5・911-916

「――ねえねえ、そういえばさ、知ってる? あんた達」

 勇者部の部室、机に向かって書き物仕事をしていた犬吠崎風が、ひょいと顔を上げ、部屋の中を見回して言った。

 「なんですか、風先輩?」
 備品の片づけをしていた結城友奈がそれに応じて、くるりと風の方を振り向く。
 「ウチの学校のさ、英語の先生いるじゃない?」
 「ああ、あの美人の若い女性の先生ですよね?」
 「そうそう、あのヒトさ、今度おめでたなんだって」
 へええ、と友奈を含めたその他の部員一同が感心する。
 「ご懐妊ですか、素敵ですね。是非ともお国の為に汗水流して労働する、立派な男児を出産なさってほしいですね」
 「うん……まあ、元気な子が産まれてほしいって事でいいのよね……?」
 PCデスクの前で作業をしていた東郷美森がぽん、と手を合わせ、にこにこと述べた祝辞を、風がニュアンスで翻訳した。
 「何か、勇者部のみんなでお祝いを贈りませんか? お芝居の出し物の時、英語の台詞を練習するのにお世話になりましたし」
 「そうね、いいアイデアだわ。……んじゃ、夏凜。なんかいいプレゼントの案、出しといてね」
 「えっ、わ、私が?」
 今日も持参のにぼしをぽりぽりとかじっていた三好夏凜が驚き、その手の端からぽろり、とにぼしを取り落した。
 「そーよー。あんたが一番お世話になったっしょ、あの芝居の時」
 「仕方ないわね……」
 ぶつぶつと言いながらも、夏凜は早くもノートとペンを取り出し、プレゼントについての案を考え始めている。そんな
夏凜の様子を見て、友奈と東郷はふふっと笑い合った。

「そっかぁ……赤ちゃんが生まれるんだ……」

 と、その時。
 しみじみとした夢見るような口調でそうつぶやいたのは、犬吠崎樹である。
 「そうよー。予定日はまだまだ先みたいだけどね」
 「やっぱり、これから冬になって寒くなるから、今くらいのあったかさがちょうどいいのかな?」
 と、無邪気に首をかしげながら問う樹の言葉に、その他の面々が「ん?」と注目する。
 「え、樹……暖かい方がいいって、何の話……?」
 おずおずとそう質問したのは夏凜である。
 「え? えっと、だから……赤ちゃんが来るのは、寒い季節よりもあったかい季節なのかなって……」
 「……どうして?」
 「それは、やっぱり……寒いと、運んでくるのも大変なんじゃないですか?」
 「何を?」
 「赤ちゃんをです」
 「……誰が?」
 「コウノトリさんが………」

 「………………っ」

 「え? え? み、皆さん、どうしたんですか?」
 突然、その場にいた全員が顔を突っ伏し、声を立てないようにぶるぶる震えだしたのを見て、樹はおろおろとあわてた。

(……アンタん家はどういう教育方針してんのよ……?)

 樹から隠れ、こそこそと夏凜が風にささやく。
 (……しょーがないでしょ、ウチの両親けっこう厳しくてさ、あたし達に読ませる本なんかも全部自分たちが選んだ
  もんじゃないと気が済まないタイプで……)
 (それで知識が偏ってちゃしかたないわね……)
 ひそひそ話を続ける風と夏凜の隣では、樹が
 「あ、あの、友奈さん、わたし、何か変な事言いましたか……?」
 と、友奈にたずねているところだった。
 (……はっ!? これはまさか、友奈もロクに知らなくて『赤ちゃんはキャベツ畑から生まれるんだよー!』とか言い出す
  パターンなんじゃ……!?)
 事態の混迷を危惧した夏凜がばっと顔を上げ、友奈の様子をうかがう。
 が、そこには。

 「……う、うん、えっとね? その、別にヘンな事じゃあ、ないんだけど……」

 と、顔を真っ赤にしてもじもじしている友奈の姿があった。
 (……あ、そうでもなかった! 意外とあの子、しっかり大人だった!)
 ある意味予想外の展開に、ほっと胸をなでおろす夏凜だった。

 「……夏凜、あんたの言うとおりかもね」
 風が突然、がたり、と音を立てて椅子から立ち上がった。
 「風……?」
 「いつまでも、あの子を子ども扱いしてるのもよくないわ。ここはビシッと、本当の事を教えてあげるべきなのかも……!」
 決意に満ちたまなざしで、風はつかつかと樹の元へと近づいていく。

 (本気なの、風……!?)

 その後ろ姿を見つめる夏凜の頬を、たらり、とひとしずくの汗が流れ落ちた。

「……樹、よく聞いて」

 樹の肩をがっしと抱いて、風が真剣に語りかける。
 「な、何? お姉ちゃん」
 「今まであんたには、赤ちゃんはコウノトリが運んでくる、って教えていたけど……実は、それはウソなの」
 「ええっ!?」
 心の底から驚いた表情の樹に対し、風はただ黙ってうなずいている。
 (ファイトよ、風……!)
 そんな二人を、夏凜、それに友奈と東郷も、固唾を飲んで見守っていた。
 「じゃ、じゃあ、ホントは、赤ちゃんはどうやったら生まれてくるの……?」
 「それはね……樹。あたし達の掲げる、勇者部五箇条の中に答えがあるわ」
 「えっ、あの五箇条の中に!?」
 「そうよ……つまり」

 「『よく(性的な意味で)寝て、よく(性的な意味で)食べ……』!」

 「アホかぁぁぁっ!!」
 風が全てを言い切る前に、スパーン! とその頭を夏凜が全力でどつき倒した。
 「おうふっ……!」
 「樹に何教えようとしてんのアンタは!? アホなの!? アホなんでしょ!? 完全にアホよね!?」
 「い、いや、あたしなりにオブラートに包みながらも間違ってない事を教えようとしたんだけど……」
 「んなスカスカの穴だらけのオブラートがあるかぁぁっ!!」
 風の胸ぐらをつかんでがっくんがっくんと前後に揺すぶる夏凜。その一方で。
 「なるほど……『成せば大抵、なんとかなる』を言い換えればそれはつまり『やれば出来る』……!?
  風先輩、深いですね……!」
 「アンタも無駄に話を広げるんじゃないわよ東郷!」
 すぐ隣でアゴに手を当てて真剣に考え込んでいる東郷に対してもツッコミを忘れない。

「え、えっと……? ゆ、友奈さん、どういう事ですか……?」

 ぎゃーぎゃーと騒いでいる三人から取り残され、ぽかーんとしてしまった樹は、残る友奈に助けを求める。
 「う、うぅぅ……えっとね、樹ちゃん……」
 指名を受けてしまった友奈は頭をかかえながらも、何とかマジメに答えようと言葉を探している様子だった。
 「あ、赤ちゃんはね……えっと………だ、大好きな人同士が、ぎゅーって、仲良くくっついてると、その……神様から、
  女の人が授かる……んだよ」
 汗をかきかき、両手をせわしなく動かしながらも、友奈はなんとかかんとか答えを絞り出した。
 「大好きな人同士が………?」
 「……そ、そうそう。そういう事よ、樹」
 何とか立ち直った風がフォローを入れる。
 「あんたもあたしも、お父さんとお母さんが、お互い大好き同士だったから産まれてきたワケ。それって、すっごく
  ステキな事だと思わない?」
 「……そっかあ」
 それなりに理解し、納得したようで、樹はにぱっと微笑む。

 (……ナイスだったわ、友奈)
 その一方で夏凜が、今度は友奈とひそひそ話を続けていた。
 (う、うん、とりあえず、あれくらいしか言い方がないかなあ、って……)
 (今の樹ちゃんに対しては、ベストと言える答えじゃないかしら。さすがね、友奈ちゃん)
 と、ごたごたしながらも一件落着ムードが漂った、その時。

 「……それじゃあ」

 突然、樹が風に向かって飛びつき、その体にぎゅーーっ、としがみついて、無邪気な笑顔で言った。


 「……こうやってくっついてたら、わたしとお姉ちゃんにも、赤ちゃんができるのかな? わたし達だって、大好き同士
  だもんね。……なんちゃって、えへへ」

「ぐぼはぁぁっ!!」

 ぶばぁぁっ、と盛大に鼻血をまき散らしながら、風がその場にビターン、と伸びてしまった。
 「ああっ、ふ、風せんぱーい!? しっかり、しっかりしてくださーい!」
 友奈が大慌てで風を抱き起し、大声で呼びかける。
 「……うう……ゆ、友奈……あたしはもうダメだわ……あたしが死んだら、遺灰は樹の枕の中に……」
 「バカな事を言わないでください、風先輩!」
 はあはあと虫の息でうわごとならぬたわごとを漏らす風を見て、夏凜があたふたする。
 「あわわ、大変なことに……! と、東郷、救急箱、救急箱!」
 「……風先輩と樹ちゃんの子作り……やっぱり、風先輩が終始、樹ちゃんを優しくリードして、手懐けていくのかしら……?」
 「だから真剣な顔でヘンな事考えるのやめなさいっての!」
 「それは違うよ~、わっしー。ああいうおとなしい女の子ほど、大好きな人と二人きりの時は大胆になるものって、
  相場が決まってるんだよ~?」
 「アンタどっから湧いて出てきたのっ!?」
 「いい姉妹百合の匂いがしたので~」
 「帰れぇぇぇっ!!」
 「……あ、お花畑が見えてきた、うふふ、キレイな百合の花が満開だわ~……」
 「風せんぱいーっ! そっち逝ったらダメですーっ!」


 ――上を下への大騒ぎの中、当の樹だけが「?」と、きょとんとした顔を浮かべてぼんやりとしていた。

 讃州中学勇者部の日常は、今日も平和である。
最終更新:2015年02月09日 16:51