7・317

 「――こんにちはーっ! 結城友奈、ただいま到着しましたーっ!」
 「……お疲れ様です。東郷美森、現着致しました」

 勇者部部室のドアががらり、と開いて、友奈、東郷が姿を現す。と、

 「……あっ! もう、友奈に東郷ってば、遅いわよ! あんまり待たせて風先輩に迷惑かけんじゃないわよ! ……ねえ、風せんぱ~い?」
 「…………ああ、うん、そうね、夏凜………」

 部屋の中で、仲睦まじく腕を組み、ぴったりと寄り添いあっている夏凜と風が二人を出迎えた。
 その隣では樹が、「………おはようございます」と、途方に暮れたような表情でぺこり、と頭を下げていた。
 「…………すいませーん、部室、間違えましたー………」
 「いやいやいや! ちょっと待って二人とも! お願いだから助けてってば!」
 一瞬、笑顔のままで表情を凍りつかせたのち、そろって廊下へ一歩下がり、そろそろとドアを閉じようとした友奈と東郷に向けて
風ががたっと立ち上がって必死に助けを求めた。その間も夏凜は、
 「いいじゃないですかぁ、風せんぱい~。友奈と東郷なんてほっといて、私達だけで勇者部、始めましょうよぉ~」
 「い、いやだから、放してちょうだいってば、夏凜……」
 「やですー、私、風せんぱいの事だーい好きなんですから。 ぜーったい離れませんもんね~、うふふっ♪」
 などと甘えた声を出しながら、ぎゅっと抱きついた風の肩にすりすりと頬を寄せていた。
 「………えーと………樹ちゃん、これは一体? 私達、散華の影響で悪い物でも見せられているのかしら?」
 「はあ、実は……」
 おそるおそる尋ねる東郷に、樹が口を開いた。


      ◇  ◆  ◇  ◆  ◇  ◆  ◇  ◆  ◇  ◆  ◇  ◆  ◇      


 樹が言うには、ほんの10分ほど前の事。

 「――おつかれー、来たわよ……って、あら?」」
 友奈や東郷たちよりも早く部室へやってきた夏凜は、部屋の様子を見るなり首をかしげた。
 「なんか、妙に床がぴかぴかしてない?」
 「ああ、それなんだけどね」
 すでにそこにいて作業を始めていた犬吠埼姉妹のうち、風が夏凜の問いに答える。
 「……今朝、清掃業者が入って、床にワックスかけてったらしいのよ。もちろんすでに渇いてはいるけど、まだこころもち
  つるつるしてるから、滑らないように気をつけてね」
 「ふん、なーに言ってんのよ。この私がそんなおマヌケな真似するわけ……ふぎゃっ!?」
 という風の忠言の甲斐もなく、ずかずかと入り込んできた夏凜は、その場ですってんころりんとひっくり返ってしまったのだそうだ。
 「かっ、夏凜さーん!? しっかりしてくださーいっ!」
 「ああー、ゴメンゴメン! そこさっき、あたしが食べてたうどんのおつゆこぼしちゃって、余計つるつるに……!」 
 「は、早く言ってあげてよぉ、お姉ちゃん~!」
 などと騒ぎながらも、二人は夏凜の身体を抱き起した。どうやら転んだときに頭を打ってしまったらしく、ぐるぐると目を回してしまっている。
 「ちょっと、夏凜ってば……ほら、起きて……!」
 心配になった風が、ぐっと顔を寄せて夏凜の顔をのぞき込んだ、その瞬間。
 「……う、ううん……?」
 突然、ぱっちりと夏凜が目を開き、間近で風と見つめ合う格好になった。
 「よかった……もう、しっかりしなさいよね。だいじょぶ? 痛い所とか、ない?」
 「………」
 ほっと胸をなでおろす風の問いかけにも答えず、夏凜はじっと風を見つめ続ける。
 「か、夏凜……?」
 「夏凜さん、どうかしましたか……?」
 その様子を不審に思った二人がさらに質問を重ねる。と、その時。
 「………はいっ! 大丈夫ですっ、風せんぱいっ!」
 「きゃわっ!?」
 急に身を起こした夏凜ががばっ、と風へと抱きつき、にっこりと満面の笑顔を浮かべた。
 「ごめんなさいっ、私の不注意のせいで、風先輩に心配かけちゃうなんて……でも、先輩のそういう優しい所、私、大好きですよっ!」
 「なな、何なのよ、いったい!?」
 唐突なその出来事に、風は何とか夏凜から身を離そうともがくも、しっかりと背中に回された夏凜の両腕がそれを許さない。
 「あーん、逃げないでくださいよー、風せんぱい~。そんな事されたら、夏凜、もっとぎゅーってしたくなっちゃいますぅ~♪」
 「い、樹ぃ! この子、何とかしてーっ!」
 「ど、どういう事なの……?」

 目の前で繰り広げられるそんな珍事に、樹はただ、ぽかんと口を開ける以外にないのだった。


      ◇  ◆  ◇  ◆  ◇  ◆  ◇  ◆  ◇  ◆  ◇  ◆  ◇      


 「――とまあ、そういう訳でして……」

 とりあえずテーブルに着いた一同の前で、樹が説明をし終えると、はあ、とため息をついた。
 「なるほど……つまり頭を打った拍子に、夏凜ちゃんの意識に一部、乱れが発生してしまったという事ね」
 「何言ってんのよ、東郷! それじゃまるで、私がどっかおかしいみたいじゃないの! ……ひどいですよねー、風せんぱい?」
 静かにつぶやく東郷に対し夏凜がかみつき、そしてまたしても、隣に座る風の顔をくりりとした瞳で覗き込む。
 「……何とかならないかしら」
 困り果てた様子の風が、助けを求めるように一同を見回す。それに対し友奈たちは、
 「うーん……」
 といった表情で、互いに顔を見合わせた。
 「な、何よ、なんでもいいから、ほら、アイデア出して……」
 その様子に不安を覚えた風が、わたわたと両腕をせわしなく動かす。と、
 「でも……」
 と、口を開いたのは友奈であった。

 「……別に、このままでもいいんじゃないですか?」

 「何で―!?」
 予想だにしなかった友奈の言葉に風が思わずがたん、と椅子から立ち上がる。
 「え、えーっと……何というか、私達に対する態度はふだん通りですし、風先輩に対して、いつも以上に仲良くなってるのなら、
  別に誰も困らないのかなー、って……」
 「友奈ちゃんの言う通りね。勇者部全体の連携と調和という観点から見ても、いつもの夏凜ちゃんよりも望ましい態度だわ」
 「いやっ、いやいや! そんな事言ってる場合じゃないんだってば! コレ! コレ見てよ!」
 そろってうんうんとうなずく友奈と東郷を前に、風は激しく首を振り、立ち上がってもなお腕にしがみつきっぱなしの夏凜の、うっとりとした
表情を指さして言った。
 「あぁ……風せんぱいぃ……ホントに素敵……もしよかったら、お姉さま、って呼んでもいいですか……?」
 えへへへ、と薄ら笑いを浮かべる夏凜の様子は、先ほどよりも危ない方向にエスカレートしてしまっているようだった。
 「このまま放っといたら、あたしどうされるか分かんないって! お願いだから~!」
 「風先輩がそこまでおっしゃるなら……仕方ありませんね」
 泣きつかんばかりに懇願する風に、東郷もしぶしぶそれを受け入れた。
 「うーん、でも、どうやったら元に戻るんだろう……」
 「こういうのは大抵、ヘンになった時と同等のショックを与えれば戻ると言うわね」
 「ええっ、で、でも、わざともう一回転ばせるなんて、夏凜ちゃんがかわいそうだよ」
 東郷が打ち出した対処案に、友奈がぎゅっと手を握って首を横に振る。
 「それもそうね……とりあえず正攻法で、夏凛ちゃんに向かって、自分がどんな子だったのかを思い出してもらうのはどうかしら?」
 「よ……よくわからないけど、やってみましょう、東郷先輩!」
 代案をとりあえず採用した友奈ら三人はめいめい立ち上がり、ざっ、と夏凜の前に整列する。
 「な、何よ、あんた達……?」
 夏凜が風の腕にひっついたまま、かすかに怯えの表情を浮かべて三人の顔をまじまじと見つめた。そんな夏凜に対し、友奈たちは、

 「夏凜ちゃん、思い出して! 夏凜ちゃんはそんなに風先輩と仲良しじゃなかったはずだよ!」
 「そうよ! 本当の夏凜ちゃんはもっと素直じゃなくて、どこかへそ曲がりで、自分の気持ちをさらけ出せるような女の子じゃないの!」
 「え、ええと……夏凜先輩! お願いです、いつもの強がりで、自信満々なのにどこか抜けてるところのある、ドジっ子な夏凜先輩に戻ってください!」

 と、思いつく限りの言葉を尽くして、夏凜を元に戻そうと試みた。
 「……けっこう、容赦ないわね、アンタ達……」
 それを隣で聞いている風が、冷や汗をかきながらぽつり、とつぶやく。
 が、当の夏凜は、
 「……い、いったい何言ってんのよ!? 私とお姉さまはずっと前からこうだったわよ! 私達は運命の赤い糸で結ばれてるんだから、誰にも
  私とお姉さまを引き離す事なんてできないんだからねっ!」
 と、ますます意固地になって風にぎゅぅぅぅっ、としがみつくばかりだ。
 「か、夏凜、そんなに抱きついてこられたら……わひゃっ!?」
 その反動でバランスを崩した風が、その場からよたよたと後ろにさがっていき、そして――

 「―――いったぁぁっ!?」

 ついには二人そろって、つるん、と足を滑らせると、ごっちーん! と床に頭をぶつけてしまった。
 「ああっ!? ふ、風先輩! 夏凜ちゃーんっ!」
 派手に転んだ二人に、友奈たちがあわててその周りに駆け寄ってくる。
 「お姉ちゃん、だいじょうぶ!?」
 「夏凜ちゃんも……!」
 それぞれ体を起こし、さすさすとぶつけた頭をさすっているうち、うっすらと目を開け、
 「……な、何よもう、やかましいわね……」
 と、先に目を覚ましたのは夏凜の方だった。
 「夏凜ちゃん……! よかった!」
 「うう……何か、頭がズキズキするし、ぼーっとする……って、きゃっ!?」
 さすがに二連続で転んだ痛みはこらえようもないらしく、自分の後頭部を抑えながら顔をしかめていた夏凜だったが、突然小さく悲鳴をあげると
その場で立ち上がった。
 「ど、どうしたの? 夏凜ちゃん」
 「どど、どーしたもこーしたもないわよ! 何で私と、コイツ……風がべったりくっついて、こんな所に寝てんのよっ!?」
 「………え?」
 いまだ床にひっくり返ったままの風をびしっ、と指さし、顔を真っ赤に火照らせて叫ぶ夏凜に向かって、周りの三人がきょとん、とする。
 「……夏凜ちゃん……もしかして、元に、戻ったの?」
 「元に? 戻った? 一体何の話? ……う、でも、何かちょっと記憶があやふやなような……そ、そんな事より! 私が聞きたいのは
  どうして私とこのうどんシスコン女子力バカがベタベタしてたのかって事なのよっ! まったく、気持ち悪いったらありゃしない……!」
 きーきーとわめく夏凜の姿を目の当たりにして、徐々に友奈たち三人に、ぱあっと笑顔が広がっていった。
 「……やったー! 夏凜ちゃん、元通りになったよー!」
 「きゃっ!? ちょっ、ちょっと友奈! どういう事なのよ!?」
 夏凜本人は置いてけぼりで、ワイワイと喜び合う一同。そのかたわらで、むくり、と風が言葉もなく身を起こしていた。
 「あっ、風先輩! やりましたよ! 夏凜ちゃん、すっかり自分を取り戻して……」
 と、喜んでみせる友奈たち。だが、風の様子がどうもおかしい。何も言わず、無言で友奈たち4人の方を見つめたままだ。
 「……ちょっと、風? どうしたの? どこか悪い所でもぶつけたんじゃ……」
 心配そうにそう言って風の方へ歩み寄る夏凜の後ろでただ一人、樹だけがハッ、と何かに気が付き、
 「も、もしかして……」
 と、不安を口にした瞬間。

 「……うわ~ん! 痛かったよぅ、夏凜~!」

 甘え声全開の風が、夏凜の身体を思い切り、むぎゅぅぅっ、と抱きしめた。
 「わひゃぁぁぁっ!?」
 「夏凜~! 風、おでこぶつけてすっごくジンジンするよぅ~、お願いだから、なでなでって、して?」
 「なな、何言ってんのよ!? くっ、このっ、離れなさい、ってのっ!」
 「や~だ~! 夏凜から離れちゃったら、風、さみしくて死んじゃうんだもーん! これからは、ずーっとずーっとこうやって一緒にいるの~! むぎゅ~」
 「ゆ、ゆうにゃー! 東郷! 何とかひてーっ!」
 ぐりぐりと頬を押し付けてくる風に辟易しながら、夏凜は友奈たちに助けを求める。が、

 「……何か、もう、いいんじゃないかな」
 「そうね。キリがないし」
 「お姉ちゃんも幸せそうですし」

 三人は疲れ切った表情で、ぞろぞろと部室を出ていこうとしてしまっていた。
 「な、何でそんなあきらめきった顔してるのよ、三人とも!?」
 「ほら、夏凜~、恥ずかしがってないでこっち向いてよぅ。……ん~……」
 「や、やめ……あ~~~っ!!」


 ――がらがら、ぴしゃ、と、後ろ手に部室のドアが閉じられるのと、夏凜の悲鳴が上がったのは、ほぼ同時の事であった。
最終更新:2015年03月10日 01:01