7・903

Side:東郷美森

 親しき仲にも礼儀あり。思う仲こそ垣をせよ。
 互いの親しさに依存して非礼を働けば、そこから不和の原因が出来たり関係が遠くなってしまったりする。
 私と友奈ちゃんは一番の親友だと思うし、正直なところもっと深い関係になりたいという気持ちもあるけど、配慮は必要だ。
 それなのに、その日。カーテン越しに友奈ちゃんの姿が見えた時、ついついそれをじっと目で追ってしまって。
 彼女が、女の子と思わしき影にキスをするところを見てしまったのは、垣根を越えて覗き込んだ罰だったのだろうか。

「お、おはよう、東郷さん」
「…おはよう、友奈ちゃん」

 翌朝、友奈ちゃんの様子は少しだけおかしくて、何故か私の顔をちらちらと見ては顔を赤らめている。
 私が昨日覗いていたことに気付いているのかというと、そんな感じでもない。
 結局昨日は一睡もできず、そのせいで友奈ちゃんの部屋から誰かさんが帰ることが無かったのも知っている。
 今も友奈ちゃんの部屋で、顔も解らぬ彼女は心静かに休んでいるのだろうか。
 それを思うと、何だかひどく悲しい気持ちになって来る。

「と、東郷さん、どうしたの?何だか今日は元気がないね」
「ん、少し眠れなくて。ありがとう、友奈ちゃん」

 友奈ちゃんは、やっぱり優しい。男女問わず人気のある彼女に、こんな日が訪れてもそこまでおかしなことではない。
 一番の親友として、私にできることは何だろう。暗い顔をして彼女を動揺させることではないと思う。
 けれど、素直に祝福するというのもすぐには出来なくて。私が覗いていたことも伝わってしまうし。
 結局その日は、懸命にいつも通りを演じていたけど、所々で友奈ちゃんの不審の視線を受けてしまった。
 大丈夫よ、友奈ちゃん。私は大丈夫。こんなに大きなものを貰ったんだもの。これ以上はなくても、仕方ないから。


Side:結城友奈

「何やってるんだろう、私…」

 私の部屋の中に鎮座しているのは、女性を象ったマネキン。
 武道の練習の時に、打ち込み用に使っていたというのをわざわざ部屋まで持ってきた。
 そして、私が練習しようとしているのは武道の技ではなかったりする。
 むしろその逆…キスの練習台にしようというのだ。
 本当に何やってるんだろう。

「だって、あんなの見たら不安になるよ…」

 それは今日のお昼休みのこと。勇者部でお弁当を食べ終えて、少し腹ごなしに裏庭を散歩していた時に見かけた光景。
 女の子が2人、口から血を流して震えていた。
 慌てて駆け寄って事情を聴いても、片方は泣き出してしまうし、もう片方は何でもないからの一点張り。
 それでも根気強く話を聞いてみると…キスを、失敗してしまったらしい。
 お昼を終えて、2人きりの裏庭。よい雰囲気。思わず重なる唇。勢いが良すぎてぶつかる前歯と切れる口内…。

「いや、友達だけど。あくまで親友なんだけど。万が一、万が一東郷さんとキスすることになった時に…」

 東郷さんを怪我させてしまったら。もうそう考えると居ても立ってもいられずに、こんなことになっている。
 いいや、持って来ちゃったんだし、一回だけ。一回だけ練習してみよう。
 位置を調整して、ベッドにマネキンを座らせて。そっと唇を寄せてみる。
 そして、もうすぐキスするという直前でようやく気付いた。

「…全然ドキドキしない」

 当たり前と言えば当り前だ。相手は東郷さんじゃなくてただのマネキンなんだから。
 これでは練習になる訳がない。そう気付いた瞬間、顔から火が出そうなほど恥ずかしい気持ちが沸いて来る。
 結局そのまま悶えるようにして寝入ってしまい、翌朝は東郷さんの顔をまっすぐ見れなかった。
 ちょっと元気がないように見えたけど、嫌な気持ちにさせちゃったかな。ごめんなさい、東郷さん…。


Side:東郷美森

 私は完全に嫌な女の子になってしまったな、と自嘲気味に思う。
 友奈ちゃんの部屋が見える位置に座って、もう一時間ほど身動きしていない。
 ストーカーというのはきっとこういう心理なのではないかと思って、羞恥と友奈ちゃんへの申し訳なさで胸が張り裂けそうだった。

「でも、だけど」

 諦められない。それが今日一日ずっと考え続けた結論だった。
 友奈ちゃんを誰かに取られたくない。相手が誰でも、男の子でも女の子でも。祝福なんて出来ない。
 親友の幸せを祝えないなんて、心の狭い嫌な子だと解っている。
 それでも私は、友奈ちゃんの顔も知らないお相手に負けたくない。

「だからって、今日も見張ってどうするの?」

 無駄に気合が空回りしているのを自覚しつつ、そんな風に自問する。
 もしも今夜も友奈ちゃんが誰かとキスをするのを見たら、昨日よりもずっと傷つくと解っているのに。
 いや、もしかしたら友奈ちゃんの部屋まで乗り込んで、あらぬことを叫び出してしまうかも知れない。
 確かドラマでそんな話があった。それを見た時はもっと冷静になればいいのにと思ったのに、今は画面の中の彼女の気持ちが解る。
 もっとも、私と友奈ちゃんはあくまで親友で、友奈ちゃんの好きは私のそれと違ってはいるのだろうけど。

「―――!?」

 友奈ちゃんの部屋、カーテン越しに2つの影が映った。
 片方は友奈ちゃん、私がそれを見紛うはずがない。
 そしてもう片方の女の子は―――昨日と髪型が違う。別人だった。
 カッと頭の隅が熱くなる。それは、それだけは絶対に許せない―――。


Side:結城友奈

「うん、これ完全に昨日より迷走してるよね」

 昨日と同じく、ベッドに座らせたマネキン人形。
 今日はその頭に、勇者部の劇で使ったカツラが被せられている。
 長い髪をセットすればもう少し東郷さんに近づくかなあと思ったのだけど、大失敗だった。
 東郷さんはもっと可愛いし、綺麗だし、髪だっていつまでも触っていたいくらい艶々だ。
 気付けば東郷さんの姿を思い浮かべてにへへと笑みがこぼれていた。マネキンの前だから、傍から見たらさぞ不気味なことだろう。

「まあ、誰に見られるでもないと思うけど」
「友奈ー、東郷さん来てるわよー」
「え!?」

 東郷さん!?何故こんな夜に!?宿題とかテストとかあったっけ!?
 慌ててマネキンをどこかに隠そうとするけど、焦っているとなかなか上手くいかない。
 いや、落ち着こう。東郷さんは基本的に私に案内されるまでこの部屋にやって来ない。とっても奥ゆかしいんだ。
 だから時間はたっぷりあって…。

「友奈ちゃん!」
「わ、わぁっ!?」

 油断しきっていた所に、思い切りドアが開かれる。
 私は悲鳴を上げながら倒れこんで、下敷きになったマネキンがボギリッと嫌な音を立てた。
 カツラが落ちて、東郷さんの足元まで転がるマネキンの頭。ちょっとしたサイコサスペンスの一場面みたいだ。

「人形…?」
「あ、あはは、東郷さん…その、こんばんは…」

 私はひきつった顔であいさつをすることしかできなかった。


 顔から火が出そうなくらい恥ずかしい。必死に顔を抑える私の隣、東郷さんもすごく気まずそうにしている。
 まさか、東郷さんの部屋から丸見えだったなんて。昨日までの奇行を思い出し、砂浜までダッシュとかしたくなる。
 一応、劇の練習ということで誤魔化したけど、それで自分の心が落ち着く訳もなくて。

「その、ごめんなさい。見るつもりはなかったんだけど」
「うん、東郷さんは悪くないよ。どう考えても私がおかしかったんだから」
「でも、それで家に乗り込んでくるなんて、やっぱり出過ぎた真似だったわ。ごめんなさい」
「いいよ、東郷さんが嫉妬してくれたみたいで嬉しかったし」
「え?」
「あわわ、な、何でもないよ!」

 東郷さんが私の部屋に居る。近くに座っていて、温もりもいい匂いも感じられる。なのにこの息苦しさと来たら。
 何というか、やっぱりまだまだキスとかそういうのは私たちには早いんだなあと思う。
 東郷さんの態度的に、脈なしという訳ではなさそうなのが唯一の収穫かな、と私は苦笑した。

「それじゃあ、私はそろそろ家に戻るわね。また明日」
「うん、また明日」
「それと友奈ちゃん」
「なあに、東郷さん?」
「―――劇の練習なら、また私が付き合うから」

 おやすみなさい、と言って東郷さんが私の部屋の扉を閉める。
 玄関まで送るのも忘れて、私はベッドで方針していた。東郷さんの顔、赤かったように見えたけど気のせいだろうか。
 そう言えば前も東郷さんと劇の練習をしたなあと思い出し、あの時は何であんな大胆なこと出来たんだろうと身悶えして。
 結局、翌朝も寝不足になってしまったのは私だけの秘密だ…何故か、東郷さんも寝不足っぽかったけど。


おしまい
最終更新:2015年03月29日 10:50