6・607

 「――よっ、ほいっ、いよっと、ほいさっ」

 宙に浮かぶ、無数の岩塊を足場代わりにして、ボクは軽快な動きで縦横無尽に跳ね回る。自慢の脚の調子を確かめるための
デモンストレーションのつもりだったが、想像以上に復調しているので、ついつい上機嫌になってしまうのが、自分でもわかっていた。
 「……いっち、にーの、さんっ!」
 最後にキメ技、とばかり、ボクは思い切り高く跳びあがり、空中でくるくるくる、と三連続前方宙返りを繰り出し、すたっ、と
新たな岩塊の上に見事に着地する。
 「……ふう、やっぱボクって、いつでもサイコーに輝いてるよねー。……そう思わない? レオ姉」
 いつも通り、自分自身のパーフェクトな美しさにうっとりとしながら、ボクはちらり、と流し目を送る。

 ――神樹の勇者にその身を完全に粉砕され、未だ半身すら修復のおぼつかない、レオ・バーテックスへ向けて。

 「まーったく、最強のバーテックスが聞いてあきれるよねー」
 ボクはその場でぴょんぴょんと跳ね回り、レオ姉をからかうようにけらけらと笑う。
 「自分一人じゃかなわなくって、取り巻き連中の力まで借りたくせに惨敗なんてさ。みっともないったらありゃしない」
 ボクがどれだけこき下ろそうと、レオ姉は何も言い返したりはしてこない。それも当然で、彼女の意志を司る器官はまだ復元されて
いないのだから。だからボクも、こんなにも怖いもの知らずにぺらぺらと好き放題言えるのだ。
 「おまけに何さ、やられたらやられたで復活するのにも時間がかかるときた。そんなデッカイ図体してるのが悪いんじゃないの?
  その点、ボクをごらんよ。この、コンパクトでスリムでスマートな、無駄のないフォルム! だからこうして即復活も可能なわけで、
  やっぱり時代の波はモバイル化の方向に……」

 「ジェミニ!」

 まるで機関銃のようにとめどのないボクのおしゃべりが、どこかの誰かさんの無粋な一括で中断されてしまった。
 ひょい、とのぞきこめば、レオ姉の大きな体を迂回して、何やら三人組がこちらへ近づいてくるのが見える。
 (――ちぇっ、めんどくさいのに見つかっちゃったなぁ)
 ボクはそっと心の中でため息をつき、わざと明後日の方を向いて知らんぷりをしてやった。

 「ジェミニったら、聞いてるの!? あなたはまたそうやって、大姉様に向かって失礼な口の聞き方を……!」
 「そうよそうよ!」
 「もー」

 現れたのは、いつもいつもレオ姉にまとわりついてへいこらしている腰巾着――アクエリアス、リブラ、タウラスの三人組だ。
 「はいはい、大声出さなくたって聞こえてますよーだ。まったく、アクエリアスはいつもいつもうるさいんだから……」
 「う、うるさいとは何よ! いい!? 大姉様はわたし達バーテックスの中で最も強く、最も偉大で、最も誇り高き存在なのよ? 
  もう少し、敬意というものを払って……!」
 「そのセリフももう、一万年以上聞き続けてますよっと。あんまりにも聞き飽きて、今じゃ子守唄くらいにしか感じないけどね。
  ……ふわ~ぁ」
 「こ、子守唄ですってぇ!? 少しはマジメに人の話を聞きなさいっ!」
 「そうよそうよ!」
 「もー」
 きーきーとヒステリックに怒るアクエリアスと、ただこくこくと首を縦に振るしか能のないリブラとタウラス。まったく、彼女たちも
いつも同じ組み合わせでよくもまあ、飽きないもんだと思ってしまう。
 「……それにしたって、身体が大きいせいで復活に時間がかかるのはホントの事じゃないか。ボクほど小さくなくったって、
  せめて他のみんなと同じくらいの大きさなら、もっとパパッと元通りになって、すぐさま神樹に攻め込めるのに。……ねえ、
  そう思わない? リブラ」
 「え、わたし!? え……えっと、えっと、どっちかな……言われてみれば、ジェミニの言うとおりのような気も……」
 口うるさいアクエリアスを無視して、ボクはずい、と一歩踏み出し、リブラに同意を求める。判断力の鈍いリブラは思った通り、
その身を左右に頼りなくぐらぐらと揺らしながら、ボクの意見に流されそうになってしまう。
 「こ、こら、リブラ! ジェミニなんかの言葉に惑わされてどうするの! もっとシャキッとしなさい、シャキッと!」
 「あ、あぅぅ、ごめんよぉ、アクエリアス……」
 「もー」
 意志薄弱なリブラをアクエリアスが叱る。……この光景も、何百回繰り返して見ているのやら。

 「……やれやれ、付き合っちゃいられないよ」
 ふう、と肩をすくめると、ボクはぐぐっ、と膝をかがめ、下半身のバネを思い切り押し込む。
 「あ、こら待ちなさい、ジェミニ! まだ話は終わって……!」
 「へへ、もう遅いよ、バイバーイっ」
 それに気づいたアクエリアスが止める間もなく、ボクはびゅん、と跳び上がり、遥か彼方の宙を目指して身を舞わせた。
 「待て―っ!」
 「へっへーん、追いつけるもんなら追いついてごらーん。バーテックス最速のスピードスターの、このボクにさぁ?」
 すでに豆粒くらいの大きさにまで遠ざかってしまったアクエリアスの負け惜しみが、耳に心地よく響いてくる。
 しかし。

 「何よーっ! あなたなんて、私達が全員でアシストしてあげても、神樹にたどり着けなかったくせにーっ!」

 (………っ!)
 彼女が最後に放った台詞が、思いがけず、ボクの心の弱い部分を、ぐさり、と傷つけた。


      ◇  ◆  ◇  ◆  ◇  ◆  ◇  ◆  ◇  ◆  ◇  ◆  ◇      


 「……わかってるさ、そんなことは」

 とん、とんと岩石のかけらを飛び移り、やがて他の姉妹がいないところまで逃げてきたボクは、すとん、とその場に腰を下ろす。

 ……そう、本当は、ボクだって、ボク自身の事をわかっているのだ。
 大きな体も、強い力も持ち合わせてはおらず、とりえといえばこの両脚と、あとはせいぜい、身軽な事だけ。他にはなんにもできやしない。
ボクがついつい、レオ姉に皮肉っぽくからんでしまうのだって、ボクが憧れている物を全部持ち合わせている彼女への、コンプレックスの
裏返しである事くらい、頭では理解しているつもりだ。
 必死になって勇者の攻撃から逃げ回って、戦いは全部、他のバーテックスに任せっきり――それがボク。

 「……だけど、仕方ないじゃないか。ボクだって、好きでこんな風に作られたんじゃないさ」

 誰も聞いていないというのに、ボクは言い訳じみた独り言を繰り返す。
 そう、ボクがこんな力しか持たないのも、ボク自身の責任じゃない。全てはボクら、バーテックスを産み出した、天の神様のご意志だ。
 逆に言えば、そこには全て、意味があるはずだ。
 ボクがこんな姿をしているのも、レオ姉や――アクエリアスや、リブラがみんなそれぞれ違った格好をしているのだって、みんな何かしら、
天の神様から与えられた役割があるはずなのだ。
 だからボクは、他人の前で自分を貶めたりは絶対にしない。
 どんなにバカにされたって、卑怯者と後ろ指をさされたって、ただ走って、走って、走りまくるだけだ。それがボクの生まれてきた、たぶん、
唯一の意味であり――

 誇りなのだから。

 「……さあ、みんな。ボクの脚に、力を分けてくれ。もっと、もっと速く走れるようにね」
 ボクは周囲を漂っている幼生体に呼びかけ、両脚の修繕と、さらなるパワーアップをお願いする。たちまち無数の幼生たちが、ざわわ、と
僕の脚を取り囲み、ごごっ、ごごっと音を立てながらその表面にうずもれ、補強していく。
 今のうちにやれる事は、全てやっておくべきだ。明日、ボクがやろうとしている大仕事のためにも。

 明日、ボクはもう一度、神樹への突撃を敢行する。
 この事は、他の誰にも伝えていない。たった一人の決死行だ。

 ……先日の戦いにおいて、ボク達バーテックスは、神樹の勇者に完敗を喫した。
 特にボクはといえば、レオ姉を始めとした、あの4人――さらにはアリエスとピスケスを加えた総勢6人ものサポートを得ていたにも
かかわらず、神樹へのタッチダウンを決める事が出来なかったのだ。
 誰にも存在を悟られることのなかった序盤、狙撃型勇者の攻撃を軽やかにかわした中盤まではよかった。だがその直後、敵のワイヤー
使いによってついに捕らえられてしまったボクは、無残にも、五体をバラバラに引き裂かれてしまったのだ。
 その後、防戦に回らざるを得なくなってしまった他の姉妹も順次撃破され、結局のところ、今回も神樹を打倒するには至らなかった。

 (……あなたなんて、私達が全員でアシストしてあげても、神樹にたどり着けなかったくせに……!)

 アクエリアスの言うとおりだ。みんなの想いを背負ったボクの脚は、しかし神樹を貫く槍にはなりえなかった。
 だからボクは、もう一度走り出さなければならない。みんなが寄せたボクへの期待が、間違っていなかった事を証明するためにも。
 失った脚への信頼は、脚で取り戻すしかない。

 それがこのボク――ジェミニ・バーテックスのやり方だ。


      ◇  ◆  ◇  ◆  ◇  ◆  ◇  ◆  ◇  ◆  ◇  ◆  ◇      


 ――翌日。

 「……それじゃあ、行ってくるよ。レオ姉」

 ボクらバーテックスが支配する宇宙空間と、神樹の結界との境界にボクは立っていた。ちょうどすぐ近くには、昨日と同じく、
身体の治療に専念しているレオ姉が浮かんでいる。
 巨大なレオ姉の体の修復は遅々として進まず、小さなボクから見上げた限りでは、昨日とまったく変わっていないように見えた。
彼女を象徴するように、美しく光輪から伸びる五本の突起も、未だ半分以上が砕かれた時のままだ。
 ……そんな彼女を眺めながら、ボクは「……ふっ」と鼻で笑う。
 「まあ、せいぜいそうやって、ボクの活躍を指をくわえてながめているんだね。だけど、どれだけ必死になって体を作り直したって、
  もうレオ姉の出番が来ることはないけどね。次の戦いで、ボクがゲームを終わらせてきちゃうんだから」
 またしても調子に乗って、ボクは次から次へと早口でまくし立てる。
 どれだけ軽んじられ、そしられ、哀れまれようとも、彼女は何一つ言い返してくることすら出来ない。

 ……ボク達バーテックスの中で、最も強く、最も偉大で、最も誇り高き存在である、レオ・バーテックス。
 その彼女を、今のようにふがいない、惨めな状態へと追いやった責任がボクにはある。

 「――ゴメンよ」

 ボクはふいに、おしゃべりを中断して、ぽつり、とかぼそい声でつぶやいた。
 「ボクがもっと、上手くやれていれば――速く走る事ができたなら……レオ姉に、こんな情けない格好をさせることもなかったのに」
 レオ姉は何も答えない。恐らくはボクのこの言葉も、彼女に届いてさえいないのだろう。
 こんな状態でしか、素直な本心をさらせないボクは、本当に卑怯者なのかもしれない。
 「――だけどね」
 ボクはくるり、と振り向いてレオ姉に背を向け、すたすたと神樹の結界へと近づいていく。
 「卑怯者には――卑怯者なりのプライドってものがあるんだよ、レオ姉」
 そして、激しい光の奔流で覆われたその膜に、穴をこじ開けようと手をかけた、その時――


 「……ジェミニーっ!」


 イヤになるほど聞きなれた声が、遥か後方から聞こえてきて、ボクは振り返る。
 「あれは……」
 空の彼方から一直線にこちらへ突っ込んでくるのは、アクエリアス、リブラ、タウラスの三人組。それに……少し遅れてついてくるのは、
あれはヴァルゴさんのシルエットじゃないか。 
 「……待ちなさい、ジェミニ!」
 たちまちボクの目の前まで飛んできたアクエリアスが、息をきらした様子もなく、ボクに向かって呼びかける。
 「キミ達……どうしてここに? ボクが今、ここにいることは誰も知らないはずなのに……」
 「あ、あれ……? そう言えば、どうしてだっけ……なんだか急に、ここに来るように誰かに呼ばれた気がしたような、しなかったような……」
 「どっちなのさ」
 「ど、どっちだったっけ、タウラス……?」
 「もー?」
 相変わらず要領を得ないリブラとの会話にしびれをきらしたアクエリアスが、
 「そんな事はどうでもいいのっ!」
 と割り込んできた。
 「ジェミニ! あなた今、一人で神樹の所へ向かうつもりだったわね!? 一体何を考えてるのよ! あなた一人だけで、どうにも
  なるわけないでしょう!」
 真っ正面から正確に意図を読まれたうえで糾弾されてしまい、さすがにボクは何も言い返せない。その場でふい、と横を向き、彼女から
顔をそらすのがせいいっぱいだ。
 ……こうなってしまうのがイヤだったから、誰にも何も話さずに来たっていうのに。これじゃあ台無しだ。
 「何よ、その態度は!? 何とか言いなさいよ!」
 なおもボクにかみつくアクエリアス。そんな彼女の隣から、ずい、と進み出て、

 「……まあまあ、ここはひとまず落ち着きましょ? アクエリアスちゃん」

 と、場をとりなしてくれたのは、ヴァルゴさんだった。


      ◇  ◆  ◇  ◆  ◇  ◆  ◇  ◆  ◇  ◆  ◇  ◆  ◇      


 「ねえ、ジェミニちゃん……このコの言うとおり、あなた一人で行くなんてムチャよ。よかったら、あたしもお供させてくれないかしらぁ?」

 思わぬ提案に、ボクは顔だけをヴァルゴさんの方へと向け、話を聞く。
 「あたし一人、前の戦いからずいぶん休ませてもらっちゃってるものねぇ~。まだ完全に直ったワケじゃないんだけどぉ、あなたが
  走りやすいように、敵の攻撃を引き付けるオトリくらいはやらせてもらえるわよぉ。 ……どう?」
 軽い口調ながら、その裏に、ボクの事を思いやってくれているのが伝わってくるしゃべり方で、ヴァルゴさんはそう言った。
 「……ありがとう、ヴァルゴさん」
 彼女の心遣いに感謝しつつ、しかしボクは首を横に振る。
 「でもダメです。完調状態ならまだしも、今のヴァルゴさんに来てもらったって、たいした違いはありませんよ」
 「だけど……」
 ボクはつと、他の姉妹が眠っているはずの方向へと視線を飛ばす。
 「――それよりも、今はしっかり復元に専念していてください。今はほとんどのみんなが手負い状態ですけど、いずれはキャンサーや
  サジタリウス達も戦線復帰してくるでしょう。その時こそ、大規模な作戦を展開するチャンスです。……こんな無謀な戦いに向かうのは、
  ボクだけでいい」
 「無謀とわかっていながら、行くつもりなのね」
 ボクの言葉尻をとらえたアクエリアスが、ぴしゃりとそれを咎める。ボクもひるまず、にらみつけてくるアクエリアスと真っ向から相対する。
 「そうさ。これは作戦や侵攻なんて呼べるシロモノじゃない。……ただ、ボクなりに、けじめを付けにいくだけだ」
 「………」
 アクエリアスはぐっと押し黙り、ただじっと、ボクを見据えている。その顔からは、まるで意図して隠しているかのように、何の感情も
読み取ることができない。
 しかし。

 「………バカよ、あなた」

 押し殺し、抑え込んできた感情はとうとう、彼女の水瓶の喫水線を超えてしまい、その瞳から、ぽろぽろとあふれ出した。

 (――ああ、やっぱり)
 ボクは心の中でひそかに悔やむ。
 (こうなるって分かっていたから――アクエリアスには、知られたくなかったんだ)

 「……一人で勝手に責任感じて、一人で勝手に突っ走って……こんな事したって、大姉様も私達も、喜ぶはずない事、知ってるくせに……!
  いくら私達が不滅の存在だからって、たとえ一瞬のことだって、あなたが失われることに変わりはないのにっ……!」
 彼女の涙は留まる事を知らず、あとからあとからとめどなく流れてくる。まさしく彼女の名のごとく。
 どれだけ強気な態度を繕っていても、それはうわべだけのもので、本当の彼女がとても泣き虫な事を、ボクは知っていた。
 「……ごめんよ、アクエリアス」
 レオ姉に言ったのと同じセリフを、ボクはもう一度繰り返し、そっとアクエリアスのそばへと寄る。キラキラと、まるで星屑のように
輝く聖水が、ぱしゃっと弾けてボクの脚へとふりかかる。
 それだけでボクは、百人の味方を得た思いだった。
 「大丈夫さ、ボクはむざむざやられに行くわけじゃない。きっとこの脚で、神樹のもとへとたどり着いてみせるよ。――それに」
 こつん、と彼女の頬に頭をぶつけ、ボクはくすっと微笑んだ。

 「――ボクが眠るのは、キミの子守唄を聞いた時だけって、心に決めているんだからね」


      ◇  ◆  ◇  ◆  ◇  ◆  ◇  ◆  ◇  ◆  ◇  ◆  ◇      


 「―――バカ」

 しゃくり上げるようにしながら、アクエリアスがたったそれだけの言葉を絞り出す。
 「……それじゃあ」
 ボクももう、それ以上言うべき事は無くなってしまい、そっとその場を離れようとした。
 「ジェミニちゃん……」
 「あ、ああ、ジェミニが行っちゃう……止めた方がいいのかな……でもでも、このまま行かせてあげたい気持ちもあるし……えっと、えっと……」
 「もー……」
 他のみんなが止めあぐねている間に、ボクは再び、結界の外壁へと手を伸ばし、ぐぐっ、とそれをこじ開けた。

 ――とたんに、その内側からさあっ、という爽やかな風が舞い上がり、色とりどりの花びらを運んでくる。

 目の前に広がる空間……神樹が作り出した、樹海。こここそが、ボクにとってのフィールドだ。
 今日こそ絶対に、走り抜いてやる。ボクの責任を果たすために。
 レオ姉の受けた無念を、雪ぐためにも。

 心の中で決意を固めたボクが、ざっ、と一歩、前へと踏み出した瞬間だった。


 『……………健闘を………祈る………』


 「えっ……!?」
 突然、空間全てを揺るがすような、大音声があたり一帯に響き渡った。
 「こ、この声は……!?」
 それを聴いたアクエリアスがぴたりと泣きやみ、自分の背後、遥か上方にそびえ立つ『彼女』を見上げる。

 ――そう、その威厳と迫力に満ちた声に、ボク達は聞き覚えがある。
 強く、偉大で、誇り高き我らが長姉――

 「………レオ姉……!?」

 レオ・バーテックスの声に他ならなかった。
 『…………如何にも………我、復活せり………』
 「おっ、大姉様……! いけません、まだ安静にしていていただかなくては、傷も癒えきってはおられないというのに……!」
 主たる姉の、傷だらけの目覚めに、アクエリアス達が騒ぎ出す。
 『…………気遣いは無用だ………この程度の損壊ごとき、傷にも数えぬ……』
 「し、しかし……!」
 「……あっ、そっかぁ!」
 なおも言い募るアクエリアスの傍らで、リブラが突如、すっとんきょうな声を上げた。
 「なっ、何よ、リブラ!? 大姉様の御前よ、控えなさい!」
 「ごっ、ごめん……で、でも、ホラ、さっきわたし達が、どうしてジェミニのいる場所に来られたのか、わかったんだよ! あれはきっと、
  大姉様がわたしたちに知らせてくれたんだって!」
 「あ……!」
 そうか、とボクも思う。彼女たち三人は、姉妹の中でも特にレオ姉とのつながりが強く、離れた所にいても意思の交感が可能なのだ。
だからレオ姉は、たったひとりで戦おうとしているボクを止めさせようと彼女たちを呼んで……って、ちょっと待てよ?
 「あ、あの、レオ姉……?」
 『…………何用だ…………?」
 「ひょっとして、さっきからずっと起きてたの……? えーと、具体的に言うと、ボクがレオ姉の前で、どうせ聞いてないと思って
  ブツブツひとりごと言ってたあたりから……?」
 『………………………………』
 だらだらと冷や汗を流しながら質問するボクに対し、レオ姉は意味深な沈黙で応える。
 その、気まずい時間がしばらく流れた後で、『…………フッ』と低く笑うと、

 『飾り気なく、素顔で心の内を晒し、剰え頭を下げる卿の姿など………数万年ぶりの椿事よな………いい見物をさせてもらったぞ…………』

 「………あぁぁぅぅぅ………」
 「……どうしたの? ジェミニ」
 恥ずかしさで真っ赤に顔を染め、その場でしゃがみ込むボクの事を、アクエリアス達がきょとんとした顔で見つめていた。


      ◇  ◆  ◇  ◆  ◇  ◆  ◇  ◆  ◇  ◆  ◇  ◆  ◇      


 「……こんなナリして、結構おちゃめなのよねぇ、レオちゃんってば♪」

 ひとり、レオ姉の言葉とボクの様子から何かを察したらしいヴァルゴさんだけが、口元を抑えておかしそうに笑っていた。
 『…………ジェミニよ……………』
 くっくっと気が済むまで笑い続けたレオ姉は、やがて、威厳ある声に戻って言う。
 「――はい」
 『…………卿の奮闘、この地よりしっかりと見届けさせてもらおうぞ……その駿脚にて、怨敵、神樹を撃ち滅ぼしてみせよ……!』
 「……!」

 割れんばかりの唸りを伴うレオ姉の言葉に、ボクはぶるり、と武者震いを覚える。

 ボクは初めから間違えていたんだ。
 レオ姉を傷つけられた仇討ちに。皆の助けがあってなお、目的を果たせなかった自分の汚名を晴らすために。
 そんな事のために走っているうちは、きっといつまでも、同じところをぐるぐると周り続けるだけなのだ。

 ――ボクの走るべき理由は、ただ一つ。
 神樹を討ち、この宇宙すべてを、天の神の意志の元に統べる事。
 ただそれだけを胸に、まっすぐ走らなければならなかったのだ。


 「――わーかってるってば。このボクを、誰だと思ってるのさ?」

 だからこそボクは、いつも通りの軽薄さを装い、レオ姉に答える。失いかけていた、本来のボク自身を取り戻し、全力を発揮するために。
 「バーテックス最速のスピードスターで、おまけにカワイく輝くカッコイイ、ジェミニ様だよ? あちこちボロボロ傷だらけのキミ達の
  手なんか借りなくったって、楽勝に決まってるじゃないか」
 だけどそんなボクに対して、もう誰も腹を立てたりはしていなかった。レオ姉も、ヴァルゴさんも、アクエリアスでさえも。
 『………フッ、頼もしい事だ………』
 「行ってらっしゃい、ジェミニちゃん! がんばって!」
 「早く終わらせて、帰ってきなさい! ……まだまだあなたには、言い足りない事がたっくさんあるんだから!」
 みんなの笑顔に見送られて、ボクは歩き出す。その時、

 「………もーっ!」

 タウラスがぶるぅん、と大きく身を揺るがし、頭上のベルをカラン、カラン……と打ち鳴らした。
 「これは……?」
 「え、えっと、タウラスも、がんばって、って……! あ、あと……もちろん、わたしもね!」
 リブラが懸命にタウラスの言葉を訳してくれる。カラン、カランと鳴り続けるその涼やかな音色は、まるで天使が地上へともたらす、
福音のようにボクには聴こえた。

 そう、ボクらは天の御使い、バーテックス。
 『頂点』の名に懸けて――今度こそ天命を全うしてみせよう。


 (……On Your Marks………)

 破れた結界の内側、ちょうど樹海との境界線の位置に立ち、ボクは心の中でつぶやく。

 ここがボクのスタートライン。
 ゴールテープは、神樹そのもの。
 それを2つに引き裂いた時こそ、真のゴールは訪れる。

 (Get Set……!)

 両脚を思い切り曲げて、ぐぐっと力を溜めていく。今日もボクの自慢の脚は絶好調だ。
 さあ、走り出そう。


 「――GO!!」


 合図のかけ声と共に、ボクは全力を解き放ち、樹海を駆け抜ける一陣の風となった。
最終更新:2015年02月18日 10:20