6・661

「友奈ちゃ~ん!」
「わっ!?」

 その子は唐突に友奈ちゃんに抱き着くと、ぐしぐしと涙を制服で拭い始めた。
 咄嗟のことで私もどうすればいいか混乱する。けどそのお陰で、冷静に彼女を観察する余裕ができた。
 年齢は私たちと同じか少し年下くらい。ふわふわとした髪質の女の子で、頭には2本の角が生えている。
 2本の、角?

「こらっ!牛鬼!慎重に行動なさいと言っているのにあなたと来たら!」
「ギュウキ?」
「あ、し、しまった!?」

 向こうから駆けて来たもう1人の女の子が、慌てて自分の口を塞ぐ。
 青みがかかった髪と真っ白な服、一見すれば凛とした絵本に出て来る女騎士を思わせる少女。
 でも、口を滑らしてしまう辺りは少し脇が甘いようだ。
 そう言えば、私は“彼女”の行動で重要な事実を確かめたっけ、そう思いながら自分の予想を吐き出す。

「もしかして、貴女は青坊主?」
「なっ!?ち、違います、美森様!私は貴女とは全く無関係の通りすがりで」
「通りすがりの女の子が、私の名前を知っている上に様付けで呼ぶの?」
「なななっ!?し、しまった!?牛鬼、あなたのせいよ!」
「友奈ちゃ~ん!会いたかった、会いたかったよ~!」

 牛鬼と呼ばれた女の子は、まったく周囲に反応せずに友奈ちゃんに泣きついている。
 友奈ちゃんはそんな彼女をしばらくジッと見つめていたけど、やがてその頭を優しく撫で始めた。

「よしよし、意外と泣き虫なんだね。一緒に居た時は気付かなかったなあ」
「友奈ちゃん!解るの?信じてくれるの?」
「うん!相棒だったんだから当然だよ!」

 牛鬼は友奈ちゃんの言葉にますます泣きだしてしまい、友奈ちゃんはそれを微笑ましく受け止めている。
 そそそっ、と青坊主が私の隣に寄って来て、何かを期待するように見上げて来る。残念ながらあれは私の芸風ではない。
 こうして、私と友奈ちゃんは勇者のお役目から解放されてから初めて―――精霊と再会したのだった。


「とりあえず、粗茶ですが」
「か、忝い!本来は従者である私が美森様にこのように気を遣って頂くなど」
「アオちゃんは固いなあ。はい、ユウ、お茶だよ。熱いから気を付けてね」
「は~い!」

 私の部屋に友奈ちゃんと精霊たち、4人の少女が一旦集まることになった。
 ちなみにユウとアオというのは「女の子姿で牛鬼とか青坊主はちょっと変かなって!」と友奈ちゃんが考案した仮の呼び名だ。
 ユウはもうすっかり友奈ちゃんにくっついてリラックスしており、逆にアオはガチガチに緊張して畏まっている。

「それで、そもそも貴女たちは消えてしまったはずだけど。どうして女の子の姿でまた現れたの?
 まさか私が―――“鷲尾須美”が“東郷美森”として再度戦わされたように、私たちをまた勇者に」
「ち、違います!神樹様にも私たちにもそのような意図は一切ありません!」
「ユウ、そんなこと考えてないよね?」
「うん!」
「だって。信じていいんじゃないかな」

 友奈ちゃんは相変わらず素直というか、優し過ぎるというか、あるいは精霊に甘いというか。
 そもそもお膝の間に座らせて後ろから撫でるなど私でも数回したされたことがないのだ。私だって人並みの嫉妬心はある。
 アオがまたチラチラと私を見て、続いて自分の背中に目を向ける。だから、それは私のキャラじゃないから。

「じゃあどうして?今になって急にそんな姿でやって来たの?」
「か、可愛く、ありませんか?」
「可愛いよ!ユウもアオちゃんも!」
「友奈ちゃんありがとー!」
「はい、友奈ちゃんはちょっと黙って」

 話している感じでも、彼女たちに悪意や謀の企みが無いのは解る。
 かと言って、かつて何も知らなかった時のように彼女たちを受け入れ愛でることはまた適わない。
 散華と満開を繰り返し、何もかも失いながら世界の生贄とし死さえ許されぬ定め、そこに縛り付ける神樹様からの使者。
 友奈ちゃんの言葉や捧げた供物が帰って来たことで多少は緩和されたとはいえ、私の胸中には複雑なものが残っている。

「もう一度、確認するわ。どうして私たちの前に現れたの?他の精霊たちは?そのっちや夏凛ちゃんの元にも?」
「―――謝りたかったのです」

 アオが目を伏せ、絞り出すような声で告げる。

「私たちは確かに神樹様から勇者の身を守る様にとお役目を与えられ、美森様たちの元へ参りました。
 そして守る対象とは勇者自身からも含まれており、同時に心に関しては守れと命じられていなかった。
 私たちがただ無機質に美森様たちを勇者の定めに縛り付けていたと考えられても仕方ありません」
「でも、ね。私たちも辛かったよ。私たちは、元々は西暦の時代に“妖怪”って呼ばれた弱い神格なの。
 天の神様の裁きの時に私たちも一緒に滅びるはずで、それを神樹様に救われてお仕えして来た。
 いつか人間とまた一緒に歩んでいけますように、生きる手助けをしていけますようにって」

 アオも友奈ちゃんの膝の間で、ギュッと体を縮めて話し始める。
 その姿はバーテックスの攻撃から友奈ちゃんを守った雄々しさは無く、ひどく弱々しい女の子その物だ。

「皮肉なものです。人が生きる手助けをしようと願った私が、実験とは言え美森様に何度も何度も自死を実行させた。
 失いながらひたすら世界に尽す戦いに駆り立てる、あまりにも理想と異なる役目だと自覚したのはその時、あまりに遅い。
 それでも、私は…役目だけでなく、美森様を守りたかった。叶うならその心も守って差し上げたかった!
 ―――ですから最後のあの瞬間、私たちは示し合わせて友奈様に賭けたのです」

 それはバーテックスとの最終決戦、友奈ちゃんと喧嘩というにはあまりにも凄惨な死闘を繰り広げた時。
 友奈ちゃんの拳が私の頬を捉え、私は漸く絶望の檻から救いだされた。背負い過ぎた荷を下ろすことができた。
 ずっと疑問に思っていた。あの時、どうして精霊は私のことを守らなかったのだろうと。
 神樹様の意図に反したからだと思っていたが、勇者の力は問題なく使うことができたのだ。

「そっか、ユウたちも苦しかったんだね」
「変身が解けちゃった時ね、すぐに助けに行きたいって思ってたよ!火車もそうだったよ!
 でもね、友奈ちゃんの心の声が聞こえなくなっちゃって、夏凛ちゃんが戦うのを見てるしかなかった…。
 私、精霊失格だったよ…」
「どれほど言い訳を重ねても、私たちが勇者の皆様を追い込んだのは事実。それを謝りたいと願い、このような姿で参じました。
 もしもそれで気が済むなら、私たちを手にかけて頂いても構いません」

 それが、恐らくは2人だけでやって来た理由なのだろう。
 バーテックスとの戦いは時代の勇者たちに引き継がれた。いずれバーテックスは再びやって来る。
 その時に備え精霊の数を減らす訳にはいかない。恐らくこの2人が来るのも神樹様は反対し続けたはずだ。
 逆に言ってしまえば、ユウとアオの来訪は彼女たちの意思によるもので、精霊にも自我があった証明と言える。
 ―――私は立ち上がると、自分の机から秘蔵の短刀を取り出した。

「東郷さん!?」
「いいの!友奈ちゃん、いいんだよ。覚悟、できてるから。ちょ、ちょっと怖いけど、へーき!」
「騎士は定め、定めは死。結局もどきにしかなれませんでしたが、貴女に仕えられて良かった」

 ユウとアオが私を見上げて来る。その目には深い悔恨と殉教者を思わせる諦観。
 友奈ちゃんも私をはっきりと止めることができない。一番近くで私の絶望を見て来たからだ。
 私は短刀を逆手に構えて2人に近寄ると―――その髪先を少しずつ削ぎ落とした。

「え?」
「み、美森様?」
「貴女達の今の目、とても馴染み深いの。私もそんな目をしていた時があった。貴女達と違って、その詳細は忘れていたけどね。
 髪は女の子の命、貴女達の命を奪った。これで私の復讐はおしまいよ」
「良いの、ですか?」
「友奈ちゃんの前で絶望に屈するなんて恥ずかしい真似は、私はもう2度としない。感謝するなら友奈ちゃんになさい」

 ユウが再び友奈ちゃんに抱き着いてわんわんと泣き出す。アオが顔を隠すように俯いて背中を震わせる。
 私はアオの背中に回ると、少しだけ躊躇った後でその頭を撫でてあげた。

「ぐすっ、ぐすんっ、みもりしゃまぁ」
「東郷よ。そう呼ばれる方が好きだから。そう呼びなさい」
「はい、東郷様!」

 泣きじゃくる2人を前に、私と友奈ちゃんは顔を見合わせて笑い合う。

「何だか子供ができたみたいね、友奈ちゃん」
「東郷さんとの子供!いいね、ますますユウが可愛がれそうだよ~」
「ほわっ!?友奈ちゃんたちの子供!なりたいかも!」
「友奈様と東郷様の子供、子供、はふぅ」

 ―――神世紀になって300年、バーテックスとの戦いは未だに何もかもが手探りなのだろう。
 勇者も、精霊も、大赦も、神樹様も、きっと一番の正解や最善の道など見えてはいないのだ。
 それでも、私がこうやって精霊と和解できたのはこの世界にとっての前進であると信じたい。
 友奈ちゃんが示してくれた希望の道を、私が彼女と歩んで行く為にも。

 …なお、ユウとアオの2人がしばらく私と友奈ちゃんの部屋に居付いてしまった日々についてはここでは割愛しようと思う。
 私と友奈ちゃんが嫉妬しあったり、勇者部のみんなを巻き込んで大騒動が起きたりするのだが…それはまた、いずれ。
最終更新:2015年02月19日 12:22