6・582

1.

 互いの目が合い、笑い合う。そんなやり取りを1日の間に何度繰り返しているだろう。
 敢えて数えたりはしていないけれど、日によっては互いの名前を呼び合う回数より多いかも知れない。
 今も粉雪がパラつく中を歩く友奈ちゃんがとても綺麗に見えて、目を離せずに居たら彼女の方も私を見詰めていた。

「ちゃんと見ててくれるんだね、東郷さん」
「ええ、約束だもの」

 友奈ちゃんが私の方へと近寄って来て、頭に乗った雪をぱっぱと払ってくれる。
 とても近くで見つめ合う。唇が触れ合いそうな距離と言うのはこのくらいのことだろうか。
 残念ながら私たちは唇を重ねるまでは行かず、照れたように笑い合って互いの手を取った。


2.

 それは友奈ちゃんの意識が戻ってしばらくしたある日のこと。
 友奈ちゃんが1人で車椅子に座ろうとして失敗したことがあった。
 体も回復して来て、慣れもあって油断したのだろう。ふっと眩暈がしたと思ったらそのまま床に落下していたそうだ。
 ナースコールと携帯はベッドの枕元、車椅子によって遮られた向こう側。
 間の悪いことに看護師さん達は別の患者さんの容体が急変したとかでバタバタしていて、彼女に気付く人は居なかった。

「(このまま死んじゃうのかな)」

 大袈裟だとは思うが、友奈ちゃんは本気でそんな風に思ったのだという。
 勿論、そんなことにはならなかった。何だか胸騒ぎがした私が病室にやって来たからだ。

「東郷さんは本当にいつも私のこと見てくれてるんだね」

 しっかりと私の手を握り、ちょっと涙目でそんな風に語る友奈ちゃんを見て私は決意したのだ。
 今まで以上に友奈ちゃんを見守って行くと。彼女が“勝って戻る”まで絶対に目を離さないと。
 人生を丸ごと救ってもらった恩返しと、私自身が彼女にしてあげたいことが一致した瞬間だった。


3.

 私はずっと友奈ちゃんの傍で彼女のリハビリを支えた。今冷静になってみれば、私をして当時の自分は病的だと思うほどに。
 けれど友奈ちゃんは一度もそれを迷惑だなんて言わなかったし、むしろ喜んでくれている様子だった。
 少しずつ頭が冷えて、友奈ちゃん自身が色々とやって行くべきだと提案した時に「ちょっと寂しいな」と言われた程だ。

「だって、東郷さんにお世話されてると、ついつい甘えたくなっちゃうんだもん。
 私は一人っ子だけど、優しいお姉ちゃんができたみたいな気持ちだよ」
「もう、そんなことを言って友奈ちゃ、友奈は私を上手に使おうって言うんでしょう?悪い子ね」
「えへへ、ごめんなさい、お姉ちゃん」

 そんな風に姉妹ごっこをしてみたこともある。風先輩が樹ちゃんを溺愛する理由がよく解ったひと時だった。
 ―――あの時の決断は、そのっちに1人で真実を聞きに行った果てに暴走したことは私にとっては後悔の記憶だ。
 けれど、あの時友奈ちゃんに相談していたら、勇者部に打ち明けていたら。こんな平和な日常はあっただろうか。
 自分の罪を正当化しようとする卑怯な思考だとそれを一蹴すると、私はますます友奈ちゃんの介護に打ち込んだのだった


4.

 その後、友奈ちゃんは見事にリハビリを乗り切り、正しく自分自身に勝利して勇者部へと戻って来た。
 もう自分で歩くことも出来るし、私には体力的に難しい部活の手伝いにだって1人で行ける。
 けれども、気付けば私たちは互いを見つめている時間が増えた。
 また消えてしまうのではないかという不安からのものかと最初は思ったが、どうも違う気がする。
 むしろ友奈ちゃんは同じ様な出来事が起きても、もっと酷い事態に巻き込まれても戻って来てくれると私は固く信じている。

「だからきっと、これは私が見ていたいから見ているだけなのね」
「えへへ。そんなに見ても何にも出て来ないよ、東郷さん」
「そんなことない。友奈ちゃんは光の速さで進化しているわ。可愛さも凛々しさも可憐さも」
「旧世紀の特撮ヒーローみたいだね」

 依存と言えば依存なのだと思う。私はもう友奈ちゃん無しでは1日だって生きていけない自信がある。
 けれど彼女を視界に納めておきたい、其処から外れるのは赦さないという束縛は、あまり無いような気がする。
 友奈ちゃんが何処か遠くへ歩いていくなら、私も隣で歩いて行こう。隣に立つのが赦されないなら後ろを歩もう。
 いつも見てるというのは、多分彼女の翼を手折ることではない。一緒にまだ見ぬ空を飛ぶことだ。
 あまりにも詩的に過ぎるので、絶対友奈ちゃんには言わないけれど。

「東郷さん、見ててね。これからもずっと、ずっと」
「ええ、いつも見てる。友奈ちゃんが望む限り、ずっと」

 友奈ちゃんの部屋で私たちは見つめ合う。唇が触れ合いそうな距離と言うのはこのくらいのことだろうか。
 やっぱり残念ながら私たちは唇を重ねるまでは行かず、照れたように笑い合ってベッドに並んで座った。


5.(あるいは0)

「私のいくじなし」

 東郷さんの匂いが少しだけ残っているベッドに顔を埋めて、もう自由に動く足をぱたぱたさせる。
 多分、東郷さんも嫌がったりはしないと思う。とても戸惑うかも知れないけど、全力で説得して見せると決めている。
 けれど今日も私は東郷さんと寄り添ってお話するまでが限界だった。

「はあ。あの日からだから、もう数カ月になるのにね」

 あの日、私が車椅子に乗ろうとしてベッドから落ちた時。
 すぐに声を出して誰か呼べば良かったのに、私は1人で何とかしようとしてしまった。外が騒がしいのを察していたからだ。
 結局どうにもならなくて、冷たい床で横たわりながら東郷さんのことを思った。
 あの時、1人で真実の苛酷さに押し潰されて、それでもみんなを救う為に誤った正しさを選んだ東郷さん。
 彼女もこんな風に心細かったんだろうか。体はまだ無事なのに心がじわじわ死んでいきそうな怖さと戦っていたのだろうか。

「友奈ちゃん!」

 最近は漫画でもこんなに都合のいい展開はないと思う。調度心に浮かべていた人が、颯爽と助けに来てくれるなんて。
 東郷さんは私に救われたという、私がいつも助けてくれたという。
 けれど、バーテックスの戦いでも、それ以外でも。私にとってのヒーローはいつも東郷さんだった。

「見ててね、絶対やっつけちゃうから。いつになるかは解らないけど」

 東郷さんを思ってそう呟く。あの日に助けてもらった時、東郷さんの顔を間近で見て抱いた気持ちを。
 その唇に触れてみたいなって。

「だからって、最近見過ぎだよね」

 目が合う度に笑ってごまかしているのを思い出して、私はまたぱたぱたと足でベッドを叩いた。
最終更新:2015年02月17日 18:28