6・213

「……友奈が、カゼでお休み?」

 放課後の勇者部で、作業を終えた夏凜がカバンを肩にかけながら、驚いた様子で言った。
 それに応じて、東郷が電源を切ったPCを片付けながら答える。
 「そうなの……昨日の夜、『なんだか熱があるみたい』って連絡があって」
 「はー、珍しい事もあるもんねえ、あの元気娘が」
 PCをしまったロッカーに、かちん、と鍵をかけながら、東郷は夏凜の方を振り向く。
 「それで、今日はこれからお家にお見舞いに行くつもりなんだけれど……よかったら、夏凜ちゃんも来てくれない?」
 「私が?」
 「うん。きっと友奈ちゃんも、夏凛ちゃんが来てくれれば喜ぶと思うから……」
 うーん、と夏凜は天を仰いで考える。
 「……東郷がいれば十分喜ぶんじゃないの?」
 「そんな事はないわ。友奈ちゃんにとって、私もきっとそうだろうけれど、夏凛ちゃんだって、大事な友達なんだから」
 東郷にさらに説得され、夏凜はふう、と肩をすくめた。
 「わかったわよ、一緒に行きましょ。……弱ってる友奈の顔なんて、そうそう見られるもんじゃないしね」
 「もう、夏凛ちゃんったら」
 にしし、と意地悪そうに笑う夏凜と、それをたしなめる東郷は、そろって勇者部を後にした。


      ◇  ◆  ◇  ◆  ◇  ◆  ◇  ◆  ◇  ◆  ◇  ◆  ◇      


 「……いい天気ね」

 秋めく涼しい、さわやかな空気の中、二人は友奈の家へ向かって並んで歩いていく。近頃、めっきり早まった日没につれて、
今日もはや、西の空はほのかな茜色に染まりつつある時刻だった。
 「……そうね」
 と、答える東郷の顔に、笑顔はない。言葉少なに歩き続けながら時折、太陽や、街並みの合間にちらりとのぞく水平線へと
視線を向けるばかりであった。
 しばらくは東郷の様子を横目で観察しているだけの夏凜だったが、やがて、ぽつりと口を開いた。

 「……気になるの? 『外』のことが」

 「えっ……?」
 だしぬけな夏凜の質問に、東郷は驚いて隣の夏凜の顔を見る。その時、
 「赤」
 「あっ……」
 夏凜が、東郷の袖をぐいっと引っ張った。信号が赤の横断歩道にさしかかっていた事に気づかなかった東郷は、その場で数歩
たたらを踏んだ。
 「ご、ごめんなさい……」
 「別にいいわよ。で?」
 東郷の謝罪を軽く受け流し、夏凜が話をうながす。
 「……そうね。気にならない、と言ったら嘘になるわ。この街にいれば、どこからでも『壁』が見える……。そうすると、
  ついつい向こう側の光景に意識が向いてしまうのが、自分でも抑えられないの」
 「まあ、仕方ないわよね。実際に目の当たりにしちゃった、私らとしてはさ」
 くっとうつむき加減になる東郷と、対照的に両手を頭の後ろで組み、空を見上げる夏凜。
 だが、そのどちらの脳裏にも、描き出されている風景は同じものであっただろう。

 「……勝てると思う?」

 信号が青に変わり、再び歩き出したところで、東郷が小声で夏凜に尋ねてきた。
 「ん?」
 「私たちは……人類は、バーテックスを相手に、勝利を収める事ができるのかしら?」
 「………」
 その問いかけへの夏凜からの答えは、なかった。しばらく二人は黙ったまま歩き、やがて大通りを離れ、住宅地の合間を抜けて
ゆくような道へさしかかった所で、夏凜もまた、ぽつりと小声でつぶやいた。
 「……考えても仕方のない事よ、それは。私たちはもう、勇者のお役目御免なんだからね」
 「……無力ね、私達は」

 それからしばらくは、お互いに、一言も発さなかった。
 二人の間を、どこからともなく流れてきた風が、さあっ、と吹き抜けていった。


      ◇  ◆  ◇  ◆  ◇  ◆  ◇  ◆  ◇  ◆  ◇  ◆  ◇      


 「……私もひとつ、聞いてもいい? 東郷」

 雑木林沿いの道で、木陰に包まれた夏凜がふいに、東郷に話しかけた。
 「何かしら?」
 「もしも……もしもの話よ?」
 と、夏凜は前置きしつつ、ぴたり、と足を止めて体ごと東郷の方へと向き直った。

 「……もしも、今もう一度大赦から、『勇者として戦ってください。ただし選択権は貴方にあります』なんて連絡が来たら……
  東郷はどうするの?」

 「………」
 ざあっ、と風がふきつけ、雑木林がざわざわと揺れる。夏凜の瞳は真剣そのもので、東郷をまっすぐに見据えていた。
 東郷はもう一度、西の空を見上げた。そこに浮かんでいるのは、さっきよりもいくぶん沈んだ、真っ赤な夕日。
 ――神樹によって生み出された、幻の太陽。
 「……どうかしらね。自分でも、わからないわ」
 東郷は答えた。普段の彼女となにひとつ変わらない、穏やかで、静かな声音で。
 「世界を守れるものなら、そうしたいし、けれど、傷つくのはやっぱり怖いし……その時になってみないと、自分がどう行動
  するのかなんて、わからないものじゃないかしら」
 「……そう、よね」
 「でもね。一つだけ、はっきり決めている事ならあるの」
 決然とした目つきで、東郷は夏凜の事を見つめ返してくる。

 「――友奈ちゃんが戦うのなら、私も戦う。絶対に、友奈ちゃんを一人ぼっちになんて、させたりしない」

 「……!」
 夏凜は、東郷の表情に、固い決心を見た。どんな苦境に立たされようとも、絶対に折れる事のないような、強い決心を。
 それはきっと、真実であるが故の強さ。
 それがきっと、東郷の嘘いつわりのない、本心であるからこその強さなのだろう。
 「……かなわないわね」
 ふっ、とため息をつきながら、夏凜は歩き出した。半歩遅れて東郷もあとを着いていく。
 「そんな風に言い切っちゃう事ができるなんて、やっぱりあんた、只者じゃないわよ」
 「そうかしら? 夏凜ちゃんだって、きっと同じでしょう?」
 「何が?」
 「友奈ちゃんがもう一度勇者になるなら、夏凛ちゃんだって一緒に戦うでしょうって事」
 んー、と夏凜が腕組みをして、何事かを考える素振りを見せる。
 「ま……友奈一人じゃ、ちょっと荷が重いだろうしね。やっぱり、完成型勇者のこの夏凜様がいなくちゃ……」

 「だって夏凜ちゃんの戦う理由は、『友奈ちゃんの泣き顔を、もう見たくないから』ですもの」

 「なっ……!?」
 思わぬ言葉を聞かされて、夏凜が思わずばっと東郷の方を振り向く。東郷は何がおかしいのか、口に手を当て、くすくすと笑っていた。
 「なっ、何で、アンタがその事知って……!? じゃなくてっ……」
 「うふふ、やっぱり本当なのね。回復してからしばらくして、友奈ちゃんがうれしそうに、私に話してくれたわよ」
 「あっ、あの子は、本当にっ………!」
 ぐぐ、と言葉に詰まりながら、顔を真っ赤にして照れる夏凜。
 「いいじゃない、友達の涙を見たくないから、自分も力になりたい。それってすごく、勇者部らしいんじゃないかしら?」
 笑顔を崩さず、東郷は夏凜をほめそやす。
 だが、当の夏凜は赤面を引っ込めると、妙に真面目な――見ようによっては、深刻ともとれる顔つきになっていた。
 「……夏凜ちゃん?」
 「……前にさ」
 表情の変化に気づいた東郷がひょい、と顔をのぞきこむのと同時に、夏凜が切り口上でしゃべり出す。
 「私、友奈に聞いたことがあるのよ。友奈はどうして、勇者として戦うの? って」
 「それは……」
 「そうしたらあの子、こんな事を答えたの」

 ――イヤなんだ、誰かが傷つく事、つらい思いをする事。
 ――みんなが、そんな思いをするくらいなら……私ががんばる! って、決めたんだ。

 「でね、それを聞いた時、私思ったの。……それなら、あんた自身が傷ついたり、つらい思いをする事からは、いったい誰が
  守ってくれるのよ? って」
 「夏凜ちゃん……」
 「だからさ」
 たっ、と駆け出し、夏凜はオレンジ色の空の下で東郷に向かって、笑顔になる。

 「……あの子が世界のみんなを守るなら、私はあの子を守ろうって、思ったんだ。そうすれば、誰も傷ついたり、つらい
  思いをしなくて済むはずでしょう?」

 「…………」
 その笑顔が、まるで一瞬、友奈の笑顔に重なって。
 気が付いた時には、東郷は、両目一杯に涙を浮かべていた。
 「どっ、どうしたの、東郷? どっか、お腹でも痛いの?」
 それを目にした夏凜があわてて駆け寄ってきて、東郷の肩を心配そうにさすってくれる。
 ああ、その仕草もまるで、友奈ちゃんみたいだと、東郷は心の中で感じていた。
 「……っ、ううん、何でもないわ。ちょっと目にゴミが入っただけ、心配しないで」
 「そ、そう? それならいいけど……」
 「さっ、急ぎましょう、夏凜ちゃん! 早く友奈ちゃんのところに行かなくちゃ、日が暮れちゃうわ?」
 「ちょっ、ちょっと! 急に走って行かないでよ! 東郷ってばーっ!」
 軽やかな足取りで走り出す東郷と、すぐ後ろを追いかけていく夏凜。
 二人の行く手には、二人の大好きな友達が待っている。

 例え、全てが偽りだらけの世界でも。
 この友情だけは、本物だと信じて。

 少女たちは今日も、この世界で生きていく。
最終更新:2015年02月09日 17:12