6・922

 車椅子生活が長かったから、車椅子を使う人の気持ちも解るし何に困っているかも察しやすい。これは事実だと思う。
 けれど、そこに細かく気を使ったり要望に応えてあげられるかどうかは個人の資質に関わる部分が大きい。

「ふぅ」

 かつて私がしてもらっていたように、車椅子の友奈ちゃんのお世話をさせてもらうようになって1週間が過ぎた。
 感じるのは如何に友奈ちゃんが気の利く子で私のことをよく見てくれていたかということ。
 車椅子での生活が長かった私の方が、行き届かない部分が多いというのは正直意外だった。
 流石は友奈ちゃん、気遣いの鬼の異名(命名:風先輩)は伊達ではない、と少し誇らしく思うと同時に申し訳なくも思う。

「東郷さん、疲れてる?」
「え、そんなことないよ。その、明日のテストのことで少し悩んでいただけ」

 友奈ちゃんの部屋でのことである。 
 ついつい友奈ちゃんの前でため息を吐いてしまった。聡い彼女ならそこからでも色んなことを読み取って来るだろう。
 『東郷さんの迷惑になりたくないよ』―――そんな風にいつ彼女が言い出してもおかしくはない。それは嫌だ。
 少し気負い過ぎなのは自分でも解っている。けれど、友奈ちゃんの介護には少しでも多く関わっていたかった。

「明日テストなんてあったけ!?」
「ええ、歴史のテスト。西暦の時代、平成の頃について幾つか問題が出るはずよ。友奈ちゃん、もしかして?」
「あはは、結城隊員、完全に忘れておりました!」

 ビシッと敬礼する友奈ちゃん。本来は敬礼は本職の人以外がすると失礼なのだけど、可愛いのでよしとする。
 友奈ちゃんのお世話は確かに大変だ。自分の気の利かなさ、視野の狭さに幻滅することも多い。
 けれど、こうやって友奈ちゃんの可愛い様子が間近で見られるだけで、そんな苦労は忘れてしまう。

「それじゃあ、今から少し勉強する?」
「うぅ、ありがとう。一夜漬けならぬ即席漬けで頑張るよ」
「私は一晩くらい付きっきりでも構わないんだけど」
「そ、それはちょっと…色々我慢できるか…」

 ごにょごにょと友奈ちゃんが何か言っている。
 けれど教科書を取り出していたせいでよく聞こえなかった。こういう所が気の利かない原因かも知れない。
 友奈ちゃんは真面目ではあるけど、勉強に関しては要領があまり良くないので結構教えるのは苦労する。。
 銀も、何を教えてもすぐに『つまり~ってことだな!』と独自解釈してしまったっけ。ふと昔を思い出して小さく胸が痛んだ。

「ああ、そうだわ」
「どうしたの、東郷さん?」
「こういう時は形から入ると効率が上がるかもと思って」

 そう言って鞄から伊達眼鏡を取り出す。私が『鷲尾須美』だった頃に使っていたものだ。
 そのっちや銀に何かを教える時、度々取り出して装着していたが付けると少し賢くなった気になった。
 記憶を失った時に見ていると何だか悲しくなってしまうので、机の奥にしまいこんでいたのを最近になって発掘した。

「ふふ。それでは友奈ちゃん、東郷先生の授業の始まりよ」
「…………………………」
「え、ええと、そんなにおかしかった?」
「ふぇっ!?そそ、そんなことないよ!その、いつもとちょっと感じが違うから驚いただけ!すごく大人っぽくて素敵!」
「か、からかうのはやめて」

 友奈ちゃんが本気で言っているのは解るのだけど、私の方が真直ぐな感想に耐えられない。
 私は敢えて少し厳しめに教えるのに没頭する。友奈ちゃんもよく付いて来てくれた。
 結果的に、いつもよりも随分と効率よく勉強できたような気がする。狙い通りかと言うと少し違うけれど。

「そう言えば東郷さん、伊達眼鏡なんていつ買ったの?」
「ああ、これは私が鷲尾家に居た頃に購入したの。
 そのっちが久しぶりに見せて欲しいというから取り出したんだけどね」

 休憩中、私は眼鏡の弦を撫でながら言う。
 散華によって失われた供物が戻ったのはそのっちも同じで、彼女は日常生活に戻る為の検診の日々を送っている。
 あの異常で不自然な神聖さに満ちたものではない、普通の病室のベッドで再会した時は、お互いに思わず泣き出してしまった。
 気晴らしや失ってしまった時間を埋めるのも兼ねて彼女に時々会いに行くけれど、この眼鏡もその時に要望されたものだ。

「ふーん、そうなんだ。へー」
「友奈ちゃん?」

 友奈ちゃんの口調が、何だかちょっと拗ねたものになった気がする。
 何かまずいことを口にしただろうか。思い当たらないのだけど。

「東郷さん、こっち向いて」
「え?」

 顔を向けると、両手でわしっと頬を掴まれた。痛みはないけど、とても力が籠っているのが解る。
 そのまま友奈ちゃんはじーっと私の顔を見詰めて来る。瞬きさえもほとんどしていない。
 『このまま口づけをされるんじゃないか』という願望混じりの予想が過ぎり、みるみる顔に血が上って行く。
 友奈ちゃんには赤く染まる顔も熱を持った頬も隠せない状態だ。はぁ、と熱い吐息が漏れた。

「ん。覚えたよ、東郷さん」
「な、何を?」
「何でも無い。けど、これからも勉強を教える時はその眼鏡付けてくれると嬉しいな」

 パッと手を離して笑顔になる友奈ちゃん。どうやら機嫌はすっかり直ったらしい。
 それで友奈ちゃんの笑顔が戻るならお安い御用だ。まだ火照りの治まらない顔でこくこくと頷く。

「それじゃあ東郷先生!続きをお願いします!」
「や、やる気十分ね、友奈ちゃん」
「強敵襲来の前に、東郷先生の一番の生徒にならなきゃだからね」

 強敵というのはテストのことだろうか。何にしてもやる気を出してくれるのは嬉しいことだ。

「東郷さんには、いつも助けられてるね。足が動かなくなる前から、ずっと」

 ノートに文字を走らせながら友奈ちゃんが言う。
 確かに前から勉強を見たりはして来た。けど、助けられて来たのはどちらかというと私の方の気がする。

「じゃあ、これからも助け合っていこうね。私の足が治ったらだけど」

 友奈ちゃんがにっこりと笑って言う。
 その笑顔で十分に助けられているわ。口に出すのはあまりに恥ずかしいので、心の中だけでそう告げた。

 ―――その後、そのっちが勇者部入りすると何故か『東郷(わっしー)先生の勉強会』は習慣化。
 友奈ちゃんとそのっちの2人生徒体勢が常態になるのだけど、それはまだ少し先の話だ。
最終更新:2015年02月27日 10:29