6・715

「さよならだけが人生だ」

 それは明治の次代の文豪が漢詩を意訳した言葉で、惜別の意とも今を大事にしようという教訓とも言われている。
 どちらにしても出会いがあれば別れがあり、どれほど近しい関係にも永遠と言うものはあり得ない。
 けれど―――。

「さあ、それじゃあ大赦へ帰りましょう。お2人に別れを告げなさい、牛鬼、青坊主」

 それはあまりにも唐突で、そして覚悟のできない形で訪れたのだった。


「と、東郷様、ここですか?こ、ここでよろしいのですね?」
「そんなに何度も確認されたら恥ずかしいわ。いいの、来て」
「そ、それでは、失礼します!ゆ、友奈様も、これで本当によろしいので?」
「うんうん、上手だよ。もっと東郷さんを喜ばせてあげて?私はユウとこっちで遊んでるから」
「ふにゃ~、友奈ちゃ~ん」

 アオの細い指が少しずつ私の体に差し込まれていく。
 痺れるような感覚、痛みにも似た快楽、吐息を抑えることができない。
 初めてのはずなのに、アオには才能があるのかも知れない―――人を喜ばせる才能が。

「も、もっとですか?もっといれていいのですか、東郷様?」
「だ、だから恥ずかしいったら。あ、はふっ」
「と、東郷様―ッ!!」
「―――痛いっ!つ、強過ぎるから!アオ、一旦落ちついて!」

 アオはばね仕掛けの玩具の様に私の背中から飛び降りて、空中では既に土下座の姿になっていた。

「ももも、申し訳ありません!欲望のままに東郷様の美しい体を傷付けるなど!どのような処罰でも!」
「本当に貴女は大袈裟ね。初めてのマッサージなんだから上手くできないこともあるわ」
「そうそう、初めてで東郷さんに声を出させるなんて才能があるよ!」
「ゆ、友奈ちゃん、その言い方は恥ずかしいから」

 私と友奈ちゃんの勇者時代の精霊、牛鬼と青坊主ことユウとアオが人間の姿でやって来て、私と友奈ちゃんにひと悶着あった後。
 朝から緊張していた私たちは体がガチガチになっていることに気付き、マッサージをやることに決めた。
 相変わらず友奈ちゃんの指技は凄まじく、ユウは全身がとろけ切って桃色のすもちのようになっている。
 「東郷様には私が御奉仕します!」と言うアオも、友奈ちゃんに教わりながらだが中々才能があるようだ。

「それじゃあアオちゃん、続きは私がやるね?しっかり見て学ぶように!」
「は、はい、友奈様!」

 友奈ちゃんのマッサージをアオに見られながら受ける。それは何だかひどく倒錯した魅力があって。
 私は胸を高鳴らせながらベッドでうつ伏せになっていたのだが―――そこで来客を知らせる呼び鈴が鳴った。

「あ、私が出て来ましょうか?」
「宅配の人とかだったら困るでしょう。待っていて、出て来るわ」

 軽く不機嫌になりながら私は玄関へと向かう。おあずけを受けた犬の気持ちはこんな感じだろうか。
 友奈ちゃんと犬という組み合わせでちょっとだけ赤面する自分に喝を入れつつ、玄関を開く。

「どちらさまで、あら夏凛ちゃん?」
「ちょっと東郷!何で携帯に出ないのよ!」
「勇者部五カ条」
「あ、挨拶はしっかり。こんにちは」
「はい、よろしい。こんにちは」

 どうやら夏凛ちゃんは急ぎの用事があるようだ。そう言えば朝から携帯を全然見ていなかった。少し申し訳なく思う。
 ふと夏凛の後ろに視線をやると、背のすらりと高い真っ白な女性がこちらを見詰めていた。
 夏凛ちゃんの知り合いだろうか。病弱なのか何度か咳き込んでいる。

「それで東郷、ここに精霊たちが来ているんでしょう?」
「ああ、大赦から連絡が来たのね?大丈夫よ、2人とも無事だから」
「無事って何!?いや、確かにちょっとそれは心配したけど、そうじゃなくて」
「主殿、続きは私が説明しましょう」

 そう言って白い人はスッと流れる様な動きで私の方に近付いて来る。
 何かの武術の動きだろうか、友奈ちゃんと動線が少し似ていた。

「東郷殿、お久しぶりですね。ケホ、ケホッ」
「はあ。あの、大丈夫ですか?お薬とお水をお持ちしょうか」
「いいえ、それには及びません。この姿も愛らしいのは良いのですが融通が利かない。諸行無常」

 諸行無常。その言葉で彼女の正体に思い当たる。夏凛ちゃんの方を見ると、彼女は黙って頷いた。

「貴女は、義輝?夏凛ちゃんの精霊の?」
「ああ、既に前例があるとすんなり信じていただけて良いですね」

 特に前例なく受け入れていた友奈ちゃんは凄い、ということでいいのだろうか。

「確か、昨日アオ、ああ青坊主が連絡をしていたと思うのだけど」
「はい。青坊主からの連絡で東郷殿と友奈殿の話を聞いて、大赦の中で割れていた意見が1つにまとまったのです」

 揉め事が治まった。それは喜ぶべきことのはずだ。なのに、私の中に小さな不安が広がる。

「牛鬼たちを大赦に連れ帰りに参りました。次代の勇者たちの戦いに備える為に」


「さあ、それじゃあ大赦へ帰りましょう。お2人に別れを告げなさい、牛鬼、青坊主」

 結局私は、何か言わなければいけないと思いながらも言葉にならず、夏凛ちゃんと義輝を伴って部屋に戻って来た。
 昨日まではまるで私に殺されてしまえばいいすらと思っていたアオたちに何故突然呼び戻しがかかったのか。
 何故2人に戻るようにという連絡を入れずに(私のように見逃していただけ?)義輝が直接迎えに来たのか。
 夏凛ちゃんを伴ってやって来た理由は何なのか―――まさか私たちが「抵抗」するのを見越しているのか。
 聞きたいことは色々あったけれど、答が返って来るかどうかも解らなくて、心の中に溜まり続けていくばかり。

「おや、これは」
「どうしたの、義輝?―――あ!」

 私の部屋を覗いて驚いた顔をする2人。私も慌てて部屋に飛び込む。
 そこには3人の姿は無く、開かれた窓から入る風でカーテンがはためいていた。


「ま、待って、主殿待って、ちょい待ち、し、心臓が、心臓が破裂するぅ」
「あんた私の精霊なのに体力無さ過ぎじゃない!?仕方ない、東郷、双手に別れましょう!」

 真っ白な肌をピンク色に染めて痙攣する義輝を引きずりながら、夏凛ちゃんが走り去っていく。
 一応友奈ちゃんたちを探すことには同意したとはいえ、私が合流した後で逃走組に加わったらどうするのだろう。

「私は、どうしたいんだろう」

 実際の所、精霊たちと共に逃げ出した友奈ちゃんを見つけて私はどう行動すべきなのか。
 アオたちにとって大赦に帰るというのはどういう意味合いを持つのか。私たちの元に居るよりも望ましいのか。
 次代の勇者たちの戦いにアオやユウが参戦することを私はどう思っているのか。エゴを貫くのか。
 もし友奈ちゃんに「一緒に逃げよう」と言われたら私は絶対に断らない。だからこそ、自分の気持ちがどこにあるかが解らない。

「一緒に居たい。それは確かなんだけど」

 ふらふらと街の中をさ迷いながら3人の姿を探す。不真面目なつもりは無いけど、真剣かと言われると困ってしまう。
 見つけて、その後何と言えばいい?別れたくないと、もしも泣かれでもしたら。
 友奈ちゃんのことを忘れたくないと泣きじゃくった記憶が頭を過ぎる。離れたくない、怖い、恐いと子供のように泣いた。
 あの子たちとは笑顔でさよならできるのだろうか。御国の為に死んで来なさいと、何も知らなかった頃のような冷徹さで。
 頭の中で金属をこするような音がする。いや違う、これは本当に聞こえる音で。

「東郷!」
「え、風先輩?」
「とりあえず、後ろ乗りなさい!」

 ゴムの焦げる匂いと共に、いきなり自転車で滑り込んで来たのは風先輩だった。
 言われるがままに後ろに飛び乗ると、すごい勢いでペダルをこぎ始める。2人乗りなのにまるで坂道を下るような速度だ。

「風先輩、どうして急に」
「大赦から連絡来た!友奈と夏凛の両方から相談が来た!だからあたしは東郷に任す!以上!」
「そ、そんな投げっぱなしにされても」
「多分東郷が一番綺麗に答を出せるって思ったの!部長の直感を信じなさい!」

 風先輩は不思議な人だ。この人に信頼されていると思うと、迷いが少しずつだが晴れていく。答を出せるような気がしてくる。
 待ってて、友奈ちゃん。待ってて、アオ。後ユウ。我ながら扱いに差があると思いながら、決断の時は迫って来る。


 友奈ちゃんたちは砂浜に居た。
 力尽きたらしいユウがぐてーと横になっており、友奈ちゃんが膝枕をしている。
 アオはずっと遠くを見ていた。私がかつて結界に穴を開けた辺り。私と彼女の、罪の記憶。
 息が完全に上がって上手く喋れない風先輩に頭を下げて、アオの方へと向かう。
 友奈ちゃんが何かを言い掛けて、それを飲み込んだ。

「アオ」
「東郷様。夢を見るのをやめる術というのはあるのでしょうか」

 アオは、こちらを振り返ることなく静かに語り出す。

「幸せな夢を見ていました。戦いから解放された東郷様に娘のように愛でられながら、平和な日々を過ごす。
 バーテックスはいつまでも、いつまでも現れなくて。天の神がまるで罪をお赦しになったかのように。
 やがて東郷様と友奈様が結ばれて、ユウと共に本当の子供のように、大人になっていくお2人と共に暮らして。
 やがてお2人はとても可愛らしいお婆ちゃんになって、その手を握りながら私たちはこう思うのです。
 『私たちは世界で一番幸せな精霊だ。四国中から崇敬を集める神樹様でもこうはいかない』等と、不遜なことを」

 アオがゆっくりとこちらを振り向く。
 青みがかった髪。真っ白な服。女騎士を想わせる怜悧な美貌。それが今は、涙でぐしゃぐしゃに崩れていた。

「夢を見ないで済む方法はありますか?いつになったら夢を見るのをやめられますか?希望を苦しみに変えない方法は何処に?
 取り返しがつかないことばかりが多過ぎて、何も求めたものには届かない。怖い、私だって怖いです東郷様。
 貴女は友奈様に抱きしめられた!私を次の勇者は抱きしめてくれますか?死線に誘う神樹様の使者を!」

 私はアオを抱きしめた。今までで一番優しく、友奈ちゃんにするように愛情の絆を込めて。
 ああ、悩むことなんて無かった。私が答を出す必要なんてなかったのだ。答は、アオが出せばいい。

「―――私は、大赦に帰ります」
「そう」
「バーテックスを討ち倒し、何度でも何度でも叩きのめして、東郷様を守ります。東郷様と友奈様の未来を守ります」
「うん」
「次代の勇者たちは、きっと頼りになる私を愛してくれますよ。東郷様よりもずっと、ずっと、深、く、ひっぅ、うぁ、あああ」

 海から吹く冷たい風にアオの鳴き声が吹き流されていく。ユウの肩が震えているのが見えた。顔は友奈ちゃんの膝で隠れて見えない。
 夏凛ちゃんが自分より背の高い義輝をお姫様だっこして砂浜に下りて来るのが見えた。義輝、頬を染めてないで歩きなさい。

「2人を、よろしくお願いします」
「それは神樹様のみぞ知るといった所ね。でも、2体に良い結果になるように私も頑張るわ」
「この格好で言っても説得力0でしょうが!」
「―――“2人”をよろしくお願いします」

 そう言い直すと、私がアオが泣きやむまでその髪を撫で続けて、やがて彼女とユウを義輝へと預けた。
 ―――私と友奈ちゃんが、ユウとアオに会うことは2度となかった。


エピローグ


「(うぅ、緊張するなあ)」

 私は何度も何度も深呼吸を繰り返して、これから来る事態に備える。
 夢だった歌手デビュー、それが遂に叶うのは嬉しい。けれど、初めて会う人とユニットを組んでというのは緊張感が凄い。
 人という字を飲み過ぎて、何だか気分が悪くなってくる位だ。

「それじゃあ樹ちゃん、仲良くね」

 そう言ってマネージャーさんが私と同い年くらいの女の子を連れて来る。
 その姿を見た瞬間、私は緊張も忘れて飛び上がって驚きそうになった。
 天使のように可愛らしい容姿も驚いたけど、それ以上にびっくりしたのは彼女の衣装だった。
 それは、勇者時代の私の装束その物だったのだ。

「こんにちはー、そしてお久しぶりー。小田真紀です。気安くコダマって呼んでね!」
「あれ、2人はもしかして知り合い?」
「はい、一緒にあんなことやこんなことをしちゃった仲ですよ♪」

 そう言って抱き着いて来る彼女を、私は確かに知っていて。

「あなた、コダマ、なの?」
「えへへ、末永くよろしくね、樹ちゃん!」


「風ー!大変、大変よあんた!」
「何よー、私は元気のない部員や大舞台に挑む妹のことで忙しいんだけど」
「いやいや!あんたにめっちゃ綺麗なお姉さんが会いに来てるんだって!凄い美人!イケメン女子!」
「何ですと!?」

 慌ててその人が待っているという通用口へ向かうと、確かにそこにはボーイッシュな見た目の美人さんが立っていた。
 鋭い目つきとウルフカットの短い髪。それと少しギャップのある可愛らしい感じの服装。
 女の私でもグラッと来そうになる魅力がある。いやいや、私には樹という相手が。

「えっと、それで貴女はどちらさまで」
「風ちゃぁぁぁん!」
「のわぁぁぁぁっ!?」

 ほとんどタックルのような勢いで抱き着かれ、私とお姉さんはころころと転げる。覗いていたらしい同級生たちの歓声が上がった。

「会いたかったよぉ、風ちゃぁん!可愛い、素敵、格好いい!相変わらず最高ぉ!」
「ちょ、相変わらずって、あんた一体何を!のぉぉっ!?そんなところ触るなあ!」

 引きはがそうと必死になる内に、彼女と真直ぐ目が合う。その目つきに、私は覚えがあった。

「あ、あんた、まさか犬神!?」
「そうだよぉ。今日からね、この学校の先生やるの!よろしくねぇ」


「東郷殿の精霊との和解を契機に、この姿と対話能力の有用性が認められたの。
 次の勇者たちの元には、基本人間体の精霊たちがサポートに付くことになる。
 そこで今代の勇者たちに人間社会への適応を手伝ってもらおうという話がまとまったワケなのです、ケホッ」
「最初からそれ伝えなさいよ!そうしてれば、あんなややこしい騒動もなかったしあんたを抱えて走り回ることも無かったのに!」
「主殿のお姫様だっこ、今でも夢に見るわー。ね、もう一回お願いしてもよろしい?」

 夏凛ちゃんが、お手伝いさんとしてやって来た義輝を一旦抱き上げて、そのまま床に投げ落とす。
 2、3度痙攣して義輝は動かなくなった。多分大丈夫だろう、きっと。

「大赦によれば、追加組の精霊たち、火車や川蛍たちも随時この街にやって来るらしいわ。
 そして、私たちと共に次の勇者たちの戦いを待つ」
「精霊たちを使って、かつて風先輩がやらされたような少女を戦いに導く役目を、間接的に私たちに手伝わせるつもりなのね。
 やはり大赦はあざといわ」
「でもさ、私たちも次のバーテックスとの戦いの役に立てることがあるってことだよね!」

 それは、私たちにも蟠りとして残っていたことだった。
 特に私は2度も戦線離脱をしたことを気にしていたし、他人想いの友奈ちゃんもずっと心残りだったようだ。
 次の戦いがいつになるかはやはり予想が割れているらしい。2年後か、100年後か、それより短いのか長いのか。
 それまでの間、日常を過ごしていくことこそが私たちの新しい戦い、勇者としての活動となる。

「ええと、刑部真美ちゃんが刑部狸、白戸縫ちゃんが不知火だね。ユウとアオちゃんは鷲尾夕、鷲尾藍で姉妹扱い」
「まさかこんな形で鷲尾家とまた関わることになるとは思わなかったわ。あ、ちょっと待って友奈ちゃん。そのっちから電話が」
『た、助け、助けてわっしー!これはちょっと、嬉しいけど大変過ぎて!び、美少女の洪水が、この部屋にこの人数は!』
『園子様、これからよろしくお願いします!』『園子ちゃん、ボクまた敢えて嬉しい!』『園子、オレに任せとけって!』
『ちょっ、ストップ、ストップ!あ―――』

 ツー、ツー、ツー。

「園子ちゃん、なんて?」
「幸せすぎて声も出ないそうよ」

 外でタクシーの止まる音がする。ベランダに出て下を覗くと、下りて来る4人の女の子の姿が見えた。
 少しふっくらとした穏やかな感じの女の子が刑部狸、ゴスロリ風の青い衣装の女の子が不知火だろうか。
 そして、助手席で眠ってしまっていたらしいふわふわ髪の女の子を引きずり下ろす、青みがかった髪の美しい少女。

「友奈ちゃん、勇者部五カ条」
「東郷さん、挨拶はしっかり」
『おかえりなさい!』

 アオがこちらに気付いて真っ赤になる。やがて、照れくさそうに笑うと、ユウと声を合わせて返した。

『ただいま!』


 ―――こうして私たちは、新しい名前を貰った精霊たちと“出会い直した”。
 彼女たちと私たち勇者部がどんな生活を送って行くのかは、神樹様のみぞ知るということで。


おしまい!
最終更新:2015年02月21日 08:27