鳴り響く目覚ましの音を止めて。
今朝も、やわらかい声で呼びかける。
「樹ー、朝よー」
そっ、と肩を揺らしてやれば。
震えた瞼が、ゆっくりと持ち上がった。
「おはよ、樹っ」
寝惚け眼の、あたしの可愛い『妹』は。
「……お、はよぉ、お姉ちゃん」
へにゃり、とゆるく笑って。
少し掠れた『声』で、そう答えてくれた。
――……ああ。
頬が、ゆるむ。
――……樹の『声』だ。
耳から、なんとも言えない感情が、体中に浸透してくるのを感じる。
視力を取り戻してから。
樹の笑顔が、あたしの目には、妙に眩しく映るようになった。
樹と二人で、朝ご飯を食べて、学校に向かう。
それは、毎朝繰り返してきた『日常』だけど。
最近は、少し、変化が生まれた。
「手伝うよっ」
朝食後の後片付けを、率先して手伝ってくれるようになった。
最近の樹は、行動力が増したように思う。
「おはよー、樹ちゃんっ」
だから、なのか。
友達も、沢山出来たようで。
登校中、樹に声を掛けてくる人が、増えた。
「おはよう!」
少し、照れながら。
笑顔で返事を返す、横顔だって。
やっぱり、眩しいのだけど。
なんでだろう。
樹の声が、遠く聞こえた。
「チラシ、撒いてくるね!」
勇者部の皆で、近所のチャリティバザーのチラシを作った。
真っ先に立ち上がった樹は、完成したそれを手早くまとめると、止める間もなく部室から出て行ってしまった。
「樹ちゃん、頑張ってますねっ」
友奈が、笑いながら言葉を続ける。
「樹ちゃん、言ってましたよ。『いっつもお姉ちゃんにお世話になりっぱなしだから、もっとしっかりして、お姉ちゃんに迷惑かけない私になりたいんです!』って」
――……ああ。
こめかみが、鈍く疼いた。
「……風先輩?」
東郷が、気遣うように呼びかけてくる。
でも、聞きたい声は、そんな声じゃなかった。
ねえ、樹。
『いっつもお姉ちゃんにお世話になりっぱなしだから、もっとしっかりして、お姉ちゃんに迷惑かけない私になりたいんです!』
その台詞は。
どんな声で、口にしたのかな。
「……樹を、手伝ってくる」
一言、そう言い残して。
あたしは部室を後にした。
「手伝おうか、犬吠埼さん」
廊下で。
「え? あ、ありがとう」
戸惑いながらも、男子生徒にチラシを渡す樹をみつけた。
「最近、いっつも頑張ってるね」
そんなの。
あたしが、一番よく知っている。
よく、知っているけれど。
「……お姉ちゃんに、喜んでもらいたいから」
樹の声が、遠い。
「お姉ちゃん?」
夕暮れの帰り道。
自転車を押しながら。
振り返ることもせず、前を歩くあたしの後を、小走りに追い駆けて。
「お姉ちゃん、どうしたの?」
少し、息を乱しながら。
「お姉ちゃん、なにか」
樹は。あたしの『妹』は。
「なにか――……『怖い』ことが、あったの?」
優しい、声で。
「ッ……!」
あたしは。
自転車のハンドルから、手を離した。
「えっ!?」
樹の、驚いた声が。
がしゃぁあんっ、という、自転車がコンクリートに打ち付けられた音で、掻き消える。
その、不確かさと、儚さに。
鳥肌がたった、から。
「った!?」
樹の腕を、グイッと掴んで、引き寄せた。
そのせいで、樹の手も、ハンドルから離れたので。
2度目の大きな音が、辺りに響く。
「い、た……ッ」
か細い声を無視して。
走り出す。
「痛い、よ、お姉ちゃん……ッ!」
「……」
ただ、家まで、走り続けた。
勢いよく開いた扉を、叩きつける様に閉ざして。
その内側で。
くずおれるように、抱きしめた。
ひたすら、強く。
「い、いた、痛い……」
掠れた、声の後で。
「……っ」
頬に触れる、やわらかな掌の感触。
顔を上げる。
目が、あった。
「……お姉ちゃん」
また、優しい、妹の声。
「痛いの?」
そうだ、痛いのだ。
胸が――……痛い、のだ。
だから。
「目が」
舌が、もつれる。
「目が、見えなくなっても、いいの」
震えて、掠れて、裏返って。
「たとえ、両目とも見えなくなっても、関係ないの」
我ながら、とても、情けない声だ。
だけど。
「樹が居ればいいのよ」
だけど、あたしの声なんて。
どうでもいい。
どうだって、いいのだ。
「樹の声が、一番近くで聞こえていたら、それだけで――……ッ」
そっ、と。
頭を、抱きしめられた。
「……お姉ちゃん」
樹が、笑うのを。
吐息で『感じた』。
「大好き」
優しくて、甘い『声』が――……鼓膜を破って、脳を揺らす。
「だから、ずっと呼ぶよ。一番、近くで」
「……ッいつき!」
ただ、名前を繰り返し呼んで。
強く強く、抱きしめた。
この腕の中に、閉じ込めるみたいに。
「あたしも」なんて、返せない。
この気持ちは。
そんなに綺麗な物じゃない、から。
――……眩しくなくてもいいから、その声で鼓膜を破って、脳を揺らして、心を侵して。
終
最終更新:2015年02月10日 10:58