのか…その答をもう、私は持っている。

「風先輩、樹ちゃんは風先輩のこと大好きです。それは間違いないです」
「うぅ、東郷…そうだよね?そう、信じていいよね?なのに、なんであんなこと…」
「風先輩が自分で言ったじゃないですか。それですよ」
「え?」
「“好きにも色々あるのだよ、犬吠埼風君?”」

 芝居がかった口調で私は言う。
 風先輩は最初ボーッとしていたけど(私に呆れていたのじゃないのを祈る)、やがて自分で気付いたようだった。
 何だかんだで、風先輩は樹ちゃん絡みだと理解が早い。脳が活性化しているのかも知れない。

「え?えっと、つまり、もしかして、もしかする?」
「何よ、もしかって?」
「樹って、私のこと好き…なのかな?」
「今さら何言ってるのよ?そこは前提だからそう何度も何度も…」
「―――女の子として、好き、なのかな?」

 …そうだ、私があの時、樹ちゃんの“嫌い”という言葉にあそこまで動揺した理由。
 彼女だけはそれを口にしないと私は思っていたからだ…自分と同じ嗜好を持つ樹ちゃんだけは。

「えー…いやマジで?あたしたち姉妹だよ?家族だよ?」
「私の友人が言ってました。“神世紀ではよくあること”と」

 まあその発言者は特殊な例の漫画を好むタイプではあるのだけど。

「風先輩!まずは真剣に受け止めてあげて下さい!樹ちゃん、本気だと思うんです!」
「で、でもさ、それって一番身近な大人の女性に憧れてるだけじゃない?いつかは他の誰かに離れて行って…」
「向きあってみないと本当の所は解んないです!でも、私は樹ちゃんが真剣だと思います!」
「でも樹に万が一捨てられたら立ち直れないって、昨日と今日で散々思い知ったし…」

 友奈ちゃんの問いかけに、いつも溌剌さの欠片もなく、うじうじと言い訳を続ける風先輩。それだけ混乱しているのだろう。
 夏凛ちゃんが呆れたように、昨日と同じ様にため息を吐きながら言った。

「あのさ、風?あんた自分で気付いてないみたいだから教えてあげるけれど」
「な、何よ?」
「…他の誰かの元にやりたくないならきっちり独占しとけ!」

 ぱちーん!と音が部室内に響く。
 夏凛ちゃんが風先輩の前で手を打ち合わせた音だ、先輩の目が催眠術から醒めたように色を取り戻していく。
 まるでそれを待っていたように…いや、本当に待っていたんだろう…樹ちゃんが部室に入って来た。

「樹…」
「…先輩達の、言う通りだよ。私、お姉ちゃんが好き。
姉妹としても勿論好き。家族としても大好き。
けど、女の子としても世界で一番、お姉ちゃんのことが好き」

樹ちゃんの握りしめた手が、真っ白になって震えている。
風先輩はその様子を見て、ハッキリと決意を固めたようだった。

「あのね、樹。私も樹が好き。けどそれが樹と同じ気持ちなのかは解らない。
 お父さんがお母さんに、東郷が友奈に向けるような気持ちだって、断言はできない。
 けど、ちゃんと向き合うから、絶対に茶化したり、姉妹に逃げたりしないから…」

 風先輩の表情がぐしゃぐしゃと崩れていく。目元に涙が浮かび、喉がひっくとひきつる音がする。

「だから…だからぁ…嫌いなんて言わないでよ…!」
「お姉ちゃん!嘘だよ!あんなの嘘だよ!お姉ちゃん大好き!お姉ちゃんが好き!」

 樹ちゃんが風先輩を抱きしめる。
 風先輩の涙はさっきまでと違い、安心し切ったものになっていた。
 まるで迷子になっていた子供が出口を見つけたような、そんな表情。
 わんわんと泣き続ける風先輩の頭を、樹ちゃんはいつまでも撫で続けていた。


おまけ(微黒注意)

「それはまた大変美味しい…ううん、大変な事件だったね、わっしー」
「本音が隠せてないわよ、そのっち。でも、そのっちの言葉も解決に役だったから見逃すわ」

 私の自分の部屋で、そのっちにあの日の顛末について語っていた。

「こんなことならにぼっしーにお願いして、小型カメラでも持ち込んでもらうんだったよー」
「それ、バレたら本気で怒るからね?」
「わっしーを怒らせない様に、気を付けるよー」

 これでカメラを仕込むのを止めると言わない辺りが我が親友のしぶとさと言うか、マイペースさというか。

「それにしても、今回の件にはそのっちは関わっていないんでしょうね?
 私と友奈ちゃんの告白の時は、大赦の職員さんまで使って仕込みをしていたし…」
「流石に今回は突発的過ぎて何にも干渉できないって。悔しがってるのが本気って解るでしょ?」

 確かにそのっちは“空白の時間”で随分やり手になったけど、嘘が上手くなった訳ではない。
 私は親友のことを信用して、ぼた餅を薦める。

「それにしても勇者部にカップルが2組…まあ先輩と樹ちゃんはまだまだこれから次第だけど。
 そのっち好みの場所になりつつある、といった感じかしら?」
「3組だよー、わっしー」
「え」

 そのっちの言葉に少し混乱する。
 …そう言えば、大赦からの連絡は一方的なものになったと風先輩と夏凛ちゃんが言っていた。
 なのに、どうしてそのっちは夏凛ちゃんに小型カメラを“頼める”と言ったのだろう。

「他の誰かの元にやりたくないならきっちり独占しておくべきだよね、わっしー」

 私は友奈ちゃんと違い、一言一句正確に説明した訳ではない。なのに、この台詞は…。
 もしかして夏凛ちゃんは勇者部に入った時には既に―――あんまり考え過ぎると恐いので、私はお茶をすすってごまかした。
最終更新:2015年02月09日 16:37