「……あれ? 樹ちゃん、手に持ってるそれ、なあに?」
放課後の勇者部にて、おのおのの仕事を一段落させた部員がまったりムードを漂わせる中、カバンからがさごそと何かを取り出した
樹に向かって友奈がたずねた。
「あ、これですか? ……えへへ、実は、新しく買ったタロットセットなんです」
と、樹は箱の中から一組のカードを取り出しつつ、うれしそうに笑う。
「へえー、かわいい絵柄だね」
「はい、前から欲しくておこずかいを貯めてて……きのう、やっと買えたんです」
「樹ったら、何日も前からもうわくわくしちゃってねー」
隣から会話に入ってきたのは風である。
「今日なんか朝から、勇者部のみんなに見せるんだーって、えらい張り切ってたわよね?」
「も、もう、お姉ちゃんったら、やめてよ~」
あはははは、と一同が笑う。
「……それじゃあ、さっそく……」
机の上にタロットを一枚ずつ、ていねいに並べていく樹。
「このタロットは、どんな事が占えるの?」
「使い方はあまり変わらないです。占う人の、これからの運勢がわかったり、幸運や不幸をもたらす人を予想したり……」
「それじゃあ、試しに私を占ってもらえるかしら?」
興味深そうにのぞきこんでいた東郷の提案に、「いいですよ」と樹は応じる。タロットをきちんとシャッフルしなおすと、
説明書を読みつつ、裏返しのまま机に再度配置していった。
「ええと……こほん、東郷美森さん。お誕生日は?」
「4月8日よ」
「そうすると、星座は……おひつじ座ですね」
ひとつひとつ確認しながら、樹はタロットをめくってゆく。不思議な緊張感が満ち、見守る風や友奈も、固唾をのんで黙っていた。
そして、とうとう最後のタロットが開かれた、その瞬間。
「こ、これは……!」
樹の表情が、驚きで固まる。
「ど、どうしたの? 樹ちゃん」
「……東郷先輩」
「な、何?」
いつになく神妙な表情で口を開く樹に、東郷は思わずびくっとしてしまう。
「……東郷先輩の明日の運勢は、はっきりいってとても悪いものです。そう……それはおそらく、ここ数年で最悪と言えるほどに……」
「えええっ!?」
がたん、と椅子から立ち上がる東郷。
「特に……先輩に不幸をもたらす人物が存在します。……明日は絶対に、先輩と同じ、おひつじ座の人と顔を合わせてはいけません!
……というよりも、恐らくは運命の作用により、その人物と出逢う事が絶対にできないでしょう……」
「おひつじ座、って……」
東郷はきょろきょろと部室の中を見回す。
「わ、私は6月生まれだから関係ないわよ……」
「あたしも5月1日、おうし座だし……」
夏凜と風が、そろって首を横に振った。また、当の樹も、
「わたしも……12月生まれなので、全く関係ありません」
と、相変わらず厳かな口調を崩さないまま、ゆっくりと告げた。
「と、いう事は……」
皆の視線が、残った一人に注がれていく。
「…………わ、私?」
3月21日生まれ――おひつじ座の結城友奈が、ぽかん、とした顔で自分を指さしていた。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
――翌日の朝。
「……行ってきます、お母さん」
とんとん、と靴をはいて玄関を出た東郷は、いつも通り友奈を迎えに行くために、隣の結城宅へと向かった。
(樹ちゃんはあんな事を言っていたけれど……クラスも同じなんだし、一日中友奈ちゃんと顔を合わせない、なんてことは無理よね)
昨日の樹の占いの事を思い出しつつ、その、冷静に考えてみれば無茶な内容に、ふふっ、と心の中で苦笑する東郷。
やがて結城家へとたどりついた東郷は、ぴん、ぽんとインターホンのチャイムを鳴らした。
「おはようございます、東郷です」
『あら、おはよう。ちょっと待っててね』
応答したのはこれもいつも通り、友奈の母親だ。がちゃ、と玄関のドアが開き、本人が顔を出す。東郷はきちんと頭を下げてあいさつした。
「おはようございます、お母様」
「おはよう、美森ちゃん。いつも早いわね。でもごめんなさい、友奈ったら、今日はもう学校に行っちゃったのよ」
「えっ?」
予想外の答えに、東郷は驚く。
「なんでも、宿題を学校に忘れてきたから、早めに行って学校でやらなくちゃ、って……あの子、美森ちゃんには連絡しなかったのかしら?」
「はい、特に……」
「そう。そういうわけだから、申し訳ないけど、今朝はごめんなさいね。学校であったら、あの子にイヤミの一つでも言ってやって」
ふふ、と冗談めかして言いながらも、すまなそうな友奈の母親に対し、東郷は
「いえ、そんな……わかりました。そういう事でしたら、今日は失礼しますね。朝のお忙しい所、お邪魔いたしました」
「気にしないで。これにこりず、またいつでも遊びにきてちょうだいね」
ひらひら、と手を振りながら、友奈の母親は再び家の中に戻っていった。一人その場にとりのこされた東郷は、なんだか肩透かしをくったような
気分になりながらも、くるり、ときびすを返す。
自然と、頭の中には樹の言葉がよみがえってきていた。
(……恐らくは運命の作用により、その人物と出逢う事が絶対にできないでしょう……)
「……運命、か」
ぽつり、とその言葉を口に出してつぶやきながら、東郷は一つ頭をふって、その気持ちを追い出す。まさか、友奈ちゃんが宿題を忘れることが、
あらかじめ運命によって定められていた、なんて事はあるまい。
「……こうなったら私も、早めに学校へ行って、友奈ちゃんの宿題を手伝ってあげた方がよさそうね」
そう考え直した東郷は、たたた、と小走りになって、学校への道を急ぐのだった。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
学校へと着いた東郷は教室へと向かい、引き戸をがらっ、と開ける。
そこで待っていたのは、宿題に向かって悪戦苦闘する友奈……ではなく。
「あら、おはよう、東郷」
自分の席でぽりぽりとにぼしをかじっている、夏凜の姿だった。
「あ、夏凜ちゃん……おはよう。ずいぶん早いのね」
「んー、今日、私日直だから。一番乗りだったわ。……それより」
夏凜がぎい、と椅子を引いて東郷の方へと向き直る。
「あんたが一人なんて、珍しい事もあるもんじゃない。友奈はいっしょに来なかったの?」
「ええ、なんでも宿題を忘れたとかで、早く……あれ?」
夏凜の質問に答えながら、ふと、東郷はおかしなことに気づく。
さっき、夏凜は「一番乗りだった」と自分で言っていた。それなのに、東郷より早く来たはずの友奈の事情を知らないとは、
いったいどういう事だろう?
夏凜もその事に思い至ったらしく、首をかしげてみせた。
「えっ? でも私、学校に来てから友奈のこと、見かけてないけど……」
「そんな……」
友奈ちゃんは、いったいどこに行ってしまったのだろう? 東郷の胸に、ざわ、と一抹の不安が去来する。
ポケットからスマホを取り出し、友奈に電話をかけてみるも、とるるるる、という呼び出し音がむなしく続くばかりで、反応はなかった。
「……授業が始まったら、先生に相談してみましょうよ、ね?」
心配顔になり、東郷のそばへと近寄ってきた夏凜が、ぽん、と優しくその肩に手を置く。
「……うん」
東郷はこっくりと力なくうなずき、黙って自分の席へとついた。
そうこうするうちに他の生徒も登校してきて、やがて、授業開始のチャイムが鳴る。しかし、友奈は姿を現さないままだった。
「……はい、おはようございます、皆さん。ホームルームを始めます」
先生がやってきて、教壇の上から教室を見回す。
「えー、まずは欠席の連絡があります。本日、結城友奈さんがまだ来ていませんが……」
「!」
先生の口から友奈の名前が出た瞬間、東郷は素早く反応し、ばっと顔を上げた。
「先ほど、学校の方に結城さんご本人から、遅れるとの連絡がありました。それによると……」
職員室でプリントしてきたらしい、友奈からのメールらしきものに目を通す先生。
「……通学路で道に迷っていたおばあさんを目的地まで案内してあげた帰り道、荷物が重くて立ち往生していたおじいさんに出会い
タクシーが見つかるまで運んであげたのち、歩道橋で転んで動けなくなっていたおばあさんを発見し、その場で
救急車を呼んで病院まで付き添っているので、授業には遅れる、とのことでした。だから、みんなは心配しないでね」
すげー、さすが勇者部ー、などとクラスの皆が口々に感心する中、東郷だけは、
(……友奈ちゃん……! いくら天使のようないい子と言えど、限度があるわ……!)
と、胸に手を当て、遠く離れた友奈に思いを馳せていた。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
結局、午前の授業が終わる間、友奈は学校へ姿を見せなかった。
「はあ……」
「東郷ー、お弁当食べましょ」
昼休み、落ち込んだ様子でため息をつく東郷のもとへ、夏凜がやってくる。
「……友奈、戻ってこないわね」
机をくっつけて、東郷と向かい合ってお弁当を開ける夏凜が言った。
「ええ……そろそろひと段落してもいい頃だと思うのだけど………あら?」
と、その時。東郷のスマホにぴろぴろぴろ、とメール着信のお知らせが届く。
「……友奈ちゃんからだわ!」
『東郷さんへ 遅くなっちゃってごめんね。けがをしたおばあさんも、やっとお医者さんに診てもらう事ができて、
特に問題はないということでした。なので、これから戻ります。午後の授業や部活動には間に合うと思いますので、
先生や風先輩にも伝えておいてください。 それじゃあ、後でね!』
「よかった……」
メールの内容を読んで東郷はほっと胸をなでおろした。
「よかったじゃない。……ま、これで友奈が戻って来れば、樹の占いはおじゃんになっちゃうわけだけど」
「ここ数年で最悪なんていうから、余計におびえすぎちゃってたのかもしれないわね」
東郷にメールを見せてもらいながら、夏凜が笑う。
「さあ、そうと決まれば、友奈ちゃんに見せてあげるための、午前中の授業のノート作りに取り掛からなくっちゃ」
「あんたもマメねえ、東郷」
苦笑いを浮かべつつ、お弁当を食べ終える二人。夏凜が空になった弁当箱を持って自席に戻ろうと立ち上がりかけたその時、
またしても東郷のスマホがぴろぴろぴろ、と鳴り響いた。
「あら? ……また友奈ちゃんからメールだわ」
何気なくそのメールを開き、東郷はしばし、その場で固まってしまった。
『東郷さんへ ごめんなさいっ! 学校に戻る途中で、飼い犬が逃げてしまって追いかけているおばあさんを見つけて、
今、いっしょに追いかけているところです! もしかしたら、午後の授業には間に合わないかも……あ、犬が逃げちゃう!
本当に、ごめんねっ!』
「…………この街の老人福祉対策はどうなってるのっ!?」
「何事っ!?」
ぶるぶると身を震わせながら、突然市政批判を始めた東郷に対し、夏凜はただ、目を丸くしてそれを仰ぎ見る事しかできなかった。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
「……えっ!? 本当に友奈さんと会えてない……!?」
舞台は移り、放課後の勇者部の部室にて。東郷から話を聞いた樹は、びっくりした表情を浮かべた。
「そうなの……朝は宿題を忘れたことから始まり、学校に来ようとしても何度も何度も困った人に遭遇してるらしく……」
がっくりと机につっぷし、顔も上げる元気もないまま、東郷がそうぼやいた。
「へー、すっごいじゃない、樹の占い。さっすがはあたしの妹ねー」
「素直に喜べないよう、お姉ちゃん……」
あっはっは、と笑いながら妹の肩をばんばんと叩く風と、微妙な困り顔を浮かべる樹。
「……なんかさ、その占いの結果を、くつがえすような方法はないわけ? 樹」
少し離れたところで椅子に座っていた夏凜が、樹にたずねる。
「うーん……占いの結果で出た、『最大の不幸』がおとずれてしまえば、それ以降の運命には干渉がなくなると思うんですけど……」
「……それはそれで困る話よね」
結局のところどうしようもないと分かり、東郷がはああ、と大きくため息をついた。
「一日中、友奈ちゃんの顔が見られない日が来るのが、こんなにもつらいなんて……想像もしていなかったわ」
「まーまー、そんなに落ち込まなくても大丈夫っしょ。さっきあたしの方にも連絡あって、『放課後の運動部の応援活動には
間に合いますので』って言ってたからさ。コレ、夏凜といっしょに行く予定よね?」
風がくるりと夏凜の方を振り向く。
「そうね、今日は剣道部の応援よ」
「……つーわけだからさ、多分おっつけ来るんじゃないかしら。……ほら」
と、噂をすれば何とやら。
廊下の向こうから、誰かがぱたぱたと、部室に向かってあわただしく走ってくる足音が聞こえてきた。
「――こ、この元気いっぱいの走り方は……!」
それを聴きつけた東郷が、それまでの様子から一転、がばっと身を起こす。風がそれを見てにやっと笑い、くい、と親指で
ドアの方を指さした。
「ほら、出迎えてやんなさいよ、東郷」
「はいっ!」
言われるまでもない、といったように、東郷がたたっとドアの前へ駆け寄る。足音はさらに近づいてきて、あと数メートルで
部室の前までたどり着くだろう。
(ああ、友奈ちゃん……!)
ようやく、ようやく友奈ちゃんに会うことが出来る。今日の午前中、顔をあわせなかっただけなのに、もう何年も離れ離れに
なっていたかのような気分だ。
ばっ、と東郷が両手を広げ、友奈を出迎えようとした、その瞬間――
「……きゃーっ、虫ーっ!」
突然、背後で風が甲高い悲鳴を上げ、東郷は「えっ!?」と振り向いた。
見ると、風の指さしている先、部室の壁になにやら黒い虫が一匹、かさささ、と這い回っているのが見えた。
「なな、何アレ!? キモいーっ! いっ、樹っ! あんた、やっつけてよ!」
「むむ、無理だよお姉ちゃん~!」
「じゃっ、じゃあ、夏凜! 何とかしなさい! ぶぶ、部長命令よ!」
「い、いきなり私に振んないでよ! 私だって、に、苦手なんだってばぁ!」
すっかり腰の引けてしまった3人が、すがるような視線で一斉に東郷を見る。
「わっ、私ですか!?」
「お、お願いですぅ、東郷先輩~!」
「あの、でも、えっと、友奈ちゃんが……! ああ、もうっ!」
少しの間、ドアの前でおろおろと迷っていた東郷だったが、やがて観念したようにすばやく部室の中へと取って返すと、古新聞を
手に取って丸め、うろちょろと壁を逃げ回る虫を追いかけた。
「くっ、このっ……軽やかにかわしてくれる……!」
それを追いかけ、どたばたと部室中を駆け回る東郷。他の3人はぎゅっと身を寄せて固まり、きゃーきゃーと騒いでいた。
やがて、虫の動きが壁の一点で止まったのを捉えた東郷が、全身の怒りと苛立ちを腕力に変えると、渾身の力を込めて、
「滅ッ!!」
ズバァン! と仕留め、確実に息の根を止めたのだった。
「……や、やったッ!」
「さすが東郷! あたし達に出来ない事を平然とやってのけるッ!」
後ろで観戦していた風達がわーわーと騒ぐ。それにも構わず東郷はさささ、と壁の汚れをきれいにし終え、ばっと部室の方を
振り向くと、
「はぁ、はぁ……ゆ、友奈ちゃんは!?」
と叫んだ。が、
「……あ、あれ?」
部室には友奈の姿はなく、どころか、先ほどまで風や樹といっしょになって震えていた夏凜の姿も、いつの間にか見当たらなかった。
呆然として突っ立っている東郷に向かって、風がおそるおそる説明する。
「あー……えーと……友奈、さっき来たんだけど……あたし達が大騒ぎしてる間に、さっさと準備すませて、夏凜連れて剣道部の
応援に行っちゃって……」
「……………………」
がくり、と東郷がその場で膝を折り、両手を床に突く。
「と、東郷先輩……」
「………ど……」
やがて、東郷の魂の叫びが、部室中に響き渡った。
「どうしてこうなるの~~っ!?」
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
――そして、夕暮れ時。
「……えーと……じゃあ、東郷、悪いけどあたし達、用事があるから先に帰るわね。カギ、置いとくから戸締りよろしく……」
樹とそろってカバンを肩にひっかけつつ、風が窓際でたそがれ中の東郷に向かって呼びかけた。が、返事はない。
「あっ、あのっ、東郷先輩……わたしが言うのもなんですけど、あまり気にし過ぎないでくださいね……? あの占いは
今日一日のもので、明日はまたきっと、違う運命がおとずれるはずですから……」
樹のなぐさめの言葉にもまったく反応せず、東郷はただ黙って、沈んでいく秋の日をぼんやりと眺め続けているだけだった。
「それじゃあ」と言いのこし、犬吠埼姉妹が去った部室で、東郷は一人、思いにふける。
(……もしも、このまま……)
本当に、このままずっと、友奈ちゃんと会えないままだったらどうしよう。
これまで、ずっとずっと、私のそばにいてくれた友奈ちゃん。私はその事に感謝していたつもりだったけれど、心のどこかで、
それを当たり前だと思い始めていたのかもしれない。
だからこそ、今、こんなに胸が痛むのだ。
「はあ……」と、東郷が、今日何度目かもわからない、失意のため息を吐き出した、その時。
ぷるるるる、と、東郷のスマホに着信があった。
「……!」
その音を聞いた東郷は即座に反応し、スマホをポケットから取り出す。この着信音はメールではなく、電話がかかってきたことを
知らせるものだ。
(――まさか、まさか――)
震える指をけんめいに操り、東郷は通話ボタンをぴっ、と押す。
「も――もしもし?」
「――あっ、東郷さん? よかったぁ、やっと話せた……! 友奈だよっ!」
その声を聴いた瞬間、東郷は天にも昇る心持ちを味わった。
「友奈ちゃん……!」
「えへへ、心配させてごめんね。……何だか今日は一日中、すれ違ってばっかりだったもんね」
「ううん、もういいの……! こうして、友奈ちゃんとお話できたんだから……」
ぎゅっ、とスマホを強く握りしめ、東郷は感極まった口調で話し続ける。
「……剣道部の助っ人、終わったよ。今、運動場にいるから、これから部室に戻るね。いっしょに帰ろう!」
「だったら、私が運動場の方に行くわ。友奈ちゃんと、夏凜ちゃんの荷物も持っていくから、そのまま帰りましょう?」
「えっ、いいの? でも、三人分の荷物なんて、重くて悪いよ」
「大丈夫! すぐに会いに行くから、待っててね!」
ぴっ、と通話を切った東郷は素早く立ち上がると、友奈、夏凜と自分の荷物をまとめ、風からあずかった鍵で部室のドアを施錠すると、
一目散に運動場へと向かった。
(会えるんだ……! もうすぐ、友奈ちゃんに会える……!)
その喜びを全身からあふれさせ、東郷の足は飛ぶように動いた。誰もいない廊下を駆け抜け、下り階段を小気味よく降りて渡り廊下を
飛び超えて、たちまち運動場の扉の前までたどり着いた。
「はっ、はっ……友奈ちゃん……」
全速力で走ったため、膝に手を付きぜいぜいと苦しげにあえぐ東郷。それでも、この扉の向こうに友奈がいると考えるだけで、自然と
顔を上げて、前を向くことができた。
鉄でできた扉の取っ手に手をかけ、がらがらがら、と音を立てて両側に開く。ばん、と開ききったところで、東郷はその内側へばっ、と
飛び込んだ。
「友奈ちゃんっ!」
しかし。
「……………え?」
運動場は、無人だった。
端から端まで目をこらしても、人っ子一人いない。残されていた用具から、確かにここで剣道の試合かなにかが行われていたことは
うかがえるが、それを使っていたはずの部員達は見当たらなかった。視線の先では向かい側のドアが開け放されており、夕暮れに沈む
グラウンドで、まだ活動を続ける熱心な運動部員たちのかけ声が、遠く響いていた。
こつ、こつと2、3歩、運動場の中へと歩を進め、東郷は改めてまわりを見回す。中には東郷以外に音を発するものはなく、静止した
ままのバスケットゴールや演壇だけが、素知らぬ顔で東郷を取り囲んでいた。
ぺたん、と東郷はその場に尻もちをつき、座り込んでしまう。
やがて。
「……うっ……うっく……うぁぁぁん……」
最初はしゃくり上げるように、しかし徐々に抑えきれない気持ちがわきあがってきて、東郷は泣き出してしまった。
「うわぁぁん……友奈ちゃん……友奈ちゃんに、会いたいよぉぉぉ……うっ、ふぇぇん……どうして、どうして私のところに来てくれないの……?
友奈ちゃん、友奈ちゃぁぁん……ひぅぅっ……」
すん、すんとすすり上げ、拭っても拭ってもぽろぽろとこぼれ落ちてくる涙に身を任せ、東郷は泣き続けた。暗い運動場の真ん中で、
一人ぼっちで。
そしてグラウンドの向こう側、西の空の山際に、今にも太陽が隠れてしまいかけた、その刹那――
「―――東郷さん?」
背後から声をかけられ、東郷は身をよじって、ぐるっとそちらを振り向いた。
そこに立っていたのは――
「――友奈……ちゃん?」
東郷が入ってきた入り口、わずかに残された夕日のかけらがそこにだけ当たっており、明るく照らし出された場所。
そこに立っていたのはまぎれもなく、今日一日、東郷が追い求めていた友達――
結城友奈の姿だった。
「ど……どうしたの、東郷さん? 泣いてるの? ごめんね、ちょっとお手洗いに行ってて……」
東郷の様子を感じ取った友奈は、ととと、と軽やかな足取りで駆け寄ってきて、その肩に手を置き、心配そうな表情で東郷を見つめる。
その仕草も、その優しさも、何もかもがいつも通りの友奈だった。
「……あ、荷物、本当に持ってきてくれたんだ、ありがとう。それじゃあ一緒に……わぁっ!?」
と、その時。
座り込んでいた東郷が突然がばっ、と友奈に抱きつき、その肩に頭をあずけて、大声でわんわんと泣きだした。
「うわぁぁぁぁん! 友奈ちゃん! 友奈ちゃん! 友奈ちゃんだぁ~!」
「とっ、東郷さん!?」
「よかったぁ! やっと会えた! 本当にもう、会えないかと思った……! 友奈ちゃん~!」
「お、落ち着いて……! 東郷さんってばー!」
「友奈ちゃぁぁん!」
友奈のなだめる声にもまったく耳を貸さず、東郷はただ、友奈のぬくもりを全身で感じながら、二人きりの運動場で、むせび泣き続けた。
そして。
(………………出づらい…………)
――ドアの陰では、友奈と同じく洗面所から戻ってきた夏凜が、完全に入るタイミングを失ってしまっていたのだった。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
「ね、ねえ、東郷さん……もうちょっとだけ、離れて歩かない……?」
「やだ」
学校の前で夏凜とは別れ、友奈と東郷、二人だけの帰り道。
友奈の右手にぎゅーっと両腕をからませ、ぽすん、と友奈の肩に頭を乗せたままの東郷に向かって、友奈がほんのちょっぴり困った
ようにぽりぽり、と頭をかいてみせる。
「ほ、ほら、暗くなってきちゃったけど、周りに人もいるし、東郷さんも、歩きにくそうだし……ね?」
「いや。この手を離したら、友奈ちゃん、またどこかに行っちゃうもん」
「だ、大丈夫だよ。もうどこにも行かないから……」
友奈がそう言ってみても、東郷はただ黙って頭を横に振るだけで、いっそうむぎゅっと友奈に体を寄りそわせてくるだけだ。
「……そ、それにしても、樹ちゃんの占いは大当たりだったんだね」
やがて川沿いの土手の遊歩道にさしかかったところで、友奈が恥ずかしさをまぎらわすように、別の話を振った。
「あ、でも、『最大の不幸』って、結局なんだったんだろうね? 確か、それがおとずれた後でないと、私には出会えない、って
樹ちゃんが言ってたんだよね……?」
うーん、うーんと首をひねって考える友奈。その時。
「……そんなの、決まってるわ」
「え?」
東郷がちら、と視線を上げて、友奈の方を見上げながらぽつり、とつぶやいた。
「東郷さん、『最大の不幸』がなんだったか、わかるの?」
「ええ、今ならハッキリね」
うるんだ瞳を友奈に向けながら、東郷が言葉を口にする。
「――私にとって、友奈ちゃんに会えない事が『最大の不幸』だったのよ。これ以上の不幸なんて、あり得ないもの」
ひとかけらの恥ずかしげもなくきっぱりと言い切ると、ますます東郷は友奈にぴっとりとくっついてきた。
「そ、そっか……」
そんな東郷とは対照的に、友奈はほんのり頬を染めて、つい、と東郷から視線をそらしてしまう。
しかし。
「―――あっ、見て! 東郷さん!」
その視線の先に、何かを発見した友奈が大きな声で東郷に呼びかける。
「な、何!? 友奈ちゃん!」
「ほら、あそこ!」
さすがに驚いた東郷もぱっと顔を上げ、友奈の指先が示す方向に目をやると、そこには。
「……川に荷物を流されたおばあさんが、必死で川岸を走って追いつこうとしてるよ! たいへん、助けに行かなきゃ!」
「またなの!?」
本日、都合五度目の老人トラブルに遭遇した東郷が思わずツッコミを発する。
「行こう、東郷さん!」
「でっ、でも……また、離れ離れになっちゃったら……」
張り切る友奈に対し、今日一日の出来事を瞬時に思い返し、東郷は尻込みしてしまう。だが、
「大丈夫っ!」
と、そんな東郷の心をはげますように友奈が笑い、東郷と自分の手をしっかりとつないだ。
「友奈ちゃん……!」
「もう、ぜーったいに離したりしないからね! ずっと一緒だよっ、東郷さん!」
そして二人は、そろって駆け出してゆく。その手を固くつないだまま。
――どんな運命の荒波が襲い掛かってきても、決して断たれることのない絆を結びあって。
(……約束よ、友奈ちゃん)
並んで走る友奈の横顔を、ちらりと見やって東郷は祈る。
(ずっと私の、隣にいてね。――これからも、ずっと、ずうっと)
いつしか日は没し、代わって昇り始めた月と星たちが、やっと出会えた二人の少女を祝福するように、きらきらと天に輝いていた。
最終更新:2015年02月15日 21:06