天使のような笑顔。
天使のような寝顔。
天使のような○○という表現をよく目にする。
私はこの表現に対して、納得できないものを感じていた。
つまるところ、この表現は「とても可愛らしい」「神聖不可侵な」そういうことを表したいのだ。
だが待ってほしい。
果たして、天使とは何か?
人類で天使をその目で見たものがどれほどいるだろうか。
私は見たことがない。
神樹様のような神様的な存在に触れたこともあるし、バーテックスのような化け物と戦ったこともある。
だけど、天使に関しては見分がないのだ。
私から言わせてもらえば「天使のような○○」というものは、「見たこともないし、よく分からない○○」となってしまう。
少し拗らせすぎだと思われるかもしれないが、なぜ私がこんなことをわざわざモノローグとして語っているかというと、
これから話す内容というものは、私が「天使」を理解するというものだからだ。
これは私が「天使」を認識するに至った高尚な話だ。
大して長い話ではないので、聞いていってほしい。
ただ、認識した後の話は少し長いので気をつけてほしい。
お昼休みが終わったばかりの5時間目の授業は日本史だった。
私は勉強が好きで、とりわけ日本史は大好きだ。
その時も先生が話す日本史の話が面白くて、授業をとても楽しんでいた。
だがすぐ隣から懐かしくも聞きなれた寝息が聞こえてきた。
おそらく、お弁当を食べて満腹になったそのっちが睡魔に負けてしまったのだろう。
讃州中学に転入してきてから初の居眠りだった。
仕方ない、神樹館の時同様に起こしてあげるか……そう思って隣を見た。
「あ、天使……」
認識完了。
先生から見つからないように教科書を盾にしながら机に伏し、私の方に顔を向けて眠っている天使。
この時私は長年の疑問に回答を得た。
天使とはつまり、そのっち。
「天使のような○○」という表現を作った人は、そのっちのことを見て思いついたのだと。
比較的新しい表現だったのね……ここ14年の間で作られた言葉だったとは……。
長年の疑問に回答を得た喜びと、何よりもそのっちの寝顔に感激していた私は、
あんなに好きだった日本史の授業を聞くことを完全に放棄してしまっていた。
だって仕様がないじゃない。
午後の陽射しを受けて、淡く輝く金の髪。
呼吸に合わせ、気持ちよさそう上下する抱きしめたくなるような背中。
閉じられた目の安らかさ。
愛らしく微動する唇。
止めとばかりに放たれた言葉――。
「……わっしー……大好き~……むにゃむにゃ……」
気付けば授業が終わる直前だった。
私はずっとそのっちの寝顔を見つめていたようだ。
しかし先生にバレないようにと、ノートに文字を書いてはいたようで……。
『そのっち天使そのっち天使そのっち天使そのっち天使そのっち天使そのっち天使そのっち天使そのっち天使そのっち天使そのっち天使
そのっち天使そのっち天使そのっち天使そのっち天使そのっち天使そのっち天使そのっち天使そのっち天使そのっち天使そのっち天使
そのっち天使そのっち天使そのっち天使そのっち天使そのっち天使そのっち天使そのっち天使そのっち天使そのっち天使そのっち天使』
これが永遠と20ページにわたって書かれていた。
自分でも少し引く。
でもこれはそのっちが愛らしすぎるのが悪いのだ。私は悪くない。
その件の天使は授業終了直前に目を覚まし、見つめていた私と視線で一瞬の邂逅を果たした。
視線が合い、ドキッとする私に天使はニコッと微笑みを与えてくれた。
その微笑みに、ドキッとしていた私の心臓はドクンドクンと勢いよく暴れ狂った。
授業終了後、いまだに心臓の暴走をなかなか止められずにいた私に、そのっちが声をかけてくる。
「さっきの授業寝ちゃったよ~」
「そ、そうね。気持ちよさそうに眠ってたわね」
「悪いんだけど、わっしーのノート見せてもらえるかな~?」
「えっ!?わ、私のノートを!?」
「おねがい、わっしー。写したらすぐに返すから~」
いつもなら「仕方ないわね」と見せてあげるところだが、今回ばかりは見せてあげられない。
こんな自分ですら気持ち悪いと思うほどのノート……さすがのそのっちでも私を軽蔑の目で見るようになることは想像だに難くない。
どう切り抜けたらいいの……?
その時、私は友奈ちゃんと視線が合った。友奈ちゃん……助けて!
私が視線で助けを求めると、友奈ちゃんはグッと親指を立てて頷いてくれた。
さすがは友奈ちゃんだ。私の気持ちを即座に理解してくれる。本当に良い友達を持ったものね、私は。
「園ちゃん、東郷さんのノートは少し待ってくれないかな?」
「ゆーゆ、どうして~?」
「実は、私もさっきの授業うたた寝しちゃって、先にノートを見せてもらいたいんだよ」
「それなら一緒に見ながら写そうよ~」
「あ、それいいね!東郷さん、園ちゃんとは一緒に見るから心配しないで?」
「あ、はい……」
違うの友奈ちゃん!そうじゃないの!
友奈ちゃんに先に見せてあげた方がいいんじゃないかとか、そういう想いで視線を送ってたわけじゃないのよ!
この気持ち悪い文章の羅列をそのっちに知られたくないの!
こうなれば頼れるのは完成型勇者たる夏凜ちゃんのみ。
夏凜ちゃん……お願い!助けて!
私の視線に気づいた夏凜ちゃんは、友奈ちゃんと同じように親指をグッと立てて頷いてくれた。
あ、いやな予感がするわ……。
「友奈、園子、東郷にノートを見せてもらうのは辞めなさい」
「えっ、夏凜ちゃん……でも……」
「東郷は今、心を鬼にしているのよ」
「へっ……?」
「このまま安易にノートを見せ続けていたら、あんた達のためにならない。授業なんて聞かなくても東郷のノートがあると思って、
あんた達がこれから居眠りの常習犯になってしまうのではないか……そう東郷は危惧しているのよ!」
「東郷さん……私たちのためにそんなことを……」
「わっしー、ごめんね~。私たち、これからは居眠りなんてしないよ~」
「それは駄目よ!!」
『えっ!?』
三人の声、言葉、表情が完全にシンクロした。三人とも目を真ん丸にし、ポカンとしたような表情で固まっている。
でも、それは絶対に駄目なのだ。居眠りをしないということは、そのっちの寝顔が見られなくなるということに他ならない。
それだけは断じて許容できない。
あのむにゃむにゃした寝言を聞けなくなってしまうことは、私から
うどんとぼた餅と英霊たちの魂を奪うに等しい。
「ごめんなさい夏凜ちゃん。そういうことではないの。実は、私も少し寝ちゃってノートを取ってなかったの。だから、
ノートは夏凜ちゃんに見せてもらってと言いたかったのよ」
「あ、そういうこと。東郷が居眠りなんて珍しいわね」
「うん、ちょっと昨日は夜更かししちゃって」
「あれ?昨日は22時には電気消えてたけど、東郷さん起きてたんだ」
「え、ええ。夜更かしというか、眠れなくてね……」
「わっしー不眠症~?大丈夫なの~?」
「心配は無用よそのっち。今日は快眠できると思うわ。とても良いものが見れたからね」
「良いもの~?」
「そう。良いもの」
不思議そうな表情をしてるそのっちも可愛いわ。
「そういうことなら友奈、東郷、園子、わたしのノート見せてあげるから来なさい」
「了解!」
「了解~」
「了解よ!」
ふう……なんとか乗り切れた。あとは適当に夏凜ちゃんのノートを写せば大丈夫だ。
というか、天使の寝顔に夢中で普通にノートを取ってなかったからこれは嬉しい。
私たちは各々自分のノートをもって、夏凜ちゃんの席に集合した。
写すときは白紙のページから書いていけばいいので、バレることはあるまい。
「でも、わたしはノートの取り方が上手くないのよね。写すときは東郷のノートを参考にした方がいいかも」
「えっ!?」
「あー、東郷さんまとめ方が上手いよね!東郷さんのノートのまとめ方を見ながら写した方がいいかも!」
「あの、ちょ――」
「――そうだね~。わっしー、日本史のノート参考に見せてくれる~?」
神よ……いや、神樹様よ!ここまで試練を与えるというのですか!
あなたがそのつもりなら、私にだって考えがあるわ。
バカらしいからやりたくはなかったのだが、致し方ない。
「う、うぐぅ!ぐぐぐぅぅぅぅ!」
「――!?わっしー!?」
「と、東郷さんどうしたの!?」
「と、東郷!?どこか痛いの!?」
「ご、ごめんなさい……持病の癪が……」
急にお腹を抱え、座り込んでしまった私を3人が心配してくれている。
騙していることに罪悪感が湧くが、それでも譲れないものがある。
そのっちにドン引きされることだけは、絶対に絶対にあってはならないのだ。
「えええ!?東郷さん、そんな持病もってたの!?初めて聞いたよ!?」
「ええ……つい最近かかってしまって……」
「……あれ~?持病って言ってたような~」
「あががががががぁぁああっ!痛い!もうダメー!!」
「――!?と、東郷!ほ、保健室に連れて行かなくちゃ!友奈、手伝って!」
「うん!東郷さん、保健室までがんばってね!」
友奈ちゃんと夏凜ちゃんは私の両隣りに立ち、肩を貸してくれた。
ごめんなさい2人とも……そして、驚愕の表情で様子を見ているクラスメイトのみんな……。
今回のことで私が負ったダメージは凄まじい。
個人的なことで親友達を騙した自身の心へのダメージ、他の級友達からの心象というダメージ……。
だが、ノーダメージで済んだものがある。そのっちの、私に対する好感度だ。
これさえ守れるならば、私は何度だって立ち上がれる。何度だって戦える。
何度だって、何十人もいる級友たちの前で金切り声をあげてみせよう。
私は2人の両肩に支えられながら、教室を後にした。
そのっちは俯いたままで、床を凝視しているように見えた。
表情は見えなかったが、きっと私を心配してくれているのだ。
そのっち……私が保健室から戻ってきたら、またあの微笑みを私に……。
だがこの時、私は致命的なミスを犯していたことに気付けなかった。
痛がる演技をするのに集中するあまり……肝心のノートを落としてしまっていて……。
『そのっち天使そのっち天使そのっち天使そのっち天使そのっち天使そのっち天使そのっち天使そのっち天使そのっち天使そのっち天使
そのっち天使そのっち天使そのっち天使そのっち天使そのっち天使そのっち天使そのっち天使そのっち天使そのっち天使そのっち天使
そのっち天使そのっち天使そのっち天使そのっち天使そのっち天使そのっち天使そのっち天使そのっち天使そのっち天使そのっち天使』
「……わっしー///」
乃木園子は、天使のような心の持ち主だった。
最終更新:2015年05月12日 07:48