H2・293

結城友奈が車椅子での生活を始め、讃州中学に復学してから数日が経った。
放課後になり、友奈は東郷に車椅子を押されながら、勇者部の部室へ移動していた。
道すがら、東郷が友奈に話しかける。

「どう?友奈ちゃん。車椅子での学校生活には慣れてきた?」

「うん。黒板で回答している東郷さんの字、すごく綺麗だった。」

「ありがとう。黒板にチョークで字を書くのは久しぶりだから、部室の黒板で結構練習したのよ。」
「でも私が聴きたかったのはそういうことじゃなかったんだけど。」

「私は東郷さんがいるから安心だよ。」


友奈は東郷の脚が完治したことを自分のことのように喜んでいた。
実際、他人事ではなかった。
東郷が車椅子で生活していたころ、動かない脚にどれだけ悩んでいたかを友奈はよく知っていた。
不自由な生活にもどかしさを感じていたこと。
明らかな外傷がないことから、あるいは奇跡が起きるのではないかとわずかな期待を抱いていたこと。
思いは叶わず、時に涙していたことも。
友奈は大親友と呼ぶ人の嘆きに何もできなかった。

今、東郷は両の脚で歩けるようになった。
後は自分の脚が治れば、東郷と並んで歩ける。
それだけで友奈には未来は明るく見えていた。
そして自分で歩く東郷の姿は友奈の目には新鮮で、自然、友奈が出す話題は東郷のことに集中する。

一昨日の話題は東郷の姿勢についてだった。

「東郷さんは立ち居振る舞いが綺麗だね。憧れるよ~。何かコツとかあるの?」

「松葉杖で歩けるようなった頃から母に見てもらって少しづつ矯正したの。」

「そっかー。そういえばおばさんも歩き方が綺麗。」
「ん?おばさんに教えてもらったら、ひょっとして私も同じようにできるのかな?」

「うーん、出来ると思うけど、あまりお勧めはできないわ。」

「どうして?」

「母は私より厳しいわよ。」

「う! それは恐い。・・・東郷さんは教えられる?」

「そこまでは無理。まだ自分のことで精一杯。」

「残念。諦めます」

「それに私、友奈ちゃんの元気な動作が好きだから。そのままでいて欲しいな。」

「そ、それはなんか照れる。」


昨日は悩み相談だった。

「東郷さんは車椅子を押すとき何か意識してる?」

「特に意識してることはないわ。どうして?」

「東郷さんの押し方は上手いというか、車椅子に乗っている人に優しいな、と思って。」
「昨日の夜ね、お父さんに車椅子を押してもらったんだけど、力任せなのかな。」
「急停止と急発進がひどくて首が痛くなっちゃってね。お父さんと少し喧嘩になっちゃった。」
「東郷さんの車椅子を押してた時の私もあまり変わらなかったかも。今更だけど、ごめんね。」

「そんなことはないわ。私は友奈ちゃんに押してもらうときが一番安心できた。」
「大事なのは互いの信頼関係よ。押し方の問題じゃなくて、誰に車椅子を、自分を預けられるかが重要なのよ、友奈ちゃん。」
「友奈ちゃんはおじ様、私や他の勇者部の皆よりただ車椅子の押し方が上手い人を信頼する?」

「ううん、東郷さんや勇者部の皆はもちろん、お父さんなら信頼できる。」
「お父さんはいままで、私にいろんなことを教えてくれたから。育ててくれたから。」
「そっか。私、悪いこと言っちゃった。謝らないと。」

「うん、それがいいと思う。それと謝るなら早いほうがいいわ。これは経験者からの助言。」

「だけど、なんか言い出しにくいな。自分が悪いっていうのはわかっているんだけど。」

「好きな人と口論になったときに、現在の状況だけについて問いなさい、過去のことは持ち出さないように。」

「ん、何それ?」

「ダライ・ラマ14世の言葉。」

「だらい・らまさん?」

「旧世紀に実在した偉大な指導者よ。私も風先輩から教えてもらったの。」
「だから、謝るなら早いほうがいいわ。遅くなると謝るのが遅かったという過去が蓄積されるから。」

「風先輩はいろんなこと知ってるね。でも素敵な言葉。うん、頑張ってみる。」

「それと、おじ様に伝言して。友奈ちゃんの後ろは私の指定席だって。」

「うん。わかった。」


そして今日。友奈が切り出した話題はある意味、昨日の続きだった。

「東郷さんはいつごろから私に車椅子を押してもらってもいいと思ったのかな?」

「最初からよ、友奈ちゃん。」

「最初からって?」

「出会った最初の日から。あの頃はまだ結城さんって呼んでたわね。」
「私が讃州市に引っ越してきた日、結城さんは家に来て私に声をかけてくれた。」
「私に笑いかけてくれる結城さんを見て直感したの。この人は決して私を悪いようにはしないって。」
「結城さんに町を案内されて桜並木を見ながら直感は確信に変わっていた。」
「家に帰ってからも、素敵な人と出会えた、もっと親しくなりたいってすごくはしゃいでいたのを覚えてる。」

「それはなんというか、光栄です。」

「でもね、それは長くは続かなかったの。」

「え?どうして?」

「結城さんは私を友達と思ってくれている、そこは疑っていなかった。」
「けど、自分は結城さんの友達と胸を張っていえるのか、自信がなかったのよ。」

「東郷さんは素敵な人だよ。そんなこと思わなくていいのに。」

「ありがとう。でも、あの頃の私は長い病院生活で自信を失っていたの。」
「このまま結城さんと友達になってもすぐに見放されるんじゃないかって思ったりもした。」
「そんなときに、母に結城さんはぼた餅が好きって聞いたの。」
「それで、結城さんが喜ぶようなぼた餅が作れるなら、結城さんの隣にいてもいいんじゃないか。」
「結城さんから友奈ちゃんに変えてもいいんじゃないかって考えたの。」
「今思えばいかにも子供っぽい考えだけど、あの時の私にはそれしか縋るものがなかった。」
「それからはずっと台所でぼた餅の勉強と料理の修業。」
「ようやく納得できるものが作れるようになって結城さんを誘って神社に行ったの。」

「あのぼた餅にそんな意味があったんだ。私、ただ喜んでただけだったのに」

「ううん。だから、あのぼた餅をおいしいって言ってくれたとき、とても嬉しかった。自分が救われた気がしたの。」
「今の私でも誰かに何かできるんだ。」
「私でも友奈ちゃんのそばにいてもいいんだ」
「結城さんから友奈ちゃんに変えてもいいんだ」
「そう思えたの。あのリアクションには驚いたけどね。ありがとう、友奈ちゃん」

「東郷さんは自分で自分を救ったんだよ。私はただ、ぼた餅をいただいただけ。」

「そんなことないわ。もしそうだとしても、そのきっかけを作ってくれたのは友奈ちゃんよ。」

「東郷さんのぼた餅、本当においしかった。味覚が戻ったらまた作ってね。」

「腕によりをかけて作るわ。でも、変な昔話しちゃったわね。」

「ううん、そんなことない。わかるよ、その気持ち。」

うん、うん、と友奈が首を縦にふる。
東郷からはその表情は見えなかったが、何か神妙な面持ちなのは感じられた。
普段の友奈からは友達づきあい等に不自由を感じてるようには見えなかったが、今までにそういった経験があるのかもしれない。
そう東郷は考え、追及はしなかった。

不意に友奈が体をねじり、東郷に顔を向ける。

「私も何か東郷さんにしてあげたいな。車椅子を押してくれたり、いろいろとお世話になっているし。」

「そんな気を使わなくてもいいのよ。私が友奈ちゃんのお世話をしているのは今までのお礼でもあるんだから。」

「そういうわけにはいかないよ。東郷さんのぼた餅に代わるもの、私も東郷さんにあげたい。」

「そこまでいうなら。楽しみにしてるわ。」

何ができるかな。そういいながら前に向き直って考え事を続ける友奈。
そんな友奈を東郷は抱きしめたい衝動に駆られた。
でも、学校でそれをするのはいささか恥ずかしく、東郷は自分の性格を少し呪った。
お礼をしていないのはこっちの方だ。
友奈の言葉でどれだけ自分が救われたのか。
この一年半あまりでどれだけ絆されてしまったか。
さきほどの会話だけではぜんぜん足りない。
一生かけてでも伝えてよう。
ふと稚気が頭をもたげ、東郷は廊下を見渡す。
今なら問題あるまい。そう考え、東郷が友奈に声をかける。

「そういえば私、友奈ちゃんに知ってもらいたいことがあるの。」

「ん、何を?」

「普段、自分でやらないことでも信頼している人にゆだねてみれば、意外と気持ちいいってこと。」
「私は友奈ちゃんに教わったわ。やってみる?」

「う、うん。よくわからないけど。」

「じゃあ、行くね。」
「目的地までの海域に敵影なし。本艦はこれより作戦時間短縮のため、速度を上げる。総員準備。両舷原速。」

「ちょ、ちょっと、東郷さん?」

東郷の朗々とした声が廊下に響く。
車椅子を押す東郷の歩みが次第に大股になり、やがて小走りになる。
一度は抗議の声を出しかけた友奈だったが、東郷の言葉を思い出したのか、東郷に全てをゆだねていた。
その加速感、疾走感はささやかなものだったが、久々に感じるそれは心地よく、友奈は笑い声を上げていた。
友奈につられて東郷も笑いだす。
讃州中学の廊下に二人の少女の声が木霊した。

神世紀300年秋。勇者の役目から解放された少女達は、確かに青春の只中にいた。
最終更新:2015年05月19日 22:09