5・869-873

【12時ちょうど、その鏡の前に立つと死者の姿が映る。
そして、その時鏡の前に居た者は―――】
(讃州中学オカルト研究会の古い会報に掲載された話)


「東郷さん?」
「わっしー、どうしたのー?」

 3人で移動教室から戻る途中、階段の踊り場で東郷さんが急に足を止めた。
 今日は先生の都合でいつもより早く授業が終わった。お昼にありつけると喜んでいたのに。
 視線の先には、踊り場に設置されているとても大きな鏡。何度も通っているのに、気に留めたのは初めてだ。

「東郷さんってば」
「え?何かしら、友奈ちゃん」
「私も呼んだのにわっしー酷いなー。差別だー、待遇改善を要求するよー」
「あ、そのっちもごめんなさい。戻りましょうか、教室に」

 園子ちゃんにじゃれつかれているのに、東郷さんはどこか上の空のようだった。
 私も普段なら対抗心を燃やしてしまうんだけど、何だか気になって鏡の方を振り返ってしまう。

「―――!?」

 一瞬、ほんの一瞬だけ鏡の中に女の子の姿が見えた。
 誰も前に立っていないのに。その視線がこちらに向けられていたような気がして、私は頭を振って慌てて2人を追った。


「あー、今年も来ちゃったか―」

 放課後、珍しく風先輩が依頼の書類を見てうんざりとした声をあげる。

「風、勇者部への依頼を見てそういう反応とかどういうつもりよ。一体どんな依頼…?」

 覗きこんだ夏凛ちゃんの表情が、読み進めるごとに曇り、やがて少しひきつる。
 昼間の出来事の衝撃も大分薄れて来た私は、同じ様に風先輩の手元を覗きこんだ。
 『オカルト研究会より:今年も讃州中学七不思議調査の協力を要請する』

「な、七不思議!?」
「七不思議と言うと、あの学校怪談で定番の怪談詰め合わせパックのことですか?」
「東郷の言い方だとなんか全然恐くないわね。まあ、そういうこと。
 去年も私1人で協力したんだけど、エライ目にあってさ…」

 樹ちゃんは話を聞く前から完全に逃げ腰になっている。
 私はというと、怪談という単語であの鏡のことが思い起こされて、背筋に寒気が走った。

「夜中の学校に泊まり込んで、怪奇現象が起こらないか現場に行ってチェックするのよ。
 オカ研の連中は色々やらかして目をつけられてるからね。あたしらに丸投げして来るの。
 まあ今年は断っちゃってもいいんじゃないかと思うけど」
「いえ、お受けしましょう、是非」

 東郷さんが挙手しながらそう言う。確かに怖い話好きの東郷さんならそうしてもおかしくない。
 でも何だろう、何故か昼間の出来事が気になる。東郷さんは何を気にしてたの?

「夜の学校にお泊りなんて、ちょっとドキドキするわね、友奈ちゃん」

 先手を取るように笑顔でそう言われて、私はどう聞き返せばいいのかも解らなかったので頷くことしかできなかった。

勇者部5カ条:1つ.悩んだら相談。
 私は鏡の前の一件について風先輩に相談してみることにした。
 無いとは思いたいけど“エライ目”と関わっていたらと思うと不安になって来たからだ。
 いや、絶対にないとは言い切れないと思う。神樹様という神秘やバーテックスという脅威があったのだ。
 幽霊とか、そういうものが絶対居ないとは私には言い切れない。

「風先輩、ちょっといいですか?」
「ん?珍しいわね、東郷抜きで1人で来るなんて」
「東郷さんはあっちで園子ちゃんに取られちゃってますから。
 ああ、それで2階の踊り場にある鏡のことでちょっとお話を」
「―――誰から聞いた?」

 風先輩の目が、急に鋭く細められた。この反応は予想外で、私は思わず口ごもる。

「正直あの話はあんまりしたくないのよね。それでも聞きたい?何のために?」
「い、いや、いいんです!もう2年生なのにあそこに鏡なんてあったんだーって思っただけですから!」

 風先輩の豹変に気圧されて、私は慌ててごまかすことしかできない。
 けれど、短い実の無いやり取りでも解ったことが1つあった。
 去年、あの鏡で何かがあったんだ。依頼書の方に、風先輩の目線が一瞬動いたから。


「わっしーは幽霊に遭遇したらまず何を聞きたい?」
「そうね。やっぱり死後の世界はあるのか、そこがどんな所なのか、かしら」
「ああ…うん、私もそれは聞きたいねー」

 園子ちゃんも踏まえた3人の帰り道。話題が話題なのと、思索に没頭しているがあって私は2人の少し後ろを歩く。
 資料として渡された七不思議には鏡に纏わる怪談は無かった。トイレの花子さんとかのメジャーどころばかりだ。
 けれど、その怪談は“6つ”しか資料に記載されていなかった。
 七不思議の7番目は隠されていて、知ってしまったら呪われるのだと東郷さんが教えてくれた。

「(まさか、あの鏡が7番目の不思議なんてこと、無いよね?)」

 けれど、決してそういう話が得意ではない私でも鏡の恐い話くらい聞いたことがある。
 死んだ時の顔が映るとか、悪魔がやって来るとか、鏡の中に引きずり込まれるとか。
 鏡の中に引きずり込まれる。自分で想像しておいて東郷さんがもしそんな目にあったらとゾッとする。
 ―――ずっと一緒に居るって、約束したんだ。私が東郷さんを守らなきゃ。

 直接「あの時なにを気にしてたの?」と聞けば良かったと気付いたのは、ベッドに入ってからだった。


 一度聞き逃して日まで跨いでしまうと中々確認するのは至難の業で、結局そのまま七不思議調査の日が来てしまった。
 東郷さんに休んで貰うのも考えたけど、流石に“お化けが出るかもしれないし危ない”は説得力が無さ過ぎる。
 とは言え、ここ数日私が何もしていなかったかというとそういう訳でも無い。
 部活動の手伝いやボランティアに参加する時、さり気なくそういう話について聞いて回っていたのだ。

1.あの鏡に関しては確かに幾つか気味の悪いうわさがある。ただ詳細はよく解らない。
2.あの鏡の前で亡くなった女の子が何人かいる、らしい。
3.12時ちょうどに鏡の前に立つと何か起こる、というのが一番多い噂の傾向。

 そう言えばあの日も、授業が早めに終わって鏡の前を通りがかったんだった。
 別に夜の12時とは言われていないようだし、東郷さんはあの時何かを見たのかも知れない。
 けど、今さら聞いてみても答えてくれるかどうか。そ私にも園子ちゃんにも何も言って来てくれないし。
 いや、何も見ていなければそれが当然なんだけど。

「よ、夜の学校って、雰囲気ありますね…」
「樹、静かに。一応先生には話通して黙認して貰ってるけど、許可はでてないんだから」
「おのれオカ研…どうして私がこんな目に」
「にぼっしー、恐かったらいい子いい子したげるよー?」

 明かりを消した部室の中で、私たちは小声で話しあっている。
2人ずつ組になって2つずつ不思議を確認、そういう打ち合わせになった。
 私は東郷さんとのペアだ、彼女を守れるベストな配置である。
 漫画か何かで格闘技は幽霊にも有効とか見たような気がする。いざとなったら、この勇者パンチで…!

「それじゃあ友奈ちゃん、そろそろ行きましょうか」
「あ、うん!」

 私たちが最初に確認に行く組だ。確認する怪談はトイレの花子さんと図書館に出る本好きの幽霊。

「1階の女子トイレには花子さんが住んでいて、好きな女の子が居ない娘が呼びだすと個室に連れ込まれてエッチなことをされる」
「それ、本当にそのまま伝わってるのかなあ」
「私たちなら大丈夫よ。えぇと、図書館で百合小説を執筆しては本棚にこっそり追加する霊が出る」

 別の意味で大丈夫だろうか、讃州中学七不思議。

「それじゃあ、ここで一旦別れましょうか」
「え?」
「図書館は怪談と逆方向だから、その方が2つ調査出来て早いでしょう?」

 ……おかしい。急に東郷さんがこんなことを言い出すなんて。

「うん、解った!後で落ち合おうね」

 私は口だけでそう言って、別れ直後に廊下の陰に隠れると…東郷さんの後を追った。

東郷さんは階段の方へ向かっていく。1階に行くんだから当たり前だけど、不安は高まる。
 やがて東郷さんは階段に辿り着いて…途中で足を止めた。
 あの大鏡の前。闇の中でそれを見詰めて微動だにしない。
 時間を確認する。11:59分。後1分、何かが起こる。いや、そんなこと。
 東郷さんが鏡に向かって手を伸ばす。その表面が、まるで波紋のように波打って見えて。

「ダメッ!」

 私は咄嗟に飛び出して、東郷さんを背中から抱きしめていた。
 お願い、やっと平和に一緒に過ごせるようになったの。東郷さんを連れて行かないで!

「…友奈ちゃん?」
「と、東郷さん!無事!?何とも無い!?」
「え、ええ、少し恥ずかしいけれど…///」
「あわわ!」

 私は慌てて東郷さんから飛び離れようとするけど、手をそっと重ねられて止められた。

「ごめんなさいね、友奈ちゃん。友奈ちゃんが恐がっているのは知ってたの。
 けどその様子が可愛くてついつい…不安だったのね」
「え、あ、うん。そう、そうなんだよ!私、実は恐がりなんだ!」

 東郷さんの様子は全然いつもと変わらなくて、へなへなと力が抜けていく。
 まあ実際に恐がっていたのは東郷さんがいなくなってしまうかも、ということなんだけど…恐がりはあってるかも。

「えっと、東郷さん何を見てたの?」
「ああ、この鏡のこと?これを見てちょうだい」

 鏡の右端の方を指さす東郷さん。暗くてよく見えないので、端末の灯りで照らす。
 『神世紀230年寄贈。鷲尾―――(名前が薄れて見えない)』

「鷲尾って、確か」
「ええ、私が養女に出されていた―――戦いの青春を過ごした家の名前。
 同じ一族かは解らないけど、これを見つけて懐かしく想ってしまって」

 つまり、最初から何もかも勘違いだったということで。きっとあの女の子も私の実間違いで。
 一気に脱力して東郷さんの背中に縋り付いてしまう。独り合点で良かったのやらちゃんと聞けば良かったのやら。

「…ごめんなさいね、友奈ちゃん」
「え。どうして東郷さんが謝るの?」
「この名前を見つけてから、あの日々を懐かしくおもってそのっちとばかりお話していた。
 友奈ちゃんが寂しがっているのを知っていたんだけど…だから、ごめんなさい」
「ううん、いいんだよ。それも含めて東郷さん、わっしーも含めて東郷さんだよ!
 ずっと一緒にいるんだから、私は東郷さんの全部と寄り添うよ!」

 すっかり元気になった私は調子よくそう告げる。
 私の前と鏡の中で、2人の東郷さんがその言葉に笑ってくれた。

おまけ

「そう言えば風、結局エライ目ってどんなことだったのよ?」
「私も興味あるなー。お化けが出たとかではないんだよねー?」
「え?違うの?」
「いやいや、違う違う!あー、正直あんまり話したくないんだけどさ。
 2階の踊り場に鏡があるのって知ってる?」
「ああ、わっしーのご先祖様…養女だからご先祖じゃないかな?が寄贈した奴?」
「いや、それは知らない。その鏡には言い伝えがあってね。
 昔恋仲だった2人の少女が、周囲からの反対に耐えられずにその鏡の前で死を選んで―――」
「ひぃぃぃ…」
「ちょっ、樹!抱き着きすぎ!家でやりなさい、そういうのは!
 …まあ、それ以来12時ちょうどにその鏡の前にカップルで立つと」
「嫉妬で鏡の前でバラバラにされるとか?」
「夏凛の発想が恐いわ!逆よ逆。その2人が力を貸してくれて、カップルはずっと一緒に居られるって話」
「酷い目にあった者が叶わなかった願いを叶えてくれる…旧世紀から続く信仰の1形態だねー」
「当時のオカ研の部長があたしに依頼したのって、要するにその噂を実践する為でさ…」
「ああ、なるほど…迫られたんだ、夜の学校で」
「ちょっと待っててね、お姉ちゃん。今事務所の力を使って…」
「闇に消すな、闇に!ちゃんと脛を蹴り上げて、蹲ってるそいつ放置して帰ったわよ。
 まあその部長はもう卒業してるから、今回の依頼も受ける気になったけど…東郷がいなきゃ断ってたわ」
「そう言えば、ゆーゆとわっしー遅いねー」
「意外と鏡の前に居たりするんじゃない?なんか友奈は気にしてるみたいだったし
 実際は“真っ暗だから鏡の前に立っても何にも見えない”んだけど―――」


 ……2人の少女が鏡の前から離れても、鏡像はそのまま残り続けていた。
 やがて立ち去る2人とはまったく違う姿の少女たちに変わり、後姿を見送る。
 黒い髪の少女が、傍らの少女に気付かれぬように振り返る。
 笑顔で見送る鏡の中の少女たちに小さく頭を下げると、その口元に穏やかな笑みが浮かんだ。

 ―――ずっと一緒にいようね、友奈ちゃん。
最終更新:2015年02月09日 16:50