6・611

 友奈がまだ本調子ではなくて、東郷は彼女に付きっきり。
 必然的に部活動中に完成しなかった小道具は私たちが延長で作成することになる。
 まあ友奈に貰った恩義を思えばこれ位は大したことないけれど、冬の夕べは冷え込むので帰りが遅くなるのが辛い。

「そうだ、夏凛。良かったら夕飯食べていきなさいよ。遅くまで付き合ってくれたお礼」

 温かい夕食の誘惑もあって、結局風に押し切られる形で姉妹に連れられて犬吠埼家にやって来た。
 何度か訪れたことがあるが、ここは姉妹の空間だというのがよく伝わって来るので少し居づらい気持ちになる。

「今日はあつあつおでんとカキの炊き込みご飯よ!樹、準備手伝って。夏凛はお客様なんだからそこ座って!」

 そういう遠慮する間柄じゃもうないだろうに、風は割と内弁慶のようだ。
 結婚する相手は苦労するわね、等と思いながら室内を見回していると、前は気付かなかった物が目に入った。
 雛人形。内裏と雛の2体だけの場所を取らない簡素なタイプ。
 今は2月なので、西暦の時代に使われていた旧暦(ああ、ややこしい)で考えれば飾ってあってもそうおかしくは無い。
 ただ、その人形には何だか気になる部分があった。

「何で、内裏にだけこんなに埃被ってるのかしら?」

 雛人形の方は綺麗に手入れされて、毎日でも掃除されているんじゃないかと思うくらいだ。
 対して、内裏の方はと言うと出されてから1年は掃除されていないんじゃないかというくらい埃に塗れている。
 雛人形が少しだけ内裏に背を向けたような角度になっているのもあって、まるでDVを思わせる光景だ。

「なんかの妖しい儀式とかじゃないでしょうね」

 犬吠埼家は大赦の家なので神樹様信仰のはずだが、バーテックスとの戦いの中で色々あった。
 我が国は神樹様の恵みによって全てが成り立っているので神樹様への信仰は極めて自然なものだ。
 しかし、一応信仰の自由自体は憲法で保障されている。あまり立ち入らない方がいいかも知れないが。

「どうしました、夏凛さん」

 皿を並び終えるともう出来ることが無いらしく、樹がこちらに近づいて来る。

「これよこれ、雛人形。なんで片方だけこんなに汚れてるの?」
「ああ、それ。私がお掃除サボちゃってるから」
「ん?」

 何でもこの雛人形は風と樹がお小遣いを2人で溜めて買ったものらしい。
 当時からイマイチ私生活がだらしなかった樹に、風は毎日この人形を掃除するようにと命じた。
 だから季節を超えてずっと雛人形が出され続けているのだが、肝心の樹は年に1回くらいしか掃除をしないらしい。

「あんた、思った以上に気合の入った生活無能力者なのね」
「ご、ごめんなさい。お姉ちゃんと買ったものだから大事にはしたいんですけど」
「でも何で片方だけ?雛人形だけは毎日掃除してるワケ?」
「え?」

 そこで初めて、樹は雛人形だけが綺麗になっているのに気付いたようだった。
 樹がサボっているということは、風が掃除をしているということだろうか。何故片方だけ?

「そう言えば、掃除を思い立った時もお内裏様だけ毎回汚れていたような」
「気付きなさいよそれ。1年1回だから覚えないのよ。
 それに雛人形は出しっぱなしにしてると婚期が遅れるって言われてるわよ」
「ええ!?」

 樹は(今さら)雛人形をしまおうというのか、何処かにある箱を探し始める。
 探し方が非効率的でまず見つからないだろうと言うのは部外者の私にも解った。

「樹―?そろそろご飯だから手洗いなさーい。夏凛、先に席についてー」
「は、はーい」

 引きだしたものをそのままで洗面所の方に駆けて行く樹。これは雛人形関係なく婚期は遅れそうだ。

「樹はお嫁になんて行かなくてもいいのにね。ずっと、永遠に」

 私の背中越しに風がそう呟く。
 その言葉があまりにも重々しくて、ゾッとする冷たさを孕んでいて。
 振り返っても風の表情はいつも通りで、聞き間違えなんじゃないかと思った程だ。

「ねえ、風。あんたもしかして、わざと」
「手、洗って来たよ!」
「よろしい。それでは食事にしましょうか。ほらほら夏凛、お客様なんだから一番に座ってないと」

 私は雛人形の方を振り向く。
 これからも1年に1度しか省みられないであろう内裏と、いつまでも美しい雛。
 2体だけのセットにはついていないはずの官女の姿が、一瞬散らかされた箱の陰に見えた気がして。
 私は慌てて席につくと、風の料理に集中して舌鼓を打った。
 そして、帰る頃にはそんなことがあったのを忘れてしまっていた。多分。 
最終更新:2015年02月18日 10:21